背徳の病

Q矢(Q.➽)

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 少し離れた場所でスマホのアラームが鳴っているのが聞こえる。

「あ、もうこんな時間か」

 洗い上がった洗濯物を乾燥機に入れ替えていた篠井は、一旦その手を止めて音を止めに寝室へ向かった。

「さて、少し急ぐか」

 予定ではこの時間には干すまで終わっていた筈だったのに、先週の休日を寝て過ごしてしまった為にいつもより洗い物の量が多かったのだ。
 アラームを止めて、バスルーム横のランドリースペースに戻って残りの洗濯物を全て乾燥機に移して乾燥時間をセットする。それから軽くシャワーをしにバスルームに入った。前夜に風呂は入っているが、休日に人と合う前にシャワーを浴びてから出るのは篠井の長年の習慣だ。

 今日は土曜日。月曜の夜に約束した、シオンとの食事の日である。店は予約しておくとシオンが言っていたが、果たしてどんな店なのだろうか。シオンのように実家が経済的に裕福そうな若者でも気軽に入れないとなれば、以前接待で使っていたような星付きの高級店だろうか、などと考えつつ髪と体を洗った。

 それにしても、と髪をドライヤーで乾かしながら篠井は考える。
 買い出し以外の目的で休日の昼間に外出するのはいつぶりだろうかと。確か、半年ほど付き合った彼女と別れた日に映画に行ったような…。友人達と会う場合は大概飲みになるので会社帰りになるし、やはりあの彼女とデートした日以来だろうか。となると…。

「2年近く前になるのか…」

 つまり、最後にセックスしたのも2年前という事になる。既に40、されど40。あんな夢を見てしまうという辺り、まだまだ枯れ切るには早いという事なのか、と何とも言えない気持ちになった。

「あの時ってなんで別れたんだっけ…」

 髪の乾き具合いを確かめて、壁のホルダーにドライヤーを掛けながらあの日の記憶を辿る。彼女の希望で見た映画は、画面を眺めてこそいたが退屈過ぎて殆ど覚えてはいない。その後、やはり彼女が決めて来た店に食事に行った。彼女は篠井よりだいぶ若かったが既に30は過ぎていて、2度の離婚を経験した人だった。

『もう結婚は懲り懲り。向いてないのかも』

 そう言って笑った彼女に親近感を感じた。結婚に懲りた者同士、大人の付き合いが出来るだろうと交際に踏み切った筈だった。それなのに交際半年目のあの日の帰り際、彼女は篠井に『結婚したい』と言ったのだ。青天の霹靂だった。
 それで、困惑しながらもそれをはっきり断ると、彼女はこう言った。
 
『貴方に結婚する気が無い事は、最初に聞いて知っていた。だから、再婚相手を探しているとは言えなかった。言えば付き合ってくれないだろうと思ったから。付き合えれば、気持ちを動かせる自信があった。だけど、いつまでたっても私は貴方の心に入り込めている気がしない』

 篠井はそれを否定も肯定も出来ず、黙って聞いていた。

『貴方は、後腐れのない関係を受け入れられる人なら誰でも良いんでしょ』

 それにも篠井は、返事をする事が出来なかった。確かに篠井は、最初の結婚に失敗してからというもの、結婚願望の無い女性ばかりと割り切った付き合いばかりをしてきた。そんな彼女達とは、別れる時もあっさりしたもので。
 最初からゴールを目指さないと決めた関係でも、彼女達の事は大切に扱ったつもりだし、彼女達もそれに納得してくれていたからこそ、別れる時にもお互い笑顔でさよならを言えるのだと思っていた。だから、面と向かってそんな事を言われるのは初めてで、篠井は困惑するしかなかったのだ。

そんな様子に、業を煮やしたのだろうか。彼女は、溜息を吐いてこうも告げた。 

『貴方は大人で優しくて、何でも私を優先してくれた。でも、一番欲しいものはくれないわよね』

 返す言葉が無かった。
 
『わかってる。貴方は悪くない。悪いのは私。自分に振り向いてくれないとわかってた人を好きになった私が悪いわ』

 それから、駅に向かって去っていく彼女の背中を見送って、それっきり。引き止めたいとは思わなかった。
 その後、自宅マンションに向かって自分の車を運転している間も、彼女に言われた事が何度も脳裏にリフレインしていた。だがやはり、引き止めなかった事に後悔は無かった。
 彼女とは、それきり。
 しかし、結婚願望は無いと言っていた彼女が篠井に結婚を望んでいたその出来事は、篠井に新たな不信感を植え付けた。
 好意を示されても、また彼女と同じように口にする言葉と心の中が違っていたらと思うと、付き合う事が億劫になってしまう。彼女と別れた後、篠井はまるで自分が、相手の時間を搾取する悪人になったような気がした。あんな後味の悪いのはもうたくさんだ。
 結局、あれ以降ずっと恋人を作らずに過ごしてきた。よって、今日は2年ぶりに誰かと休日を過ごす事になるのだ。

 寝室に行ってクロゼット前で着替えを済ませてから洗面所に戻り、少量の整髪料を手に取り髪を整える。両手の指を使って髪をかき上げていると、自然と呟きが漏れた。

「2年ぶりなあ。…と言っても相手は男の子だから、息子と食事に行く父親みたいなもんか」

(息子か…)

 最近はどういう訳か、会った事もない息子に思いを馳せる事が頻繁にある。似たような年齢の青年達と接する機会が多くなったからだろうか。
 画像の中の赤ん坊の姿しか知らない、篠井の息子はどんな成長を遂げたのだろうか。元妻に似ているのか、それとも篠井に?

鏡に映る自分の顔を見ながら、そんな事を考えてしまった。






 
 

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