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3 行きずりの優しさに
しおりを挟む今日別れた三村は、斗真の人生で6人目の恋人だった。
慣れたつもりでいても別れ話の後は胸が苦しい。2人で積み上げてきた日々の思い出ばかりが蘇ってきては、部屋に帰る足取りを重くする。
早くひとりになりたい筈なのに、ひとりになるとどうにかなってしまいそうな矛盾。
笑って別れてやるのが一番良いのはわかっているし、それを実践できているのに、実際の胸中は嵐のように荒れ狂っている。辛くて、痛くて、苦しくて、虚しい。
当然だ。恋人を奪われたのだから。ベータだというだけでいつもいつも譲歩しなければならないなんて不毛過ぎて。
この辛さを乗り越えたら、もう絶対にアルファやオメガには関わらない。告白されても断る、絶対に、絶対に。
こんな制約だらけの呪いのような恋は、金輪際したくない。
これからは身の丈に合った、同じベータと付き合おう。ベータだって浮気はするだろうが、少なくとも話し合いの余地はある。一度だけの過ちだというなら、許してやり直す事だってできる。
アルファとオメガの関係性のように、斗真に有無を言わさぬ敗北を突きつけてきたりはしないのだから。
葛藤の末、ひとりで居たくない思いが勝ったらしい。
フラフラと彷徨って、何時の間にやら何処かの飲み屋街に足を踏み入れていた。
気がついたら薄暗いバーのカウンター席に座っていて、既に少し酔っていた。頭がぼうっとして目が霞んでいる。妙に脱力したような感覚で、肩にも手にも力が入らない。
(だいぶ飲んでしまった…。)
揺れる視界が気持ち悪くて目を閉じると、
「やっぱりそんなに強くないんじゃないか。…可愛い。」
と横から肩を抱かれた。誰だ、誰が隣に…?
首を横に向けると目に映る男。ボヤけた視界でも、至近距離だからその端正さはわかる。
「…あるふぁ、だろぉ…。」
美しいからαだと思った訳ではなく、今迄付き合ったα達と似た雰囲気があったから、そう口にしてしまった。
言われた男はくつくつと笑って、
「もう4回くらい聞いたな。」
と言いながら胸に抱き寄せた斗真の頭を撫でる。
(…?なんで俺…。だれ?)
と思うのと、俺は4回も同じ事を言ってるのか、と思うのとで、自分がだいぶ前からこの状態で酔っているのだという事だけを悟る。
「…ぅぷ…。」
急に胃からせり上がってくる何かを感じて、手で口を押さえる。同時に感じる浮遊感。どうやら隣の男に抱え上げられたようだ。
「押さえといてね。もう少し我慢。」
男はそう言って、斗真を店の手洗いまで抱えて運んでくれ、一緒に個室に入って吐き終わるまで背中をさすって介抱してくれた。
初めて会った他人にこんなところを見られて、という羞恥や罪悪感は、嘔吐の苦しさに掻き消される。
「…ぅえ、…っ、はぁ…っ、」
胃の中から出て来るものが喉を焼く苦い胃液だけになった時、やっと吐き気がおさまってきた。
「少し座ってて。」
男は便器の便座を下げて、ぐったりした斗真を座らせると、個室の扉を閉めて数十秒ほどいなくなった。
(…眠い。)
個室の壁に寄りかかってずり落ちそうになったところで男が戻ってきて、危うい状態の斗真の体を支えてくれた。
抱き抱えられ、後頭部を支えられ上を向かされるが、体が重く、瞼も重く、力も抜けて何も見えない。
ややあって。
唇に柔らかい何かが触れたと思った直後、何かが流れ込んできた。
水だ、と思った瞬間、斗真はそれを流し込まれるまま素直にこくこくと飲み下した。
アルコールと胃酸で不快だった喉が潤されていく。
薄目を開けると、男が口移しに飲ませてくれているのが見えた。それを理解しても、斗真は更に水を強請った。男は斗真の欲しがるままに水を与えてくれたが、暫くすると口内には水ではなく男の舌が侵入してきた。
さっき斗真が吐いたのを見ていた筈なのに、男の舌は斗真の口の中、歯列の一本一本を丁寧に舐る。上顎を舐め、舌を絡めて。
平気なのだろうか、とぼんやり思う。
オメガでもない、初対面の平凡なベータの男に、よくもそこまでできるものだ、と。口腔に唾液の溜まる暇も無く啜られる。気持ち悪くないのだろうか。
行きずりの遊びに手を染めた事の無い斗真には、気持ちの無い相手と平気で口付けを交わせる人間の感覚はわからない。
そして、ふと考えた。
他人である男がこんなに熱心に斗真の介抱をしてくれるのは、斗真の体が目当てなのだろうか。
(なら、別に良いか…。)
どうせ誰にも選ばれない、つまらないその他大勢の体だ。勿体ぶる事もない。
この、胸にぽっかりと空いた穴を一時的にでも塞いでくれるなら。傷口を、舐めてくれるなら。
唇を離れ、喉に這わされる舌の滑りを感じながら、斗真は焼けて掠れた声で呟いた。
「ここじゃ、嫌だ…。」
男の舌の動きが止まり、フッと笑った気配がした。
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