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34 頼る先
しおりを挟む斗真が会社に戻れたのは、昼休み終了から一時間近く経過してからだった。
上司のデスクの前まで覚束ない足取りでやって来て、
「遅れて、申し訳…」
と言ったきり屈み込んだ斗真に、上司だけではなく部署の全員がザワついた。何度連絡しても出ない斗真に痺れを切らして、戻って来たら叱りつけてやろうかと考えていた上司も、そのただならぬ様子に言葉を飲み込んだ。
汚れたスーツ、青ざめた顔、焦点の合わない目。
「どうした、具合いが悪いのか?」
「……申し訳、ありません…。戻る途中で倒れてしまっていて…。」
斗真の返答に慌てて、上司は病院に行けと斗真に早退を勧めた。人が良く使い勝手が良いからと面倒な仕事を斗真に投げてきた自覚がある。その後ろめたさが気遣いの言葉を掛けさせた。
斗真は、救急車を呼ぼうかと問いかけた同僚達の言葉に首を振り、タクシーを呼んでほしいとだけ頼んだ。
一緒に昼食に出て、帰りにコンビニ前で別れた同僚は何故か責任を感じているのか、しきりに斗真に謝りながら下まで付き添ってくれた。彼には何一つ責任も関係も無いのにそんな言葉を言わせてしまった事が逆に申し訳ない。
「ありがとう、大丈夫だから、心配しないで。皆にも、謝っといてくれ。」
タクシーに乗り込みながらそう言うと、同僚は『こんな時くらい自分の心配をしろ。』と苦笑した。
ドアが閉まり、運転手に行き先を聞かれた斗真は、体の痛みを堪えながら考えを巡らせた。こんな状態で家には戻れない。この身に起きた事を、庄田に知られたくない。実家に戻れば詮索される。こんな事は言えない。友人達も、みな仕事中で、平日の昼間から在宅の人間なんかいない。ホテル…こんな挙動不審な人間を、泊めてくれるだろうか?変に詮索をされるのも、人目に付くのも嫌だった。
(……雅紀。)
ふと、頭に浮かんだ。
やり直したいという彼の気持ちを受け入れられず、庄田を選んだ。マンションから引っ越す時も、一言連絡を入れただけ。不義理をしてしまっている、と思う。しかも、雅紀も鳥谷と同じオメガ、そして、男性。
自分に好意を持っている男の元に助けを求めても大丈夫なのかという葛藤がある。
けれど、他に考えつかなかった。女性の知人を頼るのも、それはそれでまた…。斗真にもプライドがあった。
雅紀ならきっと助けてくれる。
斗真はそう信じる事にした。信じるしか、なかった。
今なら雅紀は職場であるサロンで仕事をしている筈だ。以前住んでいたマンションの最寄り駅から、1つ先の駅前の美容室。
絶対に迷惑をかける。こんな怪我人が突然訪ねて行くなんて。でも、理由が理由だけに、他に頼れる人間がいない。
「……藤ノ棚駅前東口まで。」
掠れた声で運転手に告げながら、斗真は雅紀のスマホにメッセージを打ち始めた。
常連の女性客の接客を終え、店の出入り口まで見送りに出た雅紀は、営業用の笑顔を消して息を吐きながら店内に戻って遅い昼食を摂る為にバックヤードに入った。何時もなら簡単に買ってきたパンとコーヒーくらいで済ませてしまうが、今日は珍しく次の予約まで時間が空いている。たまには近所の定食屋にでも、と思いながらロッカーに入れていたサコッシュを取り出した。中を探り、スマホを確認する。明るくなった画面には、受信したメッセージの送り主の名と文面の一部が表示されていた。
「斗真…?」
何年も前に別れて以来、斗真の方から連絡が来る事なんて滅多に無い。再会して友人関係になってからでさえ、それは変わらなかった。
その斗真が連絡を寄越したのだから、余程の事かと雅紀は即座にメッセージを開いた。受信時間は20分以上も前だ。
『すまないんだけど、少しの間厄介になれないかな。』
相変わらずの、遠慮がちな文面が斗真らしい。だが、雅紀はそれを読んで急激な不安を感じた。
恋人の家で暮らすのだと引っ越しの連絡をもらってから、何ヶ月だっただろうか。遡ってみれば、すぐに3ヶ月半ほど前の日付けでそのメッセージが表示された。まさか、もう別れてしまったのだろうか。もしくは、喧嘩でもしたか。
(いや、有り得ないか…。)
斗真が誰かに声や態度を荒らげる所なんて想像できない。相手に八つ当たりされても、何も言わず受け止めるのが彼だ。多少喧嘩したからと、そのまま家を飛び出すような性格ではない。
よくよくの事情があるのだろう。雅紀が斗真に大丈夫だと返信したその時、カウンターの担当スタッフが営業スペースとバックヤードとの仕切りのアコーディオンカーテンを開けた。
「朝森さん、表に菱田さん来てますよ。」
「え、もう?」
まさかこんな時間にすぐさまの事とは思わなかった。会社はどうしたのだろうか。まさか本当に何かあったのか。
急いで店の外に出ると、斗真が店の建物の壁に寄りかかりながら苦しそうに息をしている。驚いた雅紀はそれに駆け寄って、ずり落ちてしまいそうな斗真の肩を支えた。僅かに伝わってくる震え…。
「どうしたんだよ?苦しいの?救急車…、」
「雅紀。」
スマホを操作しようとする手を制されて、雅紀は斗真の顔を見た。真っ青で、血の気が無い。服が汚れているのも何時もの斗真らしくない。
急病だろうか?それとも怪我?目立った外傷は確認できず、わからない。
「頼む。部屋を貸してくれないか。休みたい。」
「だって、斗真、こんな…。」
「落ち着いたら説明する。…部屋を貸してくれ。」
「……わかった。」
雅紀は一旦斗真をそこに寄りかからせて、店の中に戻り、急用で一時間ほど家に帰る事を告げた。
「すぐそこの駐車場まで歩ける?」
「うん。」
雅紀は斗真を支え直し、店の脇の駐車場に向かってゆっくりと歩いた。
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