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49 悪寒
しおりを挟む銀行ATMで金を下ろす為に駅に向かおうと思った。そして、何処か遠くに行ってしまおうと。
逃亡者は北へ向かうと以前何かで見た事があるが、それならセオリー通りにするべきなのか。だが寒い場所にわざわざ向かうというのも、過剰に悲壮感漂い過ぎてしまいそうだ。
(じゃあ、南、かな。)
それも良さそうだ。茹だるように暑い南の島。
何なら空港すら無くて、船でしか行けなくて観光客も滅多に足を伸ばさないような離島が良い。隔絶されたような場所で、暫く何も考えずに過ごしたい。
肌に合うようなら、いっそそこで仕事を見つけて住んでしまっても良いかもしれない。ずっとサラリーマンでデスクワークだったけれど、体力が無い訳じゃない。出来る仕事なら何でもしてみよう。農業でも、漁業でも、やってみれば意外と合うかもしれない。
それに、あくまでイメージでしかないが、そんな果ての小さな島まで行けば、アルファもオメガも少ないのではないだろうか、少なくとも、大人のアルファは。優秀な彼らは、一定の年齢になれば自分の能力に見合った場所に出ていくものだから。
雅紀のマンションのエントランスを出ると、斗真は空を見上げた。さっき部屋から見た時は青空が広がってた筈なのに、今は半分ほど灰色の雲がたれ込めていた。雨が降るのかもしれない。
降り出す前に駅に着いてしまわなくてはと、前の歩道に出て歩き出した。もう通勤通学時間を過ぎているからか、斗真の他には人っ子ひとり歩いていない。平日のこんな時間に外を歩いている事に、少しだけ背徳感。まるでエアポケットのような時間だな、と思いながら歩いた。
違和感に気づいたのは、数分も歩いて駅が見えてきた頃だ。うなじを不快に撫で上げられるような視線を感じて立ち止まった。後ろを振り返り、左右を見回して首を傾げる。駅が近づいて来て、流石に数人の通行人とすれ違い始めた。だが、見渡してみた限り、視線を感じそうなほど斗真を注視している人間はいない。気の所為かと思い、再び歩き出した時、歩いていた路側帯の数メートル先に青い車が停車した。一瞬不審に思っていたら、車のフロントドアが開いた。助手席からここで降ろすつもりなのだろうか?
だが、歩きながら見ていても誰も降りては来ない。左端に寄って通り過ぎようとした時、車内から声がした。
「と う ま クン。」
その声を耳にした瞬間の、体の奥からざわざわと這い出してくる悪寒を、どう表現したら良いのだろうか?
見てはいけない。確認してしまえば、数日かけてやっと戻ってきた何かがまた…。
止まってしまった足を、どうにか踏み出そうとした。けれど、出来なかった。
「4日…いや、5日ぶりか。どうにも会いたくなっちゃってさ。迎えに来ちゃったよ。」
何を言っているんだ、この男は…。猫撫で声に鳥肌が立った。見てはいけない、無視をしてこの場から去らなければ。そう思うのに、斗真の全身は細かく震え、息を飲むのも苦しくなった。
「…どうして、此処に…?」
やっと声を絞り出すと、男はくつくつと嘲笑った。
「斗真クン。スマホにだけ用心してりゃ大丈夫だなんて思ってた?」
「……?!」
男はまた喉を鳴らした後、今度はねっとりと粘度を込めた声で言った。
「君が恋しくてさ…ここに収めたかーわいい姿を眺めて何とか慰めてたんだぜ。」
その言葉に、恐怖で固まってしまっていた筈の首が動いた。
車内の運転席から身を乗り出してスマホを斗真に向けて笑っている男の姿が目に入って息が止まりそうになる。
それはやはり、鳥谷だった。
そして鳥谷の左手の中には、半裸にされて突かれて呻いている、あの日の斗真が居た。
(……動画…!?何時の間に…)
壁側を向かされていて全く気づかなかった。小さな画面の中の斗真は、両手を後ろ手に拘束されて犯されている。
「楽しかったなぁ。…こんなのもあるよ?」
鳥谷は一旦画面を自分に向け、操作してからまた斗真に向けた。
今度は手の拘束は解かれていたが、時折逃れようとするようにゴツゴツとしたビルの壁面を掻き毟るような動きをしている。それはまるで水槽から出たいと足掻く亀のようだった。
両手の拘束が解かれたのは、狭い路地の中で斗真が壁に頭をぶつけ額から血を流したからだ。あまり目に見える場所に酷い怪我をされては不味いと思ったのだろう。結果的には、壁に手を付いて頭は守れたが、新たに手を傷めた。
まだ数日前にしか過ぎないあの時の事を鮮明に蘇らせるソレに、ズタズタにされていた斗真の心はとうとう砕けてしまった。
血の気が引いて真っ白になった斗真の顔を見て、鳥谷は唇の端を吊り上げた。
「…乗れよ。」
命令する声に、のろのろとした動作で車に近づいた斗真の右手首を鳥谷が引っ張る。斗真の後ろから歩いて来た通行人の姿が見えたからだ。
助手席に引きずり込まれた斗真は、すぐに唇を奪われた。
あの日よりは幾分優しい気がしたが、それでも最初から全てを貪っていくようなキスだった。
背後で閉まったドアの音を絶望的な気分で聞きながら、斗真は自分の浅はかさを呪った。
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