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90 まさか
しおりを挟む解くべきか、否か。
迷った末に、俺は三田のブロックを解除した。
カフェでの、ほんの僅かな時間での会話を反芻して、何か変だと感じたからだ。
三田は何かに巻き込まれているのだろうか。
信じて、と言った三田の言葉を、もう一度信じてみるべき、なのか…?
でも、だとしたらあのキスシーンは何だったんだよという疑問も残る。
だけど、全てがハッキリしない内に一方的に遮断するのもフェアじゃない気がした。
その内話すと言っていた。その時、俺が納得する話をする用意があるというのなら、その時を待ってみるのも良いだろうと思った。
三田と久々に短い接触をしてから1週間。相変わらず奴からは、行き来を気をつけるようにとか、家に居るかとか短い連絡だけが来る。俺もそれに短く返信すると直ぐに既読がついて、それで終わる。
素っ気ない遣り取り。まるで俺の所在や無事を確認するだけのような。
(…何だ?)
違和感は募るばかりだった。
本格的に風が冷たくなって来て、冬が来た事を実感する。こんな日は直帰よりもバイトで送迎車がある日の方がラクだなと思いながら大学からの帰路についた俺だったが、電車に乗った瞬間ふと思い出した。
最近PCの調子が良くないから、バイトの無い日に専門店に見てもらいに行こうと思っていたのを。
自分で触れる部分は触ってみたが原因が把握出来ず、これ以上はプロに任せるべきだと早々に諦めたから、場合によっては修理になるのかもしれない。何れにせよさっさと直ってもらわなきゃレポート作成にも支障を来たすから、さっさと行くべしだ。
スマホで母さんに少し帰宅が遅れる旨の連絡を入れてから、PCを買った家電量販店のある駅で途中下車した。
店に寄って、PCを診てもらった末に数日間の預け修理になったが、ちゃんと直りそうで安心した。ついでに上の階の本屋に少し寄って買い物をしてから店を出たら、19時過ぎ。冬の夜は早く来るし、寒い。
俺はまた電車に乗り、数駅先の自宅の最寄り駅で降りた。一人でこんな時間迄出歩いたのは始めてだ。
けど、何やかや言って、俺ももう20歳。
マスクで顔の下半分が隠れていても、よく見れば冴えない目元だけでも"普通"だとはわかるだろうが、いっぱしの成人男性だから昔程に用心する事も無いだろう、と油断して迎えを呼ばなかったのが悪かったのか…。
駅からは、家の近くになる迄は比較的広い車道の一本道。郊外な事もあって交通量はそれ程多い訳じゃないけれど、それなりに店や建物が並ぶ車道沿いというのは安心感がある。それに、家迄もそんなに遠くはない。
だから、気を抜いていたのは事実だ。
イヤホンをしていて、並走するようにスーッと近づいてきた黒いワゴンに気づけなかった。
油断し切っていた俺は、周囲の少ない通行人が途切れるのを見計らったように降りてきた数人の男達に口を塞がれて、当て身を食らわされて、ワゴン車に連れ込まれた。
どれくらい経ったのか、車の微妙な振動で意識が戻った。イヤホンは無くなっていた。拉致された時にでも落としたんだろうか。
マスクも外され、代わりに猿轡をされて、両手両足は結束バンドで拘束されていた。
何故か目隠しはされておらず、目が慣れてくるにつれて、俺はどうやら此処がかなり大きなワゴン車の中の荷室に転がされているらしい。窓には黒いカーテンが引かれていて外は見えず視界は暗い。座席に隠れて見えず話し声もしないが、僅かな衣擦れの音や息遣いで前に数人座っている気配はわかる。
(…誘拐?)
ゾワッと背筋に悪寒が走る。
俺だとわかって拐ったのか、無差別誘拐かはわからないけど、マスクが外されている時点で俺が"普通"だという事は知れてしまった筈だ。
成人する迄、家族ぐるみの努力で何とか無事できたというのに、俺自身のほんの少しの油断で水の泡にしてしまった。
誘拐の目的はわからないが、金目当てだったとしたら、多分身代金要求よりも売買に切り替えられるんだろうなと思った。まさかこんな歳になってと思うが、成人しても若い男なら、金を持った好事家連中にはそれなりに需要がある事は知っていたのだから油断したのは自己責任だ。
"普通"で、成人している俺が拐われて、無事に家に帰れる事はまず無いだろう。
性奴隷にされるか、何に使われるかはわからないけど、きっと長生きする事は無い。
こんな時なのに俺が一番最初に思ったのは猫達と三田の事だった。次に、祖父ちゃん、母さん、父さん。きっと俺の帰りが遅い事を心配してるだろうな。
拘束されてからどれくらい経過したのかわからないけど、連絡のつかない事で異常を察知して警察に通報しているかもしれない。
ふっ、と、気をつけてと言った三田の顔と声が思い出された。
ごめん、三田。
あんなに毎日、そんな連絡をくれてたのに。
もう俺は、お前に会えないんだろうな。
胸の中を、不安と恐怖と悲しさと悔しさが入り交じる。結束バンドが服越しなのに手首に食い込んで来て痛い。
リンに会いたい。猫達に会いたい。三田に会いたい。家族に会いたい。
これから自分がどうなるのか想像するのが怖い。
こんな運命が待っているのなら、勿体つけずにあの日三田に全部あげていれば良かった。
後悔の涙が目尻を伝った。
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