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棘と花
しおりを挟む朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
「やっとか」
私はテレビ画面に向かって溜め息混じりにつぶやいた。
聞いてくれる相手もいないのに独り言を言ってしまうのは、ここ何日かですっかり身についてしまった癖だ。
仕事を辞め、携帯電話とインターフォンの電源を切り、自宅に引きこもっているから、誰とも会話をしない分、独り言が増えたのだ。
世界の終わりまで、やっと、あと七日。
最初に「世界が終わる」ことが公表されたのは三週間前のことだ。
『一ヶ月後、世界が終わります』
突然発表されたそんな言葉に、人々は首を傾げ、眉をひそめ、それから我に返った者から順にパニックに陥った。
一方で、私といえば比較的冷静だった。
あ、そうなんだ。
真っ先に思い浮かんだ言葉はそれだけだったし、もっといえば、なんてラッキーなのだと思った。
なにしろ世界が終わるなら、無理して生き続ける必要がなくなるのだ。
自ら命を絶つ度胸がないばかりに苦痛で無意味な毎日を惰性でやり過ごしてきた私にとって、世界が終わるなんて、こんなにも最高なニュースが他にあるはずがない。
人生の歯車が狂う、と言えば言葉の響きがかっこいいのかもしれない。
社内の花形プロジェクトのメンバーとして同僚たちから羨望のまなざしで見られていた頃は、まだ毎日が華やかに輝き、生き甲斐を感じていた。会社の経営が傾いてプロジェクトが解散した頃から、私の人生も崩壊し始めた。本社から子会社に出向を命じられ、「お局」と呼ばれるたぐいの女たちから連日のように陰口を言われた。定年寸前の上司からはいやらしい目を向けられては「三十も半ばになってひとりでいる女なんてわけありなんだろ」とセクハラまがいの発言を受け、妻子ある若い上司とは不倫関係となり、都合の良い女に徹しながら平日の夜を繁華街の片隅にあるいかがわしいホテルで過ごす。翌朝は疲れた肌に美容液とファンデーションを厚塗りして職場へ向かい、また女たちにちらちらと横目で見られ……。
こんなくだらない世界が、やっと終わるなんて!
人々が我を忘れ、大切な人の元へ行ったり、嘆き合ったり、ここぞとばかりに犯罪や略奪、暴動を起こす中、自分には何ができるかを考えてみた。嫌な女たちに思う存分仕返しし、「残された時間を大切な家族と過ごしたい」といけしゃあしゃあと言ってのけた不倫相手の奥さんに「あんたのダンナと寝てた」と告げ口することも頭を掠めたが、実行に移すほどの情熱は残念ながら私の中に残っていなかった。
私は一ヶ月生きていける食料と日用品を買い込んで自宅に引きこもり、自分ひとりのためだけに穏やかに過ごすことを選択した。
世間体を気にすることなく、一日中眠ったり、テレビ画面に映る終末の様子をただぼんやりと他人事のように眺めたり。働いている間には楽しむ気力が湧かずに積み上げていた本や映画を片っ端から見たりもしている。
化粧もヘアアイロンも体を締めつける下着も一切使わず自堕落な格好で過ごしても、もう誰にも咎められない快適さといったらない。自分の命だけが果てるなら身辺整理も必要だろうが、世界が一斉になくなるのだからそんな面倒事をやる必要もない。
あと一週間。たった七日。
そこまで生きれば何もかもが終わるのだ。
……そこで私はふと気がついた。
「世界が終わる」とは実際にはどういうことが起こるのだろうか?
この世の生命すべてが消え失せることだろうと漠然と思い込んでいた。
だが、もしかして、今暮らしているこの空間が別のものに置き換わるだけという可能性もあるのだろうか?
……まあいいや。一週間後にはすべてがわかる。来週になってもまだ生きていたならば、その時に考えればいい。世界の終わりを告げられて以来、私はすっかり楽天的になった。
突然、窓の外で大きな音がした。最近はこの街の辺りでも略奪が起きている。マンションの上層階に住む私にはあまり関係のないことだが、念の為カーテンを閉めておこう。
窓辺に寄り、ふと気がついた。
窓際に置いた棚の上に、小さなサボテンの鉢がある。
世界の終わりを告げられた日、帰宅中に通りがかった花屋の軒先に置かれていたのを購入した。どんな鉢植えでも必ず枯らしてしまう私はここ数年植物を手に取ろうとしたこともなかったが、これといって特徴のない、至って見慣れたタイプの丸いサボテンがふと目についたのだ。
毎日話しかけるとトゲがなくなる、なんて聞いたこともあるが、返事をしない物体と会話できる心の清らかさは私にはない。残りわずかな人生の伴侶として植物を迎えるほどのロマンチストでもない。
ただ、いかにも売れ残りの、このまま店主にさえ存在を忘れられそうなサボテンを、気がつけば手に取っていたのだった。
そのありきたりなサボテンの様子に、ふと違和感を覚えた。
よく見てみれば、いくつものとげに混じって何かがぷっくりと生えている。
初めて見るものであるが、これは、と気づいた。
つぼみだ。
それはまだ小さくて、薄い黄緑色で、どんな色の花をつけるのかさえわからない。
買った時にはなかったから、この三週間のうちにふくらんだのだ。
再び外で大きな音が響いた。悲鳴のような大声も聞こえてくる。
私が待ち焦がれる世界の終わりが刻一刻と近づいてくる中、このサボテンは、まだ見ぬ花をこれから咲かせようとしている。
「世界の終わりまであと七日になりました」
テレビ画面の中で無表情のニュースキャスターが同じ言葉を繰り返す。
私はもう一度鉢植えに目をやる。
サボテンの知識はゼロに等しいが、なんとなくわかる。
このつぼみがほころび、美しい花を咲かせるまでには、きっと七日以上かかるだろう。
「足りないね、時間」
私はこの三週間で初めて、世界の終わりが少しだけ先に延びることを願っていた。
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