魔王の事情と贄の思惑

みぃ

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 ふわり、とヴィンはあくびがこぼれる。夜更かししたせいで眠い。下肢の方を中心に重怠さもあり、ベッドの住人になっていてもよかったのだが、それはそれでアーティスが鬱陶しくなった。

 いらない、と言っても、甲斐甲斐しく世話を焼きたがる。悪の象徴の魔王なのだから不遜な態度でいればいいのに、人間であるヴィンよりも人間らしく繊細で、気遣いが色々と細やかだ。それが過ぎるから、げんなりするのだけれど。

 ふわり、とまたあくびがこぼれる。今朝はアーティスの部屋で朝食を食べ、腹も膨れたので余計に身体が重い。横になったが最後、意識を手放しそうだ。けれど今は寝ている場合ではない。必要な知識を得ようと、ヴィンは気持ちが急いていた。

「ヴィン、ドコイクノ?」
「書庫」

 と言う名の、資料室のような場所だ。魔王の執務室近くにあり、誰もが利用できるわけではないが、元々立ち入ることが許されている者もあまり近寄らない。魔族は寿命が長いせいか、変わらずにずっとそこにあるものは空気と同じ感覚だ。何かしらのきっかけがなければ興味を示さない。

 長い年月の間に、少しずつ、少しずつ意識の外に押しやられ、忘れ去られていったものがこの魔王城にはたくさんある。ヴィンは立ち入りを禁止されている場所はないので、気まぐれに、自由気ままに、城内を歩き見て回っていた。

 気に入った場所はいくつかあり、書庫はその筆頭だ。隙間なく本や資料が収められた書棚が整然と並び、まるで時が止まったような静寂が室内を満たしていた。
 居心地の好さに、入り浸っている。すっかり、ヴィン専用の書斎のようだ。豪華で座り心地の良いソファがいつの間にか運び込まれて、寛げる上に最高の昼寝場所にもなっていた。

 時折姿の見えないヴィンを探しに、近しい者だけが足を踏み入れる。そんな落ち着ける所だった。

「オヒルネ、ジュジュモイク」

 思わず、ヴィンは苦笑する。そんなに寝てばかりいるつもりはないが、書庫イコール昼寝だとジュジュには思われているようだ。むしろ、いつも寝ているのはジュジュだった。

「ちがうよ」
「チガウ?」
「本を読むの」
「オナカイッパイ、ジュジュネムイ」
「ジュジュは寝ていいよ」
「ヴィンモイッショニネヨウ」
「寝ないよ」

 いつもなら、寝ているかもしれない。家庭教師であるラルフの授業がない時は、時間を持て余していることが多かった。

 座学以外は、今はもうあまり学んでいない。剣術は極めるつもりはないので基礎で充分だし、魔術に関しては魔王と手合わせできる程度には習得している。ヴィンとしては今以上に魔術の教えを受けたいし、実践を経験するのに手合わせもしたいのだが、教えるアーティスが忙しいと相手をしてくれなかった。

 もう少し幼いころは、魔王軍の幹部を捕まえて手合わせにつき合わせていたけれど、今では戦う前に負けましたと白旗を揚げてくる。その不満をアーティスにぶつけても、先日のように急襲しても、大抵うやむやにされるからヴィンは面白くなかった。

 仕方がないので、最近では独学だ。魔術書は、簡単には読み切れないほど多くあった。今日は、違う本を探しているのだけれど。

(どこでみたっけ)

 相変わらず、誰がそろえたのかわからないが、壁一面、天井まである大きな本棚には雑多な書物が並んでいる。本棚で作られた通路の奥、今までヴィンが興味を示さなかった場所は少しほこりっぽい。本自体は、状態保存の魔法がかかっているのでどれもきれいだ。痛んでいるものはない。

(このへんかなぁ)

 背表紙のタイトルを確かめ、本を引き出して、ぱらぱらと中身を確かめる。それを戻して、また違う本を取り出し中身を確かめて――と繰り返して、何冊か知りたい事柄について書かれているような書物を見つけた。読んでみなければ、役に立つ情報かはまだわからない。

 定位置のソファの上へ移動して、ヴィンは本を開く。文字を目で追い、知りたい答えを探すように読んでいった。キリがいいところまで読むと、ふっと集中力が切れる。いったん本を置き、ずっと同じ姿勢でいたせいか、固まったような身体をヴィンはぐっと伸ばした。

 筋肉がほぐれ、血が巡っていくのがわかる。ふう、と息を吐き出し、ヴィンはソファの背に身体を預けた。クッションの上のジュジュは、すぴすぴと熟睡していた。

「ヴィン、いるか?」

 再度本を開こうとしたところで、書庫の入り口の方から声がかかる。唐突に静寂が破られたせいで、クッションの上のジュジュがびくりとして飛び上がった。

「オドロイタ」

 ぱたぱたと、小さく円を描くように飛び回る。

「いる」
「お、起きてるな」
「なに?」

 本棚の影から明るいグリーンの髪が見え、双子の片割れニルスが顔を出した。
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