魔王の事情と贄の思惑

みぃ

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 初めて参加した祭りが、ヴィンは楽しかったらしい。その余韻は城に戻ってからも抜けきらず、ベッドの上で機嫌良くアーティスを煽り、最後は意識を飛ばすように眠って朝を迎える。目を開いていてもぼんやりとしているヴィンは、気だるい色気をまとい、朝食をベッドの上に運んでも文句を言わなかった。

 朝食よりもヴィンを、なんてちらつく欲をアーティスは押さえつけ、なんとか自制する。食べ物を口に運んだ時は、自分で食べられるとさすがに怒られた。

「ジュジュにもごはんあげて」
「これから仕事をしに行く俺にかける言葉がそれかよ」
「がんばって?」
「疑問形……」
「あなたが朝までしつこいから眠い」

 ひらり、と手を振りヴィンはベッドに横になる。二度寝するようだ。本当に、めずらしい。できることなら、アーティスもベッドに戻りたい。なんだかやわらかいヴィンの、そばにいたかった。

(本当に、魔王なんてなるものではない)

 軽く嘆息し、自室を後にする。ジュジュは放っておいても、誰かしらに食事をもらうからいい。向かった執務室の前で、タイミング良くリュディガーと顔を合わせた。

「楽しかったみたいだな。めずらしいヴィンのおねだりでのおでかけは」

 向けられる視線が、妙に生ぬるい。

「ニルスのやつに、そそのかされてだけどな」
「いいじゃないか。気が向かなきゃそそのかされたとこで、ヴィンは動かないんだし」
「まあ、そうだな」
「で、楽しかったデートの後の、その浮かない表情は?」
「……よくわかるな」
「どれだけそばにいると思ってんだ」
「まあ、そうだな」

 アーティスが魔王を継承すると同時に、リュディガーも序列一位の地につき、人の世で言うところの宰相の役割もしている。魔王の片腕、最側近だ。多くの権限を有している。優しそうに見えて、実のところアーティスよりも冷淡だ。

「ヴィンといちゃいちゃできないから、とか言うなよ」
「まあ、それもある」
「あるのかよ」
「昨日街でよけいな話を聞かなきゃ、まだベッドの中だ」
「何を聞いたんだ?」
「勇者の噂話を聞いた」
「へえ?」

 リュディガーの、眉が跳ね上がる。茶化す色を消し、表情を真面目なものへ変えた。

 世間話から情報を仕入れ、耳にした噂話をまとめながら、アーティスはリュディガーに説明する。昨日は純粋に祭りを楽しむ声に混じり、聖剣が勇者を選び人の世に勇者が誕生したと、喜びの声が溢れていた。勇者は、魔王を唯一討てる者だ。

 知られてはいないが、勇者の誕生と同時に、この世に対しての審判が始まる。本当にくだらない。一切魔王が人の世に関わっていないにも関わらず、結局この流れになるのだ。

「今回の首謀国は、ソリニカ王国だ」

 脅威の存在を滅して、平和の世をもたらそうなどと、人の世の王は耳に心地の好い台詞で勇者を煽る。決して本当のこと、不都合なことは告げない。権力者の都合のいい方へ導いているだけだとも知らずに、無知で正義感だけ強い勇者は踊らされるのが常だった。

「本当に、いつの世も人間は浅はかで、自分たちの利になることしか考えねぇの、笑えるな」
「何もしない方が平和だって、なんで気付かないんだろうな。勇者なんて旅立たせて、魔王が侵略する口実になるってさ」
「権力者は過信してるんだろ。なんでも思い通りになるって」

 ソリニカ王国が、資源豊かな隣国を狙っていると、情報を得ている。戦を仕掛ける前に魔王を討ち、憂いをなくすつもりだ。その実績を掲げ、適当に勇者を言いくるめてその戦にも参戦させる気でいるのだろう。
 ヴィンの扱いを見た時から、いずれこうなるだろうとは予想していた。

「ヴィンの生家もかかわってる」
「それをヴィンは?」
「知らない」
「昨日一緒にいたんだろ」

 アーティスの耳に入った噂話なのだから、当然ヴィンの耳にも入る。ただどうでもいいと思って聞き流していれば、意味ある事柄として意識には残らない。

「あいつ、生家に興味ないからな」
「ああ」

 この城でヴィンが暮らし始めてから、自分からは決して生家を話題に出さない。懐かしむ様子もない。むしろ、生家から離れられたことを喜び、戻されるのを嫌がっていた。

「で、どうすんの? 魔王様は」

 嫌そうに、アーティスは顔を歪める。面倒くさいと思っているのを、隠しもしなかった。
 くつくつと、喉を鳴らしてリュディガーが笑う。魔王を継承してからの長い時間の中で、人の世への思いがアーティスの中では薄れているのを知っているからだ。向こうから関わってこなければ、何もしないスタンスでいた。

「先にこっちから攻めて出て、さくっとやっちゃう?」

 まだ聖剣を得たばかりの勇者は、一般人と変わらない。
 剣の扱い方を知っていればそれなりに動けるだろうが、それなりでしかない。手練れの魔族に、敵うはずがなかった。

「放っておけ」
「それでいいのか?」
「ああ」

 ふうん、と感情を窺わせずに、リュディガーが頷く。

「念のために訊くけど、討たれてやる気は?」
「ないな」

 即答すると、リュディガーの口角が上がる。視線がうるさい。

「まあ、ヴィンがいるからな。今の魔王様には」
「……そうだ」

 長い付き合いなので、色々知られているから性質が悪かった。
 それはお互いさまなのだけれど、リュディガーはだいたいどこ吹く風だ。

「じゃ、様子見ってことでいいんだな」
「ああ」
「勇者を殺してほしくなったら、いつでも言えよ」

 さらりと、物騒なことを笑顔で告げる。それが今の平穏を護るには手っ取り早いと、アーティスもわかってはいるが、実行すれば人間たちに口実を与えるのも確かだ。
 散々ゼロから悪評を造り広めているので、実際魔族が行動を起こしたところで今更なのだが、わざわざ危険に自ら近づくことはない。

「リュディガー、聖剣を持っているのを忘れるなよ」

 魔族は簡単に死なないが、聖剣で刺されれば別だ。聖なる力に焼かれ、再生しない。剣に、触れることすらできなかった。

「ヴィン連れてく。あいつなら聖剣に触れても問題ないだろ」
「そうだな。勇者が魔王を討つ気だと知れば、平然と勇者を討つな。ヴィンなら」

 どこからともなく、ラルフとニルスが現れる。勇者の情報を得て、来たのだろう。気配は感じていたが、アーティスもリュディガーも放っておいた。

「嬉々として行きそうだから、よけいなことは言うな」

 ある意味、傀儡にされる勇者は哀れだ。
 だからといって、この世の理を無視することもアーティスにはできない。

「わかってるよ。人間たちと無駄な諍い起こす気はないからな。ここまでたどり着けたら、返り討ちにするか、討たれた振りをするかは好きにすればいい」
「そうだな」

 対峙するまでに、どう天秤を傾けるのかを決めるだけだ。

「いい加減、ヴィンに説明したらどうだ」
「……まだいい」
「怒らせるんじゃないか」
「決心もついていないのに、話せない」
「あんたが腹をくくればいいだけだろ」

 呆れたような眼差しを、リュディガーがアーティスに向ける。双子も似たようなものだ。

「それができないから、現状維持なんだ」

 はあ、と憂鬱な気持ちを、アーティスはため息と共に吐き出した。
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