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しおりを挟む肌を焼くような強い日差しが、いつからかふわりと肌を撫でるようなものに代わっている。外気も少しずつ涼やかなものになり、季節は冬へと向かっていた。
まだ暖炉に火を入れるほどではないが、朝晩は冷える。そのせいで人肌が恋しいのか、アーティスが誘わなくてもヴィンがベッドに潜り込んでくることが多くなっていた。
常に一緒の寝室を使うことは、やだ、と断固拒否されているのだけれど。
ヴィンが城に来てから、月日の流れをまざまざと感じる。食事の席での何気ない会話、季節ごとの食材を使った料理、ふたりで出かけた先での肌に触れる風の温度など、ヴィンと過ごす日々の中で、時は流れ続けているのだとアーティスは実感した。
何より、いまだ成長途中にあるとはいえ、足下からアーティスを眺め見る、幼かったヴィンの姿はもうない。変化を感じることの少ない魔王城に、ヴィンはいつだって真新しさを連れてくる。以前は、己のやるべきことを淡々とこなすだけの日々を繰り返していたのに、子どもひとりでこんなにも変化をもたらすなどおかしなものだ。
感情が揺らぐことすら、新鮮に思える。きっと痩せ細った身体を腕に抱き上げた時から、長い間アーティスの中で静止していたような時が動き出した。
(良くも、悪くも)
愛しいという感情は、毒にもなる。きっと、ヴィンをそばに置きすぎた。
想定外の感情に、振り回されている。
(いい加減、決めないとなんだけどな)
平穏で、平和な時間があとどれだけ続くかわからない。勇者は順調に力をつけ、魔王討伐に共に出るメンバーの顔ぶれも決まりつつあるようだった。
それなのに、アーティスはいまだ決めかねている。魔王討伐のシナリオのラストが、うまく思い描けずにいた。調べさせたところ、今代の勇者は正義感の塊のようだ。理想に向かってまっすぐで、ある意味融通が利かない。非常に面倒くさいタイプだった。
それに加え、魔族の地でも一騒動起きそうだ。重なるときは重なるものだ。普段は平和すぎるほど平和な分、落差がひどい。
うんざりしながら、アーティスは報告書を執務机に放り投げた。
「で、どうする? 結構不穏な動きをしてるけど、アレら」
言葉とは裏腹に、ニルスは楽しそうだ。実際、間違いなく楽しんでいる。容赦のいらない相手となれば、ひまを持て余している魔族にとっては破滅へと導くのは娯楽だ。
「魔王の伴侶になることを狙い、次期魔王の後見人って立場を狙う身の程知らずがいるなんてびっくりだよな」
「息子の方が、ヴィンに返り討ちにされてたけどな」
その場に居たリュディガーが、あっさり決着が着いたと口端を上げる。ただ息子を抱え、ぎゃあぎゃあ騒ぐサラザン侯爵を追い返すのに、少し苦労したと眉をひそめた。
「ああ、逆恨みか」
小物感がすごいな、とニルスが笑う。
「さあな、あーいうやつらの考えはわからない」
「基本平和なこの地でも、何百年に一度くらいあるよな」
「そうだな」
記憶に新しいのは、悪戯好きな魔族の一人が、とある国で野心だけは高い男爵令嬢に近づき、王太子を攻略するための相談にのり、時には事態が動き出すための手伝いをほんの少しして、人間模様を眺め楽しんでいた。
気付いてすぐ回収のためにニルスを向かわせたのだが、人選を間違えたとアーティスは後になって知る。面白がったニルスが成り行きを見守っていたせいなのか、すでに手遅れだったのか、王妃になるはずの婚約者を虐げていた王太子は、衆人環視の中で婚約破棄を言い渡し廃嫡された。
――洗脳してないし、助言しただけだし、王太子たちが愚かなんだよ。
ニルスと共に戻った男は、反省の色もなく鼻を鳴らす。正論なので、アーティスは苦く笑うことしかできなかった。
「まあ、長寿だから刺激を求めて動く者がいてもおかしくないけどな。大抵は娯楽の範囲で人間たちにちょっかい出したり、もめ事起こしたり、って程度なんだけど、まさか魔王周辺にたてつくとはなぁ」
どうにも、リュディガーの口ぶりが楽しそうだ。
悪巧みなど成功しないという確信と、結局誰もが変わり映えのしない日々に、ちょっとした娯楽を求めている。今回の騒動も、その程度のことだ。
「それもヴィンにちょっかいかけるとか、死に急いでるよな」
敵対する者には、ヴィンは容赦がない。育った環境がそうさせたのか、持って生まれたものなのかはわからないが、魔族の思考に馴染んでいた。
「身の程知らずはどこにでもいる」
「どうする?」
「あんな家のひとつ、なくなっても困らない」
「そうだな、無能は害悪でしかないもんなぁ」
正しく、情報収集すらできていない。
実力主義の国で、権利だけを主張すれば見限られて当然だ。
「ま、このタイミングでよかったんじゃないか。勇者に対応しなきゃいけないときに、あんなのが横やり入れてきたらうっとうしいだろ」
「確かにそうだな。でもさ、勇者にけしかけて始末してもらってもよかったんじゃねぇ?」
「無理だろ。難癖つけて逃げ回るだけだ」
リュエディガーの冷静な分析に、アーティスだけでなくニルスも納得する。本当に邪魔なだけで、役に立たない家だ。
「で、いまどう動いてるんだ? ニルス知ってるんだろ」
「そうそう、その報告に来たんだった。どこかから、サラザン侯爵はヴィンが人間だと知ったらしいんだけどさ」
隠しているわけではないので、知られたところで困ることではないのだが、サラザン侯爵は勝手な解釈でヴィンが魔族と偽っていると思い込む。その事実を利用すべく、魔族の幼い子どもを攫い人間に奴隷として売り払い、人の国と内通しているヴィンの仕業であると見せかけ、魔王自身に処罰さるというシナリオを描いた。
「同族を売るとか、救いようのないクズだな」
吐き捨てるリュディガーの台詞に、アーティスの眉間にシワが寄る。ここにニルスが居るということは、まだこの地には留まっているということだ。対処に、動かなければいけない。
「ああ、もうヴィンが対処に向かった」
考えを読んだように、ニルスが続ける。想定外で、アーティスは少し驚いた。
「最近ずっと書庫にこもっていたのに、よくすぐに動いたな」
「自分が原因なら、行くってさ。軍の中から何人か連れてったぞ」
それこそめずらしい。ヴィンは、単独行動が主だ。
状況をしっかりと見極めているのがわかる。救い出す者がいるのだから、担う者がいた方がいい。すっかり成長したな、とこんな状況だがアーティスは感慨深く思った。
「そろそろ片付くころじゃないか?」
「後始末どうするかな」
ため息混じりに呟いたアーティスの声に、コンコンコンとドアを打つやけに軽い音が響く。近くに居たニルスが開けると、ひゅん、と丸い姿が飛び込んで来た。
「ヴィンタイヘン」
「ああ」
「オソワレタ」
荒事に発展したのかと、アーティスは察する。けれど、ジュジュは妙に焦ったようにぐるぐると飛び回っていた。
「ジュジュ?」
「ケガシタケガシタ」
わずかに遅れて、アーティスは理解する。
「ヴィンが、まさか」
ざっと、血の気が引いた。
どんなにすぐれた魔術師だとしても、ヴィンは人間だ。魔族とは違い、深手を負えば致命傷になりかねない。失うという可能性が浮かんで、アーティスはぞっとした。
手を伸し、がしり、とヴィンが可愛がっているジュジュを乱暴に掴む。ギャ、と潰れたような声を上げていたが、アーティスに構っている余裕はない。
「ヴィンはどこだ」
「アーティス、力入れすぎだ」
「イ、ムシツ」
ぽいっと、ジュジュを放る。ほぼ同時に、アーティスはその場から転移した。
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