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しおりを挟む「ヴィン!」
緊迫感を漂わせ現れたアーティスに、ヴィンがきょとんとする。ざっと見た限り、大きな怪我は見当たらない。それどころか、怪訝そうにした。
「どうしたの、そんなにあわてて」
「ケガしたって」
淡々としたいつものヴィンに、アーティスも少し落ち着きを取り戻す。けれど、まだ安心はできない。ぱっと見ではわからないところに、怪我を負った可能性も捨てきれなかった。
「ああ、子どもをまかせようと連れてったロンの方だよ。僕の結界が間に合わなくて」
罠が仕掛けてあった、とヴィンが補足する。腹の底から吐き出すような、安堵のため息をアーティスはこぼした。心臓が、いまだにひどく逸っている。こんな風に、生きていることを実感したのはどれくらいぶりだろうか。あまり嬉しくない確認方法だ。
「心臓が止まるかと思った」
「止まるの?」
「たとえだ」
「ならよかった。身の程知らずは地下牢に入れてあるから、どうするかはあなたしだいだよ」
「そんなのはどうでもいい」
生きていようが、殺されていようが、アーティスにとっては取るに足らないことだ。今この瞬間にあの家が消滅したところで、何も困らなかった。
「ヴィンを、失うかと思った……」
ぱたん、ぱたん、とヴィンが瞬きする。ゆっくりと、アーティスが言った台詞の意味を、考え呑み込んでいるようでもあった。
「生きてるよ。怪我とも言えないかすり傷がほんの少し手にあるだけ」
ひらり、とヴィンが軽く手を振る。けれど、アーティスの憂いは少しも晴れなかった。
「人は儚い」
魔族よりもずっとずっと、もろい。
「僕を、失いたくない?」
「ああ」
こんなにも、胸を引き裂かれるような痛みを感じるとは思わなかった。
アーティスの選択しだいでは、いずれヴィンを失うことになる。わかっていたつもりだったが、それは想像の域をでなかったことを知った。
「それなら、僕を伴侶にしたらいい」
ひゅ、とアーティスは息を呑む。
愕然と、目を見開いた。
「なんで知ってるかって? 幼い頃から、書庫は僕の遊び場だよ。その気になれば、魔王に関して書かれている資料を見つけられる」
「まさか、それでずっとこもっていたのか」
ヴィンが言うほど、簡単なことではない。膨大な数の書物、そして魔法によって隠された書物を見つける必要がある。見つけても、複雑な魔法を組み合わせ封じてある書物だった。
「封印、解いたよ。かなり苦労したけれど」
「あーもう、ほんと優秀に育ったな!」
完全に、予想だにしていなかったことだ。書庫にこもっているのはわかっていたが、伴侶についてのことを調べ上げるとは考えもしなかった。
実際アーティスは、魔王を継いだ時に先代の魔王から教えを受けるまで、知らなかったことだ。口伝えだけでは、記憶の奥底に沈み失われることもあるだろうと、初代魔王が残した書物があることなど、見事に記憶の外へと追いやられて失念していた。
「そうだろ?」
口元を緩め、ヴィンは得意げだ。
「ああ」
対してアーティスは、嘆くような相槌を打つ。
魔王継承についても、それ以外の方法があることも、伝える決心をつけられていなかった。魔法自体は、魔王から魔王への口伝えでしか渡されない。どんなにヴィンが書庫の中を必死に探そうと、見つけられないものだ。だから、選択権はまだアーティスの手にあった。
「僕を、愛していない?」
「愛している」
それは、揺るがない事実だ。
失うと思っただけで、こんなにも胸が冷え、恐ろしく感じた。
「なら、伴侶に望めばいい」
さらりとヴィンは告げるが、アーティスは即答できない。簡単に頷けるほど、軽い事柄ではなかった。
魔王が伴侶に選んだ者は、同等の力を得る。寿命も、それに準ずる。魔王は聖剣で討たれない限り、永遠の命を持つ。それを思うと、アーティスはどうしても躊躇した。
「永遠に続く生を生きるということを、知らないんだ」
「まあ、十六だからね」
屋敷に閉じ込められるように、人の地で生きた六年。
城の中に閉じこもるように、魔族の地で過ごした十年。
「おまえの世界は狭い、俺しか知らない」
「だから?」
「いずれ、後悔するかもしれない」
「くだらない」
後悔を恐れていたら、何もできないとヴィンは鼻で笑う。
「死んでもいいと思っていた僕を生かし、居場所を与えたのはあなただよ」
「……ああ」
「僕は、あなたしかほしくない」
嬉しいはずの台詞なのに、アーティスは胸が痛む。
言葉だけを並べれば同じなのだけれど、感情を含めると同じだとは言えないものだ。まだ十六でしかないヴィンを、アーティス以外知らないまま縛りたい仄暗い気持ちはあるのに、縛る決断がどうしてもすぐに出来なかった。
「俺が、ほしいのもヴィンだけだ」
絞り出すように、告げる。うん、とヴィンが頷いた。
「けど、今すぐに伴侶にはできない」
「なぜ?」
「おまえを、縛りたくない」
「僕がいいって言っているのに?」
「知らないからだ。長く、生きるということを」
「僕は縛ってもらった方がいい。それにあなたは、ひとりでさみしそうだ」
「そうかもしれないな。だからこそ、できない」
堂々巡りだ。
ヴィンが軽く苛つくように、眉を跳ね上げる。
「僕がいなくなってもいいの?」
いいわけがない、とアーティスは心の中で叫ぶ。
「……しかたがない」
「ふうん、そう」
吐き捨てるような、声だ。
「愛情が憎しみに変わって、僕があなたに敵対したらどうするの?」
「おまえになら、殺されてもいい、とは思う」
「けど、殺されるわけにはいかない?」
「ああ」
それは、この世の終わりを意味する。そして場合によっては、魔王位の強制譲渡になり得る可能性があった。
それだけは避けたい。ヴィンを、孤独な魔王にしたくなかった。
「そんなにこの世界が大切? 魔王を悪としかしないくだらない人の世が」
「どうだろうな。ただ、俺の存在意義ではある」
「とらわれているだけのくせに」
「そうだな」
あきらめたように、アーティスは笑う。
「もっと、魔王らしく自分の好きなようにしなよ」
「してる、つもりなんだけどなぁ」
「してない。いつも自分のことは後回しだ。ほんと腹立つ!」
「ごめんな」
怒っているのに、どこか泣きそうにヴィンは顔を歪める。そして、アーティスの前から姿を消した。
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