少年は雨を連れてくる

桐坂

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二章

1

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  ***


 ――……て。

 地が震える、想いを乗せて。霧が開いたその僅かな期間に、伝えてくれ。
 どうか受け取って欲しい。思いを。
 どうか。
 どうか。


  ***


 ――……て。

 夢の中で切々と何かを訴えるような声を聞いた気がして、ニナギは飛び起きた。逸る心臓を押さえて、ふーと息を吐く。なんだったんだろうか。胸の奥に締め付けられるような感覚が残っている。

 体にかけていた薄布がさらりと体の上から落ちて腰の辺りでわだかまった。カーテンから中央の部屋を覗くと、照明のろうそくは焚かれてあったが、人は居ない。先ほどまで父が居たのだろうか。

 薄明かりが差し込むところを見ると、そろそろ夜が明けるらしい。もう一度寝直す時間でも無いので、起きようと腰を上げると、手をついたところに変な感触を感じてぎょっとした。
 確認してほっと息をつく。

「びっくりした。ナユタか」

 ニナギのすぐ隣には、数日前に川岸で拾った少年が眠っている。乱れた布団を直しながら、ニナギはあの日の出来事を思い起こしていた。
 あの後、一夜が明けてから起きた少年にどうしてあそこに居たのかと聞くと、少し首をかしげてわからないと言ったのだ。

「記憶喪失?」

 その時は寝ぼけているのかと思ったが、様子を見に来た従兄とよくよく話を聞いてみると、あの場所にいた理由どころか自分の名前すらわからないと言った体であった。

 意思疎通をはかれたのは良かったものの、名前すらないのではどうにもならないと、その後仮名としてナユタという名をつけた。

「記憶が無いんだったら、元いたところにっていうわけにもいかないよね」
「だよなー」

 困ったニナギがしばらくこの家で預かってはどうかと提案したところ、父は苦い顔をしたが、夏が終るまでならという条件付きで許しをくれた。

 早速とばかりに寝所を同じ部屋に用意して家の中の諸々のことを教えると、不思議そうな顔をしながら聞いていたナユタも、勢いに押されたのか、一つ頷いたのだった。
 いろいろと考えながら、ニナギは寝所から抜け出して、伸びをする。

「記憶かぁ、記憶喪失なんてなったことないからなぁ」

 どうしたものか。水飲み場で口をすすぎながらぼんやりと考える。夏終わりまでに解決できるような事なのか不安はあるが、従兄もできるだけ協力してくれると言ったのだ。どうにかするしかないかと思う。
 それにいざとなったら父に掛け合って期間を延ばしてもらえるように説得するしかない。

 なるようになるだろうと楽観的に考えて、ニナギは朝食の準備にとりかった。

 今日の朝食は白米と、タレで甘辛く味付けした肉だ。それに柔らかめの葉野菜を置いて彩りにする。ナユタもようやくおかゆ生活が抜けたから、今回は同じものを食べられるだろう。味噌をベースにした汁物も用意して、漬け物はあったかなぁと思案したところで、ナユタが寝所から眠そうな顔をして出てきた。

「起きた? 今準備してるから顔洗ってきなよ」
「……わかった」

 ここ数日でだいぶん性格がわかってきたのだが、ナユタは少し里の人よりゆっくりとしている。表情もあまり変わらない。でも好き嫌いは意外とはっきりしている。お粥を作った時に滋養にいいと言われている青菜を入れたら、顔を顰めていた。

 嫌な物があると、晴れた空を写し取ったように蒼い目を、少し曇らせるのだ。
 外の井戸で顔を洗い終えたナユタが戻ってきて、一緒に朝食を食べた。父の分はどうするかわからなかったので、とりあえず置いてある。

 母が早くに亡くなったニナギの家では、こうして食事はニナギが担当していた。

「ごちそうさま」
「お粗末様です」

 丁寧に手を合わせるナユタは、今回の朝食を完食していた。心持ち満足した様子でいるから、おいしかったらしい。良かった。

「そうだナユタ。今日は外から来た商人たちのところにいくんだけど、一緒にどうかな。ほら、ナユタを知っている人も居るかもしれないし」
「ニナギが言うなら」
「よし、決まりだな!」

 表情はあまり変わらないけれど、返事はきちんと返す。記憶と一緒にいろんなものを置いてきてしまったのかもしれないが、少しでも受け答えできるなら、悪いやつではないのだろうと思った。

 食器をカチャカチャいわせながら食べた後片付けをして、家を出る。里は山の斜面に作られているが、ニナギの家は里の上の方にある。外から来た商人たちは里の下の方の平らになったところで店を開くから、そこまでは下っていかなくてはならない。石段を一段とばしで軽快に降りていると、いろんな人から声がかけられた。大体は挨拶で、何人かはニナギの後ろを見て、ナユタのことを聞いてくる。

 ここ何日かでナユタのことは里全体に広がったらしい。大方の里人が、不安と好奇心を半々で抱いている。

 儀式の日に現れたと言われたらそりゃあ困惑するのもわかる。ニナギはあまり細かいことは気にしないが、昔から里にいる人たちは異常な事態だと警戒してもおかしくはない。

 それでも言外に否定しないのは、父親である族長が自らの家に形だけでも客人として住まわせているからに他ならない。
 こうしてみて改めて父の族長としての信頼を目の当たりにした気分だった。

「ニナギどうかした?」
「いいや、自分も頑張らないとなって気合い入れてたんだ」

 道すがら静かになったニナギに、ナユタが心配の目を向けてくるのに苦笑して、ニナギはナユタの手を引いた。

「ありがとな。ほら、早く行こう! 今日は俺の知り合いも来ると思うんだ」
「知り合い?」
「そう、鳥乗りの種族って言ってな。大きな鳥に乗ってくるんだぞ!」
「!」

 ナユタは何も言わなかったが、蒼い目が輝いたので、興味を引くのに成功したらしい。よしと気合いを入れて、広場まで急いだ。

 広場にはまだ日が昇ってそれほど経っていないというのに、たくさんの商人たちが来て、商品を広げていた。里では川でとれる緑水晶を使った装飾品が伝統的に作られているのだが、それが裕福層の女性によく売れると、この時期しか来られない商人たちにとっては必死なのだ。

 この里の者にとっても、日常的ある装飾品が良い値で売れるので、この時期はにわかに色めき立つ。恋人への贈り物をと買い求める者も多い。
 きょろきょろと落ち着きのないナユタの手を引っ張って、ようやく目当ての人物を見つけた頃には少し疲れていた。

「シーラ! 久しぶり!」

 後ろを向いて荷物を下ろしていた人物に、ニナギは声をかける。名前を呼ばれて振り返った人影は、ニナギの方を向いて誰かを確認すると、破顔した。
 すらっとした体格に、風よけ用のマントを巻き付け、頭には細めの布を巻いている。癖のついた長い黒髪は頭の上の方で一つにまとめられ、背中の真ん中辺りで揺れていた。

「ニナギじゃん! 久しぶり!」

 すっきりとした聞きやすい高めの声が形の良い唇から発せられる。見覚えのあるやや褐色の肌は、彼女の一族の特徴だった。
 彼女の名前はシーラ。空からやってくる、ニナギの友人だ。

「三ヶ月ぶりかな? 元気にしてた?」
「元気だよ。シーラも相変わらず元気そうだね」

 大きな荷物をどさっと地面に下ろす彼女に近寄ると、横合いから軽く頭を押され、つんのめる。犯人はシーラの隣に陣取っている大きな鳥だった。彼女の一族は鳥乗りの一族と言われて、生まれた時から鳥と共に生活するのだそう。きれいな艶のある鳶色の体に、鳥乗り用の鞍を備え、尾羽の先は半分ほど白い。体高は大人の男を優に超える。シーラはこの鳥のことをネルーと呼んで可愛がっていた。
 ちなみに性別は雌だとか。

 それを知った時、女の子なのにすごいねーと感想を漏らしたのだが、鳥に性別は関係ない、どの子も私たちよりずっと力持ちだと笑われた。

「元気も元気。ネルーもニナギに会えて嬉しいみたいだね」
「だと嬉しいなー。ネルーも長旅ご苦労様」

 一度に人間と荷物を乗せて長い距離を飛ぶ鳥に、つくづく尊敬する。甘えてくちばしをすり寄せてくるネルーの力が思いの外強くて、ニナギはたたらを踏んだ。

「そうだ、紹介するよ。こっちの女の子は鳥乗りの一族のシーラ、そしてこっちが相棒のネルー。ちなみに鳥の事を悪く言われるとめちゃくちゃ怒るから気をつけて」
「なんで初対面で注意するかな」
「間違ってないでしょ?」
「そうだけどね」

 彼らは鳥と共に生活していることを心から誇りに思っていて、それを少しでも貶すような発言には敏感だ。
 シーラが唇を尖らせる。

「ごめんって」
「まぁ、ニナギに悪気がないのはわかってるから良いけどね」
 鼻を鳴らすシーラにもう一度謝る。
 傍らにいたネルーの首も撫でてやると、賢そうな目をゆっくりと瞬かせた。
 そんなシーラとネルーを、ナユタは興味深そうに見ていた。

「あそうだ、こっちがナユタっていうんだ。先日から家に居候してるんだよ」
「噂は耳に入ってるよ。記憶喪失の子でしょ?」
「そう、相変わらず耳が早いね」

 商人の耳ざとさには感心する。好奇心旺盛な黒い目がナユタに向けられていた。

「だって気になるじゃん。突如現れた美少年でしょ?」
「まあ、そうだけど」

 気にするところはそこなのかと突っ込みたかったが、言わないでおいた。
 でも確かにそうなのだ。中性的な顔立ちに、この辺では見かけない青みがかった髪、晴れた空のような蒼眼。ぱっと目を引く華やかさがあった。

「不思議な雰囲気持ってるけどね」
「そうだね。この里の人からすると異質と思われても仕方ないところあるよね」
「シーラ」

 シーラは時折正直過ぎる。人が口に出しにくいところをぺろっと言ってしまうところが、明け透けな彼女らしいところだ。
 苦笑しながら見やったニナギは、ちょうどネルーに向かって右手を恐る恐る近づけているところだった。

「ちょっと待って!」

 同じく視線を向けたシーラが焦って呼び止める。彼らが友といっている鳥だが、彼らの一族以外に初対面でおとなしく触らせたという話はない。本来気高く、警戒心の強い種族なのだ。彼らが一部の人間と共あり続けるのは、昔から一族で祀り敬ってきたからに他ならない。

 おとなしいと思って簡単に手を出すと、指一本持って行かれても文句は言えない。
 しかし注意したのが遅すぎた。ナユタの指先が、鳥のくちばしに僅かに触れる。

「……触っ、た?」

 手を伸ばした体勢で、シーラが大きく目を見開く。
 ナユタは無表情のまま、ネルーのくちばしを撫でていた。ネルーもナユタのしたいようにさせている。

「大丈夫、みたい?」

 恐る恐る問いかけたニナギに、呆然としながらも、肯定を返したシーラはおかしいなーと首を捻っていた。

「この多少抜けてて好奇心はあるけど空回りしつつも基本的に人畜無害なニナギでさえ、最初は近寄らせてくれなかったって言うのに……」
「ねぇ、それって褒めてはないよね」

 ネルーの言い分にがっくりと肩を落とすニナギ。

「まあ、ネルーが警戒しないって事は、害は無いって事なんだけど」

 釈然としないながらも害がないなら良いかと考え直したらしい。自分からナユタに寄っていって一緒にネルーを構い始めた。

「ナユタは良いやつって事で良いんだよな?」

 人間より警戒心の強い鳥からお墨付きが出たのだ。ニナギもそれでよしとする。

「そうだニナギ、あと何日かはこっちにいるから」
「はいよ」

 天気を見て行動する一族だから、羽やすめ程度に地上にいたらまた別の地に行くのはいつものことだった。
 適当に返事をして、警戒心を完全に解いてナユタにネルーの事を紹介し始めたシーラと、それに不器用ながらも答えるナユタを傍で見守る。鳥が受け入れれば自分も受け入れる。実に、鳥第一に考える彼女ら一族らしい行動だった。
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