少年は雨を連れてくる

桐坂

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三章

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 眠りの中で遠く昔の夢を見る。
 一面の蒼の中を悠然と泳ぐことが何よりも心を落ち着かせて、自らを揺るぎのない大地の中に落としていく。一体化していると言ってもいい。大地からもたらされる息吹が、鼓動が、自分の鼓動と重なって、一つの命のように輝くのだ。水が流れるように絶えず流れ、淀みを押し流し、そしてより大きな流れとして巡る。自分はその中で、一条の光となって輝くのだ。

 しかし、やがて暗闇が訪れる。それは果ての無い一面の闇。光すら差し込めない空間に閉じ込められたみたい。いくら泳ごうと、いくらもがこうと出られない、離れてはくれない。

 あれだけ感じられた大地の鼓動もとうに消え失せた。
 一人だった。
 静かすぎる闇は、どうしようもなく不安を煽る。
 ああ、どうして。
 寒い。
 苦しい。

 ――……て。


 ナユタは足下がいつもよりざらざらとしていることを感じて意識が起きた。
 冷たい、土の感触だ。
 土?
 どうして。

 まだ目は開かない。視界は閉ざされて聴覚だけは機能しているようだった。
 昨日は夕飯をニナギと、その父親と一緒に食べて、早い内に就寝した。そして目覚めたら横にはニナギが居て、いつものようにおはようと言ってくれるはずだ。

 水の流れる音が聞こえる。近くに川が流れているのかもしれない。木の葉のこすれる音。その上で鳥が鳴いている。人が起き始める時間なのか、遠くから挨拶をしているような声も聞こえていた。下草の下を虫が這い、小動物がそれを追っている。

 ようやく目が開きはじめて暗闇にやっと光が差し始めた。
 ずっとこれを待っていたような気がする。どうしてかはわからないけれど。
 ナユタはやっと目を開いた。
 朝日と共に間に飛び込んできたのは、朝露に濡れる下草に、流れを変えながらゆらゆらと揺れる水、ここは。

「僕がいた、川……」

 そうだここでナユタはニナギに拾われた。
 きょろきょろと辺りを見回すが、なんで自分がここに居るのかはわからない。
 鎮めの儀式から五日、最近たまにこういうことがある。気づかないうちに動いているのか、最後に記憶している場所から移動して、一人でぼーっと立っている。

「どうして」

 口を付いて出てくる言葉も、疑問への答えにはならなかった。
こういうことが続くと自分に過去の記憶が無いことと結びつけて少し不安になる。

ざらりとする感触からうすうすは気づいていたけれど、ナユタは裸足だった。裸足は危ないからと、ニナギが作ってくれた草鞋も履いていないようだった。

 疑問が不信感に変わって、一歩後退る。何か鋭いものを踏んでしまったのか、足の裏にちくりと痛みが走った。
 怪我したらニナギに怒られる。

 この里に来てすぐの頃、ご飯の支度をしているニナギが珍しくて、炊事の炎に手を近づけ、火傷したことがあった。熱くてすぐに手を引っ込めたが、水ぶくれになった手を見て、ニナギに怒られたのを思い出した。

 危険なところに不用意に手を持って行くなんてあり得ない、これからはよくわからないものに触れたい時はまず自分に言うようにと、懇々と説教された過去をさらってナユタは顔をしかめた。

 いつも笑っているが、人一倍厳しいところもあるとそのことで学んだのだ。
 帰らないと。ニナギが心配する。
 いつの間にか、自分の帰るところが、ニナギのところになっているのを感じて、ナユタはうなる。思い出す過去のことも、この里のことが多くて、失った記憶のことは二の次になってしまっている。

 自分はどうしたいのか、わからない。
 遠くで自分の名前を呼んでいる声がする。多分、朝起きていつものように横にいないナユタのことを心配し、こうして探しに来てくれたのだろう。怪我をしてしまったらと思うと動けなくて、その辺に出ている木の枝を揺らした。自分はここに居ると伝えたかった。

 無意識にここに来てしまったと、ニナギには話しておくべきだろうか。ナユタにとっても何度目かのことだから、薄々はニナギも気づいているのではないか。
 あまり心配させたくないな。

「ナユタここに居た。え、どうしたの裸足じゃん! 負ぶっていくから帰ろう」

 橋の上からひょっこりと顔を見せたニナギはナユタの事を見て焦ったように下まで降りてきた。

「大丈夫何でも無い」

 言えなかった。
 友達と言ってくれた人を、これ以上心配させたくはなかったのだ。

 ニナギに背負われて家まで歩いている間、里の人がこちらをみて、ナユタと目が合っては慌てて反らす。記憶喪失の男の子、得体の知れない子。里の者がなんと噂しているかは知っていた。否定はできない。だってその通りだから。

 こうして里の大切な仲間の手を煩わせて、それでもここで生きるしかない。
 ニナギの傍が温かいから、ここでいさせて欲しいと思う。

 ニナギの方に頭を預けて目を閉じたナユタを、ニナギは心配そうに見ていた。


  ***


 天頂をやや回った太陽が木に遮られて地面に影を作っている。ちょうど木陰になるところには、汗を拭くための手ぬぐいと、水筒が置かれ、近くでは何かを振る音が聞こえている。

 ニナギは練習用の木刀を振っていた。重さは儀式に使われる装飾剣に近いから、これで舞の練習をしたり、稽古をつけてもらったりするのが、当たり前だった。

 今日は午前中従兄が巫女様のところにいっていないから、一人で型の練習をしているのだ。

 足を引いて、腰を落とし、重心はしっかりと自分の真下。体軸はまっすぐ。地から天へ。人である自分とつながって、世が繋がっている。それを思い描きなさいという父の言葉を思い出しながら。

 木刀を真横に、止めて、真上に、それから下に。

 型の間は止めること、型の繋ぎは流れること。
 息を吸って、はいて、また吸って、呼気と共に剣を振るう。体と心を繋ぐには呼吸を定めることが必要だと言ったのは従兄だ。

 動けば乱れる心の形を、乱れなく保つために必要なのだと。

 そう言いながら舞う従兄はとても力強い。あの背中にはまだ追いつけないけれど、次の儀式の舞手はニナギに選ばれたのだ。

 できることをできるまでする。それが、これまで続いてきた伝統を守っていく者の矜持であり、舞手を務めることを夢としてこの十数年間ひたすらに練習してきたニナギの意地だ。

 片手で振るった木刀の切っ先が少しぶれた。
 集中しようと柄を強く握るが、かえって力みすぎたのか、今度は体の軸が僅かにぶれた。
 いけない。

 大きく息を吐いて整える。
 緊張していた両腕をだらりと下げて、調子を整えようとしたところに、従兄がやってきた。

「練習か。いつも熱が入るな」
「兄さん、用事は終ったの?」

 シュウは頷いて緩く笑みを浮かべた。持っていた荷物を置いて、腕組みをする。

「今日のニナギはなんだか注意力散漫だな。なんか悩み事か?」
「そんなんじゃないけど」

 否定しながら、ニナギの心の奥にあるのはもやもやとした形のないわだかまりだった。それが、練習に集中しようとするニナギの気分を重くさせている。
 従兄は長年ニナギの面倒を見てきたからか、ニナギが落ち込んでいる気配に聡い。

「ニナギはわかりやすいなー。悩んでるって顔に書いている」
「え」

 自分でも隠せているとは思っていなかったけれど、こう簡単に見破られるのは本意では無い。しかし、表情でバレバレだというのにはニナギ本人だけが気づいていなかった。
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