30 / 34
六章
3
しおりを挟む小さな衣装部屋に入って、服を着替える。里に戻ってきたときは、スオウに貸してもらった簡素な麻作りの上下だったから、里の衣を纏うのは久しぶりだ。儀式用の衣は、手触りは良いけれど着慣れない。腰に佩いた剣は、先ほど従兄から託された。
心配そうな表情だった。大役をニナギに任せるしかないということが歯がゆいと、物語っていた。帯に刺した剣は重たい。里の命運をも乗せているかのように。
着付けを終らせると、部屋の外に待機していたシュウが声をかけた。
「今出るよ」
引き戸を開けてシュウと視線を交わした。その手から、儀式用の面を渡される。はじめに龍と対話した人間をかたどったと言われるその面は、表情こそ少ないが言い表せぬ圧力を覚える。
「儀式まではまだ時間があるけど、体でも動かすか?」
頭の上に大きな手が乗った。温かい。ニナギが落ち込んでいる時は大抵この手が、ニナギの心を落ち着けてくれた。昔から変わらない、安心できる感触。緊張していた体から少し力が抜けて、息がしやすくなった。
「緊張していると変に無口になるだろ? そうするとできることもできなくなるからさ」
苦笑。
「なにそれ、経験論?」
「そうじゃないさ。ただ、信じているんだ。ニナギの努力は知ってる。子供の頃からな。だから心配しなくてもいい。人のことなんか考えず、ただ自分を信じて舞ってこい」
七歳上の兄は、ニナギよりよっぽど肝が据わっている。当たり前かという感情を、ニナギは苦笑で隠した。シュウは頭に置いた手をくしゃくしゃと動かすと、ぽんぽんと軽く叩いて満足したのかふっと笑った。
この人は本当に自分を甘やかすのが得意だ。
「どうした?」
顔に出てしまったのか、シュウが不思議そうな顔をする。それに曖昧に返すと、ニナギは体を動かしてくると言い置いて、外に出た。
一歩一歩が重たく感じる。いつもは何気なく歩いている社の廊下も、曇りという天気も相まって普段より暗く見えるし距離も長く感じる。原因ははっきりしている。緊張だ。
舞手に選ばれた時より、嫌な緊張がまとわりついているようだ。選ばれた時は、ただ純粋に嬉しかった。大役を任される誇りと、自信と。伝統として続く儀式を継承するという点で、胸の奥が熱くなるような緊張だったが、今のそれは凝るような緊張だ。自分のことばかり考えていれば良かった過去とは違うと、自然と考えて、考えすぎると深みにはまる。
足が止まった。無意識に向かっていたのは、いつも稽古で使っていた空き地だった。ナユタとのすれ違いで悩んでいたときに、シュウに慰めてもらったのがここだったことを思い出して、笑えた。本当にいつも慰められてばかりだなと。
できることをしようと里に戻ってきたは良いものの、緊張で押しつぶされそうなどとは笑えないではないか。
装飾剣を腰から鞘のまま抜くと、上から下にぶんと振った。上半身がぶれた。
仕切り直して大きく息を吐く。体は呼吸と共に覚えている。
大丈夫。心は次第に体に追いつく。身に染みついた型を一つ一つさらっていく。同じ事を繰り返していく度に、段々と落ち着いていくのが自分でも分かった。心のざわざわは遠のいていく。すぐそこで波立っていた心が落ち着くと、自然と意思も固まった。
難しいことじゃない。何度も繰り返してきた決意を、もう一度反復する。難しいことじゃない、できることをできる限り。
霧はもう閉じない。閉じの儀式ではなく、もう一度、開きの儀式を行う。型の順番は分かっている。結界は壊れ、気脈は繋がる。
つなげる力だと、スオウは言っていた。気脈をつなげるのには、巫女様が符を用意してくれた。術師としての経験を積んでいない、ニナギの力を補う。舞手は軸で、符がその補強をする。
符の力を借りて、細かったつながりは再び元の力を取り戻す。土地に気脈の力が流れ込んだら、枯渇しかけていた土地の力は回復するだろう。
「気分はどう?」
近付いてきたのはシーラだった。ネルーは広場に置いてきたようで今は一人だ。荷物も預けてきたみたいで必要最低限の装備しかしていなかった。ネルーは下手な人間より強いから、自衛は任せているらしい。つきあいの長いこの里で、鳥を襲撃しようとする者などいないから警戒もほとんど必要ないのだが、彼らの習慣なのだろうと思う。
「テンパっているかと思ったけどそうでもないね」
意外そうに目を開いて、シーラは隅に寄せてある木のいすに腰を下ろした。足を組んで頬杖をつくが、目はしっかりとニナギを観察していた。まっるこい目が面白そうに眇められる。
「なんだよ」
「なんでもー。おろおろしてたら、からかってやろっかなーって寄ってみただけ」
何なんだ。
心なしか不満も見える彼女は、よく分からない。普段から言いたい放題言われている身としては、何も言われていないというのに拍子抜けだ。シーラはシーラで、ふわふわした黒髪を人差し指でくるくるといじっている。ころころとよく変わる表情が、今は鳴りを潜めていた。
気になる。
「どうしたの、あんまり元気ないね」
そう聞くと、ますますシーラの機嫌が下がった。
「ニナギのくせにー」
「え、なんでそういう言い方」
ますますわからない。疑問ばかりだ。
「別に、うだうだ考えてないならそれでいいよ。ニナギってこういうときあれこれ考えるでしょ」
シーラは木立の向こうを見ているようだった。見ているようだが、警戒しているとか、何か見つけたとかそういったふうではない。言葉尻を誤魔化すような言い方が、シーラらしくなくておかしかった。
「ようは、心配してくれたってこと?」
「それ聞いちゃうところがニナギだよね」
「えっ」
シーラは大きくため息を吐くと、じゃあそういう事だからと右手をひらひら振って、来た道を戻っていった。
「なんだったんだ」
シーラと入れ替わるようにして木立からナユタが姿を表わした。表情の変化が乏しいのは変わらないけれど、纏う雰囲気が違うから、別人と対面しているような錯覚をする。ナユタの行動がおかしいと思った頃に水の気配を感じたことがあったが、今のナユタの状態はそれが常にしている。
ナユタのいるその場所だけが人間の立ち入ってはいけない場所のように感じられるのだ。あのとき、岩場で笑い合ったナユタは少し遠い。
「覚悟は決まったか?」
「そうだね」
問いかけに対してそう答える。ナユタが近くに来ると、その神聖さに引っ張られる。強くあらねば、一人で立たなければと。
「決まったよ」
自身に対する決意でもあった。心を決める瞬間でもあった。
多分これが、巫女様が言っていた決断の時。
「俺は俺の意思で、里の霧を晴らすよ。そうしなければならないからするんじゃない。そう決めたからするんだ」
ナユタがニナギを見ている。曇りのない目は、思えば最初から同じだった。右手に握っていた剣を腰帯に戻す。近くに置いてあった面を手に取ると、ひもを頭の後ろに通した。顔が隠される僅かな間、ニナギはかすかに声を溢す。
「俺たちは友達になれたんだろうか」
聞こえたかどうかは分からないが、ナユタは何も答えなかった。表情を動かすこともなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
草食系ヴァンパイアはどうしていいのか分からない!!
アキナヌカ
ファンタジー
ある時、ある場所、ある瞬間に、何故だか文字通りの草食系ヴァンパイアが誕生した。
思いつくのは草刈りとか、森林を枯らして開拓とか、それが実は俺の天職なのか!?
生まれてしまったものは仕方がない、俺が何をすればいいのかは分からない!
なってしまった草食系とはいえヴァンパイア人生、楽しくいろいろやってみようか!!
◇以前に別名で連載していた『草食系ヴァンパイアは何をしていいのかわからない!!』の再連載となります。この度、完結いたしました!!ありがとうございます!!評価・感想などまだまだおまちしています。ピクシブ、カクヨム、小説家になろうにも投稿しています◇
最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である
megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。
老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜
二階堂吉乃
ファンタジー
瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。
白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。
後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話8話。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる