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第一部 一章、旅の始まり

16、転換期

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 旅立の日の朝。フレアは初めて来た日と同じく、全身に鎧を着込んだ状態で俺たちの目の前に立っていた。
 

 装備は、防寒着用の分厚い毛皮で作られたマント。
 大きくて頑丈な皮製のバックパック。
 その中には大量の食料。そして、旅の道中で必要となる着替えや路銀などが入っている。


 その金の大半はローレンからの贈り物だ。目的地である北のオストレリア王国までは、この辺りの場所からだと徒歩で早くても二年かかる。……長い旅路だ。
 「金はいくらあっても困らないじゃろう?」と言われて、フレアはそれを申し訳なさそうに渋々受け取っていた。
 

 俺がフレアに対してプレゼントした物は、常に正しい方位を指し示してくれる、自作の魔導コンパスだ。
 リーゼは手作りのサンドイッチ、覚えたての裁縫で作成したピンク色のマフラー。それと自らの髪の一部を素材にして作成した、スクエア型のペンダントを手渡していた。
 見た目は透き通った氷細工のようだが、熱で溶けてしまうようなことはない。そういう魔法が掛けられているからだ。
 

 触れるとひんやりと冷たく、リーゼによって氷漬けにされた日々をいつでも思い出せるらしい。フレアは大喜びで、リーゼに何度もお礼を言い続けていた。
 「お前は本当にそれでいいのか?」と、疑問に思ったので聞いてみると、どうやらフレアにとってそれは良い部類の記憶らしい。


 そういえばこいつは、吹雪の中で一人遭難して生き延びたことがあったんだよな。実はその時、寒さで脳がやられておかしくなってしまったのか?
 それより前のフレアのことを俺は知らないので、真相に関しては永遠に闇の中である。
 


 「……ではの。国へ戻ったら、陛下にはよろしく伝えておいてくれ」

 「はいっ!ローレン殿のお言葉は、我が命にかえても必ず陛下に伝えます!」

 「古代魔導具アーティファクト本体の修復作業が完了し次第、ワシ自らの手で国の方にまで持っていく。
 とにかく、全てを内密に……じゃ。誰も信じてはならん。己以外のすべてを疑いなさい。よからぬことを考える輩はそこら中におるからのう。
 見習いとはいえ、我らの王国を守護している騎士の一人じゃ。この任に選ばれる理由となった、己の実力を信じなさい」

 

 ローレンからの激励の言葉に対して、フレアは「気合十分!!」といった様子をしながら、その場で自分の片腕を大きく垂直に掲げて、騎士団特有の誓いを立てるポーズをする。
 不安しかないのだが、こうなっては信じて見送るしかない。


 きっとリーゼも、今の俺と同じような心境をしているのだろう。
 幼い我が子の姿を見守り、初めてのおつかいに送り出す。多分、そんな感じだ。



 「日持ちするものは、全部バックの底にまとめてあるから。
 お財布は内側にある上から二つ目のポケットの中。通行証の札は五つ目のポケットに入れてある」

 「あ、ああ。分かっているよリーゼ、大丈夫だ。問題ない。
 それよりもバックパックのベルトの位置についてだが……少し締めすぎじゃないか?もう少し動きやすいように、後ろの方の金具を調整してくれ」
 


 リーゼは別れの瞬間を惜しむようにして、自ら出立前のフレアの世話をあれやこれやと焼き続けていた。
 まるで出来の悪い娘とそれを見送る母親だ。フレアが鎧に包まれた両腕をバンザイの状態にしたまま無防備に突っ立っていたので、余計にそう見えてくる。



 「……なんだか変な気分だ。もう何年も前から、お前たちとはこの場所で一緒に暮らしていたような気がするよ」

 「きっとそれだけ『居心地が良かった』ってことなんだろう?
 俺はフレアと同じ部屋で一緒に寝るようになってから、本当に地獄のような毎日だったけどな。
 ――ようやくいなくなって清々するぜ!!」
 
 「なっ!?なんだと貴様ぁ~!!冗談でもそのようなことを言うのは止めておけと、いつも言っているだろう!」

 「ん、いや?別に冗談じゃないんだけど?めっちゃ本心」

 「えっ……ま、まさかそんな……!嘘だろう?エドワーズ……」



 フレアが本気で悲しそうな表情をしていたので、俺は少し可哀想になって、その時ばかりは普段のようにからかうのをやめてやる事にした。



 「悪い。本当は冗談なんだ」

 「まぎわらしいッ!!……今のは本気で焦ったぞ!
 まったく。最後の最後まで本当に、お前はお前のままだというか……」

 「このしんみりとした別れの空気を、俺なりになんとかしてやろうと試みた結果だ。
 ――笑えるだろ?」

 「ぜんッぜんッ、笑えるわけがないだろうッ!!」

 「フッ……フフフフフッ!」



 俺たちの会話を聞いていたリーゼが、珍しく人前で声を出して笑っていた。
 一体何がウケたのだろうか。いや、まったく分からないね。
 


 「今度は私の方から、フレアのいる所に会いに行く。
 ――いつか絶対。忘れないように、しっかりと約束するから」

 「……ああ。そうだなリーゼ。私もここにいる全員とまた会える日が来ることを、いつまでも楽しみに待っているぞ!」

 「でも、フレアはちょっとおバカで忘れっぽいから。……正直に言うけど、今の私はフレアが約束を忘れたりしないか、結構本気で心配している」

 「――ウッ?ま、まあそれについては多分……いや!きっと問題はない筈だ。任せてくれ!!」

 

 即答ではない時点で、かなり怪しいと俺は思うぞ。
 そこはリーゼもこちらと同意見だったらしく、ジトッとした疑いの視線をフレアの方に向けていた。



 「自信がないのなら、私がフレアの体に直接覚え込ませてあげても良いけど?」
 
 

 リーゼが物騒なことを口にしながら、自らの手元に魔法で巨大な氷のハンマーを作り出す。
 あれで殴られたら、恐らくかなり痛いだろうな。先っちょの平面が拷問器具のようにトゲトゲしている。……いや、もしかしたら痛いでは済まされないかもしれない。普通に死んじゃうかも。



 「うわぁ!?リ、リーゼ?大丈夫!大丈夫だ!!絶対に忘れたりなんかしないぞ。
 だから頼む……どうか私のことを信じてくれッ!!」

 「……さっきのエドワーズと同じで、本当は冗談で言ってみただけだから。安心して?」

 「リーゼのそれは冗談というより、もはや脅しと一緒じゃのう……」



 演技にしては目が本気だったぞ。出立前に危うく怪我を負わせてしまうところだった。
 全ての荷物、そして装備の点検を終えて、いよいよフレアとの別れの瞬間がやってくる。
 足跡ひとつない真っ白な雪の大地。フレアはその上に己の足先を一歩一歩と、前に向かって踏み出していく。
 


 「……フレアの奴、本当に行っちゃったんだな」

 「うん……」
 
 

 一度も振り返ることなく、徐々に小さくなっていく彼女の後ろ姿を、俺とリーゼの二人は並んだままいつまでも見つめ続けていた。
 ローレンが家に戻り、俺たちのいる位置からフレアの存在が完全に見えなくなっても、リーゼはその場から一切動こうとはしない。
 やがて日が少しずつ落ち始め、周囲の景色がオレンジの色彩で包まれた頃。
 


 「エドワーズ。私ね。これから先、やりたいことができたかも」
 
 「ふーん。なんだいそれは?……言ってみろよ」

 

 唐突に話し掛けてきたリーゼに向かって、俺はその続きを言うように促してみる。



 「私、将来は冒険者になって、世界中のいろんな所を旅してみたい」
 
 「ほー?そりゃあまた、随分と楽しみな夢ができたじゃないか」

 「フレアが言ってた。この世界はとっても広くて、まだまだ私の知らない……見たことのないものが沢山あるって。
 ――もちろん、その時はエドワーズとおじいちゃんも一緒だから」

 「俺たちも?」

 「そう。二人とも」



 リーゼは俺に断言してみせた。それがこれから先訪れる、絶対の未来であるかのように。
 問題点については、ひとまず保留でいいだろう。だって夢なのだから。そして俺は、それを叶えるための手助けをする。夢を現実に変えるため。最も正しく、最も後悔の無い選択をリーゼが常に選べるように。
 

 そうと決まれば明日から更に特訓の日々だな。冬嵐ブリザードの時期が終わり、ラッセルとエルメダ、その他の愉快な面々たちにまた会える。
 ――サーシャは元気にしているのだろうか?ミラは?ステラは?気になって仕方がない。明日は朝一で『蜜蜂の酒場』に向かうとしよう。
 

 その時になったら全員に話してやるのだ。この冬ごもりの期間中、俺たち三人がどのように過ごしていたのかを。
 サーシャは、フレアに対してかなり嫉妬するかもしれないな。恐らく、反応はこうだろう。
 ――どこかの知らない女に、私のリーゼが寝取られちゃった!!
 その場にいる他のみんなの呆れる顔が目に浮かぶようだ。



 「エドワーズの顔、ほんの少しだけニヤニヤしてない?」

 「どこかの誰かさんのアホ面を、たまたま思い出していたんだよ」

 「アホ面?それって……一体誰のこと?」

 「リーゼもよく知っている奴だぞ。ヒントはそうだな……赤い髪、口より先に体が動く、人の話を一切聞かない自称姉」
 
 「――そのナゾナゾ。特に考えたりしなくても、答えが誰なのか丸分かり」
 


 いつかフレアと再会できるその日を夢見て。彼女から託された古代魔導具アーティファクトを、元通りの完全な状態に修復させる。それが今の俺自身に与えられた役割だ。そしてその任を全力で遂行する。
 リーゼとローレン、己が大切に思っている全ての人たちの居場所や夢を、これから先も未来永劫守り続けていくために。
 
 



*****





 四年後。神魔暦五百八十九年。
 それぞれの種族の情勢は、大きな変化を遂げていた。
 

 まず始めに行動を起こしたのは、東の森人族エルフたちである。
 彼らの王は言った。「我々は必要最低限の警告だけしておけば、それで良い」と。
 自分たちは広大で安全な森の奥地へと姿を隠し、一部の者を除いて他種族との交流に距離を置いたのである。聖域の入り口には魔法による不可視の結界が張られ、害意をもたらす可能性がある者は、その存在をことごとく弾かれていた。


 当然、あらゆる方面から出る非難の声は避けられない。しかしそれを許さない程に、エルフ彼等の取った行動は迅速で正確なものだった。
 自然災害の警告に関しては引き続き継続されたが、それだけだ。 
 急遽訪れた不吉の予兆。その答えを他の種族たちが知る機会は、もう少し先のことになる。


 ――半年後、人族の領域である異変が起き始めた。
 魔物の出現数がこれまでよりも圧倒的に増加したのである。
 元来、魔物とは西と東の二方向から流れ着くものだと言われていた。
 

 『戦士の谷』――血と骨が大地に染み込む西の荒野。
 『霊魔の森』――禁足の地。命ある者を惑わし貶める北東の樹海。
 

 種族の違いを問わず、そのどちらも最上位の危険地帯として認知されている。知性を持った者など存在しない。暴力的に、残虐に、純粋な力を持つ者だけが生き残る。


 北から入ってきた魔物たち。その場所で例外なくふるいにかけられ、力なき弱者は人族の領域へと追い立てられる。
 強者は居座り、ただ次の強者が現れるのをひたすら待つのだ。そこが彼らにとっての狩場であり、安息地。何百年、何千年経っても変わらぬ秩序。そしてそこにあと一つ。これまで無かった魔物たちの侵入経路が新たに加わった。



 ――北のオストレリア王国。
 
 

 人々は気がついた。魔物の数が例年よりも増えてきている。どうやらそれは、北の方角から入り込んできているらしい……と。
 凍てついた大地。険しい山々を越えた先にその国はある。
 人族最北の地。魔族領を隔てる境界線。古代魔導具アーティファクトの結界が失われたことにより、国土の三分の二は魔物の領域と化していた。


 その情報を知るや否や、南のドワーフたちはすぐに行動を開始した。
 天然の城塞――『オームス山脈』の継ぎ目に存在している、国へ入るための唯一安全な玄関口。『王の門前谷』の真正面に高い石壁の山を築き、全ての交通手段を物理的な方法で遮ったのである。


 ドワーフの王、ディドルセンは臆病者だった。ありもしない妄想と富の呪いに取り憑かれており、その欲に濁った瞳は彼が持つ全ての判断能力を狂わせた。


 呪いの宝石『血塗られた乙女の涙ブラッドティアーズ』。
 赤きコアの中枢に封じられている、冷徹で狡猾な悪魔が囁く。 
 ――「お前たちが蓄えた財宝を奪いに、盗人どもが人族の領域からやって来るぞ!!」と。
 ドワーフ国最大の資源都市、『ヘリオンズ』に至るための道のりはこうして閉ざされた。宝石の呪いによって愚王ディドルセンは我を失い、彼の周囲には常にただれた腐の悪臭が漂い始める。
 

 そのおぞましい姿を目にしたドワーフの民たちは、繁栄と幸福で満たされた黄金の都から我先に逃げ出した。


 時を同じくして、西の方角でもある事件が起こる。
 現聖痕の所有者、獣人の英雄ラファローが寿命により、その長きに渡る生涯を終えたのだ。
 さらに森人族エルフの冒険者パランデまでが、北にある魔族領の奥地で謎の死を遂げたという。知性ある者たちから同時期に失われた二角の聖痕。各地へ分散した力の破片は、やがて地下深くに眠っていた古の存在を呼び覚ます。



 『ガイドス砦跡』――――霧の中に佇む、片腕の巨人の影。
 
 『暗徨洞窟ヴォセトベリガスの胃』――――奈落への入り口。闇に蠢く数百の触手。血肉を欲する不死身の怪物。

 『霊魔の森』――――冥界から甦った王家の亡霊。闇夜に浮かぶ道化の姿。

 『死の峡谷』――――自我を喪失した最強種。灼熱のブレスを吐く秘宝の番人。

 『資源都市ヘリオンズ』――――黄金を貪り喰らう欲望の化身。宝石の悪魔に魅入られた者、ディドルセン。

 『白夜の森、東の祭壇』――――鋭利な鎌、全身を覆う堅牢な外骨格。王都奪還を阻む最大の壁。
 
 『監獄地アバムト』――――そこには柵も牢も無い。呪われた獣の王が、更なる強者を求めてただ居座り続けるのみ。

 『骸砂漠』――――漂う死臭。積み上げられた死骸の山。砂中でトグロを巻く巨体の怪物。

 
 
 暗黒の時代が終わりを迎え、それから二百年以上の時が過ぎ去った今。
 新たな物語の舞台が整い、その序章が人族のとある田舎の地域から、もうすぐ始まろうとしていた。





*****




 青く澄み渡る空の下。足元から感じる土の感触。小高い丘の上から見下ろす平原。
 俺の現在地から約四百メートルの地点。三角型に並んだ魔物の群れが、真っ直ぐこちらの方を目指して駆けてきている。

 
 数は十二。突撃猪ラッシュボアと呼ばれている肉食の魔物だ。
 ……まぁ魔物というものは、どれも大抵肉食ではあるのだが。
 牛のようにゴツイ体格をしており、それでいて機動力にも優れている。獲物を切り裂くための牙と爪は標準装備。おまけに群れで行動をする習性があるため、厄介で油断ならない相手でもある。


 先頭にいた三頭の突撃猪ラッシュボアが速度を上げた。周辺の索敵、獲物の早期発見についてが主な役目だろう。
 冒険者であれば前衛五名、後衛二名のパーティーで対処するのがセオリーとなる。……人数不足では勝ち目がないからな。特筆した戦力でもいなければ、数の暴力に対して抗うことは不可能なのである。
 
 

 「じゃあ、そろそろ行ってこようと思うけど。
 ――大丈夫?」



 俺のすぐ隣に立っていた人物が声を上げる。
 恐らく、周囲一キロ圏内に人はいない筈だ。目撃される心配はないだろう。
 


 「よしっ、行ってこい」

 
 
 問題なしと、そのように判断を下した俺は許可を出す。
 するとリードを外された犬のように細身の影が一つ、丘の上から眼下に広がる平原へ向かって、勢いよく飛び出していった。


 ――速い、とにかく速い。物凄いスピードで駆けていく。
 目にも留まらぬ……もはや残像だ。その人物は二十秒も経たないうちに、正面からやって来る突撃猪ラッシュボアの群れとの接敵を果たす。
 


 《ブォ?ブォアアアー!!》



 食料となる獲物の姿を視認して、狩りの状態へ移行する魔物たち。
 後方にいた九頭が傘状に広がり、広範囲を妨害するようにして突っ込んでくる。それに立ち向かうのは一人の少女。ショートカットの青い髪、この四年間で女性らしい身体つきに成長したリーゼである。

 
 その手に一瞬で形成された氷の鎌。青き死神があり得ない前傾姿勢で得物を振るう。
 氷晶の斬撃が宙を裂き、鎧並みの硬度を持つ三頭の突撃猪ラッシュボアの胴体が上下に切り分けられた。切断面は完全に凍りついてしまっているため、赤色の血飛沫がその場で舞い上がるようなことはない。


 
 《――ブォオオオオオオ!!》
 
 (あっ……あいつら逃げ出しやがったな)
 
 
 
 三頭ずつ、正面以外の三方向に向かって、バラバラに散開しながら逃げていく魔物の群れ。
 索敵役が大した抵抗もなくやられた時点で、潔く逃走という手段を選んだらしい。魔物にしては頭が回る。しかし、リーゼは奴らのことを、この場から絶対に逃がすつもりはないようだ。
 
 

 「向かってこないのなら……こうするだけっ!!」



 リーゼの手元から投擲された氷の鎌。魔力による操作補正と風圧による回転が加わり、かなりのスピードで飛んでいく。まるで円形の巨大なノコギリだ。
 左側にいた敵は回避する間もなく、少し離れた地点でズタズタに寸断された。
 ――残すは二方向のみ。己の集中力を極限にまで高めたリーゼが、決め手となる戦場級魔法を発動させる。



 「【氷山剣《アイシクルソード》】ッ!!」



 合わせて六頭になる魔物の足元から、三メートル以上の氷の刃が複数個生えてくる。
 二本、三本……腹下から串刺しとなり、宙に固定されたその光景はまるで早贄だ。対象から数十メートル距離が離れているとしても、今のリーゼには朝飯前。
 いつも通り、あっという間に任務達成だな!と思いきや、
 


 「ごめんエドワーズ。一頭だけ、逃がしちゃったかも」

 「……だな」



 そう簡単にはいかなかったようだ。丘の上から下りてきた俺に対して、リーゼが悔しそうな表情を顔に浮かべながら報告してくる。



 「で?どうするんだ?多分この場所からだと、奴との距離まで三百メートル以上は離れているぞ」

 「ム~……。今の私にその距離を狙うのは、ちょっと難しいかもしれない……」

 「俺のとっておき・・・・・で何とかしてやろうか?
 あの魔法の有効射程距離は約一・五キロだ。全力は出せないとはいえ、十分すぎる」

 「必要ないから!私が!自分だけの力で何とかしてみせる。 
 ……だからエドワーズは絶対に手出しをしないで、そこで見ていて」

 「へいへい、了解致しましたよ。
 俺は絶対に手出しをしない。リーゼのやりたいようにやってくれ。……これで満足なんだろ?」

 「ん。今度はきっと、大丈夫な筈だから。安心して私に任せて。
 広範囲用の殲滅魔法で、確実に仕留めてみせる」
 

 
 アカン。今のリーゼのその言葉。かなり嫌な予感がする。


 慌てて離れていった俺の視線の先で、リーゼが片膝をつきながら、突き出した自らの両手を地面にあてた。
 徐々に低下していく周囲の温度。すくうような動作をすると共に、風が吹き荒れ、キラキラと輝く氷のつぶてが辺りを舞う。
 上空に向かって巻き上がる巨大な竜巻。やがて咆哮のような轟音と共に、内部から形ある何かがゆっくりと、その長い首元をのぞかせた。

 

 ――グォォォォオオオオオオ!!



 竜《ドラゴン》だ。この世で十体も存在しないと言われている最強種。
 無論、それはリーゼが己の魔力を用いて、外側の形だけそう見えるように作り出した偽物である。しかし偽物であっても、その魔法自体は制御されたある種の自然災害と大して変わらない。
 


 「――【氷竜《リュシェール》の暴竜撃】」



 伝説の古竜。その姿を象った魔法が、全身に氷嵐《ブリザード》の鎧を纏いながら高速で空高く飛翔する。
 竜は五百メートル程離れた地点まで飛んで移動すると、その場でピタリと静止し、真下にある地面に向かって急降下。
 派手な衝撃音が辺りに鳴り響き、遠方で巨大な水柱が勢いよく吹き上がる。広範囲に飛散した土砂の破片が、その威力の高さを物語っていた。
 


 「な、なんつーオーバーキル……」

 「でも確実にやっつけた。結果が良ければ全て良し。
 昔、エドワーズが私に教えてくれた言葉だよ?」

 「いやまぁ……確かに言いましたけどねっ!こりゃあ、いくらなんでもやり過ぎだ。後片づけをするのが大変になっちゃうだろう?」

 「男の子なら細かいことは気にしない。あまり気にしてばかりいると、将来エドワーズの頭がハゲちゃうかもしれないけど。それでもいいの?」

 「そういうことは言わないで!マジで怖くなってくるから!
 ――まったく。毎度毎度こんな調子で派手にやられちゃ、師匠としての俺の立場がないじゃないか」

 

 この数年間で、ベルリナの地域に現れる魔物たちは、ほとんど狩り尽くしたことになる。
 一時期はかなり増えたが、事態を重く見た国が国境際付近に防衛戦を築き、冒険者ギルドと連携をおこないながら対処したのだ。
 

 幸い、レーゲスタニア国は人族の領域の中でも、かなり南寄りの位置にある。古代魔導具アーティファクトの結界が失われた今、北の方にある国々の安全は脅かされる一方だ。
 
 
 その原因に関して正しい情報を把握しているのは、どうやら各国にいる一部の権力者たちだけらしい。
 「余計な心配を、自国の民に対して与えたくない」というのが建前であり、本音はただ恐ろしくなったのだろう。詳しいことについては分からないが、なんとなく察しがつく。


 いつの時代も、人々の間で沸き上がる感情のうねりは予測できない。だからこそ混乱の元となる種は、最初から蒔かないでおくべきなのだ。
 実際、近くの街にいる冒険者たちも、北の方角から魔物が入ってきているのでは?という不確かな情報以外、他に何も知らなそうだったしな。


 
 「エドワーズ。何か私に言いたそうな顔してない?」

 「ヴッ!?そ、そんなことは……ナイデスヨ?」



 リーゼが「後先考えず高威力の魔法をぶっぱなす、バーサーカー系美少女に育っちまったなー」なんて考えたりはしていたが、口に出さなかった。
 一度彼女を怒らせてしまうと、後々面倒なことになる。お姫様の機嫌を損ねる行為は、あまり賢い選択肢であるとは言えないからな。



 「ふーん……?なら、別にいいけど。
 今日は午後から店のお手伝いをしに行く日だから。早く後片づけを終わらせて、遅れないように急いで帰る」

 

 うへぇ。今からあれ全部を、俺たち二人だけで片付けすんの?クソ労働じゃないか。
 しかし、やらない訳にはいかない。バレたらヤバいことになるからだ。


 魔術師として驚異的な戦力を持つ俺たちの行為が明るみに出れば、まず国の方が黙ってくれちゃいない。
 冒険者ギルドからも熱烈なお呼び出しが掛かるだろう。世の中、どこもかしこも有能な人材が不足している。使える人間は引き抜かれ、馬車馬のようにこき使われるのだ。
 
 
 ベルリナ周辺に現れる魔物の殲滅作業は、元から計画の一部に入っている。 
 俺たちがいなくなった後で世話になった大切な人たちが、変わらぬ日々の暮らしをこれからも送れるように。……でないと、安心して旅立つことが出来ないからな。
 多分、その日はもうすぐやって来る。遅くて一週間後か、もしくはこの数日以内に。



 「さーて。じゃあいつも通り、ちゃっちゃと片付けを終わらせますかね!」

 「……頑張って。私、自分の服を汚したくないから。
 ここに立って、作業しているエドワーズのことを一生懸命応援してる」

 「いやいや、リーゼさんや。君も一緒にやるんだよ?
 ――こんな大穴、ワシ一人で全部を埋めるなんて、どう考えても不可能なことじゃからのう」

 「何?その話し方。……誰かの真似でもしているの?」

 「ローレンさん。やっぱり分かるか。結構似ていただろ?」

 「全然似ていないし、くだらない。
 エドワーズの笑いのセンスはかなり壊滅的。ちっとも面白くないと思う」



 ワオ、辛辣。本人に対してはかなりウケが良かったんだけどね。 
 これ以上のおふざけ行為は時間の無駄らしい。リーゼを怒らせないうちに、この辺りでやめておこう。


 先ほどの一撃で大きく抉れてしまった地面の穴。俺とリーゼは近くにある土壌を削り取り、魔法で移しながら少しずつ埋めていく。
 その中で見つけた魔物の死骸は、煎餅みたいにペシャンコの状態で潰れていた。
 

 現時点でリーゼが扱える最も威力の高い魔法、【氷竜《リュシェール》の暴竜撃】。
 中級六種を複合させた戦場級魔法。衝突する直前に対象を冷気で凍結させ、物理的な手段で打ち砕く。今回は上空から押し潰しただけなので、死骸の原形が粉砕されずに残っていたのだ。
 

 未だ未完成であるリーゼの魔法。上級クラスのものをベースにすれば、更なる威力の向上が望めるだろう。
 先ほどのは七メートルくらいのサイズがあった。消費する魔力量は相当なものになる。現に今もリーゼの額には、その時の疲労からくる透明な汗がうっすらと浮かんでいた。


 風を受けて、綺麗になびく青い髪。
 夜の闇に溶け込むような色をした漆黒のマント。その内側には袖のない、戦闘用の衣服を着ている。どうやら本人的には、激しい体の動きを想定した格好らしい。
 下半身の方は、太股部分がかなり大きく露出をしていた。伸縮性のあるスパッツみたいに、肌の上にピタリと張り付くタイプのやつだ。おかげでリーゼのスラリとした、美しい体型が一目でよく分かる。
 


 「何?……どこ見てるの?」



 おっと。流石にガン見し過ぎたらしい。
 俺の視線に気づいたリーゼが、いぶかしげな表情をしながら作業の手を止めてこちらを見てくる。
 


 「リーゼの尻を見てました」

 「ん、そう。正直でよろしい。
 いくらでも見ていいけど、穴埋めをするのもしっかり頑張ってね」



 何故かは分からないが、褒められたようだ。
 相変わらず女心というものは理解できない。リーゼのものに関しては特に。昔からサッパリなのである。
 

 三十分ほど時間を掛けて丁寧に後片づけを終えると、俺たち二人はそのままの足で近くにあるベシュリンの街へと向かった。


 四年前の時とは違い、街の周囲には以前よりも高い石壁の山が続いている。そこには突貫工事を思わせる、変色した二色の石材が。
 外側からの見映えは悪い。しかし、設備としての機能はしっかりと果たされている。例の件で増加した魔物の侵入を防ぐ必要があるので、今はどこの街も大体こんな感じの景観だ。


 検問所を通り抜けたあと、すぐに人通りの少ない街の路地裏へ。
 右、直進、突き当たりの角を左に曲がって、真っ直ぐ進んでからまた左。およそ二分ほどで目的地である『蜜蜂の酒場』の目の前に到着した。
 俺とリーゼは正面の入り口からではなく、店の裏手にある勝手口の扉を通って中へ入る。
 


 「あら?ようやく来たのね。
 今日はいつもより随分と遅かったじゃない!」



 投げつけられたフワフワの白いタオルと共に、店主の妻であるエルメダの声が飛んできた。



 「ワプッ!――ウッワッ、このタオル、めっちゃ柔らかっ!?」

 「ごめんなさい、エルメダおばさん。ちょっとだけ遅れちゃった」

 「別に少しぐらい大丈夫よ!と、言いたいところなんだけど……。今日はこの時間になっても、全然お店の方の客足が落ち着かなくて。かなり困っていたのよ。お風呂の用意は出来ているからすぐに入って。
 ――それからエドワーズ。あなたはその汚れた身体を拭いてから、先にいつもの席で待ってなさい。……あとで美味しいチーズのドリアを持っていかせてあげるから」
 
 

 大慌てで風呂場がある方向を目指して走り去っていくリーゼ。
 エルメダもその場で言うだけ言ったあと、すぐに目の前から消えてしまった。
 どうやらこの街一番の人気店、『蜜蜂の酒場』は本日も大変繁盛しているらしい。
 全身の汚れを拭き取り真っ黒に染まってしまったタオルを、廊下の隅に置かれていた洗濯桶の中へ放り込んでおく。



 「あっ、いらっしゃ~い!」
 「君がこの場所にいるってことは……ようやく助っ人のあの子が来てくれたのね?」
 「はぁ……これでやっと少しは、まともな休憩時間が取れるかも……」



 俺の姿を目にした給仕の女の子たちが、それぞれ歓喜の声を上げていた。
 相当過酷な戦場だったらしい。彼女たちと軽く挨拶を交わしてから、店の厨房を通り抜けてホールに入る。



 (うへ~。今日は一段と混んでいるなぁ……)



 見たところ、団体客用のテーブルは全て埋まっているらしい。
 そんな状況の中でも俺の定位置……カウンターの右端とその周辺だけは、不自然に空けられていた。



 ――『未来の大魔術師様、エドワーズ専用席』。



 立て掛けられた札にはそのように書いてある。これを作ったのはこの店に住んでいる店主だ。おかげで恥ずかしいったらありゃしない。
 そんなこちらの心の内なんてお構いなしに上機嫌で手を振るラッセルを見ていると、思わずため息が出てくるというものだ。



 「ハッハッハー!この街の英雄様が、ようやく魔物退治からお帰りか!」

 「ちょーいっ!!ラッセルさん。それ、バレたら不味いんですってば!
 (表向きには全部ローレンさんがやった事にしてあるんです!)誰かに聞かれたりしたら面倒なことに……」

 「……店の中はこの賑わいだ。俺たち以外、他に誰も聞いちゃいないから安心しろ。
 それよりお姫さまの方は、まだ着替えの最中なのか?うちの店の者たちがさっきから、今か今かと首を長くして待っているぞ」

 

 ホールに視線を移すと、確かにその場にいる給仕の女の子たち全員と目が合った。
 否。よく見ると一人だけ、自分のしている仕事で手一杯の者がいる。……サーシャだ。
 目を回しながら大勢の客が座っているテーブルの間を行ったり来たり。危なっかしいにも程がある。


 そんな風に思っていると、偶然なのか必然か。床板の僅かな窪みの部分に足を引っかけ、その場で盛大に転げそうになるサーシャ。
 しかし、その身体を間一髪で、真横から現れた小柄な影の人物が支えていた。



 「――キャッ!!って……ありがとステラ~。
 おかげでお姉ちゃん、なんとか転ばずに助かったよ~!」

 「いや、ほんとマジで危ないところだったから。
 サーシャ姉は昔から、ちょっと他の皆より注意力が足りなさすぎでしょ」

 「でもでも、ステラが助けてくれたから大丈夫だったじゃなーい?
 頼りになる可愛い妹がいて、お姉ちゃんは本当に幸せ者だよ~!!」

 「ちょっ!今、仕事中なんだけど。ていうかそんな風に勢いよく抱きつかれたりしたら、あたしだって……ウワッ!?」



 ――ドンガラガッシャーン!!


 
 (何をやっているんだ。あいつらは……)


 
 大分悲惨なことになっているが、これでもまだマシな方だ。
 いつもの見慣れたサーシャとステラのドジッ娘コンビ。他の同僚たちも呆れている……というより、多分諦められている。それは『蜜蜂の酒場』の店主であるラッセル夫婦も同様だ。
 ま、エルメダからの説教はキッチリとあるのだろうが。その程度で済むくらいの寛容さと経済的余裕が、この店にはある。



 「ラッセルさん。あの二人って昔から、まったく成長がないですね」

 「まあな。しかし以前と比べてみると、それなりの努力はしている筈だぞ?ミラのやつがこの店を抜けてしまってからは特に……な」


 
 そうなのだ。ミラは三年前にある男性と結婚しており、今は王都南部のエルメス通りという場所で自分の店を開いている。
 なんと一昨年には子供も産まれた。更に現在も妊娠しており、数日後には出産前の休養という理由でこちらを訪れることになっている。


 ちなみに旦那の方は、一人寂しく王都に残って留守番らしい。半年後に予定されている我が子の出産には立ち会うそうだが……。
 ミラの店は王都でも五本の指に入る超人気店『妖精亭』。旦那は料理長としての仕事もあるので、そう簡単に店を離れるわけにはいかないらしい。
 何度か直接会って話したことはあるのだが、それはもうかなりのイケメンである。料理の腕前はかなりのもので、客として偶然『蜜蜂の酒場』を訪れていた彼に対して、そこに目を付けたミラの方からなかば強引に口説きおとしたらしい。
 


 「そういえばミラ姉さん、もうすぐこっちの方に帰ってくるんでしたっけ?」

 「おう!早ければ明後日の昼頃には到着すると思うぞ。
 ……それにしてもだ。タイミングが合って本当によかったな。坊主たちの出立前に最後の別れの挨拶ができるんだ。
 うちのエルメダがミラのところに手紙を出したら、『予定を一ヶ月前倒しにして来る』と連絡があったんだとよ」

 「そうなのよ~。だってあの子、リーゼのことを自分自身の妹のように可愛がっていたじゃない?
 後から文句を言われるのは分かっているから、それならねぇ~?……ってことで呼んでおいたの」
 


 あとからやって来たエルメダの腕の中には、一人の小さな赤ん坊が抱かれていた。
 サリー・ユノバー。目の前にいるラッセルとエルメダ、二人の間にできた子供である。まだ生まれて間もないため、お互いに正確な意思の疎通を図ろうとするのは難しい。


 
 「ァ~……」

 「おっ、うちにいる小さい方のお姫さまじゃないか!
 ――どうしたサリー。パパに何か言いたいことでもあるのかな~?」

 

 気色悪い顔つきと声色で、愛しの我が子に迫ろうとするラッセル。
 その様子を目にしたエルメダの体がほんの少しだけ後ろへ下がったように見えたのは、恐らく俺の気のせいではない。



 「フ……フギャッ!?フギャァァァァァー!!」

 「あーあー、怖かったわね~サリー。ほーら、いい子だから泣き止んで?」

 「お、おいエドワーズ!その……赤ん坊を泣き止ませる魔法というか、そんな感じの便利なものは何かないのか?」

 「(えぇ?なんという無茶振り……)」



 オロオロとしながらこちらを頼ろうとしてくるラッセルとは違い、母親であるエルメダは落ち着き払った様子で胸に抱いたサリーのことをあやしている。
 「赤ん坊を泣き止ませる便利なもの」ね。そんなものは知らないし、俺にとっては専門外のことだ。しかしまぁ、ラッセルたちには常日頃から世話になっている身の上である。とりあえず今の俺自身にできる事といえば……。


 握りしめた拳の中に魔力を集め、ゆっくりと開く。小気味良い音と共に溢れ出た光の花弁が宙を舞い、それに対して興味を示したサリー赤ん坊がピタリと泣き止んだ。
 


 「……ア~……キャッ?キャッキャッキャー!!」

 「おおっ!あれだけ泣いていた筈のうちの子を、こうも簡単に……」
 
 「さすがエドワーズね!うちのダメ亭主より、よっぽど役に立つじゃない」

 「いや、まさかこんなにうまくいくとは。意外とすぐに泣き止みましたね?」

 「生まれたばかりの赤ちゃんって、本当に純粋で気まぐれだから。
 何にでも興味を持つし、どこかの誰かさんがお構いなしに顔を近づければ、突然泣き出してしまうことだってあるのよー」



 「ねー?」と、仲良く目の前で頬を寄せ合うエルメダと娘のサリー。ラッセルはそんな二人の様子を、少し離れた位置から羨ましそうに見つめている。
 父親ではなく母親似のサリー。将来はきっと物凄い美人になるだろう。そんなやり取りをしている間に、店の奥から湯気立つ陶器の皿を持った青髪の少女が現れる。





*****



もうすぐ物語の導入部分が終わります。
こんな感じの世界観でやっていくお話。更新頻度遅いですがお付き合いください。

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