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第一部 一章、旅の始まり

17、ステラとの約束

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 「おまたせしました、お客さま」

 「おおぉ……!!」


 
 『蜜蜂の酒場』の給仕服。それを身につけたリーゼがそこにいた。
 フリフリとした可愛いスカート。その真下から伸びる細長い足。
 一部外されたシャツの襟ボタン。その隙間からは、成長途中である胸の谷間が僅かに覗いている。
 


 「なんて刺激的な格好なんだ!」

 「別に……見るのは初めてじゃないでしょ?エドワーズはいつも大袈裟な反応をするから。着替えたこっちが恥ずかしくなっちゃう」



 リーゼが文句を言いながら、運んできた料理の皿をテーブルの上に置いていく。
 この店で一、二を争う人気の品。熱々のチーズ入りグラタンだ。
 エルメダが作り置きしたものを厨房で焼いてきてくれたのだろう。
 陶器に被せられていた上蓋を外して中身を覗き込む。サックリとした表面が割れると、内側から乳とバターの香りが漂ってきた。
 


 「大丈夫!いつも通り、ちゃんと似合っているわよ。
 で、来て貰って早速で悪いんだけど……ねぇリーゼ。あれ・・、なんとかならないかしら?」

 

 エルメダの言う「あれ」とは、今も店の中央で折り重なって倒れているサーシャとステラのことだろう。
 辺りには食器皿が散乱しており、二人の衣服は頭からかぶった料理の汁でベトベトである。



 「アタタタタ……お尻がイターイ!!」

 「うっわっ、超サイアクなんですけど。ていうか重い、重いから!サーシャ姉!早くそこどいてくれないと、下にいるあたしが潰れちゃう!!」

 

 「なにぃー!!重いとはなんだ、重いとは!」――サーシャのデカ尻に上から押し潰されて、悶絶しているステラ。早く助けてやらないと大変なことになる。
 過去に身をもって経験したことがあるから分かるのだ。あれはそう……普通に死ねる。
 


 「二人とも、そんな格好でお仕事なんて無理だから。風呂場まで強制連行する」

 「えっ、リーゼ?
 いやーん~!その格好、今日もとっても似合って……ゲッホゥ!?」



 両腕を広げながら抱きつこうとしてきたサーシャに対して、リーゼがその腹部に強烈な突きをお見舞いしていた。



 「ウエェ……気持ち悪っ!!なんか口の中から色々と出てきちゃいそうなんだけど……」

 「まてまてステラ!頼むから、この場所で吐くのは勘弁してくれ。
 ――リーゼ、俺はステラの方を連れていく。サーシャのことは任せたぞ?」

 「ん、分かった。サーシャは今、鳩尾に一発入れて気絶させたところだし。
 あとはこのまま引きずっていくだけだから大丈夫」
 


 頼りになるね。さっきは潰れたカエルのような声がしていたしな。
 俺とリーゼは手分けして、二人のことを店の奥にある風呂場の方にまで連れていく(サーシャだけは、無理やり床の上を引きずって)。
 室内へ放り込んだら、あとは扉の外に立って待つだけだ。リーゼは助っ人としての役割があるので、先にホールの方へ戻っている。
 

 看板娘として働いていたミラがいなくなったことで、この店は深刻な戦力不足に陥った。彼女が抜けた穴はそれだけ大きい。そこでリーゼの出番である。
 料理の腕は言うまでもなく、その他の仕事に関しても超一流。週に四回は助っ人として、この『蜜蜂の酒場』でお給金を貰いながら働いているのだ。
 


 「エドワ~ズ~。すぐそこにいるんでしょー?ちょっといい?」

 「……なんだよサーシャ。どうかしたのか?」

 

 閉め切った扉越しにサーシャが声をかけてきた。何か用があるらしい。
 「いいから、そのまま入ってきて!」と言われたので、俺は仕方なく正面にある扉を開いて中へ入る。すると、


 
 「――は?」



 何故か生まれたままの格好をしたサーシャがそこにいた。
 全裸。つまり、上から下まで服を何も着ていないのだ。ステラは着替えの最中だったらしく、部屋に入ってきた俺の姿を見て半裸の状態のまま固まっている。
 えっ、これいったいどういう状況……?



 「ちょっ、何やってんのサーシャ姉!!」

 「だってさー、用意されていた服の大きさが全然合わないんだもん。特に胸の辺りがねー。
 ――というわけでエドワーズ!今からお姉ちゃんの部屋に行って、代わりの着替えを探してきて欲しいんだけどさ。お願いできるー?」

 「お、おまっ、お前……!?」
 

 
 扉越しにものを頼むという選択肢はなかったのか?あまりのことに言葉が出ない。
 全く恥じらいもせずに、堂々と素っ裸のまま突っ立っているサーシャ。俺と同様、ステラもひどく驚いた様子で彼女のことを見つめていた。
 そりゃあビックリするだろう。俺もビックリだ。何せ見えちゃいけないものまで全部見えている。つーか、せめて事前にタオルくらい巻いてから呼んでくれ。



 「とにかく前!前隠せ!」
 
 「あー完全に油断してたわ。サーシャ姉って昔から、ホントこういうことを平気でするから……」

 「二人とも少し騒ぎすぎ~。だってエドワーズだよ?私たちの家族みたいなものだよね?だったら裸を見られるくらい全然オッケーってことで、別によくない?……よくない?」

 「いや、全然よくない!!」
 「いや、全然ダメでしょ!!」
 

 
 こんなところを、もしもリーゼに見られたりしたら……。その瞬間、俺は間違いなく凍漬けの刑だろう。こちら側の言い分なんて通用しない。とにかく現行犯だけは不味いのだ。
 俺は緊急避難のため、すぐに部屋の外にある廊下へ飛び出て扉を閉める。
 サーシャの服は、着替え終えてあとから出てきたステラにお願いして取ってきてもらうことにした。



 「なんかもう、すげー疲れた……」

 「分かる。風呂に入るってだけで、ひと騒ぎもふた騒ぎも起こしちゃうのがサーシャ姉だから。
 それでさ、エドワーズ。あんたに聞きたいことがあるんだけど。ズバリさっき……風呂場へ入った時に、あたしの見えた?」

 「……?見えたって何がだよ、ステラ?」

 「うん。まぁその、つまり何かが」



 なんだそれ。どうも要領を得ない問い掛けだな。まぁ、可能性があるとすれば……、
 

 
 「それって……もしかして無いムネのこと?」

 「アハハハハ!エドワーズってたまに面白いことを言うよねー。
 ――ぶっ殺されたいの?」

 「グエェェェエ!!絞まる、首が絞まるから!……ごめん許して」

 
 
 別に、他人よりほんの少し胸が薄くても良いじゃないか。個性があって。俺は気にしないぞ。
 サーシャが着替え終わるのを待ってから、俺たちは三人揃って元いた店のホールにまで戻ってきた。

 
 店主のラッセル、そしてエルメダの姿はない。
 先ほどまでと変わらず、食事を楽しむ大勢の客たち。
 その場にいる全員の視線の先には、可愛い給仕服を着てせっせと働くリーゼがいた。
 こうして離れた位置から眺めているだけでもよく分かる。恐ろしく手際が良い。たった一人で、ベテランの給仕数人分の仕事量を見事にこなしていた。


 天上付近にまで積み上げられた両手の皿。その状態で顔色ひとつ変えることなく料理の注文も取っている。
 リーゼの一挙一動に対して周りの大人たちは息をのみ、大きな歓声を上げていた。まるで大道芸人。軽々とした身のこなしの要因は、『魔力防御』による身体強化。並みの冒険者では気づくことが難しい、ギリギリの強化値だ。
 
 
 
 「前から聞きたかったんだけど。リーゼのあれって、どういうカラクリ?やっぱりあんたたちお得意の魔法が関係しているとか?」
 
 「ま、それとはちょっと違うけど。大体似たようなものかな」

 「へー」


 
 興味があるのかないのか。今のステラの反応からは、その辺りの判断があまりつかない。
 カウンターにある自らの専用席に座った俺は、リーゼが先ほど運んできてくれた料理の皿に手をつけ始めた。時間が経っていても作りたてと変わらない暖かさ。陶器の上蓋には魔法の術式が刻まれており、中身の料理を一定時間保温する機能を持っている。魔導具の製作者はもちろん俺だ。
 


 「それは?」

 「容器全体を魔法で温めながら密閉する。日常生活用の魔導具さ。動力源には安価な魔石を使用しているから簡単に交換できるし、基本誰にでも扱える」
 
 「ふーん?よく分からないけど、なんかスゴイね。便利そう」

 「あー!!二人だけで楽しそうにおしゃべりしてる!ズルいっ!
 ――私も混ぜて混ぜてよ~」



 俺とステラの会話の中に、サーシャが真横から割り込んできた。
 その手には蜂蜜酒入りの大きなガラスの瓶が握られていて……って、おいおい。



 「まったく、お前らは揃いも揃って……。店の仕事は放っておいてもいいのかよ?」

 「だってだって!私、リーゼから戦力外通告を受けちゃったんだよ?仕方なくない?」

 

 どういうことかと思って、ホールで働いているリーゼの方を見てみると、



 (じゃ、ま!!)



 口元の動きだけで俺にそう伝えてきた。
 なるほど。戦力外通告とはそういうことね。サーシャやステラと同様に、他の給仕の子たちも今は休憩中らしい(こいつら二人に関しては只のサボりか)。
 というか手伝える隙がなさそうだ。下手にこちらから手を出そうとしても、かえって邪魔になるだけだろう。なら仕方がない……のか?



 「ぷはーッ!やっぱり仕事終わりの一杯は体に染みるねー。
 ――蜂蜜酒、ステラの分も取ってきてあげよっか?」

 「んーどうしよ。あたしはいらないかな。このあとエドワーズと一緒にやることあるし。今は遠慮しとく」

 「ちぇー!つまんないの。
 だったら代わりに、エドワーズがお姉ちゃんと一緒に飲もっか?」

 「……素朴な疑問なんだが。サーシャ、お前の頭の中身は空っぽなのか?」

 「うん?なんでそんなこと、今聞くの?」


 
 サーシャにとぼけている様子はない。こいつ、まさか天然で言っているのか?
 


 「オヨヨヨヨ……二人とも、お姉ちゃんに対して少し冷たくない?」

 「――えっ、別に?」
 
 「これが普通の反応だと思うぞ?」
 
 「グスンッ!……いいもん、いいもん。だったら私、二人の代わりにリーゼに慰めてもらうんだもんっ!!」

 

 と、そこでサーシャが酒を持っていない方の手を、高々と自らの頭上に挙げる。



 「ハーイ!そこにいる青髪の可愛い給仕さーん。注文!注文!注文で~すッ!!」
 
 

 サーシャの呼び掛けに気づいたリーゼが、非常に面倒そうな顔つきをしながら俺たちのすぐ近くにまでやって来た。



 「サーシャ、何?」

 「うーんとね~。今からなんか面白いことしてっ!!」

 
 
 完全に酔っ払いのノリとテンションだな、おい。
 しかし面白いので止めないでおく。さてリーゼよ、お前はこれにどういった答えを返す?


 リーゼがサーシャの頬っぺたを手で掴み、左右に向かって強く引っ張る。驚くほど柔らかかった。リーゼの掴んでいる部分が赤く染まり、まるで焼き餅のように伸びている。



 「はい、おもしろいおもしろい。笑って笑ってー」

 「イヒャイ、イヒャイよフィーゼ!誰かタヒュケテ~!!」

 
 
 その時、サーシャを懲らしめていたリーゼに対して、ステラが座っていた椅子から立ち上がり声を掛けた。



 「お取り込み中のところ悪いんだけどさ、リーゼ。いつも通り暫くの間、あんたの旦那のこと借りてくよ?」

 「ん、了解ステラ。こんな旦那でもよろしければ、どうぞどうぞ」

 「一体何なんだよ?お前たちのそのやり取りは……」



 リーゼからの許可を得たステラは、俺のことを店の二階にある従業員用の居住スペースへ連れていく。
 窓の外を覗くと、庭を挟んでラッセルたち夫婦が暮らしている石造りの立派な家が見えた。廊下の清掃は行き届いており、そこは流石と言うべきだろうか。元従業員であるミラの厳しい指導の賜物だろう。


 階段を上りきってから二つ目の扉。そこがステラに与えられている部屋である。
 すぐ隣にあるのはサーシャの部屋だ。扉の真ん中に一枚の紙が貼られている。――騒音注意!!あんな奴が隣人だった場合、俺は間違いなくこの場所からの引っ越しを選ぶね。夜中とか特に騒がしそうだし。
 

 ステラは「別に困ったことは起きてないけど?」と言っていたが、噂によるとサーシャのいびきがそれはもう、とんでもなく酷いものらしい。
 かなり離れた位置にあるミラの部屋にまで、その音が聞こえていたのだとか。全く以て迷惑な話である。



 「ほらほら早く。さっさと入った入った」

 「へいへい」


 
 急かされるまま、俺は部屋の中に入った。
 室内は奥行きがるので結構広い。これで毎月の家賃はゼロ。ついでに食費もゼロなので、住み込みで働く者にとっては至れり尽くせりの環境である。
 敷き詰めるようにして並べられた本の山。全てローレンの元所有物だ。現在はステラに対して完全に譲渡されている。売れば一獲千金。数年の間は遊んで暮らすことが出来るだろう。が、ステラはそれをしなかった。



 「ホイッ!ここに置いてあるのが今回の分ってことで、あとはヨロシクー」

 「これはまた……随分と量が多いんだな。えーっと?全部で数は――」

 「十三冊。あともう何回頼めるか分かんないからね。だから一気にまとめてお願いしますよ。大、先、生?」

 
 
 ステラからの頼み事。それは目の前に積まれている古い書物の翻訳作業だ。
 大陸に存在している共通言語以外のもの。古代言語、森人族エルフの用いる精霊文字、遺跡の秘記号……などなど。最初の切っ掛けはステラの方からだった。
 ――いやぁちょっとね?あたしも将来に備えて、色々と勉強をしてみようかと。


 これを聞いた時のみんなの反応は様々だった。まずは頭の病気を疑い、その次に本人が持つ人格の入れ替わり説が浮上した。
 本を読み、理解を深め、新たな知識を身につける。それが自分探しの役に立つのだと、ステラはそのように話をしていた。価値ある魔導書を含めたローレンの所有物。これから長旅に出ようとしている俺たちにとっては必要の無い物である。



 「ところでさ。ステラは最近、どういった本を読んでいるんだ?」

 「ん?あぁ……それなら多分、すぐそこのベッドの上に置いてあったと思うけど」

 

 見てみると、確かに何冊かまとめて置いてあった。
 『薬草図鑑~人族の領域、南西部~』
 『ポーション製作入門編』
 『希少薬草の育て方~最も効率的な肥料集め~』
 『調合用素材一般取引額リスト、第**版』



 「なにこれ?お前、この店の裏庭で草でも生やすの?」

 「そんなメンドーなこと、このあたしがするわけないでしょ。……何となく気になったからさ。
 それっぽいものを集めて読んでただけ」

 「ほーん?でもそれにしては……」



 ベッドの脇に置かれているステラの机。その上には空となったインクの瓶、そして紙の束。ビッシリと書かれている手書きの文字。
 内容について軽く目を通してみると……ほうほうほうほう!なるほどねー。



 「ちょっ!それ、勝手に見ないでくれます?」

 「えっ、なんで?」

 「なんでって……ああっもう!とにかくなんでもいいからさっ!!」



 余程恥ずかしかったのか、すぐに取り上げられてしまった。
 仕方がないので、ステラから頼まれた翻訳作業の方に取り掛かる。いかにも魔導書っぽいザラザラとした手触りの皮表紙。一枚ずつページを捲り、魔法で文字を転写していく。それでもかかる時間は一冊につき、およそ十分程度のハイペースだ。



 「……エドワーズ。あんたってさ、実は結構凄いよね?」

 「どうしたんだよステラ。唐突に」

 「今も当たり前のようにそうやって魔法が使えているし、頭も良いし。 
 なんていうか凄くその……他の人たちよりも『特別』って感じがするんだよね。昔から」

 「………」



 普段と違う。真面目な態度のステラを目にした俺は、少しだけ戸惑っていた。
 


 「今のあたしには『特別なこと』っていうのが何も無いからさ。 
 それに比べてあんたは凄いよ。めちゃくちゃ凄い。本当に特別なんだって思ってる」

 「……つまり分かりやすく言い直すと、今後は俺たちに会うことが出来なくなるから寂しくなったと?」

 「な、ん、で、そうなるっ!全然違うから!?そりゃあちょっとはそう思ったりするかもしれないけどさ。
 ――って、ああっ!!やっぱあたしってダメだわ。……こういう時ってホントいつも調子狂う」



 ステラとは十年近くの長い付き合いだ。様子がおかしい理由についても何となく理解することができる。
 そうか。そういえばあと数日で、ステラを含めた他のみんなとも長いお別れをすることになるんだったな。



 「いつかまた俺と会う時までに、ステラの言う『特別なこと』ってやつを見つけてみろよ。
 もしもそれができたとしたら、俺がなんでも一つだけお前からの願い事を叶えてやる」

 「えっ、それって本当にマジな話なの?」

 「ああ、本当にマジな話だぞ」

 「……本当の本当の本当に?」

 「本当の本当の本当に、だ。どこぞの八大神徒様とやらの名のもとに誓ってな」


 
 なんだよ?今日はやけにしつこく聞いてくるじゃないか。



 「だったらさ。それと追加で、エドワーズのことをあたしが『一週間、好きなようにこき使う権利』もおまけで付けておいてよ?」

 「いいぞいいぞ。ついでに『女物の給仕服を着たまま、本物の従者のように俺を仕えさせる権利』ってやつも付けておいてやるよ」

 「何それ?スッゴく面白そうじゃん!!
 ――よっしゃっ!約束だからね?じゃあその日が来るのを今から楽しみにしておくわ」



 このお調子者め。始める前から既に達成した気になっていやがる。
 ステラにとっての特別なこと。それについて分かるのは当分先のことだ。
 出立の時は近い。全ての目的を終えたあとで、きっとまたこの場所に戻ってこよう。だからさ、頼むぞステラ。
 
 

 (どうかこの先もずっと変わらずに、お前はお前のままでいてくれよ?)
 
 
 



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