暗黒御伽草子 ~不死者の島~

名久井悟朗

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発狂

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 英人達はまるで醜く陰気で矮小な昆虫のように、ジメジメとした岩陰に縮こまり隠れながら休んでいた。
 今この場に肉体的な疲労を感じる者などいない。
 しかし、心が、精神が、疲労、摩耗し、すり減っていた。
 このまま歩いていては何れ死ぬ、そう明日香が小休止を提案し今に至る。
 そんな中、英人は岩場の陰で頭を抱えていた。
 一体これは何なんだ。
 どうなっている?
 死んだ!
 どれだけ死んだ!?
 彼等は?
 彼等?
 彼等は人か?
 あの化け物は何だ?
 あれは何だ?
 ここは何処だ?
 意味が分からない!
 わかりたくもない!!
 夢か?
 悪夢か?
 悪夢であってほしい。
 早く目覚めてくれ!!
 この時英人は初めて自分が置かれている理解の及ばない現状を振り返る猶予が生まれていた。
 今までは、溢れこぼれる死と理屈を超えた宇宙的恐怖、衝撃、混乱、狂気等ありとあらゆるカオスの感情が彼を支配し、それが生存欲求と合わさってわずかな正気と理性と保っていた。
 それが、一時の猶予により壊れていた均衡が崩れ、様々な感情が英人を襲った。
 理解不能が恐怖を呼び、恐怖が狂気を産む。
 狂気が目の前で起こった無数の死、死よりも残忍でおぞましい末期を肯定し、英人の心に残った理性と倫理を凌辱せんと触手を伸ばす。
 あれを見て、まだ人でいるのか。
 見知った者達があんな目にあっているのを見捨てたのは誰だ。
 狂気の魔の手を切り捨てようとする理性の刃は英人の心まで切りつける。
 助けようとした。
 本当に助けようとしたのか?
 明日香に止められて何故引き下がった?
「俺に何が出来たって言うんだ……っ」
 自問自答が口からこぼれた。
「無理だ──」
 英人の声に反応するように英人の側で誰かの声がした。
 それは、英人と同じように頭を押さえしゃがみ込んでいた生き残りの一人だった。
 英人は振り返り彼の顔を見た。
 それは一度英人に道を教えてくれた島で唯一の中学教師であったが、英人はそれに気づけなかった。
 ここまでの道程で恐怖と焦燥で彼の人相は変わり、その瞳は狂気に染まっていた。
「──無理だ無理だ無理だ無理──」
 彼は狂気の瞳でそうブツブツと言いながら己の首を掻き毟った。
 その爪は一切の躊躇なく皮膚を突き破り、その指は力の限り肉を裂いた。
「──だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無──」
 明日香と哲将とその様を見ると諦めたように溜息をつき、すぐさま興味を無くしたように顔を逸らした。
 何故そんなにすぐに諦められる!
 英人は男を止めようとその手に飛びつき抑え込んだ。
「止め、止めるんだっ……!?」
 掴み、押さえつけた手の指には、皮がこびり付いたどす黒い肉と血がべったりと絡んでいる。
「はっ、はなせぇえええぇっっ!!」
 男は力一杯英人を振り払うとその勢いに噴出したどす黒いタールのような血肉が英人に付着する。
 尻もちをついた英人は男を見上げた。
 英人を振り払い、再び喉を掻き毟り、その傷は最早喉を裂き胸にまで至っている。
 その喉から胸にかけての裂け目は、人の肉とは思えないほど黒く、粘つき、ボコボコと沸騰するように泡立ち、その零れ落ちるタールのような腐臭を放つ体液には目玉が三つ浮いていた。
 小さな物はビー玉大、大きなものは拳ほど、人の目玉ほどのそれはよく見ればその内にいくつもの小さな目玉が合わさって出来ている。
 ああ、また新しく腐肉より湧き出した目玉は一つの目玉に無数の瞳孔を持ち、それは重瞳というよりも昆虫のそれよう。
「っ……!?」
 英人が怯んだその一瞬に男は英人を押しのけ闇の中に駆け出した。
「無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理だ無理──」
「待って!」
 英人はそう叫び手を伸ばしたが、その時男は何処しれぬ闇の中。
 後に残るは、地面にこびり付いたタールのようにどす黒く粘つく腐肉とそれに混じった一つの眼球だけだった。
「くそっ!どうなっているんだ!?」
 狂ってしまいそうな意味不明の状況、自身が発狂する前に狂う他人。
 助けようと手を伸ばすもそれはすでに人間ではなく、助ける事すら叶わなかった。
 既に限界を超え、ただ慟哭する英人の手を明日香が優しく包んだ。
「大丈夫です。私がここにいます」
 寒い洞窟の中、明日香の小さな手のぬくもりだけが英人を温めた。
「明日香さん。俺……」
 言いかけ、押し黙った英人を明日香は優しく抱きしめ、ゆっくりと口を開いた。
「英人さんは助けようとした。自分だって辛いのに他人を気遣ってを助けようとした。そんな優しい事誰でも出来る事じゃありません──」
 見上げた明日香の顔は優しく、瞳は温かな愛を抱いている。
「──あの人もそうでした。いつもは何処か頼りないのにどうしようもない時、大変な時はいつも誰かを気遣って私達を助けてくれた」
 しかし、その瞳は英人ではない誰かを映していた。
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