その女、悪魔憑きにつき

犬噛 クロ

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8.悪魔たちの謝肉祭

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「景はうちの娘のせいで、歪んでしまったんだあ。あんなに可愛くていい子なのにどうにも卑屈で、すぐになんでも自分が悪いと思っちまう。もっと良いご両親のもとへ引き取られていたら、幸せになってたろうに。私ぁそれが申し訳なくて、しょうがないんだあ……」
「……………………」

 ティンカー・ベルは神妙な面持ちで、老女の話に耳を傾けている。

「勝手なお願いだけど……。どうか、どうか景を、よろしく頼みます……」

 震える声で懇願し、芽衣子は両手のひらを合わせた。

「悪魔を拝むなんて、正気の沙汰とは思えんが」
「ほんならお願いするときにぁ、どうするんだね? あれかい、十字を切るんだっけ?」
「それは悪魔を煽ってるな」

 芽衣子には景を含めて、孫が八人いるそうだ。この老婆はその一人一人に差をつけることなく――血縁のあるなしに関わらず、平等に愛を注いでいる。
 芽衣子は自分のことを「ただのおばあちゃん」というが、なかなかできることではないだろう。

「……特別なことはできない。我は、景との契約を果たすだけだ」

 善良な人間に対しては、誠実であるべきだ。それが信条のティンカー・ベルは、だから約束ができない。しかし芽衣子はくしゃっと顔にシワを寄せて笑った。

「あんたがいい人――じゃない、いい悪魔なのは知ってるよぉ。いっつも真面目に、畑を手伝ってくれるからねえ。だからあんたが景の側にいてくれるだけで、私ぁ安心だあ」
「……………………」

 ――側にいる。本当はそれが、最たる禁忌であるのに。

 そのあと、出されたお茶と漬物をすっかり平らげて、ティンカー・ベルは麻生家を出た。
 ここを訪れたとき、まだ陽は落ちきっていなかったが、今や辺りはすっかり暗い。
 都会よりも遥かに星の眩い夜空を見上げながら、ティンカー・ベルは今まで抱いていた疑問が、確信に変わるのを感じた。
 景は、きっと――。

「――だとしたらあいつは、悪魔と死神に、一生つきまとわれることになるだろう」

 口にした瞬間、ティンカー・ベルの全身はゾッと冷えた。
 急いで景のもとへ戻ろう。背中の羽を広げたところで、胸ポケットが震えた。
 電話だ。護からである。

『な、な、なんかヤバイことになった』
「ヤバイこと、とは? 具体的に言え」
『え、え、えっと……。ティンカー・ベル、こ、今回のこれ、ラファエルが開いたんだって、し、知ってた?」
「景から聞いていたが。――らふぁえる」

 その名を噛み締めて、ティンカー・ベルはしばし沈黙した。

「ラファエルって、ラファエルか? あのラファエル? つまり、本物の――」
『う、うん、本物の、死神の、ラファエル』
「――!」

 ティンカー・ベルは絶句した。
 マヌケな、あまりに愚かな話だ。奴のことは――ラファエルのことは、嫌というほど知っていたのに。
 しかし言い訳をするならばこの時代、「ラファエル」という名はあまりにありふれていた。漫画やアニメやゲームやビジュアル系バンドやら……。めちゃくちゃな当て字をして、我が子に名づける親だっているくらいである。だからまさか、本物が出張っているとは思わなかったのだ。
 ――大天使『ラファエル』。
 ティンカー・ベルは大地を蹴ると、いつもの倍以上の速度で空を駆けた。




 通話を終えて、護はスマートフォンをジーンズのポケットにしまった。
 ティンカー・ベルはすぐに来てくれるだろう。勇猛果敢なあの友人がお出ましになるまで、彼の大事な契約者を守らねば。
 護は拳を突き出し、シャドーボクシングの真似事を試みた。が、彼の細い腕が繰り出す拳はいかにも弱々しく、加えてへっぴり腰だから、頼もしさは欠片もない。

「で、デンプシーロールをお見舞いするぜ……!」

 それでもマイペースな赤毛の悪魔は満足げで、鼻歌交じりにパーティー会場へ戻ろうとした。
 電話をするのに聞こえづらいからと一旦廊下に出たのだが、辺りもだいぶ騒がしくなってきている。

「……!」

 奇妙な香りが漂ってきて、護は鼻をひくつかせた。更に目を凝らせば、空気がキラキラ輝いている。魔力を帯びた薬剤は、護の目に光って映るのだ。

「こ、これ。お、俺が作った……?」

 そうだ。仲間に頼まれて、定期的に渡している媚薬だ。理性を蕩かし、内に秘めた秘密を暴く――。ちなみに護たちはくだんの薬を悪いものではなく、「ちょっと正直になれる良いおクスリ」という認識でいる。

「げ、解毒剤あったかな……」

 悪魔や天使は魔法に耐性があるから、媚薬の効き目を少しは抑えられるが、絶対ではない。
 護が自身の服をまさぐり探してみると、解毒剤はポケットに二つ入っていた。両端をねじった紙に包まれた、まんまるのそれは、見た目飴玉のようである。

「ま、まずい……。に、にがい……」

 護はまずひとつ、自分で食べた。残りひとつの解毒剤は、景にあげるつもりだったのだが――。
 数m先に、背中を丸め、体育座りをしている女がいた。あれは確か少し前に、勝手に絡み、勝手に怒り、勝手に去っていった女だ。

「た、確か、姫名……とかいう」

 貰った名刺にあった名を、護はなんとか思い出した。
 その姫名は、どうやら狙われているようだ。ニタニタと下品な笑みを浮かべた男たちが、彼女を遠巻きに眺めている。男たちはどうやら、襲いかかるタイミングをはかっているようだ。彼らも皆、媚薬に汚染されているのだろう。
 護はつかつかと姫名に近づくと、正面にしゃがみ込み、容赦なく彼女の肩を揺さぶった。

「だ、だ、大丈夫?」

 がっくがっくと前後に振られた姫名は、かろうじて瞼を開くが、瞳は虚ろで焦点も合っていない。

「い、イケメン……抱いて」

 ぐらぐら頭を回しながら、姫名は護に抱きついてきた。

「だ、ダメだ、こりゃ」

 護は姫名を自分から引き離すと、先ほどの解毒剤を飲ませようとした。が、意識が定かではない姫名は、唇を開こうとしない。彼女の前歯に解毒剤が、虚しくカチカチと当たる。
 仕方なく護は自ら解毒剤を口に含むと、姫名にキスした。

「ああ……」

 姫名は恍惚となり、唇を緩めた。そのすきに護は、姫名の口内へ解毒剤を押し込む。
 護印のお薬は効き目も大したものだが、即効性もあるらしい。姫名はみるみる正気に戻った。

「あ、あ……! 今、あなた、私に……! ちゅ、チューした……!?」

 姫名は両手で口を押さえ、真っ赤になっている。彼女のことを虎視眈々と狙っていた男たちも、護が現れたことで諦めたのか、立ち去ったようだ。
 護の薬には、どこかの死神が作るような副作用はない。効力が抜けてしまえば、いつもどおりだ。
 姫名はもう大丈夫だろう。

「きょ、今日はもう、か、帰ったほうがいいよ」
「は、はい……」

 護は立ち上がると、姫名をその場に残し、景のもとへ向かうべく歩き出した。

「げ、げ、解毒剤、使っちゃったな……」

 燃え盛る炎のような赤い髪をかきあげながら、護はぶつぶつつぶやく。その後ろ姿が見えなくなるまで、姫名は熱のこもった目で彼を追い続けた。

「王子様……」




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