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8.悪魔たちの謝肉祭
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しおりを挟む暗い空から急降下してくる影を見上げて、景はほっと息を吐いた。
「来た来た!」
景の傍らには、護がぼんやりと立っている。
「無事か!?」
地面に降り立つやいなや、ティンカー・ベルは景の頭や肩を確かめるようにわしゃわしゃと撫でた。問題ないようなので、護に向き直る。
どうやら護の黄金の右は繰り出されず済んだようで、それはそれは幸いだった。
「本当に本当のラファエルがいたのか?」
「う、う、うん」
ティンカー・ベルの問いに、護はこっくりと頷いた。そこに景が口を挟む。
「本当に本当のラファエルさんだったよ、あれは! いやあ、芸能人はオーラが違うんだねー! びっくりしたー!」
「話がややこしくなるから、少し黙っていなさい」
ティンカー・ベルは景の額を、ぐーっと手のひらで押した。
それにしても……。ティンカー・ベルはキョロキョロと辺りを見回した。景たち三人は、『パラダイス・ロスト』の会場となったクラブの裏手で落ち合ったのだが。
「パーティーっていう割には、随分静かだな」
「そ、それが、い、色々とあって」
言いかけて、護はふうとため息をついた。
「す、スイーツが、ぜ、全然食べられなかった……」
「……平和だったようだな?」
景は苦笑いした。確かに色々あったのだが、護に説明をさせると、なにごともなかったような話になってしまう。
「まあ、いい。ラファエルに捕まる前に撤退しよう」
「わ!」
ティンカー・ベルは景の胴体を肩に担ぐと、翼を広げた。
「護も帰ったほうがいい。死神にケンカを売られたら、お前は軽く死ぬだろう」
「う、うん。に、逃げる」
そう言うと、護は化身である猫に姿を変えた。
「あ、ネコちゃんだ! 可愛い!」
「では、またな」
「ま、またね」
護――猫に触りたがる景を押さえつけて、ティンカー・ベルは空へ飛び立った。ちなみに二人の姿は、ティンカー・ベルの張った結界によって、一般の人々には見えていないはずだ。
「あ」
立ち去ろうとして、護は赤い毛に覆われた小さな足を止めた。
大事なことを言っていない。景も護の作った媚薬を吸ったのだ。どういうわけか、効果はまだ出ていないようだが。
化身を解いて、連絡を――。そうしようとしたところで、通行人に囲まれてしまった。
「あっ、ネコー!」
レジ袋を下げたうら若き女子、三人の群れだ。
このまま逃げるのも角が立つかと思い、護が「にゃー」などと鳴いてみたところ、女たちは盛り上がってしまった。
「いい子だねー! 写真取りたい! スマホ、スマホー!」
「そこのコンビニで、おつまみにカニカマ買ったんだ。ネコちゃん、食べる?」
女がカニカマを突き出してくるが、護はふんと顎を逸した。
「あれっ、嫌い?」
「てか、ネコに人間の食べものは、ヤバイでしょー」
どうして猫に化けると、人は魚介類を寄越すのか。プンプン怒りながら、護はその場を去った。
スイーツをがっぽがっぽ貢がれるような、なにか良い化身はないだろうか……。そんなことを考えて歩いているうちに、護は友人に伝えるべきことを忘れてしまった。
夜の闇を縫うように飛び、二人は景の自宅アパートへ戻ってきた。
「……………………」
自分の部屋に入る前に、景はちらっとお隣りを覗いた。そこに住んでいた沙羅は先日引っ越しており、当然、人の気配はない。
――今日は結局、沙羅さんに会えなかったなあ……。
自室に足を踏み入れると、緊張が緩んだのか、景はふらついてしまった。それをティンカー・ベルが支える。
「あ……」
いつものオーデコロンの香りを嗅ぎ、悪魔の盛り上がった腕の筋肉に触れて、景の足元はますます覚束なくなった。
「大丈夫か?」
ぐったりしている景に、ティンカー・ベルは気遣わしげに声をかけた。
離れなければ。そう思っているくせに、景はティンカー・ベルに寄りかかったままだ。
心臓の激しい鼓動が熱波を巻き起こし、景の全身を走り抜ける。
――私、病気なんだ、きっと。いや、さっきまで、元気いっぱいだったけども。
だって、そうじゃなければおかしい。体が火照り、焼け死んでしまいそうだ。きっと42℃以上、体温計を破壊するほどの高熱が出ているはず。
「すき」
うなされているかのような、どこか上の空な顔つきで、景はつぶやいた。
「お前……………………どうした?」
ティンカー・ベルが距離を取ろうとしているのが、景にも分かった。
ドン引きされたのだろう。でも、離さない。
もっともっと近く、もっともっともっと。
「おるあっ!」
景はそのままティンカー・ベルに飛びかかった。押し倒す勢いで攻めたつもりだったが、レスラー顔負けの体格をした悪魔がたかが小娘の攻撃に後れを取るわけはなく、景はあっさり彼の胸板に跳ね返されてしまった。
「ぎゃっ!?」
後ろ向きに頭からひっくり返りそうになった景を助けたのは、やっぱりティンカー・ベルだ。
「なにをやっている……」
不審と呆れが混ざった複雑な顔をして、ティンカー・ベルは景の腰と膝の裏に手を回し、軽々と抱き上げた。
「ごめん。なんか……私、変だ」
愛しい人の角の生えた頭より、上半身分高い位置で、景は首を振った。
しっかりしなければ。だが景が自身を律することができたのはほんの束の間で、心配そうに見上げる金色の瞳に射抜かれた瞬間、気づけば口を開いていた。
「すき」
壊れた機械のように、景は繰り返す。
「……なにがあった?」
明らかにおかしい景に引きずられることなく、ティンカー・ベルは冷静だ。
「なにって……」
景は『パラダイス・ロスト』で体験したことを、つっかえつっかえティンカー・ベルに話して聞かせた。
続々と行われた謎の告白。出会ったばかりのはずなのに、動物のように交尾し始めた男女。前触れとして、妖しげな香りの煙が漂い――。
「私もなんでか、今頃になって……」
「……………………」
ティンカー・ベルは大まかに事情を察した。
「妖しげな香りの煙」。景の奇行の原因と思われるそれは、人間の作った薬やガスの類ではないだろう。人にはこれほど強力な言動を操るなにがしを、作ることはできない。景と「パラダイス・ロスト」の参加者がおかしくなったのは魔法か、悪魔の作った薬のせいだ。
後者であれば心当たりがある。ティンカー・ベルが親しい赤い猫の悪魔ならば、簡単に拵えることができるはずだ。――ついさっき合流したとき、薬の作成者たる彼は、それらしきことをなにも言っていなかったが。
「護のやつ、忘れてたな……」
友人のポヤッとした性格を熟知しているティンカー・ベルは、ため息をついた。
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