その女、悪魔憑きにつき

犬噛 クロ

文字の大きさ
20 / 60
3.夢で逢えたら

2

しおりを挟む

 エスプレッソにチョコレートシロップを投入。オーダーどおり増量したホイップクリームをトッピングし、ココアパウダーを振りかける。ふんわり可愛く盛り上がったデコレーションを崩さないようにドーム型の蓋を被せて、紙袋に詰めた。

「はい、カフェモカ、ホイップクリーム多め。お待たせしました!」
「ありがとー、景ちゃん」

 大蔵田 景が差し出した紙袋をレジの向こうで受け取ったのは、元モデルで現在はファッションコラムニストの肩書を持つ、水谷 花憐である。
 スタイル抜群でそこらの芸能人以上に可愛い花憐は、どこからどう見ても地味子の景とは、本来だったら縁などできようはずもない人物だった。しかしとある事件がきっかけで二人は出会い、今ではすっかり仲良しだ。
 しかも驚くべきことに花憐は、一般人の中の一般人である景のファンだという。景の作るスイーツやドリンクが、とても好きなのだそうだ。
 カフェ「ファウスト」では、客に提供する飲食物のレシピは厨房内で統一されている。だから誰が作っても同じ味になるはずなのだが……。しかし花憐いわく、「景ちゃんが作るとひと味ちがう」のだそうだ。

「本当はパンケーキ食べたいんだけど、今日は時間がなくて。だからその代わり、めっちゃ甘いドリンクを……えへへ」

 そう言って花憐は、あどけなく笑った。
 悲壮さを感じさせるほどストイックだった花憐は、しかし先月の一件以来、少しだけ自分に甘くなったようだ。それでも彼女に太ったとかどうとかの劣化は見受けられない。むしろ顔色はいいし、肌や髪などはスベスベつやつやと輝きを増しているしで、ますます魅力的になったのではないかと景は思っている。

「来週、また期間限定のメニューが始まるから、食べに来てね」
「絶対来る!」

 花憐は拳を握って、またの来店を誓った。

「……………………」

 笑顔で去っていく花憐を、客席に陣取り、横目で追いかけている男がいる。眼鏡を掛けた小太りの、加えてネルシャツにチノパンという、「流行なんて追ったら負け」という主張が迸るファッションの青年である。
 花憐が出て行き、店の自動ドアが閉まったところで、男は持っていたスマートフォンに視線を戻そうとした。その段になって、自分を凝視している景と目が合う。
 この男は、「ベルゼブブ」という名の悪魔である。
 文句でもあるのか。威嚇するように睨んでくる男から逃げるように、景は近くの壁時計に目をやった。もう休憩時間から数分過ぎている。

「休憩入りまーす」

 カフェ「ファウスト」では休憩中、店のドリンクを一杯無料で飲んでいいことになっている。
 景はカフェラテを作ってロッカールームに戻り、腰に巻くタイプのエプロンを外した。その上からパーカーを着る。こうすればパッと見、店員だとは気づかれないだろう。
 景はカフェラテを持って客席へ向かうと、ベルゼブブの前に腰を下ろした。

「お仕事終わったのに、まだ通ってくれてるの? うちの店、気に入ってくれた?」
「ふん、まあまあだ」

 ベルゼブブのトレイには、空の皿が乗っている。恐らくパンケーキを食べたのだろう。それも、クリームたっぷりの……。ほかにもコーヒーに入れたのか、スティックシュガーの空き袋がたくさん転がっていた。
 よくまあこんなに甘いものを、一度に口にできるものだ。気分が悪くなったりしないのだろうか。悪魔だから平気なのだろうか。

「でも昼間っからこんなところにいて、次のお仕事はいいの?」
「うるせえな。俺様は人間みたいに、あくせく働かんでもいいんだ」
「あ、もしかして、仕事がないとか?」
「……………………」

 ベルゼブブは黙ってしまった。
 まあ確かに、本体が巨大なハエである彼に、仕事を頼もうという人間はそういないかもしれない。
 外見が悪すぎるのだ。害虫の代表格であるハエだなんて、不潔でおぞましい感じがするし。どうせ頼むなら、もっと綺麗な悪魔にお願いしたいと思うのが人情だろう。
 そこでふと、景は気になった。

「やっぱりベルたんも、お仕事はサイトで募集してるの?」
「ベルたんて言うな! ――サイト? なんの話だ」

 ベルゼブブは景を窘めたあと、きょとんと目を丸くした。

「悪魔って、ネットで仕事を募集してるんじゃないの? 私はティンカー・ベルのことを、メールやサイトで知ったんだけど」
「なんだそれ、初耳だぞ。あー、でもティンカー・ベルは甕(もたい)とも仲いいし、ありえるかもなー」
「もたい?」
「なんだよ、俺にも声をかけてくれればいいのに」

 景の問いかけを無視し、ベルゼブブはブツブツ文句を言っている。
「甕」とは誰のことだろう。しかしそれよりも疑問なのは――。

「じゃあベルたんと、ベルたんにお仕事を依頼したいって人は、どうやって知り合うの?」
「俺様ほどの悪魔ならば、わざわざネットで宣伝しなくても有名だからな。由緒ある文献を探れば、俺様を呼び出す魔法陣くらいいくらでも載ってるし、ほっとけば人間から寄ってくる」

 しかし実際のところ、ベルゼブブには仕事が入ってこず、暇を持て余しているようだが……。
 そのあたりの事情には触れない優しさを発揮し、景は重ねて尋ねた。

「じゃあ先月のことは、あすなちゃんが自分で調べて、ベルたんを呼び出したってこと?」

 神戸 あすな。一ヶ月前にベルゼブブと契約を交わした、人気モデルである。
 しかし現代的でスタイリッシュな容貌のあすなが、悪魔や魔法などに詳しかったとは信じ難い。
 悪魔を召喚するには、魔法陣や呪文を用いた儀式が不可欠なのだ。あのあすなが、そんなおどろおどろしいことをやってのけたとは、到底思えないのだが……。
 景の予想に反して、ベルゼブブはあっさり頷いた。

「お手のもんだろ。あの女はマニアだったからな」
「マニアって、オカルトの!? えっ!?」

 驚きのあまり、景の声は一段大きくなる。

「普通に多いんだぞ、そういう奴は。スピリチュアルがどうとかから始まって、神社巡りやパワーストーンのブレスをし出すあたりで止まればいいが、それを越えると、ずぶずぶとオカルトの沼に沈む」
「な、なるほど……」
「そういや、神戸 あすなといえば……」

 ベルゼブブはニヤニヤしながら、景に自分のスマホを見せた。

「あいつ、捕まってやんの。どうしようもないアホだな! せっかく望みどおり、花憐が第一線から退いたっつーのに」

 ベルゼブブのスマホに表示されていたネットニュースには、「人気モデル、神戸 あすな、逮捕!」の見出しが踊っていた。記事を読み進めてみれば、危険ドラッグを乱用中、自動車事故を起こし逃走。その後、逮捕されたとある。そのうえ事故を起こした際に同乗していたのが、既婚者の人気ミュージシャンだったらしく、芋づる式に不倫もバレた。トリプル役満である。

「うわーあ……。悪魔の力なんて借りるから」
「おい、それは関係ねーだろ。ま、因果関係はあるかもしれねーけど」

 ベルゼブブはどこか面白そうに続けた。

「心の不安定な奴が、悪魔の力を借りたがるのか。悪魔の力を借りると、不安定になるのか」
「……どっち?」
「さあな」

 景は己を省みた。

 ――私の場合は、前者だ。

 寂しくて寂しくて、ティンカー・ベルを呼び出した。あのときは命を奪われてもまあいいかと、緩やかではあるが思い詰めていたのだ。

 ――私だって、まともじゃないんだろうなあ……。

 景は苦い思いを噛み締めつつ、神戸 あすなに関するネットニュースを眺めた。

「あすなちゃんが大活躍なんて、納得できなかったから……。だって、花憐ちゃんを陥れようとしたんだよ? だから今回のこれは、ざまあみろって思っちゃう。でももう全部チャラだから、あすなちゃんにも立ち直って欲しいな」
「おうおう、きれいごとを言うじゃねーか」
「うるさいなー。だって私、人間だもん」

 良いことも悪いことも考えるのが人間なのだ。そう思いながらベルゼブブと軽口を叩き合っていると、声をかけられた。

「おはようございます、景さん」

 店の入り口からまっすぐ近づいてくるのは、カフェ「ファウスト」の同僚たちだ。景と歳の近い、聖と姫名である。
 聖たちが現れると、ベルゼブブは景から自分のスマホを奪い返し、唐突にゲームをやり始めた。あからさまな避け方だが、ベルゼブブは人見知りするタチなのだろうか。

「あ、おはよー。二人は三時からだっけ」
「そうです。あ、そういえば聞きました? 店長のお兄さんがね……」

 聖と景が会話している間、姫名はじろじろと不躾にベルゼブブを眺め回した。

「ねえ、景さあん。こっちの人ぉ、景さんの彼氏ですかあ? ふふっ、お似合いですねえ」

 皮肉のつもりなのだろうか。
 しかし、ベルゼブブのことはどう紹介したらいいか。景が迷っていると、当の悪魔が素早く代わりに答えてくれた。

「はあ? こんなブスが、俺の女のわけ、ねーだろうが」
「えー、やだー、ひどーい。ブスだなんて、景さん、カワイソー」

 姫名はケラケラ笑い、景は苦笑した。ベルゼブブの毒舌というか、まんま悪口でしかない言いようにはもう慣れた。
 そう、慣れたはずだったが……。間を置かず吐き出された彼の次の発言には、さすがに景もぎょっとなった。

「おい、ブスニ号。お前、便秘持ちか? 口がうんこくせーんだよ。こっち向いてしゃべんな」

 直前まで大笑いしていた姫名は、みるみる眉を吊り上げ、鬼の形相になった。

「ハァ!? なに言ってんのよ、このブタがあっ! 人にそんな悪口、言える立場だと思ってんの!?」
「だから、くせーつってんだろ。こっち見んな」

 ベルゼブブはインパクト大の先制口撃を果たした。その後、姫名がいくらぎゃあぎゃあ騒ごうとも、既に勝敗は決している。

「死ねよ、クソ男!」

 捨て台詞を残し、姫名はプリプリ怒りながら、店の奥へ行ってしまった。涼しい顔でスマホをいじっているベルゼブブの横で、聖は腹を抱えて笑っている。

「ははっ! あんた、口悪いなあ」
「あんたって言うな、ブス三号」
「じゃあ名前教えろや、おっさん」

 負けず劣らず乱暴な物言いの聖は、微笑んでいる。そんな彼女の顔をちらちらと見上げながら、ベルゼブブは答えた。

「俺様の名は、伊集院 爽(いじゅういん そう)だ」
「いじゅういん……!?」

 なんという華麗なご芳名なのか。
 偽名にもほどがある。驚愕の面持ちになった景を、ベルゼブブはじろっと睨んだ。

「伊集院? 顔に似合わず、綺麗な名前だな。伊集院さん、どんなゲームやってんの?」

 聖はベルゼブブのスマホの画面を、ひょいと覗き込んだ。

「あー! あんたも『キャット・ブルー・GO』やるんだ! あっ、しかも『ウルトラスーパーレア』持ってるじゃん! さては廃人だな!? 金、いくらぶっ込んだんだよ!?」
「ああ? 人の勝手だろーが! だいたい俺様たちが課金してやってるおかげで、お前ら貧乏人がタダでプレイできるんだからな? 感謝しろ!」
「感謝する、する! ねっ、フレンドになってくれない? 七面がクリアできなくてさー」
「しょうがねーな」

 聖は大いにはしゃぎ、一見クールに対応しているかのようなベルゼブブもまた、注意深く観察すれば、浮かれているのだと分かる。地の底を這うような低音の声が、若干上ずっているのだ。この悪魔はどうやら、若い女の子が好きらしい。

「起動するから、ちょっと待ってね。えーと……」

 聖が自分のスマホを操作し始め、こちらから気が逸れたところで、景はベルゼブブにこっそり話しかけた。

「いじゅういん、て……」
「悪魔は普段、偽名を使うんだよ。『真実の名』を知られれば、魔法でどんな悪さをされるか分かんねーからな」
「へえー」

 それにしても「伊集院 爽」とは仰々し過ぎないかと思うが、景はひとまず納得した。

「じゃあもしかしたらティンカー・ベルっていうのも偽名で、本名は別にあるのかなあ」
「あ? 知らねー」

 ベルゼブブはなぜか不機嫌そうだ。

「ん? ティンカー・ベルはベルたんの本名を知ってるのに、ベルたんはティンカー・ベルのを知らないの?」

 悪気ない質問のつもりだったが、ベルゼブブは神経を逆なでされたらしく、小声で怒鳴った。

「うるっせーな! ああ、そーだ! あいつは俺の名前を知ってるけど、俺はあいつの名前を知らねー!」

 一息に吐き出してすっきりしたのか、ベルゼブブはいつもの調子に戻ってつけ足した。

「てか、俺だけじゃねーよ。ティンカー・ベルの『真実の名』は、本人以外誰も知らねーんだ」
「誰も?」
「おい、伊集院! ID教えろ!」

 不意に聖が会話に乱入する。

「なんだ、その上からの態度はァ!」
「ごめんよ、伊集院様。お前のID、教えてくださいませ」

 もっと根掘り葉掘り聞いてみたかったが、ベルゼブブは聖とのやり取りに戻ってしまった。景は諦めて、すっかり冷めてしまったカフェラテを飲んだ。
 しかし以前ティンカー・ベルは、自身の名を、当時のブームに乗ったキラキラネームだと語っていた。あれはどこまで本当のことだったのだろう……?


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

処理中です...