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3.夢で逢えたら
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しおりを挟むエスプレッソにチョコレートシロップを投入。オーダーどおり増量したホイップクリームをトッピングし、ココアパウダーを振りかける。ふんわり可愛く盛り上がったデコレーションを崩さないようにドーム型の蓋を被せて、紙袋に詰めた。
「はい、カフェモカ、ホイップクリーム多め。お待たせしました!」
「ありがとー、景ちゃん」
大蔵田 景が差し出した紙袋をレジの向こうで受け取ったのは、元モデルで現在はファッションコラムニストの肩書を持つ、水谷 花憐である。
スタイル抜群でそこらの芸能人以上に可愛い花憐は、どこからどう見ても地味子の景とは、本来だったら縁などできようはずもない人物だった。しかしとある事件がきっかけで二人は出会い、今ではすっかり仲良しだ。
しかも驚くべきことに花憐は、一般人の中の一般人である景のファンだという。景の作るスイーツやドリンクが、とても好きなのだそうだ。
カフェ「ファウスト」では、客に提供する飲食物のレシピは厨房内で統一されている。だから誰が作っても同じ味になるはずなのだが……。しかし花憐いわく、「景ちゃんが作るとひと味ちがう」のだそうだ。
「本当はパンケーキ食べたいんだけど、今日は時間がなくて。だからその代わり、めっちゃ甘いドリンクを……えへへ」
そう言って花憐は、あどけなく笑った。
悲壮さを感じさせるほどストイックだった花憐は、しかし先月の一件以来、少しだけ自分に甘くなったようだ。それでも彼女に太ったとかどうとかの劣化は見受けられない。むしろ顔色はいいし、肌や髪などはスベスベつやつやと輝きを増しているしで、ますます魅力的になったのではないかと景は思っている。
「来週、また期間限定のメニューが始まるから、食べに来てね」
「絶対来る!」
花憐は拳を握って、またの来店を誓った。
「……………………」
笑顔で去っていく花憐を、客席に陣取り、横目で追いかけている男がいる。眼鏡を掛けた小太りの、加えてネルシャツにチノパンという、「流行なんて追ったら負け」という主張が迸るファッションの青年である。
花憐が出て行き、店の自動ドアが閉まったところで、男は持っていたスマートフォンに視線を戻そうとした。その段になって、自分を凝視している景と目が合う。
この男は、「ベルゼブブ」という名の悪魔である。
文句でもあるのか。威嚇するように睨んでくる男から逃げるように、景は近くの壁時計に目をやった。もう休憩時間から数分過ぎている。
「休憩入りまーす」
カフェ「ファウスト」では休憩中、店のドリンクを一杯無料で飲んでいいことになっている。
景はカフェラテを作ってロッカールームに戻り、腰に巻くタイプのエプロンを外した。その上からパーカーを着る。こうすればパッと見、店員だとは気づかれないだろう。
景はカフェラテを持って客席へ向かうと、ベルゼブブの前に腰を下ろした。
「お仕事終わったのに、まだ通ってくれてるの? うちの店、気に入ってくれた?」
「ふん、まあまあだ」
ベルゼブブのトレイには、空の皿が乗っている。恐らくパンケーキを食べたのだろう。それも、クリームたっぷりの……。ほかにもコーヒーに入れたのか、スティックシュガーの空き袋がたくさん転がっていた。
よくまあこんなに甘いものを、一度に口にできるものだ。気分が悪くなったりしないのだろうか。悪魔だから平気なのだろうか。
「でも昼間っからこんなところにいて、次のお仕事はいいの?」
「うるせえな。俺様は人間みたいに、あくせく働かんでもいいんだ」
「あ、もしかして、仕事がないとか?」
「……………………」
ベルゼブブは黙ってしまった。
まあ確かに、本体が巨大なハエである彼に、仕事を頼もうという人間はそういないかもしれない。
外見が悪すぎるのだ。害虫の代表格であるハエだなんて、不潔でおぞましい感じがするし。どうせ頼むなら、もっと綺麗な悪魔にお願いしたいと思うのが人情だろう。
そこでふと、景は気になった。
「やっぱりベルたんも、お仕事はサイトで募集してるの?」
「ベルたんて言うな! ――サイト? なんの話だ」
ベルゼブブは景を窘めたあと、きょとんと目を丸くした。
「悪魔って、ネットで仕事を募集してるんじゃないの? 私はティンカー・ベルのことを、メールやサイトで知ったんだけど」
「なんだそれ、初耳だぞ。あー、でもティンカー・ベルは甕(もたい)とも仲いいし、ありえるかもなー」
「もたい?」
「なんだよ、俺にも声をかけてくれればいいのに」
景の問いかけを無視し、ベルゼブブはブツブツ文句を言っている。
「甕」とは誰のことだろう。しかしそれよりも疑問なのは――。
「じゃあベルたんと、ベルたんにお仕事を依頼したいって人は、どうやって知り合うの?」
「俺様ほどの悪魔ならば、わざわざネットで宣伝しなくても有名だからな。由緒ある文献を探れば、俺様を呼び出す魔法陣くらいいくらでも載ってるし、ほっとけば人間から寄ってくる」
しかし実際のところ、ベルゼブブには仕事が入ってこず、暇を持て余しているようだが……。
そのあたりの事情には触れない優しさを発揮し、景は重ねて尋ねた。
「じゃあ先月のことは、あすなちゃんが自分で調べて、ベルたんを呼び出したってこと?」
神戸 あすな。一ヶ月前にベルゼブブと契約を交わした、人気モデルである。
しかし現代的でスタイリッシュな容貌のあすなが、悪魔や魔法などに詳しかったとは信じ難い。
悪魔を召喚するには、魔法陣や呪文を用いた儀式が不可欠なのだ。あのあすなが、そんなおどろおどろしいことをやってのけたとは、到底思えないのだが……。
景の予想に反して、ベルゼブブはあっさり頷いた。
「お手のもんだろ。あの女はマニアだったからな」
「マニアって、オカルトの!? えっ!?」
驚きのあまり、景の声は一段大きくなる。
「普通に多いんだぞ、そういう奴は。スピリチュアルがどうとかから始まって、神社巡りやパワーストーンのブレスをし出すあたりで止まればいいが、それを越えると、ずぶずぶとオカルトの沼に沈む」
「な、なるほど……」
「そういや、神戸 あすなといえば……」
ベルゼブブはニヤニヤしながら、景に自分のスマホを見せた。
「あいつ、捕まってやんの。どうしようもないアホだな! せっかく望みどおり、花憐が第一線から退いたっつーのに」
ベルゼブブのスマホに表示されていたネットニュースには、「人気モデル、神戸 あすな、逮捕!」の見出しが踊っていた。記事を読み進めてみれば、危険ドラッグを乱用中、自動車事故を起こし逃走。その後、逮捕されたとある。そのうえ事故を起こした際に同乗していたのが、既婚者の人気ミュージシャンだったらしく、芋づる式に不倫もバレた。トリプル役満である。
「うわーあ……。悪魔の力なんて借りるから」
「おい、それは関係ねーだろ。ま、因果関係はあるかもしれねーけど」
ベルゼブブはどこか面白そうに続けた。
「心の不安定な奴が、悪魔の力を借りたがるのか。悪魔の力を借りると、不安定になるのか」
「……どっち?」
「さあな」
景は己を省みた。
――私の場合は、前者だ。
寂しくて寂しくて、ティンカー・ベルを呼び出した。あのときは命を奪われてもまあいいかと、緩やかではあるが思い詰めていたのだ。
――私だって、まともじゃないんだろうなあ……。
景は苦い思いを噛み締めつつ、神戸 あすなに関するネットニュースを眺めた。
「あすなちゃんが大活躍なんて、納得できなかったから……。だって、花憐ちゃんを陥れようとしたんだよ? だから今回のこれは、ざまあみろって思っちゃう。でももう全部チャラだから、あすなちゃんにも立ち直って欲しいな」
「おうおう、きれいごとを言うじゃねーか」
「うるさいなー。だって私、人間だもん」
良いことも悪いことも考えるのが人間なのだ。そう思いながらベルゼブブと軽口を叩き合っていると、声をかけられた。
「おはようございます、景さん」
店の入り口からまっすぐ近づいてくるのは、カフェ「ファウスト」の同僚たちだ。景と歳の近い、聖と姫名である。
聖たちが現れると、ベルゼブブは景から自分のスマホを奪い返し、唐突にゲームをやり始めた。あからさまな避け方だが、ベルゼブブは人見知りするタチなのだろうか。
「あ、おはよー。二人は三時からだっけ」
「そうです。あ、そういえば聞きました? 店長のお兄さんがね……」
聖と景が会話している間、姫名はじろじろと不躾にベルゼブブを眺め回した。
「ねえ、景さあん。こっちの人ぉ、景さんの彼氏ですかあ? ふふっ、お似合いですねえ」
皮肉のつもりなのだろうか。
しかし、ベルゼブブのことはどう紹介したらいいか。景が迷っていると、当の悪魔が素早く代わりに答えてくれた。
「はあ? こんなブスが、俺の女のわけ、ねーだろうが」
「えー、やだー、ひどーい。ブスだなんて、景さん、カワイソー」
姫名はケラケラ笑い、景は苦笑した。ベルゼブブの毒舌というか、まんま悪口でしかない言いようにはもう慣れた。
そう、慣れたはずだったが……。間を置かず吐き出された彼の次の発言には、さすがに景もぎょっとなった。
「おい、ブスニ号。お前、便秘持ちか? 口がうんこくせーんだよ。こっち向いてしゃべんな」
直前まで大笑いしていた姫名は、みるみる眉を吊り上げ、鬼の形相になった。
「ハァ!? なに言ってんのよ、このブタがあっ! 人にそんな悪口、言える立場だと思ってんの!?」
「だから、くせーつってんだろ。こっち見んな」
ベルゼブブはインパクト大の先制口撃を果たした。その後、姫名がいくらぎゃあぎゃあ騒ごうとも、既に勝敗は決している。
「死ねよ、クソ男!」
捨て台詞を残し、姫名はプリプリ怒りながら、店の奥へ行ってしまった。涼しい顔でスマホをいじっているベルゼブブの横で、聖は腹を抱えて笑っている。
「ははっ! あんた、口悪いなあ」
「あんたって言うな、ブス三号」
「じゃあ名前教えろや、おっさん」
負けず劣らず乱暴な物言いの聖は、微笑んでいる。そんな彼女の顔をちらちらと見上げながら、ベルゼブブは答えた。
「俺様の名は、伊集院 爽(いじゅういん そう)だ」
「いじゅういん……!?」
なんという華麗なご芳名なのか。
偽名にもほどがある。驚愕の面持ちになった景を、ベルゼブブはじろっと睨んだ。
「伊集院? 顔に似合わず、綺麗な名前だな。伊集院さん、どんなゲームやってんの?」
聖はベルゼブブのスマホの画面を、ひょいと覗き込んだ。
「あー! あんたも『キャット・ブルー・GO』やるんだ! あっ、しかも『ウルトラスーパーレア』持ってるじゃん! さては廃人だな!? 金、いくらぶっ込んだんだよ!?」
「ああ? 人の勝手だろーが! だいたい俺様たちが課金してやってるおかげで、お前ら貧乏人がタダでプレイできるんだからな? 感謝しろ!」
「感謝する、する! ねっ、フレンドになってくれない? 七面がクリアできなくてさー」
「しょうがねーな」
聖は大いにはしゃぎ、一見クールに対応しているかのようなベルゼブブもまた、注意深く観察すれば、浮かれているのだと分かる。地の底を這うような低音の声が、若干上ずっているのだ。この悪魔はどうやら、若い女の子が好きらしい。
「起動するから、ちょっと待ってね。えーと……」
聖が自分のスマホを操作し始め、こちらから気が逸れたところで、景はベルゼブブにこっそり話しかけた。
「いじゅういん、て……」
「悪魔は普段、偽名を使うんだよ。『真実の名』を知られれば、魔法でどんな悪さをされるか分かんねーからな」
「へえー」
それにしても「伊集院 爽」とは仰々し過ぎないかと思うが、景はひとまず納得した。
「じゃあもしかしたらティンカー・ベルっていうのも偽名で、本名は別にあるのかなあ」
「あ? 知らねー」
ベルゼブブはなぜか不機嫌そうだ。
「ん? ティンカー・ベルはベルたんの本名を知ってるのに、ベルたんはティンカー・ベルのを知らないの?」
悪気ない質問のつもりだったが、ベルゼブブは神経を逆なでされたらしく、小声で怒鳴った。
「うるっせーな! ああ、そーだ! あいつは俺の名前を知ってるけど、俺はあいつの名前を知らねー!」
一息に吐き出してすっきりしたのか、ベルゼブブはいつもの調子に戻ってつけ足した。
「てか、俺だけじゃねーよ。ティンカー・ベルの『真実の名』は、本人以外誰も知らねーんだ」
「誰も?」
「おい、伊集院! ID教えろ!」
不意に聖が会話に乱入する。
「なんだ、その上からの態度はァ!」
「ごめんよ、伊集院様。お前のID、教えてくださいませ」
もっと根掘り葉掘り聞いてみたかったが、ベルゼブブは聖とのやり取りに戻ってしまった。景は諦めて、すっかり冷めてしまったカフェラテを飲んだ。
しかし以前ティンカー・ベルは、自身の名を、当時のブームに乗ったキラキラネームだと語っていた。あれはどこまで本当のことだったのだろう……?
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