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4.私を食べて
8(完)
しおりを挟む――長い映画を観ているようだった。
ティンカー・ベルの過去になにがあったのか。景は彼の中に入り込み、経験を共にすることで、全てを知った。
思い返せば、夢の序盤、青い壁にぶつかったとき、パスワードやその他を求めてきたのは、あの痩せ細った少女の声だった。そしてあの子こそが、ティンカー・ベルにティンカー・ベルの名を与えた人物だったのだ。
「あの子は……」
瞼を開けると同時に、景の眼尻からは涙が零れ落ちた。――止まらない。
少女の名は、高槻 愛莉鈴(たかつき ありす)といった。景とは縁もゆかりもない、赤の他人だ。しかし。
「あの子は、私だ……。私と同じだ……」
愛莉鈴を、ティンカー・ベルは救った――。
景は布団に横たわったまま、枕が濡れるのも構わず泣き続けた。
数日後、景の部屋を訪ねてきたティンカー・ベルは、以前と変わらずにこやかに迎えられ、面食らった様子だった。
「ごめんね。今日はバイトが終わるの遅くなって、ご飯作ってないんだ。たまにはどこか外に食べに行く?」
「……?」
悪魔を恐れない。悪魔に怯えない。散々脅かして、負の暗示をかけたのに。
それならば、もう一度。靴も脱がず、玄関の三和土で羽を広げ、ティンカー・ベルは邪悪なる波動を放たんとする。そんな彼を、景はじっと見詰めた。
「ダメだよ、もう。怖がらせようとしたって、無駄だからね。だって、知ってるもん。ティンカー・ベルが、どんなに優しいか。あなたはありすちゃんを食べたりしなかった。血を一滴、飲んだだけ。そして彼女を――彼女の一部を、吸収した。それが人喰い。――ありすちゃんを、助けてあげたんだよね?」
「……!」
ティンカー・ベルの顔に、驚きの表情が浮かんだ。
この悪魔が昔なにをしたのか、景が知る術はない。――手助けをした輩がいる。
そんなもの、誰かは決っている。唯一の共通の知人、ベルゼブブだろう。
そういえば先日、奴に髪を抜かれなかったか? ベルゼブブは「白髪だ」と言ったが、あれは嘘だったに違いない。
髪や爪など、体組織を入手できれば、その持ち主の情報を探ることができる。例えばなにか抱えている秘密はないか、覗き見ることだってできるのだ。
情報漏えいを防ぐため、ティンカー・ベルは己に防御魔法をかけている。が、景ならば、突破することは可能だろう。
なぜならティンカー・ベルは、景にだけは心を許しているから。
「油断したな……」
ティンカー・ベルは広げた羽を畳み、ため息をついた。うなだれる彼を見て、景は寂しそうに微笑んだ。
「私もいつか、ティンカー・ベルに食べてほしいな……。血だけといわず、骨までバリバリと! なんの手助けにもならないし、あんまり美味しくないかもしれないけど……。あっ! 私を食べたら、料理が作れるようになるかもよ!」
ティンカー・ベルは顔を上げ、場違いに明るく振る舞う景の顔を見詰めた。
二人の目が合う。
「わた、わたし……!」
景は両の拳を握り締め、腹に力を込めた。
「ティンカー・ベルのことが、好き……!」
もう誤魔化せない。
――私はこの情の深い悪魔が大好き。
声を震わせながら、しかし景ははっきり自分の気持ちを伝えた。
「……!」
ティンカー・ベルは殴られたように、顔をしかめた。それを見て、景の胸に痛みが走る。
――やってしまった。
ティンカー・ベルは再び顔を伏せた。
「お前の想いに応えることはできない……」
「あっ、うん! いいの、いいの!」
「なぜなら悪魔は、人間の悪しき部分を」
「いいんだって、いいんだって! もういいの!」
ティンカー・ベルの言葉を遮るように、景は両腕を突き出した。
これ以上、なにも言わなくていい。
――だって、分かってたもの。
頭も良くなくて可愛くなくてスタイルも悪くて性格もねじ曲がり親にも愛されず友達もいなくて嫌われて嫌われて嫌われて誰にも愛されたことがなくこれからも愛されない。
そんな自分が恋をするなんて。しかも、強く美しい悪魔を好きになるなんて。図々しいにも程があるというものだ。
――気を遣わせて、悪かったなあ……。
好意を受け入れてもらえなかったことを悲しむ前に、景はティンカー・ベルに余計な気苦労をかけてしまったことを申し訳なく思った。
「ごめ……」
謝ろうとしたところで、勝手に涙が零れ落ちる。
それを見たティンカー・ベルは、ぎょっと金色の目を丸くした。
「なぜ泣く。お前は誤解している。我の話を最後まで聞け」
「――や、だ。もういいの……っ!」
これ以上、惨めになりたくない。景は両耳を塞いでしまった。
ティンカー・ベルは景の両腕を掴んで、引っ張り上げる。
「なにもかも、お前のためなのだ。いいか、よく聞け。我だって、お前のことが――」
「けいちゃーん」
二人がすったもんだと揉めている後ろで、ドアが開いた。
「お客さんからお菓子いっぱいもらったんだけど、ちょっといらなーい? 良かったら、彼氏さんと食べて~」
扉の隙間から顔を出したのは、隣室に暮らす女性だった。お互い女の一人暮らしだからと、なにかと景のことを気にかけてくれている。ティンカー・ベルが初めて現れ、一騒動になりかけたときも、駆けつけてくれた。ちなみに名は、沙羅(さら)さんという。
「あらっ、彼氏さん、来てたの! こんばんは……?」
まずは挨拶の言葉を口にし、しかし景とティンカー・ベル、二人の様子を目の当たりにした途端、沙羅の表情は強張った。
「ちょっと! あんた、なにやってんの!? 暴力!? DV!? 警察呼ぶわよ!」
沙羅は部屋の中に飛び込んでくると、悪魔と景を引き離し、庇うように景を抱き締めた。
「我は乱暴などしていない」
「じゃあ、浮気!? 借金!? 景ちゃん、泣いてるじゃないの!」
沙羅の目にティンカー・ベルは、二メートル近くある筋骨隆々の大男として写っているはずだ。そんな相手に少しも怯まず、沙羅は闘志を剥き出しにして怒鳴った。
沙羅は女性にしては背が高いので、景は彼女の胸に抱かれる格好になった。そうしていると温かくて安心するが、誤解は解かなければ。
「ち、違うの、沙羅さん。彼は悪くないの、私が、私がね……」
景は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、必死に訴えた。しかし嗚咽混じりでなにを言っているのか要領を得ず、むしろかえって沙羅の同情と正義感を煽ってしまったらしい。
沙羅は怒りの炎が宿った目で、ティンカー・ベルを睨みつけた。
「こんな状態で話し合っても、碌なことにはなんないから! ともかく、今日は帰んな! お互いクールダウンしなさい!」
「う、うむ」
景に泣かれたことで元より動揺していたティンカー・ベルは、沙羅の忠告に素直に従い、背中を丸めてトボトボ帰っていった。
悪魔が姿を消してからも、景は彼を庇い続けた。
「あのね、ほんとに……ほんとに、あの人は悪くないの。私がね、私が勝手に調子に乗っちゃって」
「んーん、景ちゃん。女の子を泣かす男は、それだけで万死に値するわ。彼氏さんも反省しないと」
男女平等の時代に、その考えはどうだろう。
しかし自分を抱き、頭を撫でてくれる手があまりに気持ち良くて、景はしばらく甘えることにした。
沙羅の優しさは、失恋の傷を癒やしてくれる。
――ティンカー・ベルが次に来たとき、ちゃんと謝ろう。
オムライスとパンケーキを用意して。
彼と一緒にいられる。それだけで満足するべきなのだと、景は改めて自分に言い聞かせた。
~ 終 ~
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