その女、悪魔憑きにつき

犬噛 クロ

文字の大きさ
32 / 60
4.私を食べて

8(完)

しおりを挟む



 ――長い映画を観ているようだった。
 ティンカー・ベルの過去になにがあったのか。景は彼の中に入り込み、経験を共にすることで、全てを知った。
 思い返せば、夢の序盤、青い壁にぶつかったとき、パスワードやその他を求めてきたのは、あの痩せ細った少女の声だった。そしてあの子こそが、ティンカー・ベルにティンカー・ベルの名を与えた人物だったのだ。

「あの子は……」

 瞼を開けると同時に、景の眼尻からは涙が零れ落ちた。――止まらない。
 少女の名は、高槻 愛莉鈴(たかつき ありす)といった。景とは縁もゆかりもない、赤の他人だ。しかし。

「あの子は、私だ……。私と同じだ……」

 愛莉鈴を、ティンカー・ベルは救った――。
 景は布団に横たわったまま、枕が濡れるのも構わず泣き続けた。




 数日後、景の部屋を訪ねてきたティンカー・ベルは、以前と変わらずにこやかに迎えられ、面食らった様子だった。

「ごめんね。今日はバイトが終わるの遅くなって、ご飯作ってないんだ。たまにはどこか外に食べに行く?」
「……?」

 悪魔を恐れない。悪魔に怯えない。散々脅かして、負の暗示をかけたのに。
 それならば、もう一度。靴も脱がず、玄関の三和土で羽を広げ、ティンカー・ベルは邪悪なる波動を放たんとする。そんな彼を、景はじっと見詰めた。

「ダメだよ、もう。怖がらせようとしたって、無駄だからね。だって、知ってるもん。ティンカー・ベルが、どんなに優しいか。あなたはありすちゃんを食べたりしなかった。血を一滴、飲んだだけ。そして彼女を――彼女の一部を、吸収した。それが人喰い。――ありすちゃんを、助けてあげたんだよね?」
「……!」

 ティンカー・ベルの顔に、驚きの表情が浮かんだ。
 この悪魔が昔なにをしたのか、景が知る術はない。――手助けをした輩がいる。
 そんなもの、誰かは決っている。唯一の共通の知人、ベルゼブブだろう。
 そういえば先日、奴に髪を抜かれなかったか? ベルゼブブは「白髪だ」と言ったが、あれは嘘だったに違いない。
 髪や爪など、体組織を入手できれば、その持ち主の情報を探ることができる。例えばなにか抱えている秘密はないか、覗き見ることだってできるのだ。
 情報漏えいを防ぐため、ティンカー・ベルは己に防御魔法をかけている。が、景ならば、突破することは可能だろう。
 なぜならティンカー・ベルは、景にだけは心を許しているから。

「油断したな……」

 ティンカー・ベルは広げた羽を畳み、ため息をついた。うなだれる彼を見て、景は寂しそうに微笑んだ。

「私もいつか、ティンカー・ベルに食べてほしいな……。血だけといわず、骨までバリバリと! なんの手助けにもならないし、あんまり美味しくないかもしれないけど……。あっ! 私を食べたら、料理が作れるようになるかもよ!」

 ティンカー・ベルは顔を上げ、場違いに明るく振る舞う景の顔を見詰めた。
 二人の目が合う。

「わた、わたし……!」

 景は両の拳を握り締め、腹に力を込めた。

「ティンカー・ベルのことが、好き……!」

 もう誤魔化せない。

 ――私はこの情の深い悪魔が大好き。

 声を震わせながら、しかし景ははっきり自分の気持ちを伝えた。

「……!」

 ティンカー・ベルは殴られたように、顔をしかめた。それを見て、景の胸に痛みが走る。

 ――やってしまった。

 ティンカー・ベルは再び顔を伏せた。

「お前の想いに応えることはできない……」
「あっ、うん! いいの、いいの!」
「なぜなら悪魔は、人間の悪しき部分を」
「いいんだって、いいんだって! もういいの!」

 ティンカー・ベルの言葉を遮るように、景は両腕を突き出した。
 これ以上、なにも言わなくていい。

 ――だって、分かってたもの。

 頭も良くなくて可愛くなくてスタイルも悪くて性格もねじ曲がり親にも愛されず友達もいなくて嫌われて嫌われて嫌われて誰にも愛されたことがなくこれからも愛されない。

 そんな自分が恋をするなんて。しかも、強く美しい悪魔を好きになるなんて。図々しいにも程があるというものだ。

 ――気を遣わせて、悪かったなあ……。

 好意を受け入れてもらえなかったことを悲しむ前に、景はティンカー・ベルに余計な気苦労をかけてしまったことを申し訳なく思った。

「ごめ……」

 謝ろうとしたところで、勝手に涙が零れ落ちる。
 それを見たティンカー・ベルは、ぎょっと金色の目を丸くした。

「なぜ泣く。お前は誤解している。我の話を最後まで聞け」
「――や、だ。もういいの……っ!」

 これ以上、惨めになりたくない。景は両耳を塞いでしまった。
 ティンカー・ベルは景の両腕を掴んで、引っ張り上げる。

「なにもかも、お前のためなのだ。いいか、よく聞け。我だって、お前のことが――」
「けいちゃーん」

 二人がすったもんだと揉めている後ろで、ドアが開いた。

「お客さんからお菓子いっぱいもらったんだけど、ちょっといらなーい? 良かったら、彼氏さんと食べて~」

 扉の隙間から顔を出したのは、隣室に暮らす女性だった。お互い女の一人暮らしだからと、なにかと景のことを気にかけてくれている。ティンカー・ベルが初めて現れ、一騒動になりかけたときも、駆けつけてくれた。ちなみに名は、沙羅(さら)さんという。

「あらっ、彼氏さん、来てたの! こんばんは……?」

 まずは挨拶の言葉を口にし、しかし景とティンカー・ベル、二人の様子を目の当たりにした途端、沙羅の表情は強張った。

「ちょっと! あんた、なにやってんの!? 暴力!? DV!? 警察呼ぶわよ!」

 沙羅は部屋の中に飛び込んでくると、悪魔と景を引き離し、庇うように景を抱き締めた。

「我は乱暴などしていない」
「じゃあ、浮気!? 借金!? 景ちゃん、泣いてるじゃないの!」

 沙羅の目にティンカー・ベルは、二メートル近くある筋骨隆々の大男として写っているはずだ。そんな相手に少しも怯まず、沙羅は闘志を剥き出しにして怒鳴った。
 沙羅は女性にしては背が高いので、景は彼女の胸に抱かれる格好になった。そうしていると温かくて安心するが、誤解は解かなければ。

「ち、違うの、沙羅さん。彼は悪くないの、私が、私がね……」

 景は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、必死に訴えた。しかし嗚咽混じりでなにを言っているのか要領を得ず、むしろかえって沙羅の同情と正義感を煽ってしまったらしい。
 沙羅は怒りの炎が宿った目で、ティンカー・ベルを睨みつけた。

「こんな状態で話し合っても、碌なことにはなんないから! ともかく、今日は帰んな! お互いクールダウンしなさい!」
「う、うむ」

 景に泣かれたことで元より動揺していたティンカー・ベルは、沙羅の忠告に素直に従い、背中を丸めてトボトボ帰っていった。
 悪魔が姿を消してからも、景は彼を庇い続けた。

「あのね、ほんとに……ほんとに、あの人は悪くないの。私がね、私が勝手に調子に乗っちゃって」
「んーん、景ちゃん。女の子を泣かす男は、それだけで万死に値するわ。彼氏さんも反省しないと」

 男女平等の時代に、その考えはどうだろう。
 しかし自分を抱き、頭を撫でてくれる手があまりに気持ち良くて、景はしばらく甘えることにした。
 沙羅の優しさは、失恋の傷を癒やしてくれる。

 ――ティンカー・ベルが次に来たとき、ちゃんと謝ろう。

 オムライスとパンケーキを用意して。
 彼と一緒にいられる。それだけで満足するべきなのだと、景は改めて自分に言い聞かせた。




~ 終 ~


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

処理中です...