その女、悪魔憑きにつき

犬噛 クロ

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5.教えて、偉い人

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 講義が行われる教室の、隣りの部屋にて。席は、受講者たちの話す内容がお互い聞こえないよう、離されている。景のほかにも、別に二組が面談していた。

「さ、座ってちょうだい」
「は、はい。失礼します」

 景の正面に、瓜生は座っている。

 ――美人だなあ~……。

 失礼とは思うものの、景はつい瓜生の顔を不躾に眺めてしまった。
 日本人離れしているというのか、瓜生は目がぱっちりと大きく、鼻も高い。ぽってりとした厚めの唇もセクシーだ。しかもなんだか、とてもいい匂いがする……。

「大蔵田 景さん。あら、まだハタチ! そういえば、お肌もピカピカね。羨ましいわ~」
「い、いえ、そんな」
「お若い方はほかに楽しいことがたくさんあるから、なかなか先のことを考えられないのよね。しょうがないことなのだけど。でも歳を取ってから後悔なさっている女性を、私はたくさん見てきました。その点、大蔵田さんは偉いわ。ちゃんと将来のことを考えていらっしゃるのね」
「いや、その」

 目を瞠るような美貌を持ち、そのうえ社会的にも成功している。自分とは違う世界に生きる、天上人のような人に褒められて、景はすっかり恐縮してしまった。

 ――それに、言えない……。好きな人のために、婚活しようとしてるなんて……。

 自分が幸せになりたいのは、ティンカー・ベルのためだ。しかし我に返って考えてみると、相当ややこしい状況ではないか。というか、歪んでいるような……。
 その後、瓜生は、学歴や職歴、長所や短所など、当たり障りのない事柄を質問した。ひととおり聞き終えると、彼女は書き留めていた書類から顔を上げ、景の顔をじっと見詰めた。

「大蔵田さん。あ、景さんてお呼びしてもいいかしら?」
「はっ、はい! お呼びしてください! あ、いえ! 呼んでください! 是非!」
「うふ、ありがとう」

 瓜生はにっこり笑ってから、声のトーンを一段階下げた。

「かなりプライベートに突っ込んだことをお聞きするけど、許してね。でもどうか正直に答えて欲しいの」
「は、はい……?」

 瓜生の顔つきは真剣そのものだ。和やかだったムードが一変し、緊張感が走る。景はごくりと息を呑んだ。

「景さん、男性とおつき合いしたことはある?」
「い……いいえ……」
「そう。ということは、経験はないのかしら?」
「けいけん?」

 なにについて問われているのか分からず、景はきょとんとなる。
 瓜生は肘を机につき、組んだ指を口元に当てた。優しそうだった茶色の瞳が、今はハンターのように鋭く光っている。

「――セックスの」

 ズバッと切り込まれた途端、景は火を点けられたように真っ赤になった。

「なっ、ななななないです!」

 手と首を同時にぶんぶん横に振り、否定する。友達同士でも話さないようなことを、こんな綺麗な人に、しかも単刀直入に聞かれるとは思わなかった。

「そう……。そうね、あなたはとても清らかな感じがしますものね」

 単に奥手でモテないだけなのだが、それを良いことのように言ってもらって、景はますます恥ずかしくなった。

「まともな男性は、異性関係が豊富な女性を敬遠するもの。あなたの純真さは大いなる美点よ。そこを損なわないように、一緒にステップアップしていきましょうね」

 瓜生はもうすっかり元に戻り、優しく微笑んでいる。
 面談は、以上で終わった。
 翌日より、受講者たちは、ニ、三人ずつのグループに分けられた。その単位でディスカッションをしたり、ロールプレイングなどの実習をしたりするのだそうだ。
 景は両隣りに座っていた人たちと、そのまま同じグループになった。稲荷さんと団三(だんざ)さんだ。彼女たちのフルネームは稲荷 洋子さん、団三 麻実子さんというそうだ。

「それではたった今勉強した、男性に好かれる笑顔や仕草を取り入れて、お話してみてください。グループ内で各々確認し合ってね」
「は~~~い」

 セミナーは、のんびりほのぼのと進んでいった。
 景はこういった集まりに参加するのが初めてだったから、てっきりスパルタ方式でビシビシ指導されるものだと、戦々恐々としていたのだが。

 ――だってテレビだと、先生がヒステリックに怒鳴ってたし……。

 しかし今回の「目指せ! 婚活無双」は、景のイメージと全く違っていた。
 瓜生は声を尖らせたり、厳しい態度を取るようなことが一切ない。優雅で、思いやりがあって、温和だった。

「ええ、ええ、ユウコさん。あなたの会話の運び方、素晴らしいわ。それでね、お話をするとき、語尾をもうちょっとだけ短くすると、完璧よ」
「はい、先生!」

 まず褒めてから、手ほどきをするのが瓜生スタイルだ。甘く見えるかもしれないが、いい大人を教育する場合は有効な手段なのかもしれない。こうすれば受講者もプライドを損なわず、素直に助言を受け取ることができるからだ。

「ええ、ええ、景さん。あなたは本当に気づかいが上手ね。男性は、あなたのようなソフトな女性を求めますからね。せっかくだから、声は大きく出しましょうね」
「は、はい!」

 景もたくさん褒められ、気持ち良くしてもらってから、瓜生からのアドバイスを受け取った。そしてたどたどしくも、それらを懸命に身につけていったのだった。

 日々は過ぎ、セミナーも佳境に入った。受講者もお互いの人となりは、おおよそ分かるようになっている。
 例えば、景と同じグループの稲荷 洋子さん。三十代半ばで痩せぎすの彼女は自信家で、なにかと突っかかってくるのだった。

「へ~、知ってるよ。『ファウスト』って、あの人気のカフェだよね? 大蔵田さん、そこで働いてるんだ~? でも、バイト? 非正規だよね? 今はいいかもだけどぉ、年取ったらどうするのぉ?」

 稲荷は某メガバンクの行員をしているそうな。自身の職歴が申し分ないからか、仕事や収入についてのマウンティングが激しかった。

 ――どこかで見たことがあるタイプだな……。

 稲荷さんと話すたび、同僚の姫名のことを思い出して、景は苦笑してしまった。
 もう一人、同じグループの団三 麻実子さんはおとなしくて、いつもニコニコしている。年齢は二十二歳で、専門学校を卒業してからは、本屋で働いているそうだ。アニメやゲームが好きで、そういう趣味だと嫁き遅れるに違いないと心配したご両親が、今回のセミナーに参加することを強く勧めたとのこと。

「あ、私もあの漫画好きなんです! ヒーロー役がかっこ良くて」
「あの作者さんの描く男キャラっていいですよね! あと別の作品で……」

 景と団三が話しているところへ、稲荷はよく割り込んでくる。

「私、知ってる~! 団三さんて、腐女子ってやつでしょ? 同僚にもいるんだよね~。なんか気持ち悪いし、闇を抱えてるっていうかあ。団三さんも悩みがなさそうで、実は……? なんてね! あはは!」
「いえ、私は腐女子ではないです。ていうか、腐女子っていうのは、BLとかが好きな」
「えー、一般人からしたら、みんな一緒だよ! オタク、オタク! 現実から目を逸しちゃダメですよー! しっかりして~!」

 稲荷は団三の趣味や、ほかにもふくよかな体型について、盛んにいじるのが常だった。

「……………………」

 団三さんは説明するのを諦めたようだ。やがて飽きたのか、稲荷さんは別のグループに突撃していった。

「気にすることないですよ……。人の好みについて、とやかく言ってくるほうがおかしいんですから。誰にも迷惑かけてないのに!」

 景にしては珍しくプンプン怒りながら、団三をフォローする。

「うん、ありがとう」

 団三は強張っていた表情を緩めた。――が、目は笑っていない。

「やっぱ歳取ったババアは余裕なくなるよね。もう更年期が始まってるのかな? ああいう風にはなりたくないから、やっぱり私は早く結婚したいな」
「……………………」

 団三は団三で、同じ女性としては聞くに堪えない、辛辣な毒を吐いた。もしかしたら、おっとりしているように見えて、実は気が強いのかもしれない。

 マウンティング女子、オタク女子、地味系女子。
 問題児揃いの景のグループを、しかし講師の瓜生はなにかと気にかけてくれている。そして景はもちろんのこと、稲荷も団三も、瓜生には敬意を払っているようだ。

「瓜生さんみたいな女の人になりたいよね~!」
「教えてくださるテクニックも役に立つと思うけど、それよりも瓜生さんの立ち居振る舞いを真似したほうが、素敵な女性になれそうですよね~!」

 性格も立場も違う景たち三人だったが、瓜生に対する見解だけは一致していた。憧れの女性だ。
 こうしてセミナーは、残すところ、あと五日間となった。




 ――はあー。今日もいい講義だったな~。

「目指せ! 婚活無双」終了後、景は帰り道にあるカフェで一息ついていた。敵情視察というわけでもないが、カフェを見かけるとつい足を踏み入れてしまう。
 店内は満席だ。頼んだコーヒーをもうじき飲み終わるところで、見慣れた人影が入店してきた。
 瓜生 恭香だ。

 ――先生もお帰りになる前に、一休みかな?

 瓜生は景に気づくことなく、早足で一直線に化粧室へ消えた。

 ――混んでるし、戻っていらっしゃったら、席を譲ろう。

 そう思いながら、景は残りわずかなコーヒーをちびちび飲んだ。
 しかしいくら待てども、瓜生は戻ってこない。かれこれ二十分は経ったところで、景は心配になり、化粧室に向かった。

 ――もしかして気分が悪いとか、倒れてるとか……?

 化粧室は、入ってすぐのところに大きな鏡の貼られた手洗い場があり、その奥がトイレになっている。
 化粧室の重たい扉を開けると、すぐそこに瓜生が立っていた。こちらに背中を向ける格好で、手を洗っている。

 ――大丈夫だったのね……。

 ホッとして声をかけようとした景は、だが躊躇う。手を、水が流れっぱなしの蛇口に近づけ、必死に擦り合わせている瓜生には、ただならぬ気配が漂っていたのだ。

「ああっ、もう! 汚い! 汚い!」

 どんなものに触れたのか、瓜生は石鹸をありったけ手に塗りたくり、バシャバシャと勢い良く洗い流している。目の前の鏡に彼女の顔が写っているが、優しそうな垂れた目は吊り上がっていて、まるで鬼の形相だった。
 一体なにがあったのだろう。
 やがて憎々しげな、彼女のつぶやきが聞こえてきた。

「クソが! クソが! 握手だ? 気安く触るんじゃねえよ、ブスどもが! 穢れが伝染るんだよッ!」

 瓜生は顔の売れた人気者だから、セミナーの受講者はもちろん、町を歩く一般の人からも声をかけられることがままあるらしい。握手やサインを求められることも。それらの要求に、彼女は快く応じていると言っていた。しかし実は――。

 ――そんなことを思ってたんだ……!

 普段は礼儀正しく、笑顔を絶やさない瓜生の、これが本音なのか。彼女の裏の顔を知ってしまった景は、大きな衝撃を受けた。
 向こうが気づいていないことを幸いに、景は化粧室の扉をそっと閉めて、カフェの自分の席に戻った。

 ――瓜生さんが、あんな人だったなんて……。

 置きっぱなしだったトレイとカップを返し、店を出るが、足元がグラグラして、悪夢の中にいるようだった。




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