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3.「黄金ウサギ」の昼と夜
2.
しおりを挟む翌日は快晴だった。むしむしと湿度が高く、じっとしていても汗が滲み出てくる。
そんな初夏の昼日中、営業時間外の「黄金ウサギ」を訪問したのは、ますます不快指数を上げる男だった。
「いやあ、本当にお美しいお嬢様ばかりで! こりゃ役得ッス!」
そう軽薄に言い放つ男は、茶色の巻き毛の上にちょこんと乗せたハンチング帽をぐっと掴みながら、高らかに笑った。
彼の名はアルマン。人気雑誌の記者である。
「そちら支配人、オースティンさんでしたっけ? まったくうらやましいなあ! 俺っちも、こんなちまちました書きものなんかやめて、美女に囲まれて仕事したいッスよ!」
攣りそうなほど顎を上げて、アルマンは傍らに控えているヘクターに話しかけた。身長が一六○cmほどしかない彼が、長身の支配人の顔色を伺おうとすると、どうしてもそうなる。
背が低く童顔のアルマンと、年齢はまあまあ若いが、苦労を重ねたせいか老けて見えるヘクターが並ぶと、まるで親子のようでおかしかった。
「おっと、無駄口叩いてる場合じゃなかったッス」
「そうですね。夕方の営業開始時間までには、終わらせていただかないと」
「ええ、もちろん。夜の彼女たちを買えるほどの予算は、とてもとても下りないッス」
アルマンのほかにはカメラマンが一名。彼らは「黄金ウサギ」へ、取材にやって来たのである。
トーシャイト共和国のこの時代における高級娼婦とは、そこいらの女優やモデルよりもずっと人気があり、民衆の注目を集める存在であった。
流行の先端を行き、美を極める。「生きた宝石」と呼ばれる彼女らの行く末は、有力者の妻あるいは愛人、果てはその発言力を生かしてタレントや実業家と、華麗な転身を図る者も少なくない。
現役のみならず引退後も、威風堂々と闊歩する女たち。
そんな高級娼婦たちが普段どういった生活をしているのか、人々は大いに関心を示しているのだとか。
そういったわけで、このたび「黄金ウサギ」の女たちが、雑誌に取り上げられることになったのだ。
「はい、それじゃあ、次はあなた。写真を撮らせてくださいね。――ああ、美人ッスねえ! じゃあそのまま、ちょーっとだけお話聞かせてくださいね!」
記者は店の中でも人気の高い数名の女たちを選び、写真を撮ると、そのあと簡単なインタビューを行なった。
娼婦たちも、まるでスターにでもなったかのような扱いがまんざらでもないらしく、機嫌がいい。
取材は円満に進んだ。
アルマンはさすがに手馴れており、話術も巧みだった。女たちを褒めそやし、口を軽くさせる。そうしておいて、欲しい情報を聞き出すのだ。
――なるほど、こうすればいいのか。
寡黙で無愛想なせいか、店の女たちに嫌厭されがちなヘクターである。下手なことを記事にされないよう監視していたに過ぎない彼も、この童顔の記者の仕事のやり方には学ぶところが多かったようだ。
「ええと、次は……。フロレンツィアさん!」
「はい」
アルマンの呼び出しに応じて、奥から「黄金ウサギ」の看板娼婦、フロレンツィアが現れる。
形良く巻かれた、鮮やかな金色の髪。肌は陶磁器のように白く、体つきは華奢だが出るべきところは出ており、豊満である。そして、整った顔だち――。
男ならば誰もが欲するだろう完璧な女が、硬いヒールの音を響かせ、ゆっくりと近づいてくる。
アルマンもカメラマンも息をすることすら忘れ、ただ一心にフロレンツィアを見詰めた。
「ここに座ればいいのかしら?」
「あっ、ああ! はい、そうッス!」
ようやく我に返った記者たちの指示どおり、彼らの前の椅子に、フロレンツィアは腰を下ろした。
「ふああああ! これはまた、お綺麗な人ッスねえ!」
「ありがとう」
称賛など慣れっこだ。フロレンツィアはお愛想程度に微笑んだ。
彼らの様子を、ヘクターは内心ハラハラしつつ見守った。
フロレンツィアは頭が良く、空気も読めるが、それ以上に気位が高い。自分から場を壊しには行かないが、売られたケンカは買うタイプなのである。
ちらりとアルマンの顔を覗くと、彼の目は獲物を狙う獣のように、ギンギンに光っていた。
――荒れる予感がする。
娼館の支配人として様々な男と接してきたヘクターは、アルマンに特有の匂いを感じ取っていた。
頭の中で、警笛が鳴る。
「じゃあ、まず写真を撮らせてもらって。おやおや、お高そうなピアスですねえ。どなたからの贈り物ですか? 指輪もドレスも。それだけで何人の孤児が救われるんでしょうねえ」
「………………」
正義漢気取りのアルマンの嫌味を受け流し、フロレンツィアはカメラのレンズに向かって微笑んだ。
――やっぱり。
この記者は、女性へのアプローチの仕方が屈折しているのだ。
店の女たちへにこやかに接するアルマンの、その大きくくりくりした瞳の奥は決して笑っていないことに、ヘクターはとうに気づいていた。
アルマンのような男は、普段は温和な性格を装っているが、プライベートで、特に好意を持った異性に対しては、驚くほど意地悪く豹変する。そうやって気を引き、かつ優位に立とうとするのだ。
「お休みの日はなにをされて? ほうほう、友達に会いに行ったり? へえ~、ここからお出かけするなら、自動四輪車は必須ですよねえ? さすがさすが、天下の『黄金ウサギ』。女性ひとりの外出に超高級な乗りものを出動させるんッスねえ~。知ってます? 自動四輪車一台は、庶民の生涯賃金並みのお値段だってこと」
「……………」
これまでの娼婦たちへの聞き取りは、せいぜい五分。それなのにフロレンツィアへ対するそれは、もう三十分にもなろうとしていた。
アルマンは基本的にはおだてて、だが時折悪意と冗談、どちらとも取れる質問を混ぜて、フロレンツィアにぶつけている。それらの言葉の礫を、だがフロレンツィアは上手にかわしている。
――もうそろそろいいだろう。
これだけ時間を割けば、「店の宣伝になるから」と、取材を承諾したオーナーのもくろみは十分果たせたはずだ。
ヘクターがインタビューの打ち切りを申し出ようとしたそのとき、アルマンの口角が極端に上がった。
「あなた、お客さんにもこんな風に、いい加減な感じなんスか? それでお金を貰ってるんですか? ――いいッスよねえ、お気楽で。でも、俺っちの書き方によっては、世の中のバッシングを一気に受けますよ? 炎上ッス、炎上! そしたらもう、そんな人を小馬鹿にしたような態度は取れなくなる。もう少し謙虚になったらいかがッスか?」
――なんだそれは。
脅しのつもりだろうか。背も器も小さい男だ。
だが確かに奴を無闇に怒らせて、事実無根の中傷記事でも書かれれば、店の営業に差し支える。
どう抗議しようか――。ヘクターが考えあぐねている前で、フロレンツィアはこれまでの歓談中で一番華々しく笑った。
「あら、娼婦が羨ましいの? あなた、アルマンさんだったかしら。あなたもやってみればいいじゃない。小柄だし、女の子の格好がとてもよく似合いそうよ。きっと上等なお客様たちが、あなたのその小さなケツの穴に、札束をねじ込んでくださるわ」
「……!」
アルマンは最初目を丸くし、次に子供のようなその顔を悪鬼の如く歪めた。
――レフェリーストップだ。
怒りのあまり言葉が出てこないらしい記者の、完敗である。
だが、「試合に勝って、勝負に負けた」だろうか。
報復が恐ろしい……。
「申し訳ありませんが、そろそろ開店の準備に入る時間ですので」
これ以上、諍いが発展しないよう、ヘクターは慌てて止めた。
「あ、ああ、すみませんね、長居しちゃって! ありがとうございました! 本誌に載るのを、楽しみにしていてくださいね! たっぷり誌面を割いて、あなたのことは書かせていただくッス!」
アルマンは見苦しく脅しつけたが、フロレンツィアの笑みは濃くなるばかりだった。
――最初から戦いになっていないのだ。
「ええ、今日はどうもありがとう。実はね、そちらの出版社の大株主は、私の古くからのお客様なの。今回のお話をいただいたとき、嬉しくて、ついその方にお教えしてしまったのよね」
「おお……かぶぬし……?」
「そのお客様ったら、ご贔屓にしてくださっている私が誌面を飾るのを、とても楽しみにしてくださっていて。あとであなたのお名前を伝えておくわ。私の記事を書くのは、この人よってね。――せいぜい目をかけてあげてねって」
「……!」
アルマンの顔は、みるみる引き攣っていった。
記者たちが引き揚げていったあと、精神力を削られて疲労困憊のヘクターは、重々しいため息をついた。
本日の取材元は大手出版社ではあったが、大物政治家や貴族、富豪を客に持つフロレンツィアの、所詮敵ではない。
しかし今回は撃退したが、あのアルマンという記者は執念深そうだった。どうにも安心できない。小物な分、ペンの暴力を容赦なくぶつけてきそうな気がするのだ。
――それにしても。
ヘクターはふっと笑みをこぼした。
『あなたもやってみればいいじゃない』
フロレンツィアのあの啖呵を久しぶりに聞き、懐かしい気分だった。
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