鴉取妖怪異譚

松田 詩依

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第弐話「幽霊屋敷」

幽霊屋敷・伍

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 鴉取の部屋である二〇一号室を起点に、三毛縞は二階、一階と全ての部屋を見回ってきた。
 そしてここ一〇一号室が最後の部屋となる。三毛縞は鴉取から渡された鍵を使い部屋に足を踏み入れた。
 各部屋の間取りは場所によって左右対称になっている所もあるが、作りはどこも殆ど変わりはなかった。
 玄関扉の先には真っ直ぐな廊下が伸びており、居間へ向かう途中に便所と台所へ続く扉が二つ。どちらも広々とはいえないものだが使い勝手は良さそうだ。
 廊下最奥の扉の向こうには八畳程の居間が台所と繋がっている。その奥には主寝室。一人暮らしをするには十分すぎる広さ。日当たりも良好で、景色も悪くはない。
 和室がなく畳の匂いを感じないのは寂しいことだが、こんな場所で執筆できたなら心だけでも売れっ子作家の気分に浸れそうだ。
 三毛縞はそんなことを考えながら、がらんどうの居間の中央で懐から一冊の帳簿を取り出した。
 鴉取がいっていた「手掛かり」とはこの帳簿のことだった。其処には几帳面な綺麗な字でこの幽霊屋敷に住んでいた人物の氏名と、各々が見たであろう怪奇現象について時系列順に事細かに記述されている。



一〇四号室 猪俣 文雄いのまたふみお
職業 教師
一九〇九年 八月入居 十一月退居
夜な夜な上階から足音が聞こえるとの報告アリ。
しかし当時上階の二〇四号に入居者はいなかった。

二〇二号室 鮎川 一之あゆかわかずゆき
職業 板前見習い 
一九〇九年 九月入居 翌年三月退居
部屋の扉が叩かれ、開けるも誰もいない。その現象が度々続く。
当時他の住居人がおり問い詰めるが心当たりがないという。
その後、深夜に老婆の笑い声が聞こえ始め慌てて逃げ出した。





一〇三号室 白鳥 春代しらとりはるよ 女
職業 舞台女優
一九一二年 六月入居 同月退居
鏡で身なりを整えていると、背後に長髪の女を見たとの報告。
振り返っても其処には誰もいなかった。
時折部屋の物が動いていたりと不気味な現象に悩まされ、入居した月に退去。

一〇一号室 井守 真いもりまこと 男
職業 雑誌編集
一九一二年 九月入居 翌年三月退居
寝室天井に人の顔が浮かんで見えたとの報告アリ。
夜な夜な聞こえる足音。室内に感じる気配。不気味な笑い声にも悩まされていた。
最終的に枕元に幼女が佇んでいるのを目撃し耐えきれなくなり、退去。



 帳簿には最も古い一九〇八年から、最後の住人であった井守が出て行くまでの情報が詳細に記録されていた。
 この洋館、元は貿易商の英国人家族が暮らしていたのを鴉取が貰い受けアパートに改築したとのことだ。
 鴉取は学校を卒業後直ぐにこの屋敷に住み始め、賃貸業を始めるまでに数年一人で暮らしていたが、その間住人が述べた怪異に遭遇したことはないらしい。
 怪奇現象が起こり始めたのはここ数年の話。明治中期辺りから存在していたこの屋敷は数年の間に「幽霊屋敷」と恐れられる様になってしまったのであった。

「人の顔、ねぇ」
 井守が天井に人の顔を見たという問題の寝室に入る。
 彼がそうしたとおり床に寝転んで天井を見上げてみるが、真っ白な天井と吊り下がり照明が見えるのみで変わったところは特にない。
 じっと目を凝らすと天井に僅かな染みが見えたが、どう目を凝らしてもそれが顔に見えることもなかった。
 おまけに井守は視力が極端に悪い。就寝時には眼鏡を外しているだろうし、灯もない夜ならばこの染みも目にも止まることはないだろう。

「——さっぱりわからない」

 全ての部屋を見回り、率直な見解を三毛縞は一人声を出した。
 怪異の正体を突き止めるとはいったが、正直お手上げ状態だ。
 足音に始まり、老婆の笑い声、髪の長い女、天井の顔、扉を叩く音、枕元に佇む幼女——住人が遭遇したこれらの怪奇現象には統一性がなさすぎるのだ。
 流石にこれだけ目撃談があればなにかしら対策をしている筈の鴉取は、それらを見ていないという。
 かつて鴉取がいっていた。怪異とは天災のようなもので原因はあれどいつ起きるかは誰にもわからない。怪異は故意に起きることはなく、人間がたまたま巻き込まれるだけだ——と。
 住人たちが遭遇した怪異に鴉取は巻き込まれていないのか。そして三毛縞もまだ巻き込まれてはいないのか——それとも怪異が起きる条件が揃っていないのか。
 目撃談は総じて夜だ。今はまだ日が高く明るい。魑魅魍魎が動き出すとしたら深夜に違いない。
 これ以上この部屋でじっと考えていても埒が明かない。一度鴉取の部屋に戻って、情報を整理することにしよう。
 一応見ず知らずの人間を泊めようとしているのだ、部屋を自由に使うことも彼ならきっと許してくれる気がした。 

「何かわかったかな? 三毛縞先生」

 部屋から出て鍵を閉めたところで、二階から鴉取が顔を出して三毛縞を見下ろしていた。

「いえ、まだ何も。情報を整理したいのですが、お部屋を使わせて頂いてもいいですか?」
「嗚呼、勿論。好きに使ってくれて構わないよ。まだまだ時間はあるからな、頑張ってくれ」

 鴉取は真っ黒な外套を羽織って階段を降りてきた。足元近くまで覆うそれを着ていると正に烏の様に真っ黒だ。

「お出掛けですか?」
「ちょっとした野暮用だ。夜は遅くなるから留守を頼んでも良いかな?」

 一瞬当然のように了承しようとしたところで、三毛縞ははたと気がついた。

「それは構わないんですけど。その……どこの馬の骨とも知らない僕を信用して良いんですか? 貴方の部屋を荒らすかもしれないし、何か大切な物を盗むかもしれない」

 三毛縞は悪い顔を浮かべるが、鴉取は気にした様子なく三毛縞の元へ歩み寄る。

「くくっ……悪ぶったところで君が人畜無害なのは見て明らかだ。そもそも本当の悪人はそんなことをいわないよ」
「人畜無害って……」
「君は信用に足る男だ、といっているんだよ」

 鴉取は手で口元を押さえながらくつくつと笑い、三毛縞の横を通り過ぎた。
 貶されているのか、褒められているのか。相変わらず鴉取の真意は汲み取れない。
 そのまま歩みを進めようとした三毛縞がはたと気つく。
 彼は帰りが夜遅くといっていた、此処で聞くべきことを聞いておかなければあっという間に制限時間の翌朝が来てしまうではないか。

「鴉取!」

 扉を開けかけたその黒い背中に声をかけた。
 鴉取はゆっくりと振り返り、どうした、と首を傾げる。つい昔の癖で呼び捨てにしてしまったことに、彼は全く気にしていない様だ。

「お聞きしても良いですか」
「私に答えられることであれば」
「——怪異と、幽霊は違うものなのですか」

 その質問に鴉取は僅かに目を丸くした後、可笑しそうににんまりと口が弧を描いた。
 ——違う。と。

「幽霊とはこの地を彷徨う死者が形を成したもの。つまり我々と同じく幽霊には意志がある。幽霊が起こす怪奇現象と呼ばれる類は特定の人物への怨念だったり、人を驚かそうという意図的なものだ。だが、怪異は違う。怪異が生まれる原因が良いものであれ、悪いものであれ、当人に怪異を起こしているという意識はない。誰を傷つけようとも喜ばせようとする明確な意志はないんだ」
「怪異に意志はない」
「そう。あくまでも我々は怪異に巻き込まれるだけだよ」

 鴉取は頷くと、扉を開け外に出た。
 ゆっくりと閉まっていく扉の中で、鴉取はもう一度三毛縞に向かって言葉を投げた。

「君の着眼点は合ってるよ。だからもう一つ手掛かりを渡そう。心霊現象か、怪異かの二択に分けるのであれば、この幽霊屋敷は怪異に巻き込まれている。では、期待しているよ。三毛縞公人大先生」

 鴉取が不敵に笑みを浮かべた瞬間、ばたんと扉が閉ざされた。
 足音が遠ざかり屋敷内はしんと静寂に包まれる。

「……あいつ、やはり答えを知ってるな」

 あの自信満々の笑み、先程の言葉。
 三毛縞の読みどおりであれば鴉取はこの幽霊屋敷の正体を知っているのだ。
 これは自分に対する挑戦状だろう。解けるものなら解いてみろ、自分の隣に並べるものなら並んでみろと彼なりの挑発に違いない。
 いつも鴉取は三毛縞の数歩先をいっていた。
 彼に敵うことはできないと分かっているが、友人として好敵としてこの賭けに三毛縞は何としても勝ちたかった。
 怪異と幽霊の違い——先ほどの鴉取の手掛かりで分かってきたこともある。

「……やってやる」

 間も無く日が落ちる。制限時間までは後半日と少し。
 諦めることなく動き続けよう。曲がりなりにも作家なのだ。物語を想像することだけには長けている。
 三毛縞は新たな話が思い浮かんだ時の様に、高揚した表情を浮かべながら帳簿を握りしめ鴉取の部屋へと戻っていった。
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