ロイレシア戦記:赤の章

方正

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第十九話

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 私の言葉を耳にした彼は豪華な椅子から身を乗り出して、立ち上がる。
 椅子に立て掛けていた長剣を抜いて、私たちの方へと怒りの形相を浮かべて近づいてきた。
「ワシはまだ死ぬわけにはいかぬのだ!」
ヴァンがクレイモアを握りしめて構えたが、私が腕で制した。
 ヴァンは驚いた顔をして私を見つめていたが無視して前に出る。
 サーベルを抜いて、剣先を左手で軽く触る。
 大丈夫、あと一人ぐらいは切れそうだ。
「姫様。危ないです!」
彼の方を向いて少しだけ微笑んだ。
「大丈夫ですから、見ておいてください」
そして、ヴァンは不満そうな表情をしたまま、クレイモアを下げた。
「死ね!貴様はワシが殺してやる」
ゆっくりと歩みを進めるとサーベルを軽く振る。
 白く伸びた髭と髪、大きく膨れ上がれた腹。かつては有能な指揮官だったと聞いていたがその面影は全く感じない。
 お互いの武器が届く位置で立ち止まった。
 その体型で武器がまともに振るえるのだろうか。そう考えてしまうと思わず笑ってしまいそうになる。
 怒りで冷静さを失い、自分では武器を振るう事がどうかも怪しい。
 兵士としては失格だ。こんな将軍の下に付けられた部下たちが可哀そうに思える。
 かと言って長剣の刃を身に当たれば血は流れる。ここは手早く終わらせよう。
「それほど、お怒りにならなくてもよろしいのに。私を討ち取ればより名を上げることができますよ?」
彼の顔から歯ぎしりをする音がした。憎しみを込めた表情を浮かべている。
 先に動いたのは彼の方だ。長剣の切先を私の喉元へと向けて動かした。
 長剣の突きは早いが、横から衝撃で簡単に軌道を動かせる。
 サーベルを長剣に向けて振り下ろす。彼がよろめくと長剣の切先は床にぶつかる。
 本来であれば、サーベルの刃を返して喉笛を掻き切るところだが、床に転がるのを見送った。
 そして。彼の太ももにサーベルを突き刺した。
 彼は苦悶の表情を浮かべると私を見上げて睨みつける。
 サーベルを引き抜くと右太ももからは血が流れ出た。
「覚えていろ、今すぐ貴様らを陛下の軍勢が取り囲む!」
自身が殺されかけているのにまだ勝てると思い込んでいるようだ。
「大丈夫です。私の軍を舐めないで頂きたい。援軍がこの要塞にたどり着く頃にはすべて終わっていますから」
―――早く殺しなさい。早くこの男を殺しなさい。
 まただ。もう一人の私が囁くとサーベルを持つ右腕を撫でる感触がした。
 目には見えないが確かに感じる。右腕をなぞり、手首を伝って手を握った。
 自然と顔から汗が噴き出た。大きな一粒の汗が頬を伝って顎から床に落ちる。
―――それとも、炎で焼き尽くしますか?
 今度はだらりと下げている左手に感触が伝わった。
 気が付くとマクシミリアンの後頭部を掴んで力を込めている。
 自分の意志とは関係なく体が動いてしまう。まるで操り人形のように。
「姫様?様子が変ですが」
私の様子を見てヴァンが声を掛けてくれた。その言葉で私は正気を取り戻して手を後頭部から離した。
 左手を一度握りしめてから開く。誰かに手を掴まれた感触だけが残り、気持ち悪い。
 その左手を心臓の位置へと持っていく。まるで走った後……いや、喉元に刃を向けられて撫でられているみたいだ。
 死の恐怖で鼓動が速くなるみたいに。
 サーベルを床に落としてしまいそうになるが、ぐっと堪えた。
 眩暈もした顔に付いた汗を右手首で拭き取る。まるで水を掛けられていたみたいに濡れていた。
「大丈夫、気にしないでください」
 マクシミリアンは足が不自由なせいで床を這って動いて逃げようとしている。
 今度は彼の右手にサーベルで突き刺した。
 彼の口から断末魔の様な叫び声がこの部屋に響き渡る。
「どちらに行かれるのですか?」
彼が向かおうとしていた先には先ほどまで握りしめていた長剣が転がっている。
 私は足で長剣を蹴って遠くへと動かす。
 ヴァンはその光景を只々見つめていた。
「ワシはこの城の主だぞ!そうだ!金を好きなだけくれてやる!」
下劣な笑みを浮かべて、左手で右手の手を止めて私を見ている。
 これで助かるとでも思って居るのだろうか。
 今まで見てきた敵の将軍としては最低だ。
 小さくため息をついて一歩ずつ距離を詰めていく。
 私が一歩進めば、マクシミリアンはまだ動く左足を器用に使って距離を取ろうとしていた。
「そうですか……私には不要です。生かして捕虜にすれば今後の戦いに有利に動けるかと思いましたが、その考えは愚かでした」
その言葉を聞いた彼の表情は青ざめていた。
 何度も死にたくない。死にたくないと言葉を吐き出している。
 目を大きく見開いて、顎を小さく震わせていた。
 なんとみっともない姿だろうか。
 落ちぶれているが、マクシミリアンは将軍だ。私なりの敬意を示して人生に幕を引いてあげよう。
 サーベルを納めて彼の喉を左手で掴む。
「燃えて死になさい」
ぐっと左腕に念じた。
―――これでいいのですよ。あなたは王になるのですから。
 また、声が聞こえる。
 真っ赤な炎が左手から吐き出るとあっという間に全身が炎に包まれた。
 体を床に擦り付けて転がり、両腕を使って頭や体を叩いて炎を消そうとしていたがもう遅い。
 肉が焦げる音と油が焼けて弾ける臭い。いつもなら嫌いな臭いで鼻を手で覆うが不思議とそれはしなかった。
 最後に床に転がったまま、右手を天へと伸ばして命は尽きた。
 真っ黒な炭となった体。顔はまだ人だとわかるが、誰もマクシミリアンとはわからないだろう。
―――鍵は開きました。私と共に歩みましょう?ヴァイオレット。
 この鬱陶しい声は黒い私だ。今まで綺麗に生きようとしていた私は捨ててしまおう。
 そうだ。燃やそう。弱ければ彼の様に殺される。
 王とは元来、孤独な人生を歩むものだ。私の後ろにはヴァンやフィオ達がすべての国民がいる。
 誰よりも先頭に立ち、皆を先導する。旗を振って皆を先導することを考えると怖くてたまらない。
 その為には何でもやるしかない。
 その為なら、その為になら、彼女だって利用する。
 ふと、何かが私の背中から抱き着いた感触がして、すぐに消えた。
 いや違う。私の中へと溶けただけ。
「ヴァイオレット様!要塞内の制圧が完了しました!」
血まみれの兵士達が扉を勢い良く開いて、駆け込んで来た。
 全身血まみれで刃こぼれした長剣を握りしめている。これですべて終わった。
 やっと、城へと帰ることができる。皆を家へと帰すことができる。
 全身が炭になったマクシミリアンの右腕が崩れ落ちる。部屋の中に風が吹くと体も足も全てが消えていった。
 扉の先では私が増援の対処をお願いした兵士達は壁に背中に付けて、息を切らしていた。
「要塞の旗を私の旗にして掲げる様に指示を!」
その言葉を聞いた一人が走って部屋を出ていった。
 あとは、勝鬨を上げればいい。
「ヴァン。あなたに任せます。私は少しだけ疲れました」
ヴァンは少し黙ってから頷くと、クレイモアを背中の鞘へと納めた。
 私も血が滴るサーベルから血を振り落として、左腰に携えた鞘へと差し込んだ。
「姫様。先ほど様子が変でしたが、本当に大丈夫ですか?」
彼に笑みを浮かべて答えた。
 
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