ロイレシア戦記:赤の章

方正

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第二十一話

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 ガルバード要塞内での非戦闘員や捕虜を捕らえて、将官クラスは王都へと輸送することになった。
 そして、ヴァンの軍を中心に駐在軍を編成して、後ほど防衛部隊を改めて決めることになった。
「駐在軍の編成が終わりました。補給や人員に関しては近くの貴族に支援指令を姫様の名の下で使者を送っております」
純白の鎧に着替え、背中には身の丈ほどの大剣を背負ったヴァンが背中から声を掛ける。
 王都への帰還する為の馬の首を撫でいた手を止めて、ヴァンの方へと向く。
「わかりました。後は後任に任せましょう」
私の赤い髪を後頭部で束ねてから、紐で結ぶ。馬に跨るとゆっくりと進める。
 大門を抜けると左右に今回の戦いに参加してくれた将軍達がずらりと並んでいた。
 フィオを視線で探したが、やはり居なかった。報告によれば、敵将と一騎打ちの上に勝利したと聞いている。重傷を受けて、今は気を失ってしまっているが命に別条はないという。
 それを聞いて、安心した。今回の戦いで一番手柄を立てたと言っていいのはフィオだろう。
 彼女が命懸けで作り上げた功績だ。私はそれを誰にも否定させはしない。
「皆さん。この度はありがとうございました。我が国の悲願だったガルバード大要塞の奪還した英雄たちとして胸を張って王都に帰りましょう!」
その言葉を聞いた者達が歓声を上げた。皆の前をゆっくりと馬を進めていく。
 私の軍であるヴァンの兵士達を先頭に王都に向けて出発した。
 帰りの旅路は2日だ。私たちが戦った場所を逆向きに進む。
 死臭の香りと共に死者達が囁き声が聞こえてきそうな気がする。
 体を武器で貫かれて倒れている者、切り裂かれて臓物がこぼれている者、体を潰されている者など、様々な死体が地面に転がっている。
 死体を引っ張って処理をしているここの住民と民兵達も視界に映る。処理しているというよりは装備品を剝ぎ取っている様にも見える。
 数か月掛かった戦場でも、帰りはあっという間だった。
 そんな戦地を抜けて、王都郊外の農村部に入ると先に連絡を受けていたのか住民達が歓喜の声を上げて出迎えてくれた。
「間もなく、王都ですね。国王様が宴を用意してくれているとの事です」
私の右後ろで馬に乗っているヴァンが声を掛けてくれた。
 農村部に到着する前に凱旋パレードを行うという事で指揮官クラスの軍人はすべて馬に乗って大通りを行進するという。
 丁度、建国記念を祝う夏至祭の飾りが各住宅の門や玄関に国家の旗と明かりが灯されたランタンが飾られている。この国の国教で炎を神聖視しているため、炎が灯されたランタンを夏至祭の期間の間は飾る。
 数か月の戦争から帰ってきたことを実感できる。
「戦勝を祝う宴でしょう。ヴァンも兵達も十分に羽を伸ばしてください」
その言葉に対してはいとだけヴァンは返事をした。
 彼も長い間、私に仕えてくれている。雲一つない空の下を進んでいき、大門を潜り抜けると城へと続く大通りでは道の左右に挟む様に、住民達が兵士たちに歓声を送っていた。
 私の名前を呼ぶ声に対して、笑顔を無理矢理作って小さく手を振る。早く寝てしまいたいのにこの後も宴が用意されていると考えると憂鬱でしかない。
 王城内に入ると私をいつも世話してくれているメイドや使用人に囲まれて、無事に帰ってきて来たことを涙を流しながら喜んでくれていた。
 赤いドレスに着替えて、化粧を施されて庭園が一望できる部屋に通される。その部屋の中には父様とエルロイ兄様、イネヴァ姉様の三人が正装に身に纏って待機している。
 父様とエルロイ兄様は一瞬だけ私の方を見ると会話を続けた。重要な話をしているのだろう。険しい表情を浮かべている様子を伺える。
 姉様はドレスの裾を掴み、私の側へと近づいてきた。
「ヴァイオレット。お疲れでしょう?」
優しい視線を私に向けて、労う言葉を掛けてくれた。ルイ兄様はライトランス帝国の今回とは別の前線指揮の為に不在、レイウス兄様は急用と言って参加しなかったという。
 ルイ兄様はしょうがないにしろ、レイウス兄様は私が生きて帰ってきた事に大して不満だったのだろうか。
 今は居ない人を考えてもしょうがない。
「明日の授与式後からしばらく休暇も兼ねて、各地方を回りたいと思っています」
姉様の顔を見つめてにっこりと微笑んだ。ここで不安な表情を浮かべて心配されてもしょうがない。
「それはいい考えね。結果がどうであれ父様もそれくらいは許してくれるでしょう」
そして、父様が近づくと姉様は変わるように場所を譲った。
 左目の瞳は真っ白になり、右目も僅かに黒色を失いかけている。私の方へと手を伸ばすが何かを探しているかのように腕を動かしている。
 この数か月の間でもうほとんど見えなくなってしまったようだった。
 手をつかんで私はここにいると知らせる。そして、頬に当てて私の肩に手を置いた。
「すまない。もう見えなくなってしまった。今回は良く戦ってきてくれた」
分厚い皮で覆われた手から小刻みに震えているようだ。
 大まかな形しかわからなく、距離感はもうわからないという。
「いえ、父上の期待に答える結果を出せることができたと思います」
その言葉を聞くと年老いた顔は満面の笑みを浮かべた。肩を二回叩くと外の底辺を見渡せるベランダへと移動する。
 石造りのベランダから皆が注目して視線を集める。
「諸君!この度の戦は誠にご苦労であった!恩賞の授与は翌日行う。今は存分に戦の労を癒してくれ!」
父上がグラスのジョッキを握り、皆が歓声を上げる。
「ロイレシア法主王国、万歳!」
皆が一斉に声を出して騒ぎ出し、楽器団が演奏を始める。静かだった庭園が一気に賑やかになる。
 私は小さく溜息を吐き出すと部屋の中へと戻る。姉様は疲れたでしょうと声を掛けてくれたが二つ返事で答える。
 廊下に出ると白髪頭の使用人に温室に向かう事と、フィオに来て共に食事したいと伝えてほしいと指示した。
 かしこまりましたとだけ言って、私の側から離れる。
 温室までに向かう廊下は庭園とは違って時が止まっているかのように静かだ。ランプで明かりが灯されている廊下を進む。
 階段を下り温室前でヴァンが待っていた。
「休むようにと指示したと思ったのですが、ヴァンは真面目ですね」
私が声を掛けると軽く会釈をする。
「いえ、側で護衛する事が自分の仕事ですから」
その言葉に思わず笑みを浮かべる。
 ガラスの扉を開いて中に入る。一面バラと様々な花が育てられているが、流石に出発前とは違った色のバラが花を咲かせているようだ。手入れはメイド達が丁寧に行ってくれていたのだろう、綺麗に切りそろえられていた。
 しばらくして、メイド達がテーブルとカトラリーの用意を始める。あっという間に2人分の用意が終わる。
「ヴァン、食事は済ませましたか?」
ピンク色のバラを一輪摘まみ取る。長く伸びた赤い髪を指で耳の後ろにかけて、顔に近づけるとほのかに甘い香りが鼻を擽る。
「済ませました。姫様はイエルハート様との食事に集中していただければ」
そうですかと二つ返事で返すと私が入った入口とは反対側のガラスの扉が開く。
 肩に当たらない程度に整えられた短い髪に、空を写したかのような青い瞳。凛とした顔立ちの中に幼さを伺える顔の作りをしたフィオ。
 そして、従者の影をそのまま形にしたような男。癖があり、やや乱雑に伸ばした髪に狼のような鋭い瞳にやや湾曲した武器を携えているクロウ。
 フィオに対して、テーブルの方へと左手で催促して、私が先に座り、それに続いて同じテーブルに座る。
「食事の用意をお願いします」
そう指示して、メイド達がテーブルに料理を並べて、ワイングラスに白と赤のワインをそれぞれ2つずつ注いだ。一通り並べ終えるとフィオはメイド達にクロウにも料理を出してほしいと指示していた。
「この度の戦では勝利、おめでとうございます」
最初に発せられた言葉は、祝勝の言葉だった。少し予想外の言葉に思わず小さく笑ってしまった。
「まさか、フィオからもその言葉を聞くとは思いませんでした。多くの方から祝いの言葉を頂きました」
白ワインが入ったワイングラスを手に持って、中で簡単に回して香り立たせる。すっきりとした甘いブドウの香りを堪能して一口だけ口の中へと入れる。
 戦地ではまず飲むことが出来なかった上質なワインだ。
 フィオは前菜として運ばれた野菜のテリーヌをナイフで切った後にフォークで口に運んでいた。
「戦の勝利がこの白ワインのように甘美な物であれば良かったのですが。実際は血生臭いものですね」
戦地を逆向きに進むと私が何をしたのかを今でもすぐに思い出せる。
 何も考えずにただ勝利に楽しめればいいのですが。今後の事後処理を考えると憂鬱になる。
 各地方を回りたいという願いは当分先になるだろう。
「疲れているんじゃないの?常に軍事と政治ばかり考えているヴィオらしくない」
ワイングラスをテーブルに置いて、視線をガラスの天井越し輝く月と星に視線を移す。
ーーーまだ、乾くでしょう?
 声が聞こえる。もう一人の私の声だ。
 私の背後で静かに立ち、語りかけている。背後には距離を取っているヴァンしかいないはずなのに、確かにそこにいる。
 静かに息を吐き出して、視線をフィオに移した。
「私がフィオを呼んだのは、このように軽口を話すためですよ。あの庭園に居ては、言葉を慎重に選ばなければなりませんから」
このように共に食事を楽しむ時間がこの先何回あるだろうか。
 食後のドリンクが運ばれる。鮮やかな明るい朱色の様々なベリーを潰して作られたジュースだ。
 まるで鮮血の様な鮮やかさだ。
「明日の授与式で、次の王位を決められるけど手ごたえはあるの?」
ドリンクに手を伸ばす前に頬杖したフィオが問いかける。
 不安がないわけではない。
 それに戦勝パーティにレイウス兄様が居なかったことがとても気がかりだ。
 このまま何もしないわけがないと思うが、今はどうしようもない。
「何度も奪還作戦を行っては失敗続きだった戦争です。功績の面からして兄上達よりは上だと思いますが、決めるのは父上です」
お互いに一口だけ飲む。透明なガラスに唇の後が付く。
 すっきりした酸味にベリー独特の甘さが口の中に残る。
そのまま会話を続ける。時間が過ぎるのはあっという間で温室の外から聞こえていた音楽はいつの間にか静かになっていた。
「姫様。そろそろお時間です」
ヴァンが私に声をかける。テーブルの上に置いていた複数の蝋燭は半分ほどに溶けていた。
 静かに立ち上がるとフィオに声を掛ける。
「私はどんな手段を使ってでも王になりますから」
信頼してくれている彼女に対する宣言だ。そう言うと私は微笑んだ。
 そして、ヴァンを連れて温室を後にした。
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