ロイレシア戦記:赤の章

方正

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第二十五話

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 王城内を鎮圧してから、それ以外の作戦はあっという間に進んだ。王都内在住の住民達には悟られずに兵舎と城門を鎮圧できた。
 今は王城内の兵は40名ほど。それ以外の兵は城門の警備などに着かせている。
 私が書いた書状は既に届いているだろう。返答の期限までは残り2日だ。それぞれが伝令兵か兵士と共に向かっているはずだ。
「ヴァイオレット様。紅茶でございます」
今日はいつもの様に紅茶を楽しむ余裕ができた。場所はバラが育てられている温室の中に女中と共にいる。
 女中はいつもの様に振舞っているがどこかよそよそしい。距離を取られている様に感じた。
 王城内で起きた事は外部に漏れないように情報漏洩は徹底したが、王城内にいた使用人達は外へ出ないようにと命令するしかなかった。
 私を支持している使用人達の間でも、自分達も処刑されるのではないかと噂が立っているという報告を受けていた。
 朝食を済ませてから、テーブルの上に紅茶が注がれたティーカップが置かれる。
「ありがとうございます」
甘くて酸味のある香りが鼻をくすぐる。そして、口を着けて少しだけ飲んでみる。
 暖かい紅茶が体の中に入ってくるのがわかる。目を閉じて後味を楽しんだ。この庭園で紅茶を楽しむのは今日で最後になる。
 バラの方へ視線を向けると赤や黄色などが咲き開いていた。
 ほんのりバラの甘い香りも感じる。
「もう充分です。下げて頂いても大丈夫です」
紅茶を飲み干すと女中に全部下げるようにと指示をした。あっという間に片づけられると温室の中央に1人になった。石の通路に沿ってから、温室の中をぐるりと回るように歩く。
 綺麗に咲いているバラもあれば、蕾のままで開いていないバラもある。茎には葉に隠れるように立派な棘が隠れていた。
 そして、温室内を一周すると中央の円形に開けた所へと向かう。
 石の床には無数の傷が付けられている。ここは、ヴァンとフィオの騎士クロウが戦った場所だ。戦い方は違えど、同じ実力を持った人が居るとは思わなかった。
 一撃で仕留める力強い戦い方をするヴァンと、舞うように軽い動きで隙を常に狙う戦い方のクロウ。
 食事しながらも見た、彼らの戦いは胸が躍った。
「大丈夫、フィオならきっと私が取った行動は理解してくれるはずです」
私の胸にぶら下がっている、緋のエメラルドを握りしめる。手に形が残るほど力を込めた。
 私の願いまでもう少し。
 どれだけ非情と言われても、もう止まるわけには行かない。
 手に力を込めてから、バラの花びらに触れる様にしてもう一度、温室の中を回る。私が触れたバラが炎が上がって黒くなり、朱色の炎に包まれて灰となっていく。
 次々に燃え移ってから鮮明な赤や黄色は黒く染まって消えていく。
 全て燃え移ると私は温室から外に出た。赤々と燃えた影響でガラスが音を立てて次々に割れていく。
 燃える屋敷から連れ出された子供の頃を思い出す。
 母上達と共に燃え上がっていた屋敷を、今でも鮮明に頭の中に残っている。
「姫様!これは……一体?」
火の手を見て駆けつけて来たのはヴァンだった。今起きている状況に理解できていない表情を浮かべている。
 握りしめていた緋のエメラルドから手を放して、ヴァンの方へと振り返る。どんな表情を私がしていたのかわからないが、後から駆け付けた人達はおびえた表情を何人も浮かべていた。
 炎の熱が私の背中を焦がしているかのように感じる。
 母上との思い出は私が縋りついてしまうほど、甘い記憶だ。この記憶は捨て去るべきと判断した。
「大丈夫です。私には不要になったものなので」
ヴァンを見つめる。なにかの意思を感じると目を閉じて頷いた。
 温室を包んでいた炎はしばらくして消えた。
 焼け焦げた匂いと、黒くなり曲がりくねった鉄の骨組み。周囲には熱で割れたガラスが散乱していた。
 片づけに取り掛かる使用人達を背にして、城の中へと戻る。
 兵士達の死体は片付けて、庭園に集めて燃やした。しかし、血の鉄臭い匂いはもうしばらく残りそうだ。
「ヴァイオレット様!伝令です!」
執務室に入る直前で伝令兵が駆けつけて来た。身動きを取りやすい様に軽装で護身用のショートソードを腰に携えている。
 走ってきたという事は緊急の要件だろう。息を整えると私に報告する。
「イエルハート様が王都に向けて、兵と共に向かっているとの事です」
私はその報告を受けて、目を大きく開いた。私の書状を見て来てくれた。喜びの感情が私を巡る。
 残り2日もあるというのに嬉しい限りだ。
 私に賛同しなかった貴族たちを粛清した後で領土の再分配を行おう。
「もう一つ、連絡があります。ルイ様が率いる第2師団が領土内に帰還しましたが……」
伝令兵は言いにくそうに視線を反らした。
 こういう反応をする時は決まって、良くない連絡とわかっている。
 私は彼をじっと見つめた。
「続けなさい。報告する事があなたの仕事ですよ?」
私がそう言うと彼は喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。
 私は視線で催促する様に見つめると、ようやく口を開く。
「ルイ様はイエルハート領の中で再軍備を進めているとの事です。報告によれば明日には王都へ向かう用意が進んでいると」
ルイ兄様は私が反乱を起こしたことを知ったのだろう。どれだけ情報を管理しても漏れてしまう。どちらにしろルイ兄様とは決着を着ける必要があった。今回は全面的に戦うという事になっただけ。
 私は伝令兵に下がるようにと指示をして、執務室の中へと入る。
 なぜ、ルイ兄様がイエルハート領に寄ることになった事が引っかかる。
 壁に掛けられている我が国の地図を見た。イエルハート領から王都までの距離を考えれば3日あれば到着できる。もしも、私の書状に賛同したのではなくて、ルイ兄様に私の説得を命じられたとしたら?
 その場合、フィオと戦うことになる。けれど、一貴族が動員できる兵の数は少ないはず。イエルハート領は山岳地帯が多く、人口も多いとは言えない。
 質という面でいえば、常に獰猛な動物達を相手している為、他の貴族領の兵士達と比べれば確かに強い。
「フィオ。あなたは何を考えているのですか?敵?それとも味方?」
考えても仕方ないのは理解している。けれど、彼女を戦う事になるのは気が引ける。
 両手でうるさく動いている心臓を胸の上から抑えた。もう一人の私が語り掛ける。
ーーー今更、何を恐れる必要があるのですか?王になりたいのでしょう?
 背後から語り掛けられた。存在しないはずの彼女が私を見つめている。
 そうだ。私は剣を抜いて国王である父上を殺害した。止まるわけには行かない。
「王になること、それが私とあなたの最も欲している望みです」
窓から外を見て外の景色と重なっている私に触れた。
「姫様。ご報告があります。今、誰かと話しているようでしたが……?」
扉から入ってきたのはヴァンだった。振り返らずに外を見ていた。
「気にしないでください。それよりも報告の内容は?」
ヴァンは頷くと報告を述べた。ルイ兄様が率いる第2師団に賛同する貴族達についての報告だった。
 王都郊外を目指して集まり始めているという。そして、同時に私に賛同する貴族達も王都を目指して兵を集めている報告を受けた。
 ここまで大きな内戦は初めてだろう。
 報告を受けた貴族達の戦力もほぼ互角。
「そうですか。問題ありません。王城内の軍備品をいつでも使えるようにお願いします」
この内戦はなるべく早く終わらせたい。そうヴァンに伝えると再び部屋の中で1人になる。
 静かに扉が閉まる音を聞いて、椅子に座る。
 今日は朝から色々な事が起きている。背もたれに背中を押し付ける様に深く座るとそのまま眠ってしまいそうだった。
 しばらくすると鐘の音が城内へと響き渡る。5回鳴った。
「開門の号令?」
おかしい。まだ誰も到着できないはずの日時だ。サーベルを握りしめて、腰に携える。
 そして、扉を開けてから城門を見渡せるテラスへと移動する。
 太陽が高く登り、澄み渡った雲のない空が広がっていた。開いた城門から入ってくるのは、鎖帷子を仕込んだ黒のコートを着こみ腰には剣と各々が得意とする武器を背中に背負った人達。
 間違いない、フィオの軍団だ。最後に城門をくぐり抜けてきたのはフィオだった。皆が一斉に馬を降りると、警備長の合図で取り囲む。まだ、お互いに武器を抜いていない。
 フィオが何の言葉を発するかで、私達は対応を変えなければならない。願わくば、私に取って嬉しい言葉であれば嬉しい。
 私の方へと視線を向けると大きく息を吸い込んだようだった。
「第2王子ルイ様の命で、王城解放を命じられた!直ちに降伏すれば寛大な処置を頂ける!」
私が最も望まない答えの方だった。ここから彼女達はもう敵。
「その言葉を受けるわけにはいけません。私は、王座でお待ちしております」
警備部隊とフィオの軍勢が一斉に武器を抜いた。それを私は確認すると城内へと戻る。
 彼女達が王座まで登ってこれなければそれだけの存在だったという事。もし、王座まで昇りつめてこれたのであれば、私が直々に剣を交えよう。
やけに静かな廊下。外からは剣と剣がぶつかる鉄の音が響いている。真っ直ぐに最上階の王座へと向かった。
 大広間を見渡せる吹き抜けから見下ろすと、避難を始めている非戦闘員とフィオ達がいる城門へと向かう兵達でごった返している。
 できれば、私の世話をしてくれていた使用人達に挨拶をしておきたかったが、この状況では無理だろう。
 兵達に指示を出しているヴァンの姿も見えた。もう、始まったのだと改めて実感できる。
 サーベルの柄を軽くなでた。直接手を下す事なるのはガルバード大要塞の攻略戦以来になる。
 私は再び歩き出した。そして、大理石の階段を一歩一歩進んでいく。王座は普段はほぼほぼ使われる事のない部屋だ。使われる事があれば戴冠式で王位が変わるときぐらいだろう。もしくは王族の婚姻だろうか。
 やけに大きく、豪華な装飾が施された大扉の前で一度足を止めた。
 できれば、皆から祝福される形で王位に就きたかったが、この状況になったのも私の運命だろう。
 諦めの溜息を吐き出して、大扉を開いた。
 大扉と反対側に玉座があり、周囲の壁には歴代の王と仕えた騎士と貴族の武器がずらりと壁一面に飾られている。改めて、この国が長い歴史を紡いできたのかを実感した。
 試しに立て掛けてられていたサーベルを手に取ってから、鞘から引き抜いてみると新品同様に磨き上げられた刃が窓からの光を反射していた。
 赤い垂れ布へと振り下ろすと、抵抗もなく綺麗に切り裂けた。
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