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1章

10話

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 ひどい光景だった。

 割られた窓ガラスの破片は辺り一面に飛び散り、窓を割るために投げ込まれた大きな石は食器棚に直撃していた。

 壊れた棚から落ちた皿も散乱している。

 その光景に茫然としていると散乱した床の上に一枚の紙が落ちている事に気がついた。



 なんだろう…。何か落ちてる…。



 私はそれを拾いあげると書かれていた文字を読んだ。その瞬間、全身の血の気が引いていくのを感じた。



『制裁を開始する』



 あの時のメモと同じように殴り書きにされた文字が書いてあった。



 私はすぐに外へ駆け出して行くとガラスを割った犯人が近くにいないか必死に探しまわった。しかし、痕跡すら見つけられない。気が付くと苛立ちと悔さで声を張り上げて叫んでいた。



「こんな事をしてなにが楽しいんだ!出てこい!」



 苛立つ気持ちをどうすることもできずに自分の拳を地面に叩き続けた。



「レイラ…。もうやめなさい。血が出てるわ…」



 エスタの声が聞こえた。地面でうなだれている私の手を自分の両手で包み込むように握りながら悲し気な表情で私を見ていた。

 家の中に連れ戻された私は少し休むように言われたものの、そのまま無言で散乱した部屋の片付けを始めた。



 子供達を寝かしつけ、散乱したガラスや皿の後片付けが終わった頃には、空はうっすらと明るくなりつつあった。



 憔悴しきった私達はそれぞれの部屋に戻り、朝の準備が始まるまで少し休む事にした。

 エスタとノラが各自の部屋に戻ると母と私の二人だけになった。



 母はうつむいたまま何も話そうとはしなかったが今にも消えいりそうな様子がひどく心配だった。

 二階にあるそれぞれの部屋の前で別れるといつもと同じ明るい笑顔に戻っていた。



「じゃあ。朝食の準備まで少し休みましょう。また後でね」



 そういって部屋の前で別れた。



 部屋に戻っても寝付く事が出来なかった。
 別れる間際の母の様子にどこか違和感を覚えた私は、様子を確認する為に母の部屋に向かった。



 部屋のドアをノックしてみる。返事はない。

 寝ているのだろうか、何だか妙な胸騒ぎがして部屋のドアを少し開けて中の様子をうかがった。ドアの隙間から見えるベッドに母の姿は確認できない。

 部屋に入って母を探すが、部屋のどこにもその姿を見つける事はできなかった。その代わり、机の上に母の字で書かれた置き手紙を見つけた。





『今までの一連の出来事は、誰かが仕組んだ私への嫌がらせだと理解しました。私がここにいる事でこれ以上みんなを巻き込みたくはありません。今まで散々お世話になっておきながら一人でここを出て行く事を許してください。レイラの事、お願いします。レイラごめんね。幸せになってね。あなたの夢を叶えてください。』



 目の前が真っ白になった。母を追わなくては。咄嗟にそう思った。

 部屋に戻ると寝着から旅用の服装に着替える。白いシャツに歩きやすくて丈夫な長ズボンと皮のブーツを履く。最後にエスタとノラに今までの感謝とお礼、黙って出て行く非礼を詫びた手紙を書いて机に置く。フード付きのローブを羽織うと事前に用意してあった荷物を持って部屋を出て行く。

 いつかこんな日がくるんじゃないかと用意していたものだった。



 玄関ドアを静かに開けて出て行こうとした時、背後から声がした。



「レイラ何処へ行くの!?」



 振り返るとエスタとノラが立っていた。



「母さんがいなくなったの。これ…。手紙が置いてあった」



 母の手紙を二人に渡した。



「これは…!あんな事があった直後なのよ。危険だわ。早く探さないと。私達も一緒に行くわ!」



 そういった二人の言葉を私はすぐに遮った。



「これを見てほしいの…」



 落ちていたあのメモ紙を二人に見せる。



「二人はここにいて。残された子達が心配だよ。何が起きるか分からないから…。母さんはきっとまだ遠くには行っていない。それに、いずれきっとみんなを巻き込んでしまう。今日以上に大きな事件がきっと起きる。だから、私達はここに居てはいけないの。母さんを探してまた二人で生きて行く。今まで私達の家族でいてくれてありがとう。本当に幸せだった。こんな形でお別れなんて…。ごめんなさい…」



 そう言い終わると私はすぐに家を飛び出していた。



「待って!あなた達の帰る家はここにあるのよ!」



 私は二人の静止をふりきって全力で走り出した。



「いつか必ず帰ってきて!いつまでも待っているから」



 振り返った私の視界には泣き崩れている二人の姿が見える。

 それが二人をみた最後の姿になった。



 一切の感情を振り切って全速力で走りだした。必ず追いついて見せる。



 どれくらい走り続けただろう。すっかり夜は明けて眩しい太陽の光が辺りを照らしていた。一向に母の姿を見つける事ができない。もうこのまま会えないのかもしれない。そう諦めかけた時だった。



 道から外れた草むらで何か光るものが目に入った。

 それが何だか気になってそちらの方向に歩いていくと、母がいつも付けていた髪留めをみつけた。今年の母の誕生日に私がプレゼントしたものだった。この先に母がいるのかもしれない。そう思って深い山林に入っていくと、誰かが草むらを踏みつけた痕跡を発見した。

 必死にそれをたどっていくと森の奥深くまで来てしまった事に気が付く。それでも後戻りはできない。必死に歩き続けた。

 やがて開けた場所が見えてくるとそこにある大きな木の下で母の姿を発見した。



「!母さん…!」



必死に呼びかけるが真っ青な顔で意識はない。母の身に一体何が起こったのだろう。体中傷だらけで服も所々破けていて泥だらけだ。

 ふと、こちらに向かって歩いてくる足音に気が付く。

 咄嗟に振り返ると少し後方に二人の男の姿を見つけた。どうしてこんな人里離れた山林に人がいるのだろう。そう疑問に思っていると二人の会話が聞こえる。



『おい、本当にこのあたりなんだろうな…。女なんかいないぞ?』



 男達はそう話しながら歩いてくる。

 母のこの状況といい、こんな場所に歩いてくる男達。悪い予感しかしない。

 動けない母をどうにか移動させて姿を隠すがいずれ男達がここまでくれば私達は簡単に見つかってしまうだろう。



 そうだ、私が囮になればいい。母のいる場所から距離を置いて立ち上がる。

 そんな私の姿を発見した男達はこちらを見ながら二人で何かを話している。

  会話を終えた男達はニヤニヤとした不快な笑みを浮かべてこちらに近づいてくる姿が見えた。



 その姿は以前、街で襲ってきたあの男達に被って見える。あの時の恐怖が再び鮮明に蘇ってくる。怖い…。怖い。足が震えはじめた。

 このままではやられる。どうする…母さんを守るって決めたのに。そうだ…。

 私は咄嗟に荷物の中からナイフを取り出す。



「おい、そんな小さなナイフで俺達とやり合うつもりか?」



 男達は鼻で笑い飛ばした。



 徐々に男達がこちらに近づいてくる。私は片手でナイフを握りしめると、睨みつけながらナイフの刃先を彼らに向けた。



 男達はそんな私の姿を見て笑っていた。

 そんな彼らの姿を冷静に見ながら、おもむろにもう一方の手で自分の長い髪を束にして掴むと握っていたナイフで髪の束を根本からバッサリと切り落とした。

 男達は私の以外な行動に目を見開いて驚いている。



 ナイフを荷物の中にしまうと、前方にいる男達の姿をただじっと見ていた。



「抵抗する気も失せたのかよ。まぁいい。手間がかからないからな。お前はもう一人の女を探せ」



 もう一人の男は母を探し始めた。完全に獲物を追い詰めたような余裕たっぷりの様子でゆっくりとこちらに近づいてくる。その間、男は相変わらず下品な笑顔を私に向け続けている。



 そうして私の目の前までやってきた男が私の腕を掴もうと手を伸ばしたとき、私はその手を思い切り払いのけた。



 思いがけない反撃に男はとても驚いている。すぐに私を殴ろうと拳をふり降ろしてきた。私は焦る事なくその攻撃をスッとかわす。

 よけられると思っていなかった男は体のバランスを崩し前のめりで地面に倒れ込んでしまう。



 ふらつきながら起き上がろうとしている男を冷静に見ながら容赦なく急所を蹴り上げると男は絶叫して再び倒れてしまった。



 相手の攻撃をかわしつつ、逆にその力を利用して態勢を崩す。

 力がない女性特有の守りから攻撃へと展開する動きは元騎士の旅仲間直伝の技だった。傷だらけになりながら必死で会得した技だ。まだ体がその動きを覚えていた事に私自身が驚く。

 今この時から男として生きる。そう誓って髪を切り落とした瞬間、男達への恐怖心は綺麗に消え去り冷静さを取り戻していた。



 もう一人の男は母を発見してい馬乗りになって両手首を縛ろうとしていた。



「母さんに触るな!」



 一瞬にして男に怒りを覚えた私はありったけの声で怒鳴る。

 私の存在に気が付いた男はこちらに向き直すと、すぐに私に向けて攻撃を仕掛けてきた。



 力はないので先ほどと同じように相手の攻撃を瞬時にかわすと、男は不意によけられた反動で前のめりにバランスを崩して砂利だらけの地面に顔面から地面に突っ込んで行った。男は激痛に耐えながらよろよろと立ち上がろうとしている。先ほどの男と同じように立ち上がった瞬間、急所に一撃を見舞うと絶叫を上げて意識を失ってしまった。



 倒れている母に私は必死で話しかける。



「母さん!しっかりして!」



「…レイラ…。どうして…その髪は…?」



「うん。私はこれからも母さんと生きるって決めたの。これからは私が守るから。だからもう長い髪は必要ないの」



 苦痛に顔を歪めながら母は、私に何かいいたげな表情をしている。



「とりあえず、早くここから逃げよう。あいつらがいつ起き上がるか分からない」



 動けない母をおぶるとその場からすぐに歩き出した。母をおぶりながら足場が悪い道を歩くが、まったく森を抜ける事ができない。わずかに持っていた希望は時間が立つごとに失われて行く。

 もうだめかもしれない。そう諦めかけた時だった。森を抜ける道を発見して、そこから無事に脱出する事が出来た。

 さらに運のいい事に荷馬車に乗っていた農夫に偶然発見され、近隣の村まで乗せてもらう事が出来た。村につくとすぐ母の容態を医者にみてもらう事もできた。



 母のケガは酷いものでしばらくその村で療養させてもらう事になった。無事に回復はしたもののあの日以来母はすっかりふさぎ込んでしまった。何故あの場所にいてケガをして倒れていたのか、決して話そうとはしなかった。



 夜中、魘されている母をそれから何度もみるようになって、日に日に痩せていく姿は痛々しく感じられた。そんなふうに衰弱していく母を私はどうする事もできずにただ見守る事しか出来なかった。



 誰もいない場所で二人で静かに暮らそう。ささやかな希望を抱いて小さな町を渡り歩く日々が続いた。









 あの日から2年の歳月が過ぎた。



「レイ、こっちの生地を頼むよ。窯の様子はどうだ?」



 店の主人の声が聞こえる



 今までにあった出来事を思い出しながらパンの仕込みをしていた。

 ようやく落ち着いた生活を手に入れる事が出来た今、少しずつ平穏を取り戻しつつあった。



 昔の事を思い出したせいだろうか、何だか急に母とゆっくり話がしたくなった。日に日に体調も良くなってきている。また昔のように笑い合えるだろうか。

 今日は暖かい日和だ。帰ったら散歩にでも誘おう。そう思っていたのに…。



 そんなささやかな望みさえ叶う事はなかった。



 悪夢は再び繰り返されてしまう。
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