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1章

9話

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あの本が届いてから数日が過ぎた。

 あれから何事も無い日々が続いている。

 しかし、最初の数日は特に警戒して何度も辺りの見回りをしていたが特に変わった事は何もなかった。それでもあの日を境に小さな音にも過剰に反応してしまい、夜は中々寝付く事が出来なかった。



「ねぇ、しっかり眠れている?毎日顔色が悪いわよ。あなたがとても心配だわ」



 一緒に昼食の準備をしていた時、私の様子を心配したエスタがそう尋ねてきた。



「…うん…。あのメモ紙のせいだよ。差出人不明の…。もしかしたら不審な人間が隠れていて何かしてくるんじゃないかって毎日不安で…」



「あのメモは不気味だったわ…。心配よね。私も見回りを強化するわね。ノラにも言っておかないと」



「ありがとう」



 エスタやノラがいてくれて心強かった。私一人ではきっと不安で仕方なかっただろう。



 何も起こらないまま日々は過ぎていった。

 もうきっと大丈夫だ。あのメモは不安を煽るだけのただの嫌がらせなのだと片付けようとした時だった。再び小包が届いたのだ。



 今度は母宛てにだった。しかも今度は差出人不明ではなく送り主とその住所が記載されていたのだ。

 母の知り合いだうか?そんな事を考えていると、母が傍に来ていて私の見ている小包を見る。



「あら、なにかしらね。私宛?知らない名前ね…」



 そういった母は何の躊躇もなくその箱を開けてしまった。



「!!!」



 箱をあけた母は真っ青な顔をしている。



「どうしたの?しっかりして!」



 私はすぐに母の視線の先に目をやる。箱の中一杯に大量のセミやらバッタやらの虫の死骸の上を気味の悪い色の毛虫が数えきれないほどたくさん這いずり回っていたのだ。



「…!なにこれ…」



 私と母の異常な様子に気が付いたノラが咄嗟に駆け付ると、箱の中身を見てすぐ、箱ごと外へ持って行った。

 母は動けないままその場に固まっている。

 しばらくしてノラが戻って来た。



「もう大丈夫よ。処分したわ」



 あのメモ通りに悪役令嬢への制裁が始まったのだろうか…。胃の中から重くずっしりとした不快感を覚える。

 あんなに大量の虫の死骸や毛虫は見た事はない。旅をしていたので、虫には多少の免疫はあると思っていた。しかし、あの量はさすがに精神にくる。母を部屋まで連れて行きベッドで少し休ませる事にした。

 すぐに小包に書かれた住所を調べるがそんな住所など存在しない事が分かった。送り主の名に思い当たるふしもない。偽名だろうか。



 これからはもっと用心しないと。どうにか言い訳をつけて私が先に箱を開けるべきだった。

 自分の愚かさを酷く悔いた。



 私はその晩、エスタとノラにあの本の事を全て打ち明ける決意をした。あの本は実の父によって描かれた事、その中で母は主人公とヒロインの仲を引き裂く酷く性格の悪い悪役令嬢として登場していた事。それは事実とはまったく違う事を話した。

 全てを話し終えると、本を差し出し、改めてあの本を二人に読んでもらった。



「何てことなの…。あなた達を捨てて出て行った理由は駆け落ちだったのね。その上、ローラを悪役にするなんて…。確かに読者の共感を得るには悪役の存在は必要不可欠だわ。物語を面白くさせる為にローラの存在をこんな風に捻じ曲げて使うなんて…。

 どれだけあなた達を虐げれば気が済むのかしら…。まったく自分の事しか考えていない最低な男ね。それに、あなたの存在が全く書かれていないのは、純粋に想い続ける女性がいるのに妻と子供を作った不誠実を知られたくないだけだわ。どこまで卑怯な男なの!そのせいであなた達に被害が出ているというのに…」



 二人はしばらくの間、激しく腹を立てていた。

 以後、母宛ての荷物は、私やエスタとノラが先に、母に知られない様にこっそり開封する事にした。

 数日後またも荷物が届いたのだ。

 今回も母宛てで、前回とは別の差出人名が書かれていた。



 ノラが受け取り、迷う事なく開封する。

 今度は無残なネズミの死骸が箱いっぱいに入っていた。

 油紙に包まれたそれからは凄まじい死臭の匂いがする。

 ノラは無言でその包みを箱ごと外に持っていくと、すぐに外からスコップで穴を掘る音が響く。

 能面のような表情で外から帰ってきた彼女は無言だった。怒りに満ちた表情で硬く口を閉ざしている。

 今回も書かれていた送り元の住所は存在しない場所になっていた。



 最初は虫だった。今度はネズミだ。次は何だろう。嫌な予感がした。

 ある時だった。皆家事や畑仕事でばたばたしている時だった。

 家には母しかいなかったのだ。



 その事に気が付いた私はすぐに家に中に戻った。

 悪い勘はあたるものだ。母はテーブルの上に箱を置いて開けていた。箱の中身を見て絶句していて今にも倒れそうだ。



「母さん!!しっかりして」



「だめよ、来てはだめ。見てはいけないわ」



 そういうと母はその場に崩れるように倒れてしまった。

 倒れた音に何事かとエスタとノラが外から飛び込んできた。



「どうしたの!?」



「…エスタ、ノラ…。どうしよう…どうしよう。母さんが…どんなにゆすっても目を覚まさない」



エスタは必死に頬を叩く。



「ローラ。ローラ聞こえる?しっかりしなさい!」



 異常な事態を察したのか子供達も事態に気がつき集まってきた。うっすらと意識を取り戻した母は近くに子供達があつまっている事に気が付くと狂ったように叫ぶ。



「ダメ!その箱は…。みんなに見せてはダメ!!」



 そういって再び意識を失ってしまう。



 ノラは素早い動きでその箱を閉め、外に持っていった。



 いつもとは違い、外に出て行ってからひどく時間がかかっている。戻ってきたノラがあの箱の中身について語る事は決してなかった。



 その日から母は次第に精神を病んでいく。

 ある日の晩の事だった。全員が寝静まった深夜の事だった。



 居間から、ガラスが割れる大きな音が聞こえた。

 いつものように寝付く事が出来ずにいた私はすぐにベッドから飛び降り、音のした方へ駆けて行く。

 現場は皆がいつも食事をする部屋だった。あちこちに散乱したガラス片と床には大きな石が転がっているのが見えた。

 その乱雑な光景をみた子供達は悲鳴を上げた。怯えている子、泣き出してしまう子もいる。

 母もその場に来ていて、エスタやノラと共にパニックになった子達を必死にあやしていた。



 この状態がエスカレートすると、いずれここの子供達まで巻き込んでしまう。取り返しがつかない事になるだろう。だから今までどおりここで生活する事は難しいのかもしれない。子供達に実害がでる前にここを離れた方がいい。不思議と冷静にそう考える事が出来た。



 母と共にここを離れよう。私はそう決断をした。







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