愛されたがりのオオカミは、愛したがりのトラに抱かれる。

野中にんぎょ

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「おいしそう」な、命の恩人

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「ララちゃんの尻尾って本当に最高」
 紫色の照明が落ちた店内で黒クマが微笑みかけて来る。彼の膝に乗ったマダラは芋焼酎の水割りを作りながら曖昧に笑って見せた。あれから黒クマはマダラを本指名し、週に何度か来店してくれるようになった。
「ララちゃんってスレた所がないよね」
 グラスを差し出しながら「そおですか~?」と小首を傾げる。額に浮かんでいる脂汗には気付かれないといいのだが。
「今度、同伴してもらってもいい?寿司でも焼肉でも、ララちゃんの好きなもの腹いっぱい食べさせてあげる」
 寿司に焼肉!マダラの咥内に唾液が滲む。同伴すれば特別手当もつく。けれどマダラの脳裏にはあのトラの子が過った。自分だけ美味しいものを食べて、シシには炒飯や焼きそばを食べさせておくなんて……。そこまで考えてマダラははたとした。俺、どうしてあんなトラのことなんか。
「俺のあげた服着てくれてるんだ?」
 黒クマは贈り物までしてくれる。先週頂いたばかりの黒レザーのホットパンツはもちろんローライズだ。
「他のお客様からも似合ってるって褒められるんですよ。いつもありがとうございますっ」
 しなを作ってお礼を言えば、黒クマは満足そうにふんふんと鼻を鳴らした。尻尾の付け根に触れられる危険性を除けば、この仕事は他人を喜ばせることが好きなマダラに向いていた。
 ぼさぼさになった尻尾を引きずりアパートの階段を上る。
今日は新聞配達のアルバイトは休み。存分に眠るぞと意気込んだところで「シシが居るんだった」と我に返る。
 玄関を開ければシシの寝息が聞こえて来た。マダラはそっと彼の傍に寄り寝顔を確かめた。涎の滲んだ口元に規則的に膨らむ胸、目ヤニのついた睫毛……。
 あらまあ。他人の家で熟睡しちゃって……。
 背丈のあるシシは身体を丸めるようにしてシングルサイズの布団に横たえている。マダラは頬杖を突いてシシの寝顔を眺めた。普段は子どもっぽいのに、眠っているとなんだか凛々しい。マダラはくすりと微笑んで寝ぐせのついた髪を指で梳いてやった。ふと、黄金色の瞳が帳を上げる。ハッとして手を引っ込めると、シシはふうわりと微笑んだ。
「おかえり、マダラ……」
 太くて長い腕が伸びて来て、マダラはあっという間に彼の腕の中へ誘われてしまった。この二本の腕もあの黒クマのものと大差ないのに、シシに触れられるのは嫌ではなかった。シシの温もりに包まれ、マダラはあっという間にまどろんだ。瞼の裏で夢に見たのは幼い頃エバーと共に駆け回った芝生の庭。あの場所には、先代の神父も、ミラ神父も、幼子たちもいて……。そこがマダラの家だった。マダラの帰る場所だった。
 ふと目覚めた時にはもう昼過ぎになっていた。二匹で眠っていたはずの布団に横たえているのは自分ただ一匹になっていて、マダラは上半身を起こして部屋を見渡した。……シシは部屋のどこにもいなかった。
 シシ、出て行っちゃったのかな。
 マダラは沈黙し耳を震わせた。北風に似た冷たいものが胸の隙間を通り抜けて、面がひとりでに俯いた。なんだよ、あれだけ世話してやったのに、何も言わずに……。勝手に眉根が寄って口端が窪んでいく。忍び寄る孤独に負けまいと瞼をきつく下ろした、その時だった。
「ただいまあ!」
 両手にスーパーのレジ袋を下げたシシが玄関をくぐる。真昼の光が部屋に差し込み、シシの笑顔をぴかぴかと照らした。まん丸に膨らんだ袋をちゃぶ台の上に置き「マダラ、ゆっくり眠れた?」と気遣いを寄越すシシ。マダラは熱くなった目頭を隠したくて布団を被った。
「マダラ、何が食べたい?気に入るものがあるといいんだけど……」
 がっさがっさと袋の中身を取り出すシシ。そちらへ視線をやった次の瞬間、マダラは布団から飛び上がった。
「どんだけ買ってんだよ、シシ!」
 丸鶏に牛のステーキ肉に豚のブロック肉に季節の魚に果物に卵に……。レジ袋から、よくここまで詰められたなと感心するほど、食品が出て来る出て来る……。「そんなお金どこにあったの?まさか盗んだり……」詰め寄れば、シシはぶるぶると頭を振った。
「盗んでない!ちゃんとお金出して買った!こ、これで……」
 無罪を主張するかのようにかざされた黒のクレジットカード。マダラは思わず「なんだよそれ」と眉を吊り上げてしまった。
「このカードはっ、いざという時にって親に持たされてて。いつもマダラにご馳走になってるから、僕、マダラにも何かしてあげたくて」
 後ろめたい気持ちもあるのだろう。頬を上気させしどろもどろになっているシシはいっそかわいそうなほど慌てていた。
「一匹で自由に自分の力で、とか言って、全然親に頼ってんじゃん」
 マダラの言葉にシシはますます恥じ入った。
 なんだ、シシには帰れる場所があるんだ。そう思うとマダラは悔しくなった。そんなカードを持っているのならホテルにでも泊まればいい。胸の中でシシを詰り、マダラはそっぽを向いた。
「マダラ……」
 シシがおずおずとマダラの手に触れる。マダラはどきりとして手を引っ込めた。
「僕、マダラに、おかえりって言われてない」
 熱っぽく潤んだ瞳に震えた声。マダラの頭は一瞬かっとなって、けれど、シシのうち震えた声に抗うことも出来ず、再び伸びて来たシシの手に反応するのが遅れてしまった。
 シシの手は、獲物にするように素早くマダラの手を掴み、きつく握りしめた。シシの黄金色の瞳を見つめていると気がおかしくなりそうで、マダラは俯いて「おかえり」と声を絞り出した。シシは満面の笑みになり、レジ袋の傍にマダラを引っ張った。
「この間、肉が食べたいって言ってたでしょう。好きなのある?マダラが好きなもの、なんでも、あるだけ食べていいよ」
 言葉は差し出すようなのに、握りしめた手は「絶対に逃がさない」と言わんばかりに頑なだ。純粋な彼のアンバランスな部分を垣間見てマダラは一瞬怯んだ。
「冷蔵庫の中、見たいから。手、離して」
 目を見て言えば、シシは手を離してくれた。けれどぴったりと背中に張り付き、マダラの手元や視線の先を覗き込んで来る。マダラはシシの好きにさせて野菜室から長ネギを、台所の引き出しから竹串を取り出した。
「この前から焼きとりが食べたかったんだ。塩じゃなくて、タレのやつな」
「焼きとり……、食べたことない」
「えっ、食べたことないの?」
 振り返って尋ねれば、シシはどこかほっとした様子でコクコクと頷いた。
「シシ、お手伝いして。鶏のモモ肉と長ネギを一口サイズに切って、この串に刺してくの」
 シシは覚えたばかりの猫の手をしっかりと守り、危なげなく材料を切ってくれた。狭い台所に二匹で立って肉とネギを交互に刺していく。互いの肩や肘が触れると、シシは心底嬉しそうに微笑んだ。
「串刺すの、後は僕がやる。マダラの手が傷付いたら嫌だから……」
 急に耳元へ囁くように言われて、マダラはシシから飛び退いた。動悸なのか高鳴りなのか分からない胸の早鐘を落ち着けてたくて丸椅子に腰かける。大きな背中を眺めていると、シシはマダラの視線に気が付いて、振り返りにこりと笑って見せた。
 新鮮な鶏のモモ肉は皮目を焼き付けただけで涎が滲むほど美味しそうだった。タレを入れて煮詰めれば、お約束のようにシシの腹の虫が鳴る。串から外れたひとかけらを菜箸で摘まみシシの口元へ持って行けば、彼は躊躇なくそれを食んだ。
「マダラの料理はなんだっておいしい」
 蕩けそうに緩んだ頬の彼が、フライパンの中身でなく自分の横顔を見つめていることに、マダラは気付いてしまった。刺すような眼差しがマダラの頬や項を這う。マダラは何度も手元を狂わせてしまいそうになった。
「おいしい!マダラ!すごくおいしいよ、この焼きとり!」
 皿に山積みにした焼きとりを、シシは次々と頬張った。すでに満腹になってしまったマダラは麦茶を傾けながら微笑んだ。
「なあ、明日は何食べたい?」
 頬杖を突いて尋ねれば、シシは慌てて「えーと」と視線を斜め上に投げた。「マダラが作ってくれるならなんでもいい!焼きそばでしょ、炒飯でしょ、甘いおあげの乗ったうどんでしょ、卵の乗ったラーメンでしょ……」なんでもない料理を指折り数えるシシを見つめ、マダラは「なにそれ。料理って言うのもおこがましいヤツばっかじゃん」と笑った。
 シシが部屋の中にいると、身体が大きいからか存在感も大きくて、部屋が一気に狭くなったように感じる。そんなシシが居るからか、冬のはずなのに部屋はヒーターをつけていなくても温かくて、一組しかない布団の中ではゆたんぽの役割も果たしてくれる。このままシシがここで暮らしてくれれば、それはそれで便利なのになあ。そんなことを考えているとシシの指先がマダラの頬に触れた。
「ここ、タレ、ついてる」
 水面に蕩けた夕日のような瞳の色。その中の漆黒の瞳孔に捕らえられると途端に身動きが取れなくなる。シシはマダラの頬から顎に指先を滑らせ、長く厚い舌でマダラの頬についていた焼きとりのタレをべろりと舐め取った。
「ごめんね。すごく美味しそうだったから」
 驚きのあまり固まっているマダラに、シシは優しく囁いた。
 美味しそうって、焼きとりのタレが?それとも……。そこまで考え、マダラは思考を切り上げた。甘辛いタレをたっぷりと絡ませた焼きとりは、そのほとんどがシシの胃に収まってしまった。
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