ひねくれもののプレイボーイと、十月十日で結ばれるまで

野中にんぎょ

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「次会ったらそう呼ぶね」

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「ねえ、腹減った。なんかないの」
「……なんかって。バナナと飴玉とソーダしかないよ」
 ぶつくさ言い始めるミメイを横目にラルはバナナを剥いた。昨晩は酔っていたのだろう、彼はなぜ自分がここに居るのか分からない、といった面持ちで部屋を見渡している。
「まだつわり終わんないの?マジでバナナと炭酸飲料しかないじゃん」
 起き上がり勝手に冷蔵庫を開けるミメイ。「勝手に開けないでっ」ラルは慌てて冷蔵庫に駆け寄り扉を閉めた。が、ミメイは台所に置いてあるカップ麺を手に取り顔を顰めた。
「妊夫がこんな食生活で大丈夫なわけ?自炊しなよ」
「つわり、最近軽くなり始めたばっかりで、何が食べたいのか日によって変わるし、一匹分じゃ食費もかさむし、ちょっと今は……そういうことをする余裕がないだけっ」
「知らないの?赤ちゃん産まれてしばらくしたら離乳食も始まるんだよ?今から料理の練習しとかないと後がヤバいよ?」
 酔ってよく知りもしないネコの家に来てしまう君に言われたくないよ。ラルは文句を飲み干して「そんなこと分かってる!」とカップ麺を奪い返した。
「フライパンも鍋もピッカピカじゃん」
 新品同様の鍋を棚から取り出し苦笑するミメイ。ラルは頬を熱くして俯いた。「これで君の食べられるようなものはないって分かったでしょ!もう家に帰ってよ!」きゃんきゃん吠えたててもミメイはどこ吹く風でエコバックからブロッコリーや粉チーズを取り出した。
「米ある?」
 むすっと唇を結び答えないでいると、ミメイは吊り棚や引き出しを物色し始めてしまった。いとも簡単に米びつを見つけた彼は包丁やまな板を次々と取り出し、振り返りもせずに「台所借りるね」と言った。
「野菜、マジでなんもないね。これだとコンソメは……ないか」
 空の野菜室に溜息を吹きかけ、たっぷりの水を入れた鍋を火にかける。ブロッコリーを手際よく切ったり裂いたり、ラルは彼の後ろからその手際の良さに見とれた。
「ブロッコリーってそうやって切るんだ」
 思わず呟けばミメイはラルに何か言いたげな視線を向けて来た。「お前そんなことも知らないの?」言われてもないのに彼の瞳からはそう聞こえてきた。
 茹でたブロッコリーはザルに上げられ、フライパンに生米が投入される。炒めて、コップ半分の水を加えて、また炒めて……、それを何度か繰り返すと米が膨れていく。米の炊ける匂いにラルの唇がだらしなく緩んだ。
 美味しそう……。
 頬の内側がきゅーっと切なくなって唾液が滲んだ。ラルのつわりは米の炊ける匂いで夜明けを迎えてしまったらしい。
 ミメイが粉チーズとブロッコリーと塩こしょうをフライパンに投入し掻き混ぜるとなんとも言えない香りが立ち上る。妊娠で嗅覚の鋭くなったラルの頭にちかちかと星が弾けた。
「皿ある?スプーンも」
 フライパンを持った彼に尋ねられラルは今度こそ頷いた。実家を出る際に母から持たされたオーバルの皿を二枚並べれば、そこへブロッコリーとチーズのリゾットが注がれた。
「いただきます」
 彼はスプーンと皿を取り炬燵に戻ると先に食べ始めてしまった。ラルは視線を彷徨わせ生唾を飲む。そんなラルを打見し、ミメイは「早く食べないと冷めるよ。作ってくれたひとに失礼でしょ」とけしかけた。
 小さな炬燵をはさんで向かい合い、二匹は無言でリゾットにありついた。「コンソメないと味決まんないわ」とミメイは呟いたけれど、薄味を好むラルには十分だった。絶妙な茹で加減のブロッコリーとチーズの芳醇な香りがとろりと炊き上がった米に絡んで……!食べられる、という確信がひと匙ごとに大きくなり、ラルは夢中でリゾットを頬張った。
「美味そうに食べるね」
 頬杖を突いてまじまじと見つめられてもラルの匙は止まらない。結局、ミメイが食べ終わらない内に完食してしまい、ラルは腹を摩った。もっと食べたい。ついさっきまで世話になっていた炭酸飲料もバナナも味気なく感じ、ラルは目の前のミメイの皿を食い入るように見つめた。
「え、なに、さっきバナナも食べてたじゃん」
 物欲しそうにしていた自覚はある。俯いてもじもじしているとミメイが彼の皿からリゾットを半分よそってくれた。
「つわり終わってんじゃないの?」
「そうみたい。自分では分かんなかった」
 素直に答えて匙を握ればミメイは目元をくしゃっと崩して笑った。彼の笑みは口端の右側が左側より窪むためにどこかシニカルに見えるけれど、本当のところはただ可笑しくて笑っているだけなのだと、今のラルになら理解できた。
「お前の腹はいつまで経ってもでっかくなんないね」
「初めての妊娠はそんなものだって、職場のおばちゃんが言ってた」
「いつ頃産まれるの?」
「予定日は十一月の半ばだよ」
「夏にお腹でっかくなって暑くて仕方なくなって、冬には寒いのにおっぱい出さなきゃなんない、一番損な時期だ」
 年下の雄ネコの戯言を「そうかもね」といなし、ラルは食器をシンクへ持って行く。
 素敵だと感じていたミメイは美しいけれどひねくれたところがあって子どもっぽい。ラルは憧れプレイボーイを生意気な年下枠に分類し直した。
「ご飯、ご馳走様でした。飴も少しずつ舐めるよ」
「ふは。そう邪険にしないでよ。言われなくても帰るから」
 例の仕種で笑いリュックを担ぐミメイは出会った頃よりもいくらか砕けている。ラルは彼から視線を背けシンクの中のスポンジを手に取った。
「ねえ」
 ふと背後に影が差す。振り返ってラルは硬直した。握ったスポンジからぼとりと泡が落ちる。背中に触れる温み、耳殻に感じる息、ラルを囲うようにシンクに突かれた両手……。
「名前教えて。お前だけ俺の名前知ってるのってなんか不公平」
 昨日はふらふらしていて、だから『OWL』まで間違って足を運んでしまって、もう会うつもりはなかったのに偶然が重なってミメイに出会ってしまって。かっこいいと思っていた彼は実は子どもで、家庭を持つつもりはないと言っていて、だからもう、本当にもう二度と、会っちゃいけない、心に立ち入らせてはならないひとで――。
 ころん。
 腹の中で、小さなビー玉が転がったような気がした。
 お腹の子が動いたからそう感じたのか、ラルには分からなかった。けれど驚きのはずみでラルの口から言葉がこぼれた。
「ラル」
 伝えるつもりのなかった名前を、彼の視線が飲み込む。「ラルね。次会ったらそう呼ぶね」彼はそうとだけ言うとキャリーケースを手に部屋を出て行った。
「粉チーズ忘れてる……」
 台所に置かれたままの粉チーズの筒が、早朝の光を受けてちらちらと光っていた。
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