卑屈ギャル♂、自己肯定感爆上げな恋をする

野中にんぎょ

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恋よりたいせつなもの

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 ――もう、ボクのことなんてほっといて。
 中学一年生の夏休みが終わると、紫苑は学校に来なくなった。
 茜は「紫苑が不登校になった」ということがピンと来ず、毎日紫苑に会いに行っていた。三年生の夏休みに差しかかると、紫苑はこの二年間を振り払うようにそんなことを言い始めた。
 ――茜だって高校受験が始まるでしょ。こんなところで遊んでないで勉強しな。ボクだって居場所がないわけじゃない、最近行き始めたフリースクールが肌に合ってるみたいで……、
 紫苑はそのフリースクールがいかに自分に合っているかを語ったけれど、茜は紫苑がフリースクールを辞めたことを知っていた。茜はその事実を胸にしまい、じゃあさ、と声を明るくした。
 ――紫苑が勉強教えてよ。紫苑、一年ん時、学年でイチバンだったじゃん。
 ――一番って言ったって昔の話じゃない。今の友だちに教えてもらいなよ。
 ――紫苑のけちんぼ! いいじゃん教えてくれたって!
 手足をばたつかせてごねると、紫苑は、あのね茜、と声色を改めた。
 ――茜がどれだけボクを待っていてくれても、ボク、もう茜と前みたいに笑ったりはしゃいだりできないと思う。……お願い、分かって。
 懇願する紫苑はまるで懺悔しているようだった。けれど茜は首を振った。
 ――そんなのやだ。
 ――やだって……。茜、今の話聞いてた?
 ――聞いてたよ。でも、いやなもんはいや。それにおれ、待ってなんかないよ。待つ必要なんかないじゃん。ここに会いに来れば、いつだって紫苑に会えるのに。
 紫苑はぐっと下瞼を膨らませ、俯いた。長い睫毛の先から雫がぽたぽたと滴って、まるでダイヤモンドみたいに光った。その輝きを守ることが、自分の役目だと思った。
 中学一年生の夏休み、紫苑に何が起きたのだろう。
 茜が知っているのは、夏休み中に学校の連絡アプリで「不審者注意」のメッセージが来たこと、夏の終わりにその不審者が逮捕されたこと、紫苑とその不審者に纏わる噂が学校に蔓延していること。
 茜は紫苑に何も尋ねなかった。ここに来れば紫苑に会える、それで十分だと自分に言い聞かせていた。
 ――ブレザーにして正解だったよな!
 桜並木の下、茜は同じブレザーを着た紫苑に笑いかけた。
 ――制服のデザインで高校を選ぶなんて信じられない。未来を見据えた選択をするべきだったんじゃないの?
 ――いいじゃんそんなの。水色のブレザーなんて今着なきゃいつ着るんだよっ。あー、かっこいい先輩いるかな? クラスメイトでもいい! 素敵な恋したいなぁ。
 ネクタイに触れながら言うと、紫苑は仕方なさそうに微笑んだ。
 しばらくして、二人は中学一年生の春以来に想い人が被り、ケンカしたり協力したり失恋したりした。楽しかった。紫苑がいるから、何もかも輝いて見えた。
「なあ、紫苑も一緒に来てよ。おれジャズ分かんないし、アシストしてよぉ」
「なんでボクが。危ない場所じゃないのは分かったし、一人で行きな」
 すまし顔の紫苑に、茜は唇を尖らせた。今週日曜日のジャズライブには優成が出演する予定だ。
「優成君がライブのチケット二枚くれたんだもん。無駄にしたくない。でも、紫苑がだめなら小林でも誘おうかな」
 紫苑の眉がぴくんと跳ねる。
「ねえ、まさか、小林に傾いてるんじゃないよね? 優成君は茜を身を挺して守ってくれたんだよ。そのことを忘れないで」
 紫苑は真っ直ぐな目で茜を諭すと、茜の手元からチケットを抜き取った。
「優成君と茜、ぴったりだよ。茜は突っ走り気味だけど優成君は落ち着いてて、相性がいいって感じ。優成君は優しくて誠実で周りをよく見てる。きっと茜を上手にたいせつにしてくれる。茜を突き飛ばしたりもしたけど、ちゃんと頭下げて謝ってくれたし、二人の間に何があっても、話し合えば乗り越えられるから。優成君は素敵な人だよ。今までの誰とも違う。絶対に目を逸らしちゃだめ」
 熱っぽく語る紫苑に、茜は小さく頷くことしかできなかった。
「紫苑、五時に迎えに行くから。紫苑のお母さんには、おれがついてるし七時前に帰宅するからって伝えておいて」
「うん。いつもありがとう。……あ~、なんであんなに服持ってるのに着る服がないんだろ。いやになっちゃう」
 紫苑の頬に、またピンクのバラ。瞳は潤み、長い睫毛は物憂げに伏せていて……。茜は紫苑に見惚れた。こんな紫苑、初めて見た……。
 今まで、紫苑はこんなにも熱っぽく誰かを語ったりしなかった。茜は確信を深めた。紫苑、もしかして……。


「遅くなっちゃってごめん」
 日曜日の午後五時。階段から下りて来た紫苑は、いつもは下ろしている前髪を流していて、大人びて見えた。「そーだよ遅い! 早く行こ!」玄関で足踏みすると、紫苑ははにかんだ。ミドル丈のトレンチコートと黒いブーツは、制服よりずっと紫苑をきれいに見せていた。
 潮騒は先日より客入りが少なく、二人はソファーに並んでステージを眺めた。テナーサックスを奏でる優成は素敵だった。もしかしたら、先日よりもずっと。
「優成君、素敵だな」
 耳打ちすると、紫苑は満足したように微笑んだ。橙色のダウンライトが紫苑の睫毛を輝かせる。その光にたっぷりと熱がこもっているような気がして、茜は膝に視線を落とした。優成を想う気持ちが、心からどんどん蒸発していく。
 ほんとうの恋を、目の当たりにしてしまった。
 紫苑は、優成君に恋してるんだ。
 優成はステージを下りると、そのままこちらに来てくれた。
「優成君、すごくかっこよかった」
 立ち上がり声をかけると、前髪を掻き上げた優成はいつもより子どもっぽい笑みで、「ありがとう」と応えた。
「この間と打って変わってアップテンポの曲だったね。音もなんだかはしゃいでた」
 紫苑は待ちきれないとばかりに喋った。「うん。ちょっと、趣向を変えて」優成ははにかみ、無言で紫苑を見つめた。
「シナトラの声が聴こえてきそうだった」
「知ってたんだ。……なんか恥ずかしいな」
「『All Of Me』でしょ。とてもロマンチックで、ここにぴったりだね」
 ぴったりなのは、紫苑と優成君にだよ。
 茜は二人の傍から一歩下がり、空いた胸を摩った。遊びの恋をしてきたつもりはない、けれどほんものの輝きにはどうしたって敵わない。
 彼は紫苑を守り抜いてくれるだろうか? 彼に紫苑の傷ついた心を癒せるだろうか?
 勝手に背負っていた役目が、自分から優成へ移ろうとしているのに気付いて、茜は燃えるような嫉妬を覚えた。けれどその嫉妬も、紫苑の笑顔を見ていると、蝋燭の火が消えるように、煙だけを残して、消えた。
 意地っ張りな紫苑には、包容力のある優成君がぴったりだ。もうそんなことを考えている自分がふしぎで、けれど、彼以上に紫苑に似合う相手はいないと、はっきり思えた。
「あ、やば、母さんから着信きてる。おれ、帰らなきゃ」
「え? 茜、帰るの? それならボクも、」
「紫苑はライブ楽しんで。ドリンクだって飲み終わってないじゃん。優成君、紫苑のこと、家までちゃんと送ってくれる?」
 茜は気持ちを込めて優成に尋ねた。優成はその気持ちを受け取ったかのように、重く頷いた。
「じゃあね、紫苑。明日また学校で」
 振り返ったらだめだ。
 そう思って俯いたままドアを開け放ち、階段を駆け上がる。
「あかねっ!」
 階段の途中で、紫苑の声が茜の背を叩いた。「あかね!」再び呼ばれ、茜は迷った末に紫苑を振り返った。紫苑は安心したように相好を崩し、「置いてかないでよ」と茜に駆け寄った。
「ごめん紫苑、おれの母さん怒ると怖いの知ってるだろ? すぐに帰らなきゃ」
 腕を組もうとする紫苑に言い含めると、紫苑は眼差しをきつくした。
「なんで嘘吐くの? 茜がボクを置いて帰るはずない」
 紫苑がまた学校に通えるようになってからずっと、茜は紫苑の登下校に付き添っていた。紫苑がずっと笑顔でいられますようにという祈りを、そういう行動に変えていた。
「紫苑、分かって。おれにはできないことを優成君がしてくれるんだよ」
「……何言ってんの?」
「紫苑だって言ってたじゃん。身を挺して誰かを守れるような人、優成君以外に見たことある? きっと、優成君は紫苑を全力で守ってくれる。おれなんてどこにでもいるようなやつといるより、優成君といる方が紫苑には合ってる。紫苑を癒すのは、おれじゃなくて優成君なんだよ」
 紫苑は唇からゆるゆると白い息をこぼし、「なにそれ……」と呟いた。
「茜、なんか誤解してない? ボク、優成君のことをかっこいいって言ったかもしれないけど、それは容姿のことで、好きって意味じゃないよ。大体、優成君を好きなのは茜の方でしょ。優成君のこと、どうでもよくなっちゃったの? あんないい人いないよって話したばかりじゃない」
「うそつき」
 詰ると、紫苑は面から感情を消した。
「どれだけ紫苑と一緒にいると思ってんの? バレバレだよ。紫苑、優成君が気になるんだろ? なんでいつもみたいにおれとケンカしてくんないの? なんでほんとうの気持ちをおれに隠すの?」
「ちがう、茜、ボクは、」
「おれ、紫苑がそう言い出せないような雰囲気出してた? だったら、ごめん。でもおれ、今は、紫苑と優成君のこと、ちゃんと応援したいって思ってる。惹かれ合ってる二人をおれのおままごとの恋で邪魔したくないんだよ、分かってよっ」
 声を荒げてしまい、茜は紫苑から視線を逸らした。
「……小林のせい?」
 その問いに、茜は面を上げた。
「あの日、小林になにか言われた? なにかされた? 小林は悪いやつじゃないけど、茜はもう近づかない方がいい。だって茜には優成君がいるでしょ」
「なんで小林が出てくんの」
「小林が茜を見る目、ふつうじゃないよ。小林は茜のこと本気なんだと思う。だからこそ近づきすぎると危ないよ。茜は分からないかもしれないけど、そういう気持ちが簡単に暴力とかレイプに繋がるんだよ」
 紫苑、なに言ってんの?
 その気持ちを声に変換できず、茜は愕然とした。
「この話は帰りながらしよ。ほら、テイクアウトしにカフェでも寄ろうよ。甘いものとしょっぱいものがあるお店がいいよね」
 力なく垂れた手を紫苑に握られ、茜はその手を跳ねのけた。
「小林はそういうやつじゃないよ! 紫苑が小林のことそういうふうに言うの、なんか……いやだ!」
 言い放った瞬間、紫苑の身体がびくりと震えた。
「紫苑? 茜? おい、どうした、ケンカか?」
 カラン。ドアベルの音と共に現れた優成の視線が紫苑へ注がれているのを見て、茜はその場から逃げるように駆け出した。

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