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ちぐはぐダブルデート!(もう一人の王子様)
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「広尾。一人で行くな、迷子になるぞ」
追って来た新を振り返り、茜はよそ行きの顔を崩した。窓ガラスに拗ねた子どものような自分が映っている。
「また失敗した」
「失敗って? 優成の肩で涎垂らして寝てたことか?」
「それもだけど! 知ったかぶりしてたって、バレた。優成君は優しいからおれに呆れたりしなかったけど、なんか、そんな嘘吐く自分がしょーもなく思えて……」
「確かに、しょーもないな」
いつも擁護してくれる新がそんなことを言うものだから、茜の機嫌は急降下した。
「しょーもないってなに!」
喚くと、新は茜に詰め寄った。「なんだよっ!」強がる茜を、新は「嘘なんか吐くから恥をかく羽目になるんだ」と窘めた。
「だって、そのままのおれを好きになってもらえるわけないじゃん! 毎日ああいう音楽聴いてるけど、今からじゃ紫苑に追いつけないし、でも優成君の恋人になりたいし、嘘吐かなきゃどーしようもないじゃん!」
「嘘の自分を好きになられたら、どうする。ずっと嘘の自分でいるのか?」
「喜んでそうするよ! おれなんか、ぶさいくだし、空っぽ人間だし、今までフラれてばっかだし、親でさえ茜はどうしてこんなに出来が悪いのかってふしぎがってるし。相手の気に入るおれになれればなんだって、」
「広尾」
固い声音で呼ばれ、茜は口を噤んだ。
温室に再び弦楽器の音色が漂い始める。新は「ちょっと歩こう」と言って茜から離れた。
「そばかす……、ずっと、気付かなかったんだ」
新はいつになく拙い調子で語り始めた。
「おれのそばかすのこと?」
「そう。夏になって、水泳の授業が始まるまで、ずっと気付かなかった。今も、完璧に隠れてるな」
茜のコンプレックスに配慮してか、新は視線を前へ伸ばした。
「そういうのは、なんというか、技術が必要だろう。おれには妹がいるが、おまえは彼女よりもそういうのが上手そうだ」
「何が言いたいんだよっ。男はメイクすんなってことっ?」
「誤解しないでほしい。そういうことを言いたいんじゃない。ただ、おれは……、」
そのままのおまえでいいのに。
新の瞳がそう語っていて、茜は苦しくなった。新がその気持ちを言葉にしないのは、言葉にすれば茜がもっと苦しくなることを感じているからだ。
沈黙が過ぎて、あんなことをしでかした自分よりも新の方が気落ちしていて、そんな新を見ているともどかしくて、茜は「ああもう!」と新の手を取った。
「なんでおれのことでおれより落ち込むわけ!? わけわかんないっ」
茜はぷりぷり怒りながら新の手を引き、温室を出た。北風を浴びると、心が凪いでいった。
「そばかすだけじゃないよ」
灯るように咲いている椿の花を見上げ、茜はため息を吐いた。
「アイロンしないとうねる髪の毛も、奥二重の目も、低い背も、掠れた声も、バカなとこも、夢中になってるものがないところも、ぜんぶ好きじゃない。……だからかな。おれは好きになる相手にそういうものを求めちゃうんだよ。おれの思う“王子様”っていうのは、かっこよくて、自分が夢中になれるものを持ってて、自分に自信がある人のこと……」
「おまえが前に好意を寄せていた野球部の先輩も、四番でエースだったものな」
「そうそう。小林、よく覚えてるな」
「覚えてるよ。おまえが先輩にアタックしてる姿は、おれにとって衝撃的だったから。県大会の準決勝、一年は各クラスの代表が応援しに行っただろ? おれとおまえで観に行ったの、覚えてるか? 試合に負けて俯いてる先輩を見て、おまえ、泣いてたよな。おまえは周囲の視線なんてそっちのけで先輩に想いを伝えて、フラれて。でも、先輩もおまえの気持ちを受け止めて、おまえと同じだけの熱量で応えてたよ」
またあの眩しそうな瞳で見つめられて、胸がトクッと脈打った。夏の日差しが落ちた球場、それと相反するように濃い影が落ちた場所で泣いていたことを思い出す。
忘れもしない。おれはあの場所で小林に告白されたんだ。思い起こすと繋いだ手が熱くなってきて、茜は新の手を離した。
「人を好きになるのは一瞬だってこと、おれは初めて知った。気付いたら、おれは、ついさっき傷心したばかりのおまえに、好きだって伝えてた」
頬が熱くなり、茜はマフラーに顔を埋めた。トッ、トッ、トッ、と、あの日のように鼓動が駆け上がっていく。
「おれがフラれて落ち込んでる間に、おまえは次の相手を見つけてて、ほんとうに参ったよ。でも、秋が深まる前におまえはまたフラれて、なのに一週間くらいしたらケロっとして誰々がかっこいいとか久住と盛り上がってて。なら、おれにもチャンスがあるって思った。おまえが次の相手を見つけるまでにアタックしなくちゃならなくて、いつもあんな感じになってしまうけど、やっぱり諦められない。これが人を好きになるってことなんだな」
面映ゆそうに笑う新に、茜は俯き眉を寄せた。新はかっこよくて優しくて愛情深い。そんなこと、ほんとうはとっくに分かってる。なのに、新を知れば知るほど知らない感情が芽生えて、自分の気持ちが分からなくなってくる。
「なんでおれなの。小林なら、いくらでも……」
「人を好きになるのに理由なんているのか。強いて言うなら、エネルギッシュで明るいのに卑屈なところがグッとくるけど、おまえはそう言われると癪に障るだろう。自分にないものを持っているから好きになるとか、そういうのはおれには分からないよ。ただ、気になるから、そばにいたいから、好きだから、そういうのじゃだめなのか」
視界が熱くなってきて、茜はいやいやと首を振った。なにがいやなのか分からない、けれど何かに抵抗したくて、ゆるゆると首を振り続けた。
お願いそこに触らないで。そう思っている場所に、新の言葉はそっと触れる。そこに優しく触れられると、「おれってだめなやつ」ってことを忘れそうになる。だめなやつって思わなきゃ、フラれ続けることに納得できない、次こそはって頑張れない。
「おれが嫌いか」
「嫌いなわけないっ」
面を跳ね上げて即答してしまい、茜は拳を握った。小林が本気でおれを好きなんだとしたら、おれ、小林にひどいことをしてるんじゃないだろうか。新は茜の拳に触れ、「そうか、よかった」と言ってホッとしたように微笑んだ。
「広尾。甘い匂いがしないか。アイスクリームみたいな」
「そういえば、そうだな。なんだろう、花の匂い……?」
どちらともなく手を繋ぎ、人の少なくなった温室を進む。滴るように溢れた緑の葉に紛れ、クリーム色の花がひとつ咲いていた。鼻先を寄せると、馴染みのある香りがした。
「小林。この花、バニラの香りがする」
「そうか。もしかしたら、これがバニラの花なのかもしれないな」
緑の蔦をそっとはぐると、そこには「バニラ」とパネルが掛かっていた。
「バニラの花なんて初めて見た」
「本来なら十一月から十二月が開花期と言われているが、条件次第で遅れて咲くものもあるのかもしれないな」
「へえ。小林、よく知ってるな。植物が好き?」
「いや……、」珍しく口ごもる新に、茜は首を傾げた。そんな茜を見て、新は「楽しみだったんだ、おまえと外出できるのが」と捨て鉢に言った。
「おまえと二人きりになれる機会があるんじゃないかと、その時には少しでもかっこつけたいと、ネットで色々調べたんだ。優成のためにジャズやクラシックを聴いてるおまえなら、おれの気持ちが分かるだろ」
新は急に拗ねたようになり、そっぽを向いた。繋いでいた手が緩み、茜は咄嗟にその手を握りしめた。
「小林もかいでみてよっ。ほ、ほんとうにバニラの香りがするから……」
手を引くと、新はこちらに向き直り、花に鼻先を寄せた。新の咽喉仏が山を描いているのを見て、茜はサッと視線を伏せた。
「ほんとうだ。バニラの香りがする」
「だろ? 小林、甘いの好きなんだろ。アイスクリームはバニラ派? もしかして、シュークリームはカスタード派じゃない?」
新が返事してくれたことにホッとして、茜は言葉を連ねた。なのに、新はこちらを見つめてくるだけで何も言わない。「小林、」名前を呼ぶと、きゅっと、手に力を込められた。新の瞳の奥が揺れている。
こばやし。
茜は瞳で新を呼んだ。新の瞳から、「広尾」と、自分を呼ぶ声が聞こえるようだった。
「会場に戻ろうか。あんまりおまえを連れ歩いてたら、久住が心配する」
手と手が離れ、茜はキュッと拳を握った。握られた手が、いつまでも熱かった。
「遅い。もう終わっちゃったじゃない。二人とも、どこで何してたの」
合流するや否や紫苑から叱られ、茜は「ごめん、ちょっと迷っちゃって」と謝った。ほんとうは、コンサートが終わる前に会場に着いていて、けれど並んだ紫苑と優成を見たら、邪魔をしてはいけないような気がして、後方で最後の曲が終わるのを待っていた。
「小林、茜をどこまで連れ回してたの? まさか植物園から出てたの?」
「紫苑、ちがうって。おれが小林を付き合わせちゃっただけ。どうしてそんなに小林を責めるんだよ」
新にきつく当たる紫苑に、茜は思わず声を荒げた。紫苑は茜をまじまじと見つめた。「どうして小林を庇うの? ボクは茜のためを思って言ってるんだよ」瞳がそう言っている。
「はいはいそこまで。 紫苑だって、コンサート中は茜のこと頭から抜け落ちてただろ? お互いに植物園とコンサートを楽しめたってことでいいんじゃないの?」
優成の言葉に、紫苑は眉を吊り上げた。
「何言ってんの!? ボクが茜を忘れるなんてこと、あるわけないでしょ!」
声は尖っていても、瞳は茜を気にしている。茜は神経を尖らせ始めた紫苑に歩み寄り、ばふっと抱きついた。
「ちょっと、茜、なに……」
「腹減った~! もう限界! 紫苑、どっかいいとこ知らない?」
抱きついたままぐずると、紫苑は背中から力を抜き、「もう。自分から誘ったくせに、ランチのお店くらい調べておいてよね」と小言を漏らした。
「まいったな。おれ、そんなつもりで言ったんじゃないんだけど。コンサート中はにこにこしてたのに、どうしたのかな。おれ、なんかやっちゃったのかな。茜、どう思う?」
店に向かう最中、優成は小声で茜に助けを求めた。茜は苦い笑みを返しながら、前を行く紫苑と新を気にした。
追って来た新を振り返り、茜はよそ行きの顔を崩した。窓ガラスに拗ねた子どものような自分が映っている。
「また失敗した」
「失敗って? 優成の肩で涎垂らして寝てたことか?」
「それもだけど! 知ったかぶりしてたって、バレた。優成君は優しいからおれに呆れたりしなかったけど、なんか、そんな嘘吐く自分がしょーもなく思えて……」
「確かに、しょーもないな」
いつも擁護してくれる新がそんなことを言うものだから、茜の機嫌は急降下した。
「しょーもないってなに!」
喚くと、新は茜に詰め寄った。「なんだよっ!」強がる茜を、新は「嘘なんか吐くから恥をかく羽目になるんだ」と窘めた。
「だって、そのままのおれを好きになってもらえるわけないじゃん! 毎日ああいう音楽聴いてるけど、今からじゃ紫苑に追いつけないし、でも優成君の恋人になりたいし、嘘吐かなきゃどーしようもないじゃん!」
「嘘の自分を好きになられたら、どうする。ずっと嘘の自分でいるのか?」
「喜んでそうするよ! おれなんか、ぶさいくだし、空っぽ人間だし、今までフラれてばっかだし、親でさえ茜はどうしてこんなに出来が悪いのかってふしぎがってるし。相手の気に入るおれになれればなんだって、」
「広尾」
固い声音で呼ばれ、茜は口を噤んだ。
温室に再び弦楽器の音色が漂い始める。新は「ちょっと歩こう」と言って茜から離れた。
「そばかす……、ずっと、気付かなかったんだ」
新はいつになく拙い調子で語り始めた。
「おれのそばかすのこと?」
「そう。夏になって、水泳の授業が始まるまで、ずっと気付かなかった。今も、完璧に隠れてるな」
茜のコンプレックスに配慮してか、新は視線を前へ伸ばした。
「そういうのは、なんというか、技術が必要だろう。おれには妹がいるが、おまえは彼女よりもそういうのが上手そうだ」
「何が言いたいんだよっ。男はメイクすんなってことっ?」
「誤解しないでほしい。そういうことを言いたいんじゃない。ただ、おれは……、」
そのままのおまえでいいのに。
新の瞳がそう語っていて、茜は苦しくなった。新がその気持ちを言葉にしないのは、言葉にすれば茜がもっと苦しくなることを感じているからだ。
沈黙が過ぎて、あんなことをしでかした自分よりも新の方が気落ちしていて、そんな新を見ているともどかしくて、茜は「ああもう!」と新の手を取った。
「なんでおれのことでおれより落ち込むわけ!? わけわかんないっ」
茜はぷりぷり怒りながら新の手を引き、温室を出た。北風を浴びると、心が凪いでいった。
「そばかすだけじゃないよ」
灯るように咲いている椿の花を見上げ、茜はため息を吐いた。
「アイロンしないとうねる髪の毛も、奥二重の目も、低い背も、掠れた声も、バカなとこも、夢中になってるものがないところも、ぜんぶ好きじゃない。……だからかな。おれは好きになる相手にそういうものを求めちゃうんだよ。おれの思う“王子様”っていうのは、かっこよくて、自分が夢中になれるものを持ってて、自分に自信がある人のこと……」
「おまえが前に好意を寄せていた野球部の先輩も、四番でエースだったものな」
「そうそう。小林、よく覚えてるな」
「覚えてるよ。おまえが先輩にアタックしてる姿は、おれにとって衝撃的だったから。県大会の準決勝、一年は各クラスの代表が応援しに行っただろ? おれとおまえで観に行ったの、覚えてるか? 試合に負けて俯いてる先輩を見て、おまえ、泣いてたよな。おまえは周囲の視線なんてそっちのけで先輩に想いを伝えて、フラれて。でも、先輩もおまえの気持ちを受け止めて、おまえと同じだけの熱量で応えてたよ」
またあの眩しそうな瞳で見つめられて、胸がトクッと脈打った。夏の日差しが落ちた球場、それと相反するように濃い影が落ちた場所で泣いていたことを思い出す。
忘れもしない。おれはあの場所で小林に告白されたんだ。思い起こすと繋いだ手が熱くなってきて、茜は新の手を離した。
「人を好きになるのは一瞬だってこと、おれは初めて知った。気付いたら、おれは、ついさっき傷心したばかりのおまえに、好きだって伝えてた」
頬が熱くなり、茜はマフラーに顔を埋めた。トッ、トッ、トッ、と、あの日のように鼓動が駆け上がっていく。
「おれがフラれて落ち込んでる間に、おまえは次の相手を見つけてて、ほんとうに参ったよ。でも、秋が深まる前におまえはまたフラれて、なのに一週間くらいしたらケロっとして誰々がかっこいいとか久住と盛り上がってて。なら、おれにもチャンスがあるって思った。おまえが次の相手を見つけるまでにアタックしなくちゃならなくて、いつもあんな感じになってしまうけど、やっぱり諦められない。これが人を好きになるってことなんだな」
面映ゆそうに笑う新に、茜は俯き眉を寄せた。新はかっこよくて優しくて愛情深い。そんなこと、ほんとうはとっくに分かってる。なのに、新を知れば知るほど知らない感情が芽生えて、自分の気持ちが分からなくなってくる。
「なんでおれなの。小林なら、いくらでも……」
「人を好きになるのに理由なんているのか。強いて言うなら、エネルギッシュで明るいのに卑屈なところがグッとくるけど、おまえはそう言われると癪に障るだろう。自分にないものを持っているから好きになるとか、そういうのはおれには分からないよ。ただ、気になるから、そばにいたいから、好きだから、そういうのじゃだめなのか」
視界が熱くなってきて、茜はいやいやと首を振った。なにがいやなのか分からない、けれど何かに抵抗したくて、ゆるゆると首を振り続けた。
お願いそこに触らないで。そう思っている場所に、新の言葉はそっと触れる。そこに優しく触れられると、「おれってだめなやつ」ってことを忘れそうになる。だめなやつって思わなきゃ、フラれ続けることに納得できない、次こそはって頑張れない。
「おれが嫌いか」
「嫌いなわけないっ」
面を跳ね上げて即答してしまい、茜は拳を握った。小林が本気でおれを好きなんだとしたら、おれ、小林にひどいことをしてるんじゃないだろうか。新は茜の拳に触れ、「そうか、よかった」と言ってホッとしたように微笑んだ。
「広尾。甘い匂いがしないか。アイスクリームみたいな」
「そういえば、そうだな。なんだろう、花の匂い……?」
どちらともなく手を繋ぎ、人の少なくなった温室を進む。滴るように溢れた緑の葉に紛れ、クリーム色の花がひとつ咲いていた。鼻先を寄せると、馴染みのある香りがした。
「小林。この花、バニラの香りがする」
「そうか。もしかしたら、これがバニラの花なのかもしれないな」
緑の蔦をそっとはぐると、そこには「バニラ」とパネルが掛かっていた。
「バニラの花なんて初めて見た」
「本来なら十一月から十二月が開花期と言われているが、条件次第で遅れて咲くものもあるのかもしれないな」
「へえ。小林、よく知ってるな。植物が好き?」
「いや……、」珍しく口ごもる新に、茜は首を傾げた。そんな茜を見て、新は「楽しみだったんだ、おまえと外出できるのが」と捨て鉢に言った。
「おまえと二人きりになれる機会があるんじゃないかと、その時には少しでもかっこつけたいと、ネットで色々調べたんだ。優成のためにジャズやクラシックを聴いてるおまえなら、おれの気持ちが分かるだろ」
新は急に拗ねたようになり、そっぽを向いた。繋いでいた手が緩み、茜は咄嗟にその手を握りしめた。
「小林もかいでみてよっ。ほ、ほんとうにバニラの香りがするから……」
手を引くと、新はこちらに向き直り、花に鼻先を寄せた。新の咽喉仏が山を描いているのを見て、茜はサッと視線を伏せた。
「ほんとうだ。バニラの香りがする」
「だろ? 小林、甘いの好きなんだろ。アイスクリームはバニラ派? もしかして、シュークリームはカスタード派じゃない?」
新が返事してくれたことにホッとして、茜は言葉を連ねた。なのに、新はこちらを見つめてくるだけで何も言わない。「小林、」名前を呼ぶと、きゅっと、手に力を込められた。新の瞳の奥が揺れている。
こばやし。
茜は瞳で新を呼んだ。新の瞳から、「広尾」と、自分を呼ぶ声が聞こえるようだった。
「会場に戻ろうか。あんまりおまえを連れ歩いてたら、久住が心配する」
手と手が離れ、茜はキュッと拳を握った。握られた手が、いつまでも熱かった。
「遅い。もう終わっちゃったじゃない。二人とも、どこで何してたの」
合流するや否や紫苑から叱られ、茜は「ごめん、ちょっと迷っちゃって」と謝った。ほんとうは、コンサートが終わる前に会場に着いていて、けれど並んだ紫苑と優成を見たら、邪魔をしてはいけないような気がして、後方で最後の曲が終わるのを待っていた。
「小林、茜をどこまで連れ回してたの? まさか植物園から出てたの?」
「紫苑、ちがうって。おれが小林を付き合わせちゃっただけ。どうしてそんなに小林を責めるんだよ」
新にきつく当たる紫苑に、茜は思わず声を荒げた。紫苑は茜をまじまじと見つめた。「どうして小林を庇うの? ボクは茜のためを思って言ってるんだよ」瞳がそう言っている。
「はいはいそこまで。 紫苑だって、コンサート中は茜のこと頭から抜け落ちてただろ? お互いに植物園とコンサートを楽しめたってことでいいんじゃないの?」
優成の言葉に、紫苑は眉を吊り上げた。
「何言ってんの!? ボクが茜を忘れるなんてこと、あるわけないでしょ!」
声は尖っていても、瞳は茜を気にしている。茜は神経を尖らせ始めた紫苑に歩み寄り、ばふっと抱きついた。
「ちょっと、茜、なに……」
「腹減った~! もう限界! 紫苑、どっかいいとこ知らない?」
抱きついたままぐずると、紫苑は背中から力を抜き、「もう。自分から誘ったくせに、ランチのお店くらい調べておいてよね」と小言を漏らした。
「まいったな。おれ、そんなつもりで言ったんじゃないんだけど。コンサート中はにこにこしてたのに、どうしたのかな。おれ、なんかやっちゃったのかな。茜、どう思う?」
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