君を想い、君を愛し、君を殺す

羽田トモ

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朱い糸

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 湖のほとりを一人で歩く。夜風が気持ちいい。この地域は、日が暮れても温暖な気候のため過ごし易かった。月明かりに照らされた夜道の先には、暖色の光を灯す湖畔に建つ一軒の小屋。僕は小屋に辿り着くと、帰宅を告げるように扉を叩く。すると、直ぐに中から足音が聞こえ、ゆっくりと扉が開いた。

「おかえりなさい、レオ」

 笑顔で迎えてくれる君。僕も笑顔を浮かべながら「ただいま」と言葉を返す。君は口を閉ざしたまま、目だけで問うてくる。それに気付いた僕は誇らしげ、釣果を掲げる。一匹の大型魚。食用に適しており、王都でも人気のある魚である。君は手で口を覆いながら驚く。ただ直ぐに満面の笑みを浮かべて「すごい」と感心し、僕を褒めつつ、小屋の中へ招き入れてくれた。僕は幸せで満たされた小屋の中へ入る。

 転移魔術で飛んだ先は、旅路の途中に一晩だけ過ごした小屋だった。山頂付近の開けた場所に建っている小屋は、かつて、木こり小屋として使われていた。ただ、それも昔の話。魔王軍との大戦が勃発した際に放棄されたのだ。皮肉なことに、そのおかげでここには手つかずの自然が残っている。水と空気が綺麗でなければ咲かない青花ディープ・ブルー白花エンジェルティアが咲き乱れ、目が覚めるような爽やかな香りと濃厚な甘い花の香りに誘われて、朧気に光る数十頭の幻霊蝶が優雅に舞っている。水底まで見通せる小さな湖には、星屑魚の群れが暗い水中に幾重もの流星を描いていた。ここは、君が気に入った場所だった。

「待っててね、直ぐにご飯にするから」

 彼女が小さな調理台で手際よく遅い夕飯の支度を始めた。そんな君の後ろ姿を椅子に座って眺める。穏やかで、緩やかに流れる時間。静かに目を閉じる。まな板の小気味の良い音、沸騰する鍋、徐々に香ってくる食欲をそそる匂い。体で感じる幸せ。僕が魚を釣っている間、小屋の掃除をしてくれていた彼女の仕事ぶりは完璧だった。磨かれたテーブルと椅子、埃や蜘蛛の巣が叩き落とされた壁、綺麗に掃かれた床と、着いた時の汚さが嘘のように小屋の中が隅々まで綺麗になっている。

「お待たせ、出来たよ」

 テーブルに二人分の食器を並べ終え、今か今かと待ち侘びていると、大型のスキレットを手に持った君が振り返りながら声を上げる。出来上がった料理を見た瞬間、僕のお腹が鳴った。日持ちの良いドライトマトや小屋の近くで摘んだばかりの香草が乗ったアクアパッツァ。ツィチの得意料理であり、僕の好物。各々の取り皿に料理を分け、二人で手を合わす。

「いただきます」

 息を吹きかけて熱を冷まし、一気に頬張る。すると、爽やかな香草の香りが鼻から抜け、直ぐに脂の乗った魚の旨味が口いっぱいに広がった。しっとり柔らかい白身、歯ごたえがあって味が濃いドライトマト、食材のエキスが溶け出したスープ、刻まれた香味野菜の余韻が口の中で混然一体となり、自然と頬が緩む。

「おいしいよ、ツィチ」

 僕は光悦とした表情をさせながら、味の感想を伝える。じっと僕の顔を見つめていた君はそれを聞いて嬉しそうに笑うと、料理を食べ始めた。それからは、昔話に花を咲かせながら食事を楽しんだ。食事中ということもあり、話題は主に料理について。旅を始めた頃、料理の担当はペル一人だった。だがある日、君が突然ペルから料理を習い始めた。悪戦苦闘しながら出来上がった記念すべき最初の料理は、表面が炭化した生焼けの肉塊。それを一口食べた僕が腹痛に見舞われたことを笑いながら語ると、君は頬を膨らませて拗ねてしまう。平謝りするが、君はなかなか機嫌を直してくれない。そしておもむろに、口を大きく開けてねだってくる。僕の分の料理を食べさせてあげると、君は満足そうな顔をする。

「ツィチはゆっくりして」

 食事を終えると、汚れがこびり付く前に食器を洗う。片付けは僕の担当だ。ただ、君は「手伝う」と言ってくれ、二人並んで食器を洗う。君が手伝ってくれたおかげで、圧倒言う間に片付けは終わり、二人で食後の運動がてら夜の散歩に出かけた。

「綺麗……」

 君が空を見上げて感嘆の声を零す。その声に、僕も同じように空を見上げる。雲一つない夜空には、七色に輝く大きさも明度も違う星々が空を埋め尽くしていた。王都の夜景も人々の営みが灯っていて美しい景観だが、ここは付近一帯に人も魔物も居ないため心地良い静謐せいひつに包まれていて、まるで生命一つ一つを尊重しているような絶景が広がっている。

「う~ん……、あッ!」

 花畑をじっと見つめていた君は突然、花を避けながら駆け出す。君が走り抜けた跡には、軌跡の様に花びらが舞い上がる。そして、一際青みが深い青花ディープ・ブルーの前でしゃがみ込むと、花を傷付けないように優しく茎の部分から摘み取った。花の香りを嗅ぎ、笑みを浮かべる君。その様子を穏やかな気持ちで眺めていると、君はゆっくりと僕に近づき、その花を胸元に飾り付けた。

「ふふ、良く似合ってる」

 その後、湖のほとりに二人並んで座る。君は僕の体に寄りかかり、肩の上に頭を乗せた。君の体温を感じる。それが心地よく、安心できた。君はこの穏やかな時間に浸るように、そっと目を閉じる。そんな君を横目に、僕は湖をぼんやりと眺める。

 星屑魚スパークルズフィッシュ。見た目が美しい魚だが、“死の象徴”としての側面を持つ。この魚は繁殖期にのみ、雄の個体が体を発光させる。その光で以って雌に求愛行動を取り、子孫を残すのだ。だが、子孫を残し終えると、体の発光は急速に弱まっていく。そして光が完全に消えると共に、衰弱死して暗い水底に沈む。

 白花エンジェルティアと幻霊蝶もそうだ。白花に希少価値はない。ただ、唯一無二の特徴を持っている。それが、花弁はもちろんのこと、茎も葉も根も全てが白いということだ。この見た目から、死者の日の献花として用いられる。死者の日とは、天界へ昇った清浄な死者の魂達を祭る日のことで、その白花の蜜を好むのが幻霊蝶なのだ。夜な夜な花の香りに誘われて、祭壇に数十頭の幻霊蝶が姿を現す。名の由来も、祭壇に群がる幻霊蝶を見て、死者の魂が黄泉帰ったと誤解したところから名付けられている。

 ――死。

 胸の奥底に閉じ込めていた思いが揺さぶられ、這い上がってくる。この小屋に着いた際に、君と約束したこと。特別なことをするのではなく、普通の男女の、等身大の幸せ日常を過ごす。だが、無理だった。心が叫ぶのだ。幸せを感じているからこそ、この先もこうして君と過ごしたい、と。体が小刻みに震れ出し、それに気付いた君が心配そうに声をかけてくる。

「レオ……?」

 僕の事を気遣うような優しい声音。君の声が聞ける。それがどんなに幸福なことなのか。だが、その声もあと数時間で聞けなくなってしまう。頭の中で君との思い出が、まるで走馬灯のように巡る。辛いこともあったはずなのに、君が僕の隣にいてくれたことで全ての思い出が色鮮やかに輝いている。そんな君がいなくなってしまう。僕は喪失感と底の見えない恐怖に身を強張らせる。そして何より、己の無力さが憎い。僕にもっと力があれば、君の命を引き換えにせずとも人類を救えた。あるいは僕が力を持たぬ弱者なら、もし君が魔族でなければ……。感情の奔流に飲まれ、思考が定まらない。気が付くと、無意識に源泉の分からぬ涙を流していた。何故、泣いているのかが分からず、ただ流れ続ける涙に頬を濡らす。

「大丈夫だよ」

 涙を流す僕の事を君は優しく抱きしめた。体が密着したことで、君の鼓動が伝わってくる。君の命の音。こんなにも力強いのに、こんなにも美しいのに――何故、音色を止めなければならないのか……。体から力が抜けていく中、君はずっと優しく撫で続けてくれる。そっと君の顔を覗く。君と目が合うと、僕に優しい顔で微笑んでくれた。離れたくないと思ってしまう。だから――、

「ツィチを……ツィチを殺して、僕も……」

 頭では分かっている。それ以外に人類を救う手立てがないのだ。最善の選択。理想を追い求めて救える命はない。理想を否定したいんじゃない。理想がなければ、人の心は簡単に死んでしまう。だからこそ、理想を語り、理想を思い描かせることで、人の心を救うのだ。その上で、最善を尽くす。頭では分かっているのだ――だから、人類を救うために君を殺し、その後に僕も死のうと考えた。

「ありがと、本当にうれしい。けど……、ダメだよ、レオ……」

 一瞬、君は本当に嬉しそうに笑った。だが、直ぐに頭を小さく横に振る。胸を締め付けられるような痛みが走った。

「私が死んだら、残った魔族同士が新しい魔王を決め出す。その方法は、誰が一番人間を殺せるか。レオにはね、それを阻止して欲しいの……それにね、我儘わがままだけど、私はレオには生きてて欲しいんだ」

 君はそう言うと、笑った。本当に我儘で、ズルいと思った。君にそんなことを言われてしまったら、僕が死ねないことを分かって言っている。“共に死ぬことを望む君ではないのだ”。本当にズルい。だけど、そんな君が心の底から愛おしく、好きだった。

「小屋に戻ろ」

 君は立ち上がると、僕に手を差し出した。月明かりに照らされた君。その心、その姿――全てが綺麗だと思えた。僕は君の手を握ると、静かに立ち上がる。そして、込み上がってくる感情に抗えず、君を抱きしめてキスをした。柔らかな感触と甘い吐息に、鼓動が高鳴る。時間が止まったような感覚に溺れ、二人だけの世界で互いが互いを求め合う。

「帰ろう、ツィチ」

 手を絡め、ゆっくりと歩き出す。僕は弱い。だけど、君がいる。僕は君を忘れない。君も僕を忘れない。この僅かな時間の中で、僕らは一生の愛を語る。僕が君の心に剣を突き刺すのならば、僕の心には君という存在を刻み込む。


 ◇◇◇◇◇


 山を覆う朝霧が晴れてきた。霧の隙間から射し込む朝日、日を浴びて淡く光る霧、遠くで聞こえる鳥のさえずり、朝の匂いと湿った土の香りが香り、幻想的な朝を作り出している。僕らは小屋の中から、静かにその景色を眺めていた。ただ、それももう終わり。僕らは歩み出した。

「レオ、これを」

 君が様々な魔道具を渡して来た。これらは昨日の説明を受けた物で、三人の元へ帰れる道具やそれ以外にも魔王軍の残党を討伐するために役立つ魔道具である。

「ありがとう、ツィチ」

 二人で小屋の外に出た。山頂付近ということもあり、太陽がよく見えた。あと少し。地平線に僅かに掛かる太陽を、君の手を握りながら眺める。僕も君も清々しい顔をしていた。そして太陽が完全に昇ると、ゆっくりと君と向き合う。

「大丈夫?」

 君は最後まで僕の事を気遣う。

「うん」

 僕は笑ってみせた。

「…………」

 君も優しく微笑む。

「…………」

 僕は真っ直ぐ君を見つめる。

「ツィチ、愛してる」

 僕の最後の言葉。

「私も愛してる、レオ」

 君の最後の言葉。



 
 僕は君の心臓に剣を突き刺した。

 根元まで剣を突き刺し、一気に引き抜く。その瞬間、君の胸から鮮血が噴出す。そして、そのまま崩れ落ちそうになる君を、僕は剣を投げ捨てて優しく受け止める。

 溢れ出る

 徐々に君がこの世から消えていく。僕は君だけを見つめる。君という存在が旅立とうとしているのだ。最後の瞬間まで見届ける。やがて、体温が消えた。あれだけ暖かかった君の体温が……。次に、鼓動が消えた。あれだけ力強かった君の鼓動が……。

 ――君は僕の腕の中で、静かに息を引き取った。

「…………」

 僕は大丈夫だよ、ツィチ。君にカッコ悪い姿は見せられない。それに、君の心は消えずに僕の心の中に残ったよ。ちゃんと刻み込んだ。……だけど、だけどさ、ツィチ、今だけはいいかな……?

「―――――うわぁあああああああああああああああッ!!!」

 安らかな表情を浮かべる君を抱き、太陽に向かって慟哭した。
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