痛ミ、触レアイ。孤独ト、舐メアイ。

月城依織

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4.殺した〝何か〟 side 藤里 律

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「……雨か」
「藤里くん、16時半から校舎回りを掃除する予定だったけれど、延期にしようか」
「分かりました。では、用意していた道具だけは片付けておきますね」
「うん、悪いけどよろしく」

 放課後を知らせるチャイムが鳴った後、俺は事務室前に用意していた掃除道具を片付けるため、外にある倉庫へと向かった。


 右手でカゴを持ち、左手で傘を持つ。
 今日は雨で部活が休みなのか、生徒たちは楽しそうな声を上げながら正門に歩いていた。その様子を横目に見ながら、先へ進む。

 アスファルトを打ち付ける雨音の中、管理棟に沿って歩き続けていると、校舎の壁にもたれかかっている人の姿が見えた。
 傘も差さずに何をしているのだろうか。
 そう思った俺は、目的地である倉庫を通り過ぎ、その人の元へ向かう。

 生徒ではない。
 スーツを身に着け、ネームプレートを首から下げた人物――。

「北本、先生……?」

 自分の心拍数が上がっていく気がした。
 視界に入った人物の名を口にすると、悲しそうな目をこちらに向ける。彼は雨で全身を濡らし、虚空を見つめていた。

「北本先生、何をしているのですか!?」
「……藤里さん」

 目が真っ赤なのは、泣いていたからなのか。彼の頬を濡らす水滴は、雨か涙か判断ができない。日頃は前髪を上げて固めている北本先生だが、今は雨に濡れたせいか、すべてが目にかかっていた。

 俺はカゴをその場に置き、持っていた傘を北本先生の方に傾ける。彼は弱々しく口角を上げ、俺と目を合わせた。

「藤里さん、濡れますよ」
「俺はいいです。北本先生、あなたこそ風邪を引いてしまいます」

 北本先生は俺の言葉に小さく首を振る。
 口角を上げたまま、諦めたような声を出す。

 いじらしくて、どこか投げやりで、それが俺にとって、非常に悔しくて。

「僕は、もういいで……」
「な、何もよくないでしょうがぁぁぁ!!」
「!」

 つい、大きな声を出してしまった。
 驚いたような表情の北本先生を見て、ハッとなる。しかし、もう手遅れだ。


 しだいに悲しみが浮かび始める様子を見ながら、俺は傘を手放して彼の腕を引いた。周りに人がいても関係ない。どこを触れても濡れている北本先生を、そっと俺の腕の中に収める。
 最初はすこしだけ抵抗された。でも「北本先生、大丈夫です」と耳元で囁くと、その抵抗すら徐々になくなっていく。

「藤里さん、濡れます」
「俺はいいです」
「でも……」
「……うるさい口だな」
「え?」

 北本先生の顎を掴み、そっと上を向かせる。降り注ぐ雨が俺達を強く打ち付けるが、気にも留めずに北本先生の目を見つめ続けた。
 眼鏡のレンズに水滴が溜まり、視界が悪くなる。けれど、それすらも、どうでもよく感じた。

 驚いた瞳。
 真っ赤な目元。

「気の強い今までの北本先生は、どこに行ったのですか……」

 その返答を待たずに、俺は彼の震える唇と自身の唇を重ねた。冷え切った唇からは、あのときの涙と同じような甘さを感じる。
 突然の接吻に驚いたような表情を浮かべた北本先生だったが、抵抗はされなかった。
 何度か唇を重ね続けたのち、ゆっくりと舌を侵入させる。雨と、涙と、唾液。すべてが入り混ざり、雨音と共に淫猥な音が校舎横で響き渡る。

「ふ……じさと、さん……」
「ねぇ、北本先生。俺はずっとあなたを見ていました。気の強いあなたが泣いている。それがずっと、気になっていました」
「……」
「泣くほど苦しいなら、俺に吐き出してくれ。話して落ち着くなら、いくらでも話してくれ。北本先生の苦しみ、悲しみ……それらをすべて、受け入れたいと思っています」

 俺は眼鏡を外して、作業着のポケットにしまいこんだ。
 レンズを介さずに直接見つめ合う。視界は悪いが、不思議と北本先生の目が綺麗に見えるような気がする。

「……藤里さん。僕は、限界なんです」

 俺の言葉を聞いた北本先生は、小さく言葉を発する。
 そして、嗚咽を漏らしながら泣き始めた彼の口を、俺はまたそっと塞いだ。



***


「えっ!? 藤里くん!?」

 泣いていた北本先生を落ち着かせて、職員更衣室へと連れて行った。簡易シャワーが設置されているそこなら、すこしでも体を温めて着替えをすることができる。
 俺はあとでまた更衣室へ戻ることを約束し、事務室に戻ってきていた。そこで俺の姿を見た上司が、第一声で驚きの声を上げたのだった。

「藤里くん、倉庫に道具をしまいに行っただけだよね? 傘を差さずに行ったの!? なんでそんなに濡れているんだ!?」
「……雨が、真横に降っていました」
「そんなことないよね!?」

 上司は棚からタオルを取り出し、俺の頭に投げかけた。それに対してお礼を告げながら「すみませんが、今日は帰らせてください」と言葉を継ぐ。その要求に対して、快く受け入れてくれた。

 ロッカーから荷物を取り出し、事務室にいるすべての人に挨拶をして部屋を後にする。職員玄関とは真逆の方向に進み、職員更衣室を目指した。

 目的地に着くと、『使用中』の札がかかった扉をノックする。「北本先生」と小さく名を呼ぶと、そっと鍵が開いた。
 それを確認して扉を開き、急いで中に入る。
 濡れたままの北本先生の姿を確認しながら、俺は扉の鍵を再度閉めた。

「なんで、シャワーを浴びていないのですか?」
「……」

 悲しそうな目で見つめられ、心臓がすこし跳ねる。
 気の強い彼をこんな風にしたのは、いったいなんなのか。何が彼を、ここまで別人のようにしたのか。
 もはや別人のような彼の様子に、頭が痛み始める。

「シャワー、浴びましょうよ」
「いや、もう死ねばいいのかなって、思って」
「え?」
「誰か、愚かな僕のことを■■■■■。孤独で、教師なんて向いていなくて、優しいなんて言われて、本当の僕と乖離して。その現実に、耐えられない。今日だってそう。僕は決していい人なんかではない。それなのに生徒は『北本先生、ありがとう』なんて言って、微笑みかけてくる。僕は教師なんて、本当はやりたくないんだ。でも、辞める勇気もない。嫌々で教壇に立つ僕なんて、いっそ死んでしまえばいいんだ!!」
「……」
「僕を、助けようとしないでください。■■■■■……どうか、僕を殺してください、藤里さん……」

 
 北本先生から繰り返し発せられる言葉に、頭がより強く痛む。

 俺の知らない北本先生、この人はいったい誰なのか。
 そして、その人が発する言葉に対して、強い苛立ちを覚えた。

 俺は彼の体を押し倒し、床に寝かせる。その上から覆い被さり、すこし荒く唇を重ねた。
 お互いの濡れた服や体が吸い付きあう。北本先生は涙を零しながら抵抗をする。だが俺はそれらも気に留めず、荒い接吻を繰り返し続けた。





side 藤里 律  終



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