15 / 26
五個目の車輪と蛇の足
ひっそり静かな生活(主観的には)***拾われ侍従の②
しおりを挟む
騎士二人に護衛されながら、城仕えの使用人とともにざわざわと鳴る草むらにつけられた細い道を進んだ。
立ちはだかる森をもう一度見上げる。左手に見える白と茶の縞がある樹から五メートルほどのここが、お嬢様が指定した貢物を捧げる場所の入り口。
使用人が抱えた木箱には、肉や野菜、果物といった王城御用達の高級食材が溢れんばかりに詰まっている。
僕は手触りの良いタオルや肌着、シンプルだけど仕立ての良いワンピースなど、お嬢様のための日用品が詰まった革袋を背負い、公爵家で調理したサンドイッチやスープといった食事や焼き菓子が入ったバスケットを抱きしめていた。ほんのりとまだ残るぬくもりをできるだけ逃がさないように。
行くぞと剣に手を添え構えた騎士に続いて一歩踏み出せば、風に膨らんだカーテンを押すような僅かな抵抗を肌に感じた。
「なんなんだこれは!!なぜ!」
旦那様がゆうべ手にした分厚い書類が二組。
王城のものとわからないように偽装された馬車でやってきた使者が差し出した封筒には、宰相閣下の封蠟が施されていた。
もう一組は大きさもまちまちながら一つに束ねられている。公爵家の暗部が調べたそれは、王城からの調査結果を裏付けていた。
重厚な執務机に紙束を叩きつけ、載っていた領地の決裁書類も資料も一緒くたに薙ぎ払う。
「受け取っていたスケジュール表と何故こんなにも違う!これではっこれではシャルロットは食事もまともにとれていないではないかっ」
「……朝食は公爵邸でとれていました。昼食と夕食も城で用意はされていましたが、押された予定に追われ結局は軽食をかろうじてつまめた程度のものかと」
家令のジョルジュさんは通常通りの淡々とした口調だけれど、どこか苦み走った声色だった。
壁際に控えていた僕は、ふかふかの絨毯に散らばった書類をぼんやりと眺めている。
ジョルジュさんに伴われてこの執務室に来る前に、それらには僕も目を通していた。間違いはないかと、城でのお嬢様の様子と齟齬はないかと問われた。旦那様も同じように僕に問う。お嬢様について登城し付き添ったことがあるのは、今では僕だけだったから。
「僕が、僕がお嬢様にお供できたのは、十日ほどでした。講義の時間は入室を許されず、食事のお世話は城にいる侍女の仕事だと、言われて、僕が、御側にいられたのは、移動と休憩の時間だけ、で」
知らなかった。城で働くものはシフト通りに休憩も食事もとる時間が決められていて、僕もそれに従えと言われて。僕が食堂で食事をとっている時間に、お嬢様は与えられた部屋で食事しているものだとばかり思っていた。
知らなかった。いつも定まらない休憩時間は、予定されていたものではなかったことだなんて。予定されていたのはもっと充分な休憩も食事もとれるようにゆったりしたものだったなんて。
僕は学校で習ったのに。お嬢様のような淑女はお腹が空いたなどとははしたなくて口にできないから、従者が意を汲んで先回りするのだと習ったのに。
そもそも従者である僕が、お嬢様のスケジュールを把握できてないことがおかしいのに。
それなりに優秀な成績をあげながら、あの十日ほどの城でのことを思い返して、あれはおかしいことだったのだと、気づくことすらできなかった。
ただひたすらに目の前の課題をこなせば、お嬢様のもとに戻れるのだとそればかりで。
旦那様は資料をめくっては、どうしてこんなことになっていたのだと、何故気づくことができなかったのかと、声を震わせている。ジョルジュさんはそれにも淡々とした姿勢を崩さないまま答えていく。執務室に来る前、僕に細かく確認していた時に見せていた涙の滲んだ目やまだらに赤らんだ頬などの影もなく。それでもやはり声だけはいつもより低い。
「何故講師たちは予定通り進んでないことを報告していない」
「―――完全に善意だったそうです。王妃殿下ほどではなくても、あと少し多めに時間をとれば追いつくはずだと。超過時間分の報酬の請求もしていません」
講師達はみんな王妃殿下が子どもの頃に師事した研究者とのことだった。「王妃殿下と同じようにとはいきませんが、まあいいでしょう」と言いながら、長時間の講義だったにも関わらずご機嫌で退室していく姿を見た記憶がある。
「侍女はっ、食事もとれてないなど城の者たちが気づいてもいいだろう」
「王族付きの専属の者以外は、全てシフトで入れ替わり立ち替わり仕えています。……シャルロットお嬢様に専属はついていませんでした。二日続けてどころか、一日を通して同じ者がついたことすらなかったそうです。誰も、気づいていませんでした」
「公爵令嬢だぞ。しかも王妃の姪だ。そのシャルロットをほぼ丸一日拘束しておいて……この十年休みらしい休みもないではないか!」
「旦那様……それに気づかなかったのは私どもも同じでございます。少なくとも、休みも与えられていないことは」
「王妃がっ姉上が、城でエドワードと過ごすと! 娘と同じだからとっ……いや、言い訳だな。家族での休暇も過ごせないことにもっと疑問にも不満にも思うべきだった。だが誰が思う、教育や研修とは名ばかりの、これでは公務そのものではないか。姉上やエドワードの補佐どころではないだろう。婚約者や家族としての時間ではなく、姉上たちの公務の肩代わりをしていたなどと、誰が思うというんだ。将来の家族と言っていたのに、食事すら一緒にとっていないなどと誰が」
どうしてと繰り返す旦那様は落ち着きなく視線を彷徨わせ、震える右の拳を自ら抑え込んでいる。その拳を振り降ろす先にいるのが誰なのか、それは本当にその人であるのかと信じたくないようにも見えた。
立ちはだかる森をもう一度見上げる。左手に見える白と茶の縞がある樹から五メートルほどのここが、お嬢様が指定した貢物を捧げる場所の入り口。
使用人が抱えた木箱には、肉や野菜、果物といった王城御用達の高級食材が溢れんばかりに詰まっている。
僕は手触りの良いタオルや肌着、シンプルだけど仕立ての良いワンピースなど、お嬢様のための日用品が詰まった革袋を背負い、公爵家で調理したサンドイッチやスープといった食事や焼き菓子が入ったバスケットを抱きしめていた。ほんのりとまだ残るぬくもりをできるだけ逃がさないように。
行くぞと剣に手を添え構えた騎士に続いて一歩踏み出せば、風に膨らんだカーテンを押すような僅かな抵抗を肌に感じた。
「なんなんだこれは!!なぜ!」
旦那様がゆうべ手にした分厚い書類が二組。
王城のものとわからないように偽装された馬車でやってきた使者が差し出した封筒には、宰相閣下の封蠟が施されていた。
もう一組は大きさもまちまちながら一つに束ねられている。公爵家の暗部が調べたそれは、王城からの調査結果を裏付けていた。
重厚な執務机に紙束を叩きつけ、載っていた領地の決裁書類も資料も一緒くたに薙ぎ払う。
「受け取っていたスケジュール表と何故こんなにも違う!これではっこれではシャルロットは食事もまともにとれていないではないかっ」
「……朝食は公爵邸でとれていました。昼食と夕食も城で用意はされていましたが、押された予定に追われ結局は軽食をかろうじてつまめた程度のものかと」
家令のジョルジュさんは通常通りの淡々とした口調だけれど、どこか苦み走った声色だった。
壁際に控えていた僕は、ふかふかの絨毯に散らばった書類をぼんやりと眺めている。
ジョルジュさんに伴われてこの執務室に来る前に、それらには僕も目を通していた。間違いはないかと、城でのお嬢様の様子と齟齬はないかと問われた。旦那様も同じように僕に問う。お嬢様について登城し付き添ったことがあるのは、今では僕だけだったから。
「僕が、僕がお嬢様にお供できたのは、十日ほどでした。講義の時間は入室を許されず、食事のお世話は城にいる侍女の仕事だと、言われて、僕が、御側にいられたのは、移動と休憩の時間だけ、で」
知らなかった。城で働くものはシフト通りに休憩も食事もとる時間が決められていて、僕もそれに従えと言われて。僕が食堂で食事をとっている時間に、お嬢様は与えられた部屋で食事しているものだとばかり思っていた。
知らなかった。いつも定まらない休憩時間は、予定されていたものではなかったことだなんて。予定されていたのはもっと充分な休憩も食事もとれるようにゆったりしたものだったなんて。
僕は学校で習ったのに。お嬢様のような淑女はお腹が空いたなどとははしたなくて口にできないから、従者が意を汲んで先回りするのだと習ったのに。
そもそも従者である僕が、お嬢様のスケジュールを把握できてないことがおかしいのに。
それなりに優秀な成績をあげながら、あの十日ほどの城でのことを思い返して、あれはおかしいことだったのだと、気づくことすらできなかった。
ただひたすらに目の前の課題をこなせば、お嬢様のもとに戻れるのだとそればかりで。
旦那様は資料をめくっては、どうしてこんなことになっていたのだと、何故気づくことができなかったのかと、声を震わせている。ジョルジュさんはそれにも淡々とした姿勢を崩さないまま答えていく。執務室に来る前、僕に細かく確認していた時に見せていた涙の滲んだ目やまだらに赤らんだ頬などの影もなく。それでもやはり声だけはいつもより低い。
「何故講師たちは予定通り進んでないことを報告していない」
「―――完全に善意だったそうです。王妃殿下ほどではなくても、あと少し多めに時間をとれば追いつくはずだと。超過時間分の報酬の請求もしていません」
講師達はみんな王妃殿下が子どもの頃に師事した研究者とのことだった。「王妃殿下と同じようにとはいきませんが、まあいいでしょう」と言いながら、長時間の講義だったにも関わらずご機嫌で退室していく姿を見た記憶がある。
「侍女はっ、食事もとれてないなど城の者たちが気づいてもいいだろう」
「王族付きの専属の者以外は、全てシフトで入れ替わり立ち替わり仕えています。……シャルロットお嬢様に専属はついていませんでした。二日続けてどころか、一日を通して同じ者がついたことすらなかったそうです。誰も、気づいていませんでした」
「公爵令嬢だぞ。しかも王妃の姪だ。そのシャルロットをほぼ丸一日拘束しておいて……この十年休みらしい休みもないではないか!」
「旦那様……それに気づかなかったのは私どもも同じでございます。少なくとも、休みも与えられていないことは」
「王妃がっ姉上が、城でエドワードと過ごすと! 娘と同じだからとっ……いや、言い訳だな。家族での休暇も過ごせないことにもっと疑問にも不満にも思うべきだった。だが誰が思う、教育や研修とは名ばかりの、これでは公務そのものではないか。姉上やエドワードの補佐どころではないだろう。婚約者や家族としての時間ではなく、姉上たちの公務の肩代わりをしていたなどと、誰が思うというんだ。将来の家族と言っていたのに、食事すら一緒にとっていないなどと誰が」
どうしてと繰り返す旦那様は落ち着きなく視線を彷徨わせ、震える右の拳を自ら抑え込んでいる。その拳を振り降ろす先にいるのが誰なのか、それは本当にその人であるのかと信じたくないようにも見えた。
93
あなたにおすすめの小説
完【恋愛】婚約破棄をされた瞬間聖女として顕現した令嬢は竜の伴侶となりました。
梅花
恋愛
侯爵令嬢であるフェンリエッタはこの国の第2王子であるフェルディナンドの婚約者であった。
16歳の春、王立学院を卒業後に正式に結婚をして王室に入る事となっていたが、それをぶち壊したのは誰でもないフェルディナンド彼の人だった。
卒業前の舞踏会で、惨事は起こった。
破り捨てられた婚約証書。
破られたことで切れてしまった絆。
それと同時に手の甲に浮かび上がった痣は、聖痕と呼ばれるもの。
痣が浮き出る直前に告白をしてきたのは隣国からの留学生であるベルナルド。
フェンリエッタの行方は…
王道ざまぁ予定です
婚約者に「愛することはない」と言われたその日にたまたま出会った隣国の皇帝から溺愛されることになります。~捨てる王あれば拾う王ありですわ。
松ノ木るな
恋愛
純真無垢な侯爵令嬢レヴィーナは、国の次期王であるフィリベールと固い絆で結ばれる未来を夢みていた。しかし王太子はそのような意思を持つ彼女を生意気だと疎み、気まぐれに婚約破棄を言い渡す。
伴侶と寄り添う幸せな未来を諦めた彼女は悲観し、井戸に身を投げたのだった。
あの世だと思って辿りついた先は、小さな貴族の家の、こじんまりとした食堂。そこには呑めもしないのに酒を舐め、身分社会に恨み節を唱える美しい青年がいた。
どこの家の出の、どの立場とも知らぬふたりが、一目で恋に落ちたなら。
たまたま出会って離れていてもその存在を支えとする、そんなふたりが再会して結ばれる初恋ストーリーです。
《本編完結》あの人を綺麗さっぱり忘れる方法
本見りん
恋愛
メラニー アイスナー子爵令嬢はある日婚約者ディートマーから『婚約破棄』を言い渡される。
ショックで落ち込み、彼と婚約者として過ごした日々を思い出して涙していた───が。
……あれ? 私ってずっと虐げられてない? 彼からはずっと嫌な目にあった思い出しかないんだけど!?
やっと自分が虐げられていたと気付き目が覚めたメラニー。
しかも両親も昔からディートマーに騙されている為、両親の説得から始めなければならない。
そしてこの王国ではかつて王子がやらかした『婚約破棄騒動』の為に、世間では『婚約破棄、ダメ、絶対』な風潮がある。
自分の思うようにする為に手段を選ばないだろう元婚約者ディートマーから、メラニーは無事自由を勝ち取る事が出来るのだろうか……。
天才少女は旅に出る~婚約破棄されて、色々と面倒そうなので逃げることにします~
キョウキョウ
恋愛
ユリアンカは第一王子アーベルトに婚約破棄を告げられた。理由はイジメを行ったから。
事実を確認するためにユリアンカは質問を繰り返すが、イジメられたと証言するニアミーナの言葉だけ信じるアーベルト。
イジメは事実だとして、ユリアンカは捕まりそうになる
どうやら、問答無用で処刑するつもりのようだ。
当然、ユリアンカは逃げ出す。そして彼女は、急いで創造主のもとへ向かった。
どうやら私は、婚約破棄を告げられたらしい。しかも、婚約相手の愛人をイジメていたそうだ。
そんな嘘で貶めようとしてくる彼ら。
報告を聞いた私は、王国から出ていくことに決めた。
こんな時のために用意しておいた天空の楽園を動かして、好き勝手に生きる。
婚約破棄から~2年後~からのおめでとう
夏千冬
恋愛
第一王子アルバートに婚約破棄をされてから二年経ったある日、自分には前世があったのだと思い出したマルフィルは、己のわがままボディに絶句する。
それも王命により屋敷に軟禁状態。肉塊のニート令嬢だなんて絶対にいかん!
改心を決めたマルフィルは、手始めにダイエットをして今年行われるアルバートの生誕祝賀パーティーに出席することを目標にする。
(完結)その女は誰ですか?ーーあなたの婚約者はこの私ですが・・・・・・
青空一夏
恋愛
私はシーグ侯爵家のイルヤ。ビドは私の婚約者でとても真面目で純粋な人よ。でも、隣国に留学している彼に会いに行った私はそこで思いがけない光景に出くわす。
なんとそこには私を名乗る女がいたの。これってどういうこと?
婚約者の裏切りにざまぁします。コメディ風味。
※この小説は独自の世界観で書いておりますので一切史実には基づきません。
※ゆるふわ設定のご都合主義です。
※元サヤはありません。
《完結》恋に落ちる瞬間〜私が婚約を解消するまで〜
本見りん
恋愛
───恋に落ちる瞬間を、見てしまった。
アルペンハイム公爵令嬢ツツェーリアは、目の前で婚約者であるアルベルト王子が恋に落ちた事に気付いてしまった。
ツツェーリアがそれに気付いたのは、彼女自身も人に言えない恋をしていたから───
「殿下。婚約解消いたしましょう!」
アルベルトにそう告げ動き出した2人だったが、王太子とその婚約者という立場ではそれは容易な事ではなくて……。
『平凡令嬢の婚活事情』の、公爵令嬢ツツェーリアのお話です。
途中、前作ヒロインのミランダも登場します。
『完結保証』『ハッピーエンド』です!
婚約破棄された私は、世間体が悪くなるからと家を追い出されました。そんな私を救ってくれたのは、隣国の王子様で、しかも初対面ではないようです。
冬吹せいら
恋愛
キャロ・ブリジットは、婚約者のライアン・オーゼフに、突如婚約を破棄された。
本来キャロの味方となって抗議するはずの父、カーセルは、婚約破棄をされた傷物令嬢に価値はないと冷たく言い放ち、キャロを家から追い出してしまう。
ありえないほど酷い仕打ちに、心を痛めていたキャロ。
隣国を訪れたところ、ひょんなことから、王子と顔を合わせることに。
「あの時のお礼を、今するべきだと。そう考えています」
どうやらキャロは、過去に王子を助けたことがあるらしく……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる