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第4話、化粧に気合を入れる時は、オシャレというより武装という感覚でやってます。
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その後、一週間はあっという間に経ってしまった。
「全然、寝られへんかった…」
目覚ましが鳴る前の時計をみて思わず舌打ちをしてしまう。
プロジェクトメンバーは、坂上や谷口以外も熱量が異様に高く、彼らの気合いに押されて、新規の競合コンペかというほど作り込みすぎたおかげで、並行して自分の案件も対応していた紗恵子は疲労がMAXになっていた。疲れと、acheに会う気の重たさで体が起き上がるのを拒否していたが、なんとか布団から抜け出し、少しやつれた顔に化粧水を叩き込む。
いつもはエンタメニュースを流しているテレビも、今日はYouTubeにして、むくみとりのマッサージと、メイクさんのHOWTO動画を食い入るように見ながら、付け焼き刃の武装を顔に施す。化粧直し用のアイテムもいつもより多めにポーチに入れて、少し重くなった鞄を抱えて家を出た。
「おはようございます…って山下さん気合い入ってるっすね。」
昼前に資料の確認にきた谷口は、開口一番、褒めてるのか分からないコメントを寄越して来た。
「今日が正念場だし、向こうのオーラに飲み込まれないようにちょっとでも武装しとかないと。」
「さっきすれ違った坂上さんも、たけぇスーツ着て来てました。俺も昼に着替えてこようかな。」
「あんたはしっかり昼飯食べて、その寝癖直しなさい、資料は私が出力しておくから。」
ただの足掻きだとは思うが、会社を出る前のトイレでもう一度口紅とアイラインを引き直し、いつもよりよれていないファンデーションも、念の為にパウダーで全体を抑える。
「本当はあいつのオーラっていうか、自分の問題なんだけどね…」
あいつの顔を見ても、嫌いだったあの頃の自分を思い出さないで済むように、紗恵子は、じっと鏡を見つめて、いつもより強くなった自分の姿を目に焼き付けた。
よし、私は大丈夫。
「さて、行くか。」
…なんて、気合を入れる必要なんてなかった。
「すごい、芸能人がいる…」
「山下さん、小声で何言ってんすか?当たり前でしょ。」
久しぶりに見た彼は、高良秋の面影はなく、テレビで見るacheそのままだった。
紗恵子がスーパーで染粉を買ってあげて染めていたボサボサの茶髪は、今は太めのハイライトが入ったツヤツヤのオリーブ色をしたショートボブだ、少し垂れ目の大きくて優しい瞳は、馬鹿でかいサングラスで隠してるから、何考えてるのかよく分からない。
パーツは全部見覚えがあるのに、全く別の人みたいだと思った。
向こうも、一応私の顔は覚えていたらしい。「なんで…」と小さく呟いて、サングラスから下の顔が明らかにこわばっていた。
やばい、元カノって言われたら、向こうも…特にこっち(坂上、谷口)がびっくりして絶対変な空気になる…!せめてみんなで作り上げた提案だけは、無事に終わらせたい紗恵子は、目の前のやつが口を開く前に紗恵は口を開いた。
「は、初めまして!」
「…初めまして?」
「はじめましてです!山下と申します!よろしくお願いします!」
目を見開いて追い出すな…と圧をかけると、開きかけた口を一度閉じて、acheは「よろしく」と言って名刺を受け取った。
そのまま、順番に名刺を交換しようと隣を見ると長身の美人が不敵に笑っていた。
「あたしは初めましてかしら?」
「ハルちゃ…ハルオ社長、お久しぶりです。」
にっこり笑うハルオの隣で、acheが小さく舌打ちをした気がした。そして、こちらは、坂上が目を丸くして紗恵子の方を向いた。
「山下、お前、社長とお知り合いなのか?」
「母の学生時代の友人です。」
というと、先に掛けていたacheが茶々を入れてきた。
「こんな美人な知り合いがいてうらやましーな、しゃちょー。」
「何ぶー垂れてんのよ、この馬鹿。」
ハルオはにべもなく、acheに言い返す。
そのまま、acheのマネージャーや他のスタッフと挨拶を一通りした後、席に着くと、おもむろに坂上が口を開いた。
「あの…先日はご期待に添える提案ができずに申し訳ありませんでした。体制も強化して良い企画をご提案できるよう準備しましたので、まずはフィードバックについて詳しくお伺いしても良いですか?」
坂上の言葉に、acheが答える。
「じゃあ、えっと、山下さん…だっけ?新しく参加したあなたは、この企画どう思う?」
なんで私を指名すんのよ…という気持ちはなるべく顔に出さないように気をつけながら、紗恵子は過去資料をまとめたクリアファイルから企画書を取り出して、あらためて眺めた。
・購入者限定の特別イベント
・世界同時接続の配信施策
・メディア横断の大規模露出
・コンテンツタイアップ
…エトセトラ
そのほかにも、露出とアピールの機会を効果的に増やそうとした施策をいくつも検討していた。
「サブスクとCD販売両方の面で効果的な施策を様々な方向性で検討していると思います。acheさんの知名度も活かして無駄な予算を使わないようにもしていますし、方向性が合致していれば、悪くない企画だと思いますけど…?」
紗恵子が聞くと、acheは少し口の端を上げた。
「僕も、プロモーションとしては有効だと思うよ。4th AVEの企画ならやってた。」
そして、acheはそこで言葉を切り、今度は困ったように眉を寄せた。
「でも、このアルバムのリリースではその方向でいいと思えないんだ。」
「なぜでしょうか?」
紗恵子が問うと、acheは「まあ売れなきゃそれはそれで困るんだけど…」と前置いてから続けた。
「ソロやり始めて解散危機だ不仲だって、有る事無い事報道されてさ、不安になってるファンが、俺がソロでバンドと同じようなことをしてんのを見たらどう思うんだろうとか…とか、それに、俺もこのアルバムは話題だけで消費されたくないっていうか、初めてって、ほら…大事じゃん?」
紗恵子はacheの言葉を真剣に聞きながら、acheのサングラスから透ける流し目を真顔で受け止めた。
最後のは私に同意求めないでよ。
あと隣の野郎たちは生唾飲み込むな。
流し目にときめいている隣にも、冷たい視線を送りつつも、紗恵子は、自分達が一週間考えてきた企画がそう遠くない予感に小さく拳を握った。おそらく、隣の二人もそんなリアクションを取る余裕が出たんだろう。
さて、今度は、この一週間の成果をぶつけるターンだ。
「なるほど…acheさんのおっしゃることをどこまで汲み取れてるのかはわかりませんが…正直、弊社でも、連絡をいただいてから一週間、前提から立ち返って考えました。」
紗恵子は話しながら、指を一つ立てた。
「まず、人気が高まっている今、なんでacheさんが、ソロの活動を始めたのか。」
acheは一瞬ピクリと動いたが、サングラスで顔を見えない。紗恵子はそのまま続けた。
「プロモーション予算も多いし、おっしゃるような解散危機や、不仲じゃないなら、事務所の戦略としてバンドじゃできない曲をリリースして、さらに4th AVEのファン層を広げるつもりなのかなとも思ったんですけど…acheさんが事務所にかなり無理を言って始めたんですよね。どんなに忙しくなっても構わない、バンドも手を抜かないからって。」
acheは社長を見遣ったが、ハルオは食えない顔であさっての方を向いていた。
紗恵子はacheの反応を肯定ととって話を続けた。
「じゃあ、そうまでしたソロで何を表現したかったのか。今回のソロの曲を何度も聞き直したんです。『Heartache』も、デモの曲のあんなに完成度が高いのに、何処か模索するような歌声でしたよね…デモは特に。」
スタッフの一人が「なんでそこまで…」と呟いたところで、紗恵子の代わりにハルオが「この子は母親譲りで耳がとってもいいのよ。」と静かに返していた。
「『Heartache』にはあなたの名前も入っているし、ここからは想像ですけど、4th AVEのサウンドやタイアップに合わせた曲じゃなくて、なんの縛りもつけずに自分を表現したかったからソロを始めたのかな…って思ったんです。」
『自分が作った曲を聞くと、自分がどういう人間か少し分かる気がする。』
デモを聞いている時、昔、紗恵子に秋が言っていた言葉を思い出したのだ。しかし、デモを聞いても聞いても、今のacheが、秋が、何を考えているのか全然分らなかった。きっと、秋自身もそれを探しているのかも知れない…そんな気がした。
「で仮説があってるとしたら…acheさんがソロにかける思いを知ってもらうには、そして曲に向き合ってもらうには、その迷う過程もいっそ、見て貰えばいいんじゃないかと思いました。」
ここで、谷口がスッと企画書を出した。
「…と言うことで、メインの企画はドキュメンタリー制作と配信ライブです。」
企画は、谷口がかいつまみながら説明を行った。
ドキュメンタリーは得意な監督に密着をお願いする。テレビ局の密着番組にもともタイアップをして一部をテレビ放送、完全版を動画配信、さらにファン向けのオフショットを詰め込んだ完全版をアルバムの特典映像とする。また、アルバム販売の直前には、弾き語りのライブで曲をache自ら解説する、ドキュメンタリーで過程をみてきた視聴者に曲と向き合ってもらう。
ちなみに、ドキュメンタリー番組と監督へ、提案もする前に調整ができたのは、ひとえに目の前のアーティストの人気と、この一週間のチームの気合の賜物だ。正直めちゃくちゃしんどかった。
「浮世離れしたカリスマ扱いされるあなたが、人間として、プロとして、アーティストとして、何を表現したかったのか、プロモーションでみんなに知ってもらいたいと考えています。」
その言葉で締めた谷口の言葉を引き継ぐように、紗恵子が再び口を開く。
「売るにはもっと効率的な施策もありますが、でも、この施策なら、今、あなたのソロに不安を感じるファンたちにも、きっとバンドの活動にも意味のあることなんだって理解してくれるはずです。とまぁ、カッコつけておきながら、acheさんの曲や撮れ高頼りでもある企画ですが、これが一番いいと思ったんですが…どうでしょうか?」
伺うように言葉を終えた紗恵子に、acheは何も言わなかった。
黙ったまま、サングラスを外して企画書を見つめて、一通り読み返してから、こちらに向き直って口を開いた。
「耳がいい山下さんは、Heartacheが表題曲で良いと思いますか。」
「ふさわしい曲だと思います。」
心の中で、首を傾げながら、紗恵子は即答する。
CDの売れない時代に20万枚売って、5000万再生も目前の楽曲を生み出しておいて、何が不安なんだろう。
「デモは、どうでした?」
なおも食い下がる秋に、ハルオの方を見ると肩をすくめた後、肩を叩いた。
「あんたと曲に中身がなくちゃ意味のない企画…欲しがってたくせに、いざ出してもらってから怖気付くんじゃないわよ、ねえ?」
ハルオが同意を求めるように投げた目線を受けて、坂上が大きく頷いた。
「ここにいる私たちは、あなたの曲を聴いて、刺激を受けてこの企画を考えてきたんですから。」
「デモめっちゃ良くてこれ俺らが売れるって思ったら、やりたいこといっぱいでてきて、ワクワクして毎日眠れなかったです…。」
「ほら、大丈夫ですよ。ここにいない社内のチームも合わせたら、少なくとも十枚は売れそうです。」
紗恵子がまとめると、不安そうだった、acheの空気が少し柔らかくなった気がした。
「ふふ…それは心強いや。」
その時繰り出された、見覚えのある笑顔に、両サイドの男が何かに落ちた音がした。
「全然、寝られへんかった…」
目覚ましが鳴る前の時計をみて思わず舌打ちをしてしまう。
プロジェクトメンバーは、坂上や谷口以外も熱量が異様に高く、彼らの気合いに押されて、新規の競合コンペかというほど作り込みすぎたおかげで、並行して自分の案件も対応していた紗恵子は疲労がMAXになっていた。疲れと、acheに会う気の重たさで体が起き上がるのを拒否していたが、なんとか布団から抜け出し、少しやつれた顔に化粧水を叩き込む。
いつもはエンタメニュースを流しているテレビも、今日はYouTubeにして、むくみとりのマッサージと、メイクさんのHOWTO動画を食い入るように見ながら、付け焼き刃の武装を顔に施す。化粧直し用のアイテムもいつもより多めにポーチに入れて、少し重くなった鞄を抱えて家を出た。
「おはようございます…って山下さん気合い入ってるっすね。」
昼前に資料の確認にきた谷口は、開口一番、褒めてるのか分からないコメントを寄越して来た。
「今日が正念場だし、向こうのオーラに飲み込まれないようにちょっとでも武装しとかないと。」
「さっきすれ違った坂上さんも、たけぇスーツ着て来てました。俺も昼に着替えてこようかな。」
「あんたはしっかり昼飯食べて、その寝癖直しなさい、資料は私が出力しておくから。」
ただの足掻きだとは思うが、会社を出る前のトイレでもう一度口紅とアイラインを引き直し、いつもよりよれていないファンデーションも、念の為にパウダーで全体を抑える。
「本当はあいつのオーラっていうか、自分の問題なんだけどね…」
あいつの顔を見ても、嫌いだったあの頃の自分を思い出さないで済むように、紗恵子は、じっと鏡を見つめて、いつもより強くなった自分の姿を目に焼き付けた。
よし、私は大丈夫。
「さて、行くか。」
…なんて、気合を入れる必要なんてなかった。
「すごい、芸能人がいる…」
「山下さん、小声で何言ってんすか?当たり前でしょ。」
久しぶりに見た彼は、高良秋の面影はなく、テレビで見るacheそのままだった。
紗恵子がスーパーで染粉を買ってあげて染めていたボサボサの茶髪は、今は太めのハイライトが入ったツヤツヤのオリーブ色をしたショートボブだ、少し垂れ目の大きくて優しい瞳は、馬鹿でかいサングラスで隠してるから、何考えてるのかよく分からない。
パーツは全部見覚えがあるのに、全く別の人みたいだと思った。
向こうも、一応私の顔は覚えていたらしい。「なんで…」と小さく呟いて、サングラスから下の顔が明らかにこわばっていた。
やばい、元カノって言われたら、向こうも…特にこっち(坂上、谷口)がびっくりして絶対変な空気になる…!せめてみんなで作り上げた提案だけは、無事に終わらせたい紗恵子は、目の前のやつが口を開く前に紗恵は口を開いた。
「は、初めまして!」
「…初めまして?」
「はじめましてです!山下と申します!よろしくお願いします!」
目を見開いて追い出すな…と圧をかけると、開きかけた口を一度閉じて、acheは「よろしく」と言って名刺を受け取った。
そのまま、順番に名刺を交換しようと隣を見ると長身の美人が不敵に笑っていた。
「あたしは初めましてかしら?」
「ハルちゃ…ハルオ社長、お久しぶりです。」
にっこり笑うハルオの隣で、acheが小さく舌打ちをした気がした。そして、こちらは、坂上が目を丸くして紗恵子の方を向いた。
「山下、お前、社長とお知り合いなのか?」
「母の学生時代の友人です。」
というと、先に掛けていたacheが茶々を入れてきた。
「こんな美人な知り合いがいてうらやましーな、しゃちょー。」
「何ぶー垂れてんのよ、この馬鹿。」
ハルオはにべもなく、acheに言い返す。
そのまま、acheのマネージャーや他のスタッフと挨拶を一通りした後、席に着くと、おもむろに坂上が口を開いた。
「あの…先日はご期待に添える提案ができずに申し訳ありませんでした。体制も強化して良い企画をご提案できるよう準備しましたので、まずはフィードバックについて詳しくお伺いしても良いですか?」
坂上の言葉に、acheが答える。
「じゃあ、えっと、山下さん…だっけ?新しく参加したあなたは、この企画どう思う?」
なんで私を指名すんのよ…という気持ちはなるべく顔に出さないように気をつけながら、紗恵子は過去資料をまとめたクリアファイルから企画書を取り出して、あらためて眺めた。
・購入者限定の特別イベント
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・メディア横断の大規模露出
・コンテンツタイアップ
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そのほかにも、露出とアピールの機会を効果的に増やそうとした施策をいくつも検討していた。
「サブスクとCD販売両方の面で効果的な施策を様々な方向性で検討していると思います。acheさんの知名度も活かして無駄な予算を使わないようにもしていますし、方向性が合致していれば、悪くない企画だと思いますけど…?」
紗恵子が聞くと、acheは少し口の端を上げた。
「僕も、プロモーションとしては有効だと思うよ。4th AVEの企画ならやってた。」
そして、acheはそこで言葉を切り、今度は困ったように眉を寄せた。
「でも、このアルバムのリリースではその方向でいいと思えないんだ。」
「なぜでしょうか?」
紗恵子が問うと、acheは「まあ売れなきゃそれはそれで困るんだけど…」と前置いてから続けた。
「ソロやり始めて解散危機だ不仲だって、有る事無い事報道されてさ、不安になってるファンが、俺がソロでバンドと同じようなことをしてんのを見たらどう思うんだろうとか…とか、それに、俺もこのアルバムは話題だけで消費されたくないっていうか、初めてって、ほら…大事じゃん?」
紗恵子はacheの言葉を真剣に聞きながら、acheのサングラスから透ける流し目を真顔で受け止めた。
最後のは私に同意求めないでよ。
あと隣の野郎たちは生唾飲み込むな。
流し目にときめいている隣にも、冷たい視線を送りつつも、紗恵子は、自分達が一週間考えてきた企画がそう遠くない予感に小さく拳を握った。おそらく、隣の二人もそんなリアクションを取る余裕が出たんだろう。
さて、今度は、この一週間の成果をぶつけるターンだ。
「なるほど…acheさんのおっしゃることをどこまで汲み取れてるのかはわかりませんが…正直、弊社でも、連絡をいただいてから一週間、前提から立ち返って考えました。」
紗恵子は話しながら、指を一つ立てた。
「まず、人気が高まっている今、なんでacheさんが、ソロの活動を始めたのか。」
acheは一瞬ピクリと動いたが、サングラスで顔を見えない。紗恵子はそのまま続けた。
「プロモーション予算も多いし、おっしゃるような解散危機や、不仲じゃないなら、事務所の戦略としてバンドじゃできない曲をリリースして、さらに4th AVEのファン層を広げるつもりなのかなとも思ったんですけど…acheさんが事務所にかなり無理を言って始めたんですよね。どんなに忙しくなっても構わない、バンドも手を抜かないからって。」
acheは社長を見遣ったが、ハルオは食えない顔であさっての方を向いていた。
紗恵子はacheの反応を肯定ととって話を続けた。
「じゃあ、そうまでしたソロで何を表現したかったのか。今回のソロの曲を何度も聞き直したんです。『Heartache』も、デモの曲のあんなに完成度が高いのに、何処か模索するような歌声でしたよね…デモは特に。」
スタッフの一人が「なんでそこまで…」と呟いたところで、紗恵子の代わりにハルオが「この子は母親譲りで耳がとってもいいのよ。」と静かに返していた。
「『Heartache』にはあなたの名前も入っているし、ここからは想像ですけど、4th AVEのサウンドやタイアップに合わせた曲じゃなくて、なんの縛りもつけずに自分を表現したかったからソロを始めたのかな…って思ったんです。」
『自分が作った曲を聞くと、自分がどういう人間か少し分かる気がする。』
デモを聞いている時、昔、紗恵子に秋が言っていた言葉を思い出したのだ。しかし、デモを聞いても聞いても、今のacheが、秋が、何を考えているのか全然分らなかった。きっと、秋自身もそれを探しているのかも知れない…そんな気がした。
「で仮説があってるとしたら…acheさんがソロにかける思いを知ってもらうには、そして曲に向き合ってもらうには、その迷う過程もいっそ、見て貰えばいいんじゃないかと思いました。」
ここで、谷口がスッと企画書を出した。
「…と言うことで、メインの企画はドキュメンタリー制作と配信ライブです。」
企画は、谷口がかいつまみながら説明を行った。
ドキュメンタリーは得意な監督に密着をお願いする。テレビ局の密着番組にもともタイアップをして一部をテレビ放送、完全版を動画配信、さらにファン向けのオフショットを詰め込んだ完全版をアルバムの特典映像とする。また、アルバム販売の直前には、弾き語りのライブで曲をache自ら解説する、ドキュメンタリーで過程をみてきた視聴者に曲と向き合ってもらう。
ちなみに、ドキュメンタリー番組と監督へ、提案もする前に調整ができたのは、ひとえに目の前のアーティストの人気と、この一週間のチームの気合の賜物だ。正直めちゃくちゃしんどかった。
「浮世離れしたカリスマ扱いされるあなたが、人間として、プロとして、アーティストとして、何を表現したかったのか、プロモーションでみんなに知ってもらいたいと考えています。」
その言葉で締めた谷口の言葉を引き継ぐように、紗恵子が再び口を開く。
「売るにはもっと効率的な施策もありますが、でも、この施策なら、今、あなたのソロに不安を感じるファンたちにも、きっとバンドの活動にも意味のあることなんだって理解してくれるはずです。とまぁ、カッコつけておきながら、acheさんの曲や撮れ高頼りでもある企画ですが、これが一番いいと思ったんですが…どうでしょうか?」
伺うように言葉を終えた紗恵子に、acheは何も言わなかった。
黙ったまま、サングラスを外して企画書を見つめて、一通り読み返してから、こちらに向き直って口を開いた。
「耳がいい山下さんは、Heartacheが表題曲で良いと思いますか。」
「ふさわしい曲だと思います。」
心の中で、首を傾げながら、紗恵子は即答する。
CDの売れない時代に20万枚売って、5000万再生も目前の楽曲を生み出しておいて、何が不安なんだろう。
「デモは、どうでした?」
なおも食い下がる秋に、ハルオの方を見ると肩をすくめた後、肩を叩いた。
「あんたと曲に中身がなくちゃ意味のない企画…欲しがってたくせに、いざ出してもらってから怖気付くんじゃないわよ、ねえ?」
ハルオが同意を求めるように投げた目線を受けて、坂上が大きく頷いた。
「ここにいる私たちは、あなたの曲を聴いて、刺激を受けてこの企画を考えてきたんですから。」
「デモめっちゃ良くてこれ俺らが売れるって思ったら、やりたいこといっぱいでてきて、ワクワクして毎日眠れなかったです…。」
「ほら、大丈夫ですよ。ここにいない社内のチームも合わせたら、少なくとも十枚は売れそうです。」
紗恵子がまとめると、不安そうだった、acheの空気が少し柔らかくなった気がした。
「ふふ…それは心強いや。」
その時繰り出された、見覚えのある笑顔に、両サイドの男が何かに落ちた音がした。
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