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ある作家の晩年
しおりを挟む「先生、申し訳ございません」
それを思い出すきっかけとなったのは、担当編集のこの言葉が始まりだった。
私は普段表に出さない尖った本質を以て、創作活動を行い作家となっていた。
自分で言うのもなんだが重版・続刊は当たり前という、一流作家である。
しかし紙媒体の売れ行きは芳しくなく、最早衰退していくばかりの出版業界。順風満帆だった私の作家人生は大いにその煽りをくらい、翳りを見せ始めていた。
ここ数年、拙作の書籍売れ行きは下がる一方で、出版には至っても重版されることはなくなってしまった。
そして今回、続刊を期待していた新作は続刊どころかこうして担当編集の謝罪と共に『打ち切りのお知らせ』と相成ったのだ。
一流出版社である光悦社の担当君は、私がデビューしてからずっと担当をしてくれている。
彼はヒットメーカーとして名を馳せたあと、編集長という地位を早々に築いたやり手。
つまり、彼の手腕の問題ではない。
むしろ『ヒットメーカー』となるのに一役かったが故に今でも担当を兼任してくれており、それはかなりの優遇であることを如実に示している。
その彼をもってしても、受け入れざるを得ない『打ち切り』。
それは則ち、私の作家としての能力が風前の灯である、ということである。
(時代のせいにしてしまったが、あの頃の私とは既に違うのかもしれぬ……)
担当編集が帰ったあと、今や砂の城となり果てた私の居城であるタワマンの一室で、冷たくなってしまった珈琲に口をつけた。
厳選されたブルーマウンテンは甘さを感じる程に絶妙な加減で焙煎されてあり、私のお気に入りだ。
なのに今日は、酷く苦い。
カップに残った黒い液体を飲み干すと、私は立ち上がり書斎へと向かった。
学生時代、私には友人と呼べる者がいなかった。
それをわかっているのはおそらく私だけだろう。
親切で善良そうなクラスメイトの中に紛れ友人のフリをするのは得意で、一人になったことはない。
当たり障りなく溶け込み、程々に流行りに乗り、時に共に悩み努力するフリをしながら、私はいつもなにかに渇望していた。
当時はまだスマートフォンどころか、インターネットも一部にしか活用されておらず、家ではテレビとラジオそして新聞や雑誌などから情報を取り入れては、周囲や世間、世界情勢を知り、憂い憤る日々……
あの頃の私は尖っていた。
傍目からはわからずとも、確かに尖っていたのだろう。
些かチープな喩えではあるが、それこそ『抜き身のナイフ』のように、尖っていたのだ。
私が作家となった拙作──それは現代社会への若い憤りから歪な内面を書きなぐったモノであり、それはお世辞にも上手いとは言えない。
久方ぶりに私はそれを手に取ると、あまりの拙さに苦笑した。
(しかし……熱はある)
拙作を数冊、出版順に読み続けると、当時の歪でありながら鋭い尖りは技巧によって上手く処理され、徐々に薄まっていっていることがありありと感じられる。
私はいつの間にか身についた己の技巧に胡座をかき、頼るようになっていたのだろう。
近年の卒無く纏まった作品からは、歪で突き刺すような強い熱はなく、『上手い』『そこそこ面白い』以外の感想など抱けそうもない。
(これではいかん!)
あの頃の反骨心やハングリー精神が必要だと感じた私は、この安穏たる生活を手放すことにした。
しかし、普通に手放してあの頃と同様の熱を得られるとは思えない。
当時の尖りには社会や世間、大人への無知からなる部分が少なからずあった。
社会は複雑な思惑が絡んでおり、世間が齎す壁や風当たりというのは弱者のみに限らず、大人というものの責務や個人個人が各々生活していく上での大変さを知ってしまった今、当時の歪さを再構築しようというのには些か無理があるだろう。
心だけでなく身体も当時とは違う。
まず、体力がない。
憤りを感じても続かないのは大人になったからもあるだろうが、怒り続けることへの体力的不安から勝手に脳が出力をセーブしているのかもしれない。
これまでの生活を手放すこと自体に特に未練はない。
そこに未練などないが……現実問題として暮らしていけないほどの生活をできるかと言われたら、それは厳しい。
そこに欲して止まないものがあったとしても……
──ぶっちゃけ、体力的に不安だ。
(ならば、この生活を手放すにあたり、これまで貯蓄した金をどう使うかこそがまず重要になってくるのではないだろうか)
私は悩んだ結果、まずタワマンの部屋を売りに出し、少しグレードの低いマンションに引っ越した上で、シルバー人材センターに登録をしつつ、ウェブライターをやることにした。
これはとりあえずの処遇であり、働くことと身体的労働を含む自活に慣れてきたころに、更に厳しい場所に身を置くつもりで。
ライターの仕事は書くことから離れるのが怖いからだ。
しかし、ここで想定外の事態が発生した。
思いもかけずタワマンの一室が高く、しかも早くに売れてしまったのである。
更にシルバー人材センターで私が与えられた仕事は非常にユルく、同僚となった老人やセンターの方々はとても親切。
ライター稼業はたいした稼ぎにはならないものの順調で、私はこの生活に満足しだしていた。
(くっ……これでは尖りには程遠いではないか!!)
そう思った私は、シルバー人材センターで仲良くなったヒデさんの住む古いアパートに移り住むことにした。
だが、またしてもマンションは高額でさっさと売れてしまい、貯蓄は増えるばかり。
そしてタワマンから古いアパートに移り住んだ老人である私に、世間は厳しいどころか非常に優しかった。
私の現在の状況をどこからか聞きつけたファンの方から、光悦社の編集部宛に食物やル〇バなどの高額商品が届く始末。
私は張り切って掃除を行うル〇バ氏を眺めつつ、隣人のヒデさんと届けられた松坂牛のすき焼きをつつきながらも、嘆息せざるを得ない。
「やはり『体力ガー』などの保身的考えを捨てねばならぬか……!」
「ははは、何言ってんでぇ。 死んだら終わりよ!」
ヒデさんは『体力大事大事~!』と言いながら、飲みすぎて炬燵で寝た。
嗚呼、人生とは何故こんなに素晴らしいのだろうか。
ヒデさんに毛布をかけてやりながら、私は諸行無常を感じずにはおれないのである。
そのまま私はヒデさんとなんとなく愉快に暮らし続け、その生活をなんとなく書いたエッセイがちょっと売れることになるのだが、それはまた別の話だ。
そして私は、生涯このアパートを出ることはなかった。
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