梅の香りが運んでくれた恋のお話

齋藤 遊雨晴

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梅の香りが運んでくれた恋のお話

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西嶋慎太郎は東京郊外にある大学の三年生で、学期末の試験を終え、早川なつみと井之頭公園に行く事にしており、試験に集中していない自分がいた。
東京では珍しく前日に大雪が降り、その影響を心配していたのだ。足元が滑りやすく井之頭公園行きの計画に不安を感じ、雪が残っているため、なつみが深大寺行きの中止を申し出る可能性もある。
早川なつみは、大学の同級生で二人は、同じ生物化学科に所属していた。
なつみは九州出身で、綺麗な目をしていた。相手の視線を外さず、こちらの心の底にあるものを探るような透き通った瞳は、どこか頼りなくもあるのだが、その好奇心が旺盛である事を象徴するようでもあった。
髪は短く、ボーイッシュな印象だが、首筋からうなじにかけて白く透き通るような肌をしており、赤ちゃんのような産毛が光っていた。
なつみの父は、若い頃、画家を目指していた事もあるらしく、二人は絵画についてよく話をした。
特にゴッホについて語る時、何かを共有している実感があり、楽しく会話することができた。慎太郎が好きなのはゴッホがミレーの“晩鐘”を模写した一枚である。
ミレーの晩鐘も素晴らしいが、ミレーの祈りの表現をベースに、ゴッホの優しい眼差しで描かれている点にオリジナリティを感じていた。
なつみが好きな一枚は、“糸杉”。なつみは、この絵はお金のために書ける絵ではなく、自分が感じた事を純粋に書いたものであると考え、やはりゴッホという人物の生きざまに感銘を受けていた。一切の打算を排除する生き様とでもゆうのであろうか、なつみは、そういう生き方に魅力を感じていた。
三ヶ月ほど前、慎太郎はなつみに交際を申し込んでいたのだが、なつみからの返事は
「他に好きな人がいるから恋人にはなれない」との回答であった。しかし、この三ヶ月の間にふたりは急速に近付いていた。学科のコンパがあると、いつもなつみは隣にきて、慎太郎のひざに手をのせ、少し上気した表情で、慎太郎の瞳を窺うような目付きをしていたりする。また大学からの帰り道でなつみが慎太郎を待ち伏せしていたりするので慎太郎は、悪い気分ではなかった。
慎太郎は、時折、なつみの心中に想いを巡らせる。好きな人とは誰だろう、俺が知っている奴なのかなど、とりとめない考えにおちいることが時々はあるものの、どうゆうつもりなのか問い質すつもりはなく、流れに任す事がよかろうと思っていた。
自分の気持ちは伝えているし、相手が気を悪くした様子もなく、むしろ以前より近くなれた訳であった。
“男女が付き合っている”の定義は何だろうと自問自答したりしていた。
“キスをすれば付き合っていることなのか”とか。
“キスをしても安心できない場合もあるかもしれない”とか。
とすれば、安心して誰かと時間を過ごすことができることが重要なのかもしれない。俺が確からしいと感じるのは、そんな事かもしれないと。
二人は、慎太の試験が終わる十二時に大学の図書館で待ち合わせをした。なつみは、図書館の窓近くの席に座っていた。
優しい早春の日差しが、なつみの顔を照らしており、白い肌がいっそう明るく照らし出されていた。
鈴木梅太郎の“オリザニン”という蔵書を、流し読みをしていた。オリザニンはビタミンB1のことで、オリザは、米の学名である。
コメから抽出された成分であり、世界ではじめてビタミンという概念を示した画期的な研究成果とされる。愼太郎は、なつみに
「やあ、お待たせ」と声をかけた。
「何を、読んでるの」
「鈴木梅太郎のオリザニン、これ字が古い字で読めないの。だけど、大正時代の香りがするわ」と言って、屈託のない笑顔を見せる。「昨日、雪が降って、少し足元が滑り易いけど、予定どおりでいいかな」と慎太郎が聞くと
「もちろんよ、とても楽しみにしていたのだから、井之頭公園のカイツブリ見たかったの」
二人は中央線で国分寺駅から吉祥寺駅に向かう。
お昼時なので、吉祥寺駅北口から近い、金子屋吉祥寺店で天丼を食べるため東急デパートの前を歩く。
慎太郎はふと、なつみが好きな人は誰なのかの呪縛に落ちていた。
今の所、心当たりはないが、同じ大学の誰か、なのか。それとも自分が知らない誰かなのか・・・・
その時、なつみが慎太郎に話しかけた。
「鈴木梅太郎って、舟に長期間、乗っている人が脚気になる人が多くて、それがどうしてだろうと考えたらしいの。調べたら、白米を食べる人に脚気になる人が多くて、玄米を食べる人は、ほとんど脚気にならない事に気がついたのよ。つまり、玄米にあって、白米にない糠の中に秘密が隠されていると仮説を立てたのね。なんか、一つの冒険であるし、ロマンを感じるの」
「僕も鈴木梅太郎の話は講義で聞いたことがある。今のように分析技術が発達していない時代に物質として同定するというのは、研究者として抜群の感性があったからだと思う。どこか芸術に通ずるところがあるように思うな」
「そう大正時代なのよ、学校の勉強だけしていてはダメなの。好奇心が旺盛でなければ探究心は目覚めないと思うの」

金子の天丼は、海老天、烏賊のかき揚げ、舞茸、卵の天ぷらが美味しそうなのだ。なつみは
「いただきます」と言うと真っ先に、海老天を頬張る。うまそうに、食べる姿を慎太郎は眺め、同じように海老天にかぶりつく。
“私、食事は、美味しいものから先に食べる事にしているの。だって、この後、巨大地震がきて、食べられなかったら、一生後悔することになるじゃない。何より、食べられるって幸せな事だとも思うの、だからチャンスは逃さないの”
「なつみちゃんは、美味しそうに食べるのだね、みている方も幸せな気分になったりするよ」
「ここの天丼、美味しい」
食べ終えると慎太郎は、なつみに聞いた。
「なつみちゃんは、鈴木梅太郎のような人が好みなの」と。
「そうね、ある意味では。でも一緒に生活するのは、少し大変かもしれないな。遠くから見ていてあげることができたら素敵な感じかしら」
慎太郎は、だったら、どんな人だったら、いっしょに暮らせそうかなと聞いてみようかなと思ったが、うまく切り出すことができず、少しもどかしさを感じていた。
すると、なつみは
「お腹もいっぱいになったから、井之頭公園のカイツブリ見に行こう」と席をたった。
そこから二人は、吉祥寺駅に戻り、丸井の脇を、井之頭公園方面へと、人混みの中を歩いた。七井橋を渡っていると、カイツブリを見つけた。
「あれが、カイツブリね、可愛いけど野性的な表情だわ」すると、そのカイツブリは、あたりを見回し、獲物を探し始め、池の水の中に消えていった。
「何か、餌を探している」
二人は、自然文化園水生物園を見学し、カイツブリの水槽でカイツブリが水の中で獲物を捕獲している様子を見た。
「可愛い顔をしてるけど、野性的なのね。私と同じで食べる事に貪欲なのね」
そんな会話をしながら、水生物園を出、動物園に向かい、緩やかな階段を歩くと、紅梅、白梅が目に飛び込んできた。
二人は、甘い香りに包まれた。白梅に近づくと二人の顔は接近し、慎太郎はなつみの香りに気が着いた。なつみからは赤ん坊が発する、どこか乳くさいような甘い香りがした。
“なんか、この香りに包まれると、眠たくなってしまうと思わない、寒い日を耐えて冬を突き破り、春の訪れを感じさせるとても甘い香り・・・だって春って眠いでしょう”
「全くその通り、僕も、なんだか眠たくなってきた」
「うふふ、慎太郎君、少し変よ」
慎太郎は、梅の香りが、二人の心を繋いでいるように感じ、満ち足りた気持ちになっていた。
動物園を見た後、二人は弁財天に足を運び、おみくじを引いてみる事にした。
慎太郎は、“大吉”で、なつみは“凶”と出てしまった。
「悔しいわ、もう一度引いてみようかしら。これじゃ、気分悪すぎで帰れない」
慎太郎は、少し考え、一計を案じた。
「僕のおみくじと取り替えよう。僕が“凶”をもらうから、なつみちゃんが“大吉”だよ」
なつみは、一瞬、嬉しそうな表情をしてから少しの間、何か思いを巡らせている。
「よし、取り替えましょう。その代わり、ちょっとこっちに来て」
なつみは、自分の“凶”のおみくじを僕に渡し、僕の“大吉”のおみくじを掴み、僕の手を取り、本殿前の社務所へと歩いた。
社務所の窓口には、お守りやお札が並べられている。
「すいません、おみくじで“凶”を引いた人がいて、守ってあげたいので、良く効くお守りありませんか」
社務所の人は少し微笑んで、このお守りがオススメよ」
そのお守りは、ごく普通のお守りなのだが、なつみは、お守りを僕に手渡した。
「私だけ“大吉”だと、寝つきが悪くなりそうだから」
と言って、微笑んでいる。
慎太郎は、なつみが好きな人が誰なのか、もう考える必要がなくなっているように感じていた。
春を感じさせる梅の香りが、きっと二人の心を繋げているのかもしれないと。


                  以上 
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