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わたしは「たま」

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 わたしは「たま」と呼ばれています。

 わたしは人間というものに飼われている猫です。「たま」とは、私の飼い主がつけてくれた名前です。

 人間は私に比べてとても大きくて、その大きな手がわたしの頭をさわろうとするとき、はじめはとてもこわかったです。でも、今はそのぬくもりがここちよく感じます。それに自分で食べものを探す必要もなくなったし、とても楽です。

 わたしは毎日飼い主の家を出て、お散歩をします。近くの空き地である猫の集会にも時々顔を出します。そこにはわたしのような飼い猫もいれば、のら猫もいます。わたしはまだ数年しか生きていないから、年上の猫たちにここでいろいろ教えてもらいます。

「最近、おれの飼い主は食べものをくれないんだ。ずっと動かないし」

 「トラ」と呼ばれている猫が言いました。でも、わたしの飼い主はちゃんと食べものをくれるし、なでてくれます。「たま」と呼んでくれます。


***


 わたしは「お手」というものを覚えました。ただ、右手を飼い主の手にのせるだけなのですが、わたしの飼い主はとてもうれしそうで、いつもよりたくさん笑って、なでてくれます。わたしはその笑顔が見たくて、毎日お手を何度もします。

「たまがいるからさびしくないよ」

 とわたしの飼い主は言います。わたしにはさびしいということの意味がわかりません。でもいいのです。飼い主が笑ってくれるから。わたしは毎日お手をします。

 人間というものはふしぎな生き物です。毛が黒から白に変わったり、手がしわくちゃになったりしていきます。そして、なんだか大きかったからだが少し小さくなったような気がします。わたしは変わらないのに。

 最近、わたしの飼い主は、「こんこん」と変な声でないています。なんだか元気もないみたいで、あまり動かなくなりました。わたしは何度も何度もお手をします。他に喜ばせる方法をしらないから、お手をします。わたしをなでてくれる手に、昔のような力はありません。わたしはなんだか胸のあたりが苦しいです。


***


 とうとうわたしの飼い主は寝たきりになりました。

「たま、ごめんね。ごはんをあげられなくてごめんね」

 飼い主は言うけれど、食べものは探せばいいだけです。わたしはとにかく喜んでほしくてお手をくりかえします。

 この数日、わたしの飼い主は「たま」と呼んでくれません。何度も鳴いてみたけれどだめでした。
 わたしはお手をくりかえします。きっとまた笑ってくれる。なでてくれる。でも、わたしの飼い主は、笑うこともなでることも、そして、動くこともなくなりました。

  ーー「触るととても冷たいんだ」

 いつか猫の集会で耳にした言葉を思い出しました。
 わたしはおそるおそる飼い主の手に頭をすりつけました。そしておどろきました。あのぬくもりはなく、冷たいのです。そしてかたいのです。ほほにもすりすりしましたが、同じでした。
 わたしはとにかくお手をします。何度も何度も。おねがいです。起きてわたしを「たま」と呼んでください。

 わたしの目から、なぜか水があふれました。
 わたしはくる日もくる日もお手を続けました。冷たくなったらもう動くことはないと聞いたけれど、わたしはやめませんでした。


***


 数日後、なんだかたくさんの人間が来て、わたしの飼い主を連れて行ってしまいました。

「やめて、連れて行かないで。おねがい、やめて」

 わたしは鳴いたけれど、だめでした。
 やがてわたしと飼い主の住んでいた家は、へんな音のする大きなものがこわしてしまいました。

 お手をしたいのに。喜ばせたいのに。飼い主はどこにもいません。わたしはひとりぼっちです。



 ある夜。

「たま、ありがとう。わたしもたまがだいすきだよ。ありがとう」

 わたしは飼い主にたくさん頭をなでてもらいました。わたしはうれしくてうれしくて、何度も何度もお手をしました。わたしもあなたがすきです。だいすきです。ずっとずっとそばにいてください。

「にゃー」

 わたしは自分の声で目を覚ましました。わたしは家のなくなった空き地の中にひとりぼっちのままでした。わたしの目からはおおつぶのしずくがたくさんこぼれおちました。それは「なみだ」というものだとのちに知りました。



***


「たまや。たまの飼い主は空の国に行ったんじゃよ」

 わたしを心配してやってきた長老猫は言いました。

「わたしも空の国に行きたいです。どうすればいけますか? 飼い主に会いたいです。お手をするんです」

 わたしが泣きながら言うと、長老猫は悲しい顔をしました。

「わしらが行くのは、まだ先じゃよ。たま。ひとりではさびしかろう。みんなで暮らそう」

 わたしはさびしいという気持ちを知りました。そして思いました。わたしの飼い主はさびしくなくてよかったと。

 わたしはのら猫たちと暮らすことになりました。

 わたしは毎日空を見上げます。そして、空の国の飼い主にむかってお手をします。
 わたしが見えますか? だいすきです。伝わっていますか? よろこんでくれていますか?

 空の向こうに飼い主の笑顔が見える気がするんです。


 人間より猫が長生きする世界で。
 わたしは「たま」と呼ばれていました。


                              おしまい
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