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前編
2.怪しい金銭感覚ではありません
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「最後に、ここが俺の部屋だ。基本的には朝ここに集合して、その日の任務を確認するように」
ぞろぞろと戻ってきた集団を一瞥して、レーネは大きく伸びをした。
オルランドが新人四人に砦の中を案内している間、レーネたちが書類仕事を任されたわけだが、もちろんレーネの分はほとんど捗っていない。机の上にあった紙の山は、ほぼモリスが片付けてくれたようなものだ。レーネには書類仕事は向いていないし、モリスは細かいところまでよく気がつく。
オルランドは適材適所という言葉を知らないか、わかっていて嫌がらせでもしてきているのだと思う。こちらがはいはいと大人しく事務作業をするような人間ではないのも、わかっているだろうに。
「他に何か聞きたいことは?」
オルランドにちらりと見られたものの、レーネはしれっと無視して立ち上がった。飲み物の一つでも持ってこようかと思ったのだが、先に席を立っていたサンサが人数分を持ってきてくれているのが目に入る。サンサは気配りが上手い。それに甘えることにして、レーネは元の椅子に腰を下ろした。
「僕Subなんですけど、どなたかDomの方っていらっしゃいますか?」
カップを受け取って口をつけたところで聞こえた、リィロンの率直な問いに目を向ける。
答えるべきだろうか。
「リィロンくんとのPlayは僕が担当するよ」
サンサが先に口を開いたので、レーネは大人しくお茶に集中した。正直なところ、ティノールト・ヴァリエに気を配りながらリィロンとPlayをして、なおかつ普段の仕事もいつも通りこなすなどという器用な真似、できる気がしない。レーネの両手に抱えられるものは、そんなに多くない。
よろしくお願いしますとサンサに寄っていくリィロンを目で追い、次いでレーネはその他の三人に視線を移した。セシル・レスターシャは普段通り、フィルは驚き、ティノールト・ヴァリエは無反応、といったところか。
魔術師団ではダイナミクスがあれこれ言われることはないが、騎士団ではDomばかりが厚遇されると聞いている。彼らの理論に従うと、Subは恐怖に呑まれやすい臆病者なのだそうだ。無論そういう側面がないとは言いきれないが、DomとSubの間にそれほど顕著な差はないだろうと思う。現に、魔術師団ではDomを怯えさせるような実力者のSubもいるわけだし。
ただ、そういう集団の中で過ごせば、それが常識だと染まっていく。魔術師団で過ごせばダイナミクスなどどうでもよくなるし、騎士団で過ごせばSubだと明かすことは大きなリスクと捉えるようになるというわけだ。
セシル・レスターシャもフィルも、それぞれが育った場所からすればわかりやすく素直な反応で、ティノールト・ヴァリエが何も反応していないように見せていることのほうが、違和感がある。
「サンサさん、Domなんですね」
「ううん、僕Switchなんだ」
「そうなんですか? 珍しいですね」
魔術師団にいれば、その程度なのだ。ダイナミクスを隠すことも、ことさらあけっぴろげにする必要もない。ただあるがまま。騎士団や貴族社会にいた期間が長いほど、それに驚くことは多いだろう。
「じゃあ、この隊にDomの方っていないんですか」
ティノールト・ヴァリエはSubであることを隠したいのか、あるいは隠すように徹底されているのか、どっちだろう。もう少し観察しようかと、レーネはカップをテーブルに置いた。
「僕はDomだよ」
リィロンが少し驚いたような顔でこちらを振り返る。まあ、レーネほど覇気のないDomも珍しいかもしれない。それでも何回検査をしてもDomという判定は変わらなかったから、間違いはないはずだ。
「えっ、じゃあ何で……」
リィロンと会話しつつ、ティノールト・ヴァリエの気配を探る。ほんの少し緊張している、だろうか。部屋割りのことはすでに伝えたのか、まだなのか、そういえば確認していなかった。ただ、ティノールト・ヴァリエが自分からSubであることを言い出すつもりはなさそうなのはわかる。
「僕、借金返済で忙しいから……ごめんね」
「しゃっきんへんさい……?」
さらに面食らった様子の新人四人に苦笑しつつ、頷いておく。レーネが借金を背負っているというのは、嘘ではない。
「レーネくん、それだけだと君がすごく金銭感覚の危うい人間だって誤解しか残らないよ」
後ろから肩を組まれて、隣に来たサンサに何度か目を瞬く。
金銭感覚の危うい人間。生活費や研究費を除けば、魔術師団から支給されている給与はほぼ返済に回しているから、そこまで浪費家ではないと思う。何か賭博で負った借金ではないし、高いものならしばらく悩んでそれでも必要だと思ったときにしか買わないことにしているし、堅実と言ってもいいはずだ。
「レーネは、魔法学校の学費とか魔術師団に入るまでの養育費とか、そのあたりの返済をしてるだけで、変なことをする人間じゃないから……」
金銭感覚に関してはしっかりしているつもりだと答えようとして、モリスが先に口を開いたので、レーネは大人しくしておいた。だいたいの場合において、レーネが何かしら回答しても、相手のほしい答えとは違うらしいので。
モリスが四人に伝えると、彼らもどこかほっとした顔になる。
「僕、博打とかやらないよ」
念のため追撃しておこうと付け加えたら、オルランドに後ろから髪をぐしゃぐしゃにされた。
「先にそれを言え、先に」
「痛いよ、オルランドくん」
オルランドは力が強いから、じゃれ合うつもりでこちらを撫でてきたり、引き留めようと腕を掴まれたりしたときに、レーネにとっては痛いことがある。体格が違うので腕力差はどうしようもないのだが、こちらの身体が普通の騎士よりも貧弱なことは理解しておいてほしい。
「ああ、すまん」
「思ってないだろう、君」
レーネの髪は癖っ毛なので、一度ぐしゃぐしゃになるとすぐ絡まってしまう。これを解くのは、痛いから嫌なのに。
あとで湯につけてゆっくり解くか、今手で梳いて直すか。怖々髪を触るレーネのそばに、リィロンが寄ってくる。
「無理やりやったら痛いですよ、レーネさん」
「うん……」
はた目から見ても、そんなにひどく絡まっているのか。自分で触った感触からも、なんだかまずそうな予感はしたが。
じとりと見上げたレーネに、オルランドがようやく申し訳なさそうな顔をした。今さら気づくんじゃない。
その怯んだ隙をついて、リィロンがずいっと前に出る。
「オルランド隊長、僕、櫛を取ってきたいんですけどいいですか」
「お、おう」
一般的に言ってよくはない。職務中に櫛を取りに行く必要は全くないし、勤務が終わるまで待てばいいだけの話だ。
しかしレーネの恨めしげな視線が効いたのか、オルランドが押されながら頷いた。リィロンが礼を言って出ていき、サンサとモリスがくすくす笑う。
「うちの隊長、弱いな」
「レーネくんには甘いもんね、オルランドくん」
「そっ……んなことはないだろう、たぶん……」
オルランドの対応が自分に甘いかどうか知らないが、ぐしゃぐしゃ撫でられた頭は痛かったし、今から痛みに耐えながら髪を解かなければいけないと思うと憂鬱だ。
「知らないよ、馬鹿力の人なんて」
サンサが持ってきてくれたお茶が冷めてしまった。魔法でもう一度温め直して、オルランドからそっぽを向く。戸惑っていたらしい残り三人も、顔を背けたり肩を震わせたりし始めたので、余計な緊張は取れただろう。
「わ、悪かった、機嫌直してくれ」
「どうせ明日哨戒任務があるからだろう」
そこで正直に、何でわかった、みたいな顔をするのがオルランドのいいところ、といっていいのかわからないがまあ、かわいげのある部分だ。
「ちゃんと仕事はするよ、他は知らないけど」
例えば明日、オルランドが何か得体のしれないものを踏んづけて泥だらけの地面に転んだとしても、それはレーネの与り知らぬところだ。
ぞろぞろと戻ってきた集団を一瞥して、レーネは大きく伸びをした。
オルランドが新人四人に砦の中を案内している間、レーネたちが書類仕事を任されたわけだが、もちろんレーネの分はほとんど捗っていない。机の上にあった紙の山は、ほぼモリスが片付けてくれたようなものだ。レーネには書類仕事は向いていないし、モリスは細かいところまでよく気がつく。
オルランドは適材適所という言葉を知らないか、わかっていて嫌がらせでもしてきているのだと思う。こちらがはいはいと大人しく事務作業をするような人間ではないのも、わかっているだろうに。
「他に何か聞きたいことは?」
オルランドにちらりと見られたものの、レーネはしれっと無視して立ち上がった。飲み物の一つでも持ってこようかと思ったのだが、先に席を立っていたサンサが人数分を持ってきてくれているのが目に入る。サンサは気配りが上手い。それに甘えることにして、レーネは元の椅子に腰を下ろした。
「僕Subなんですけど、どなたかDomの方っていらっしゃいますか?」
カップを受け取って口をつけたところで聞こえた、リィロンの率直な問いに目を向ける。
答えるべきだろうか。
「リィロンくんとのPlayは僕が担当するよ」
サンサが先に口を開いたので、レーネは大人しくお茶に集中した。正直なところ、ティノールト・ヴァリエに気を配りながらリィロンとPlayをして、なおかつ普段の仕事もいつも通りこなすなどという器用な真似、できる気がしない。レーネの両手に抱えられるものは、そんなに多くない。
よろしくお願いしますとサンサに寄っていくリィロンを目で追い、次いでレーネはその他の三人に視線を移した。セシル・レスターシャは普段通り、フィルは驚き、ティノールト・ヴァリエは無反応、といったところか。
魔術師団ではダイナミクスがあれこれ言われることはないが、騎士団ではDomばかりが厚遇されると聞いている。彼らの理論に従うと、Subは恐怖に呑まれやすい臆病者なのだそうだ。無論そういう側面がないとは言いきれないが、DomとSubの間にそれほど顕著な差はないだろうと思う。現に、魔術師団ではDomを怯えさせるような実力者のSubもいるわけだし。
ただ、そういう集団の中で過ごせば、それが常識だと染まっていく。魔術師団で過ごせばダイナミクスなどどうでもよくなるし、騎士団で過ごせばSubだと明かすことは大きなリスクと捉えるようになるというわけだ。
セシル・レスターシャもフィルも、それぞれが育った場所からすればわかりやすく素直な反応で、ティノールト・ヴァリエが何も反応していないように見せていることのほうが、違和感がある。
「サンサさん、Domなんですね」
「ううん、僕Switchなんだ」
「そうなんですか? 珍しいですね」
魔術師団にいれば、その程度なのだ。ダイナミクスを隠すことも、ことさらあけっぴろげにする必要もない。ただあるがまま。騎士団や貴族社会にいた期間が長いほど、それに驚くことは多いだろう。
「じゃあ、この隊にDomの方っていないんですか」
ティノールト・ヴァリエはSubであることを隠したいのか、あるいは隠すように徹底されているのか、どっちだろう。もう少し観察しようかと、レーネはカップをテーブルに置いた。
「僕はDomだよ」
リィロンが少し驚いたような顔でこちらを振り返る。まあ、レーネほど覇気のないDomも珍しいかもしれない。それでも何回検査をしてもDomという判定は変わらなかったから、間違いはないはずだ。
「えっ、じゃあ何で……」
リィロンと会話しつつ、ティノールト・ヴァリエの気配を探る。ほんの少し緊張している、だろうか。部屋割りのことはすでに伝えたのか、まだなのか、そういえば確認していなかった。ただ、ティノールト・ヴァリエが自分からSubであることを言い出すつもりはなさそうなのはわかる。
「僕、借金返済で忙しいから……ごめんね」
「しゃっきんへんさい……?」
さらに面食らった様子の新人四人に苦笑しつつ、頷いておく。レーネが借金を背負っているというのは、嘘ではない。
「レーネくん、それだけだと君がすごく金銭感覚の危うい人間だって誤解しか残らないよ」
後ろから肩を組まれて、隣に来たサンサに何度か目を瞬く。
金銭感覚の危うい人間。生活費や研究費を除けば、魔術師団から支給されている給与はほぼ返済に回しているから、そこまで浪費家ではないと思う。何か賭博で負った借金ではないし、高いものならしばらく悩んでそれでも必要だと思ったときにしか買わないことにしているし、堅実と言ってもいいはずだ。
「レーネは、魔法学校の学費とか魔術師団に入るまでの養育費とか、そのあたりの返済をしてるだけで、変なことをする人間じゃないから……」
金銭感覚に関してはしっかりしているつもりだと答えようとして、モリスが先に口を開いたので、レーネは大人しくしておいた。だいたいの場合において、レーネが何かしら回答しても、相手のほしい答えとは違うらしいので。
モリスが四人に伝えると、彼らもどこかほっとした顔になる。
「僕、博打とかやらないよ」
念のため追撃しておこうと付け加えたら、オルランドに後ろから髪をぐしゃぐしゃにされた。
「先にそれを言え、先に」
「痛いよ、オルランドくん」
オルランドは力が強いから、じゃれ合うつもりでこちらを撫でてきたり、引き留めようと腕を掴まれたりしたときに、レーネにとっては痛いことがある。体格が違うので腕力差はどうしようもないのだが、こちらの身体が普通の騎士よりも貧弱なことは理解しておいてほしい。
「ああ、すまん」
「思ってないだろう、君」
レーネの髪は癖っ毛なので、一度ぐしゃぐしゃになるとすぐ絡まってしまう。これを解くのは、痛いから嫌なのに。
あとで湯につけてゆっくり解くか、今手で梳いて直すか。怖々髪を触るレーネのそばに、リィロンが寄ってくる。
「無理やりやったら痛いですよ、レーネさん」
「うん……」
はた目から見ても、そんなにひどく絡まっているのか。自分で触った感触からも、なんだかまずそうな予感はしたが。
じとりと見上げたレーネに、オルランドがようやく申し訳なさそうな顔をした。今さら気づくんじゃない。
その怯んだ隙をついて、リィロンがずいっと前に出る。
「オルランド隊長、僕、櫛を取ってきたいんですけどいいですか」
「お、おう」
一般的に言ってよくはない。職務中に櫛を取りに行く必要は全くないし、勤務が終わるまで待てばいいだけの話だ。
しかしレーネの恨めしげな視線が効いたのか、オルランドが押されながら頷いた。リィロンが礼を言って出ていき、サンサとモリスがくすくす笑う。
「うちの隊長、弱いな」
「レーネくんには甘いもんね、オルランドくん」
「そっ……んなことはないだろう、たぶん……」
オルランドの対応が自分に甘いかどうか知らないが、ぐしゃぐしゃ撫でられた頭は痛かったし、今から痛みに耐えながら髪を解かなければいけないと思うと憂鬱だ。
「知らないよ、馬鹿力の人なんて」
サンサが持ってきてくれたお茶が冷めてしまった。魔法でもう一度温め直して、オルランドからそっぽを向く。戸惑っていたらしい残り三人も、顔を背けたり肩を震わせたりし始めたので、余計な緊張は取れただろう。
「わ、悪かった、機嫌直してくれ」
「どうせ明日哨戒任務があるからだろう」
そこで正直に、何でわかった、みたいな顔をするのがオルランドのいいところ、といっていいのかわからないがまあ、かわいげのある部分だ。
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