魔法使いと勇者ちゃん

ちくでん

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勇者ちゃんの依頼

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 抗わず、世界に身を任せる。それは魔法を信じること。自分を信じること。

 あの日初めて「移動魔法」を完成させた私は、それを学んだ。
 空に浮かび、目的地までひとっ飛びの移動魔法。
 最初は上空の風に翻弄されクルクル姿勢も安定しなかったので、疲れてぐったり。そのときようやく無心になれたのか、私の周りに風を遮る魔法の障壁が広がった。
 『飛んでいる』という現象を初めて受け入れることが出来たとき、移動魔法は完成したのだ。

 飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。勢いよく飛ぶ。
 雲の切れ目から地表が見えた。小さく見えるあれが、アイソンの城下町。
 そこにひときわ高いあの尖塔が、私が通うことになる魔法学校だ。それはアイソン中の知識が集まる、夢にまでみた魔法の学び舎。

 風を切る音は、もう聞こえない。
 代わりに聞こえるのは、自分の心臓の音。
 どきどきと高鳴る、冒険の始まりを告げる鐘。
 ――青い空からこんにちは。
 今日が、『アイソンに住む私』の誕生日。

☆☆☆

 ――と、まあ。
 そんな可愛らしいことを考える時期が、私にもあったものなのだ。よもやその後、十年近くもアイソンの酒場で飲んだくれることになろうとは、幼き少女であった私には想像もつかなかっただろう。
 移動の魔法で大空から期待を胸に舞い降りた私がまず最初にしたことは、ずぶ濡れになりながらの宿探しだった。
 大空は青くても、雲の下は土砂降りということは確かに珍しい話じゃない。田舎から着てきた一張羅のローブとツバ広の魔法帽。彼らの初仕事は、降りしきる大粒の雨から私を守ることだった。
 泥だらけの大通りをトボトボ歩きながら、誰に声をかけても相手にされない孤独さを、私はまず学んだのだ。

 そんな私に返事をしてくれたのは、整った身なりをした髭のおじさんだった。甘い笑顔がダンディな、都会の紳士。
 親切なおじさんに案内されて一晩の宿にたどり着いた私は、ベッドに包まれて泥のように眠った。
 だから翌朝、宿の伝票を見たときにはまだ頭の中が泥のままなのかと思い、落ち着こうと大きな深呼吸をしたものだ。
 思い出したくもないが、請求額はゼロの桁が一つ違った。つまり親切な都会のダンディおじさんは、私のようなおのぼりさんをカモにするポン引きだったらしい。
 都会の厳しさは田舎とは比べ物にならない。
 親切そうな人にこそ気をつけろ。
 私はたった一日でアイソンの真髄を学べてしまったわけだ。
 基本的に、何をするにも金、金、金。――なのである。

 金の切れ目が縁の切れ目。
 貴族である父さまが遺してくれた学費も足りなくなり、志半ばに魔法学校を追い出されてしまった私は、セドミアの酒場という冒険者が集う店を根城にして、その日を暮らすための貨幣を稼ぐことにした。
 細々とした仕事を、細々と。
 二年過ぎ、三年過ぎ、元学友たちの多くが高位機関のアカデミーへと進む頃には、私も日銭稼ぎの生活に慣れていた。
 小銭を貯めては無くし、貯めては無くしの繰り返し。日々の暮らしがひたすら続く毎日。
 月日があっという間に過ぎ去る中で、世界とはたぶん、こんなものなのだと思っていた。
 そりゃ、大きな仕事がうまくいった夜の酒は美味しいし、次第に冒険者として名前が売れてゆく過程が安い自尊心を満たしてもくれる。
 それでも飲んだくれた次の朝がどこか空しいのは、思うに迷子になった私の存在を自分が知っているからだ。
『大空から期待を胸に舞い降りた私』は、きっとまだ、土砂降りの雨の中を彷徨っているに違いない。
 アイソンのどこかで、小さな私は今も宿屋を探し続けているに違いないのだ。
 ――なんて、な。

 なんでこんな昔のことを思い出してしまったかというと、この日の依頼が一風変わったものだったからである。


☆☆☆


「……移動の魔法を覚えたい、のですか?」

(こくこく)


 と、私の問いに言葉を発さずに頷くだけの小さな女の子。
 どう見ても酒場の喧騒には似つかわしくない彼女が、バーテン君に仲介された今日の依頼主だった。


「ああ、良いですねぇ、移動の魔法。春風に桜の花びら舞うごとく、ふわり空を飛んでみたい。――そういった季節でありますから」

(こくこくこく)


 椅子とテーブルが彼女の小さな背丈に合っていない。テーブル上にギリギリあごまでを覗かせながら首だけで頷く彼女は、まるで木の実をかじるリスみたいだ。大きくてクリクリした目は表情に乏しいが、その代わり首から上を大げさに動かす感情表現が、とても大げさでわかりやすい。


「魔法を習得していく過程は、友情の深まり方にも似ております。始まりは興味からですが、次第に魔法への親しみと敬意が増してゆく。その課程で人は知識をチカラに換えてゆくのです」


 女の子は首を傾げている。私はお茶で、軽く唇を湿らせた。


「移動の魔法はなかなか難しい魔法です。魔法学校で最初に教わる魔法が発火の魔法であることはご存知でしょうか。移動の魔法は発火の魔法で使う技術の多くを基礎として……、あ、発火の魔法はご修得なされておりますか?」

(ふるふる)←首を左右に振る。

「なるほど。そうなりますと、いささか難しいところもありますが、ご安心を。私ことルナリアも、伊達に魔法を生業とした何でも屋をしているわけじゃありません。各種の習得方法に心当たりはございますよ」


 満面の営業スマイルで、うやうやしく一礼。
 各種の習得方法? モチロンそんなものは出鱈目だ。ただこう言っておけば素人は安心する。


「で。えー、ご予算の方ですが……」


 と、言い差した私の顔は、たぶん笑顔のままでたっぷり五秒は止まっていたと思う。


「――ちょ、ちょっと失礼。おーい、バーテン君!」


 私は席を立ち、薄暗い石造りの店内を見渡した。


 カウンターにバーテン君の姿がない。
 勢いで転がった樫の椅子を立てることすらもどかしく、店内を歩き回る。隅でヒッソリと仕事をしていたバーテン君を見つけると、私はそちらへ向かって一直線に走りだした。
 そしてバーテン君の首を締めあげる。
 彼女が予算としてテーブルに並べたのは銅貨八枚! 宿代にすらならない額の仕事を斡旋してくるなどと舐めた真似だ。
 するとバーテン君は言った、あの子はさる偉い方の肝入り客なのだと。だから仕方なく私に斡旋したとのことだ。
 そんなこと私には関係ない、銅貨八枚の理由になりやしない。
 私はもう一度バーテン君の首を締めあげた。


「おっはー。なんか楽しそうだな、おまえら」

「む。エリン」


 私がそう呟くと、バーテン君がすがるようにそちらへ目を向けた。私と同じくセドミアの酒場を根城にした冒険者、エリンがやってきたのだ。
 エリンと私は、ここ数年コンビを組んでいる。ライオンのような金髪ブロンドをたなびかせる長身の彼女は、剣を持たせれば並の戦士には後れを取らない凄腕だ。


「ルナリアは今日もご機嫌ナナメだなー」

「よけいなお世話だ! だいたいキミみたいのが笑いながら火に油を注ぎにくるから、ナナメ通り越して横になる!」

「まま、朝からそんなにテンション上げるなって」


 白い歯を見せてにっかり笑うと、エリンは勢いよくカウンターの椅子に座った。「ほれほれ」と、私にも着席を促す。
 間を置かず、そこにバーテン君が飲み物を差し出したのは、正直良い連携だった。怒鳴って嗄れた喉に、バーテン君の注いだ果実水は確かに魅力的なのだ。


「――ほら?」


 とカップを掲げて乾杯を促してくる戦士君に、私は渋々といった体で従う。


「で、今日はなんで荒れてんだ?」


 まるで私がいつも荒れているような言い方をする。反論してやろうと口を開いたタイミングで、バーテン君からツマミが給仕られた。悔しいがさすがにプロの呼吸、思わず怒声を飲み込んでしまう。


「いや、実は――」


 と、奥のテーブルで銅貨を使っておはじき遊びを続けている今日の依頼人を指差した。


「なにやら得体の知れない子供が今日の依頼人で……」

「ああ、勇者ちゃんか」

「金も持ってない子供を仲介なんかするなとバーテン君に文句を言ったら、どこぞの偉いさんの口添えで仕方ないと……」

「アイソンの王さまだろ? すげーよな」


 ガシャン、と音を立てたのはカウンターの中で聞き耳を立てていたバーテン君だ。そのびっくり顔は、エリンの情報が本当と言ってるようなものだった。


「……なんでそんなに詳しい?」

「こないだ遊んだ子供らが言ってたんだよ。勇者ちゃん、あいつらの間ではちょっとした有名人だぜ?」

「遊んだ? 子供と? なにして?」

「おう、チャンバラやった! あいつらヨエーヨエー」


 エリンは誇らしげに胸を張っている。いい歳して子供達の中で番長を気取っているエリンの姿を想像してしまい、私は頭を抱えてしまった。


「で、あの子は勇者タカハシの娘さんなんだってさ。なんか先日お城にお呼ばれして王様直々の命を受けたらしいとか聞いたわけよ」


 バーテン君がエリンの言葉を遮るように声を上げた。
 一応極秘な話で、万一バーテン君が情報元とでも誤解されたら困るそうだ。
 困っているバーテン君に、エリンは格別な笑顔で応えた。


「いやもう子供らの間じゃ常識だし」


 がっくりとうなだれるバーテン君。いい気味だ。


「……なるほどな。だから勇者ちゃん、か。子供らの方が大人よりよっぽど事情通ってわけだ」


 納得しかけて相槌をうった私に、エリンはなんともいえない視線を返してきた。何か言いたそうな、しかし言いにくそうな、そんな表情だ。


「あー。……勇者ちゃん、なぁ」


 頬をコリコリ掻きながら、エリンは口を開いた。


「ん?」

「街の外のリッカリスに毎日負けて帰ってくるんだとさ。一回も勝ったことがないらしい」

「リッカリスって少し大きいリスってだけの? いまどきは、小さな子供だってリッカリスを狩りして小遣い銭を稼ぐと聞いたことがあるぞ?」

「まあな。で、そんな弱いのに毎日挑んでる姿があまりに無謀で可哀想だから『勇者ちゃん』なんだとさ」

「それは嘲りではないか」

「子供の世界って、けっこう残酷なモンだぜ?」


 そう言って果実水の最後の一滴を飲み干しながら、エリンは肩をすくめた。どうにも見かねてしまい勇者ちゃんの相談に乗ってるうちに、魔法を教えてくれる相手を紹介することになったとのことだった。


「ルナリアは前に言ってただろう? 魔法は学問だ、質のいい教師にしっかり習えば誰でも使えるようになる、って」


 確かに言った記憶はある。だがその言葉は怒ってばかりで人のやる気を無くさせる天才だった自分の祖母に対する恨み言だったはずだ。私は祖母から逃げるようにしてこの街の魔法学校へと入学しにきたのであった。


「おまえがさ? 勇者ちゃんの良い教師になってやれよ?」


 ニッカリと笑い掛けてくるエリン。


「つーわけで、はいよ、これ」


 エリンが私に、なにやら書物を差し出してくる。


「……なんだこれは?」

「おまえさんの部屋にあった、魔法の入門書」

「こ、こら! どこからこんなものを!」

「ルナリアもこの本で移動の魔法を覚えたって言ってたろ? 探すの苦労しちゃったぜ」

「馬鹿者、触るな! 返せ!」

「わわわ、暴れんなって! 返す! 返すよ!」


 奪い返した本の埃を、丁寧に払う。


「どちらにせよ報酬が見合わなすぎる! そんな仕事を受けるほど私は安くない!」

「なんだよー、おまえだって勇者ちゃんの話を聞いたらちょっと同情的になってたくせに」

「それとこれとは話が別、この件は断らせて貰うぞ」

「見てみろよ、勇者ちゃんこっち見てる」

「え?」


 思わず勇者ちゃんの方を見ると、奥のテーブルで頭を斜め四十五度の角度に傾げている勇者ちゃんと目が合った。あれは多分「こっちでなにを話してるのかな?」というまなざしだ。
 私は思わず深呼吸。そしてまた、ちらり。勇者ちゃんの方を見る。また目が合ったと思ったら、勇者ちゃんはブンブンと手を振ってくる。


「やっほー」

「振り返すなよエリン!」


 これから依頼を断ろうというのにあまり仲良くなってしまいたくない。
 私はエリンの頭を軽く小突くと、勇者ちゃんのいる奥のテーブルに向かって歩き出した。その間もなるべく勇者ちゃんと顔を合わせないように天井付近を眺めていたのは、情を移したくないからであった。
 酒場の中をたゆたう紫煙が天井付近の空気口へと流れていくのが目でわかる。ここは子供のくる魔所ではないのだ、子供は子供の世界でやることをやっていくべきでもある。
 そういう意味でも断るのが一番だと、私は思った。
 と、そんなときだった。

 転びそうになった酔っ払いが、大きな音を立てて勇者ちゃんのテーブルに手をついた。勇者ちゃんが仕事料として提示してきた八枚の銅貨が、テーブルの上で跳ねて床に落ちた。
 コロコロと転がり出した銅貨は造りの荒い石畳のおうとつで方向を変えながら、店の奥へと向かっていく。紫煙が深くなる奥は、性質(タチ)の悪い客が多い。
 私は銅貨を拾ってやろうと、思わず足を踏み出した。
 しまった、と思ったのは同じく銅貨を追う勇者ちゃんと接近遭遇したときだ。――笑顔を向けられてしまった。


「ち、違うぞ勇者ちゃん! 別に私はキミの為に銅貨を拾おうとしたわけじゃない、お金が転がってしまうのを見過ごせなかっただけだ!」


 思わず私が足を止めると、勇者ちゃんもそれに倣う。しばらく首を傾げてキョトンとしていた彼女は、


(にぱっ)


 と笑った。私はトンガリ帽子の広いつばを引っ張り、目が隠れるまで深くかぶりなおしてしまう。どうもこの子は苦手だ。そういう濁りのない目で私を見るな。


「おう、カネみっけ」


 奥の席で声が上がったのはその時だった。


「おおいバーテン! これで酒をもう一杯!」


 テーブルの仲間と笑いあっていた筋肉質の大男が、勇者ちゃんの銅貨を何枚か拾い上げて手を振ったのである。
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