魔法使いと勇者ちゃん

ちくでん

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酒場の闘技場

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「おおい、バーテン! これで酒をもう一杯」


 テーブルの仲間と笑いあっていた筋肉質の大男が、勇者ちゃんの銅貨を何枚か拾い上げてバーテン君に手を振った。


「ダメですよ親分」「それ、そこのチビのですぜ」「ほらこっち見てます」

「……ひっく。うるせえ馬鹿野郎! 泣く子も黙るのが盗賊団ってもんなら、たまには子供を泣かせるところから始めるのも悪くねぇってんだ」

「親分ヤバいっすよ! 街中じゃ盗賊団ってこた秘密にしておかないと!」

「うるせいっ!」


 酔っ払った大男の一喝で、子分らしい小男たちが「ひいい」とすくみあがった。
 ふん、と鼻息も荒くフラフラ立ち上がった大男が、足もとに立っている勇者ちゃんを見下ろした。ゆうに三倍はあろうかという身長差が、見上げる勇者ちゃんの顔に大きな影を落とす。


「返して欲しいか~?」


 こくこく、と首だけで頷く勇者ちゃん。


「返して欲しけりゃ、自分で取り返すんだな」

「おやぶーん、かわいそうですよ」

「うるせえ! カネを床に落とすなんざ、親の教育がなってない証拠。カネの大切さを教えてやろうという、これぞ人生の先達としての義務!」

「『な、なるほど!』」


 妙に関心した様子で声をハモらせ、子分たちが大きく頷いた。
「惜しい残念、こっちこっち」大男の酔っ払った声をまといながら、ひらひらと銅貨が宙を舞う。勇者ちゃんは銅貨に向かってジャンプ。
 着地で勇者ちゃんがバランスを崩すと、すかさずそこに大男は銅貨を近づける。ふらふらしたまま跳び上がる勇者ちゃんは、床にベチャリと転んでしまう。そこを今度は指さして、この大男は笑うのだ。


「おいバーテン、聞こえてないのかー? はやく酒持ってこーい」


 さすがに見兼ねて、その場に口を出そうと一歩踏み出そうとしたとき――、


「とぅりゃあーっ!」


 私の背後から凄い勢いで飛び出したものがあった。エリンだ。
 口を出す、というよりは大声を出す。
 言葉ではなく気合の声なのがエリンらしい。そして続いた行動は、さらにエリンらしいものだった。


「ぷぎゃっ!」


 エリンの華麗な跳び蹴りが、大男の後頭部に突き刺さった。
 もんどりうって倒れる大男に続いて、エリンも倒れる。「ぷぎゃ」という苦悶の声はエリンのものだった。
 ――勢いあまっての自爆。
 エリンらしいというのは、こういうことでもある。


「おっ、親分!?」「ああっ、ピクピクしてる!」「せっかくの教育中に!」
「『許せねぇ、よくも親分を!!』」


 と、最後は声をハモらせながら、仲間の男どもがこちらを向いた。いや、確かに私も一歩踏み出したが、なんでこっちを向くのだ。睨むならエリンだろうに。ああそうか、エリンも床で白目を剥いているのか。


「――火爆」

「『うぎゃああああ!』」


 ズドドン! と、私の杖から迸った光が爆発を起こし男どもを吹き飛ばした。あえて威力を落とした爆発魔法、私の得意魔法だ。目くらましから牽制、それにこんなときの会話の打ち切りまで、多彩な使い道で重宝している。


「口下手だからつい行動で返事をしてしまった、スマンな」

(なでなで)←勇者ちゃんが倒れた男たちの頭を心配そうに撫でている

「あー、勇者ちゃん。銅貨を拾ったならすみやかに下がりたまえ」


 私は杖を軽く振りながら構えなおした。


「どうやらこいつらの親分とやらは、呆れるほど頑丈な肉体の持ち主だ」


 男どもに親分と呼ばれていた大男にとっては、火爆がむしろ気付けになってしまったらしい。煤黒くなった顔を拭きながら、吹き飛ばされた壁際で大男がむっくり立ち上がってきたのだった。


「いきなりやってくれるじゃねぇか」

「少しは酒精が抜けたか? 子供への意地悪は関心できんぞ」

「ばーろー、人が気持ちよく飲んでるとこに、横からチャチャ入れやがってぇ。口下手が聞いて呆れるぜ、低級魔法使い」

「て、低級!?」

「おうとも! どうせおまえ、魔法学校から落ちこぼれたクチなんだろ? へへ、真っ当な魔法使いさまが、こんな場末に顔出すかってんだ」

「発火」

「おわっちっちっちっ! 熱いじゃねーか、この野郎!」

「すまん、低級魔術士なので魔法の制御が下手なのだつい漏れてしまう。加えて口も軽い――発火」

「あちーっ!」

「な? 口の動きが軽い軽い、軽妙だろう?」

「こ、こんにゃろ、人が下手に出てりゃあ調子に乗りやがって……!」


 大男が焼け焦げたシャツを破り上半身裸になった。気合を入れ直したのだろう。私もつい笑みをこぼしてしまう。


「はん、酔っ払いめ。喧嘩は時と相手を選ぶべきということを教えてやるさ!」


 酒場中に歓声が上がった。
 賭けが始まったのだろう、怒号に似たオッズがそこかしこで響き渡る。野次馬たちが私たちの周りから離れていく。酒場の隅にポッカリと開いたこの空間が、小さな闘技場になった。


「ひっく」


 大男は傍らのテーブルから水を取ると、頭から被った。酔いを覚ましているのだろう、しかしその程度でアルコールが抜けるものか。
 隆々とした筋肉が、ぬらぬら光っていた。水と汗のカクテルは、瞬時に湯気へとなって大男の周囲を煙らせる。
 上半身裸のパンツ一丁で湯気まみれなその格好は――、


「うわ、キモ」「犯罪だろその格好」「ナニするつもりだ、ヘンタイ!」「卑猥すぎ」


 ――おっと、野次馬が私の気持ちを代弁してくれたか。もっとも「応援するぜ大男!」「ヤレ、ひん剥け!」なんて声も混ざっているので、ちゃんと釘を刺しておかねばなるまい。


「ちゃんと聞こえてるぞ、キミたちよ」

「うは、姐さん怒った!」


 ドッと巻き起こった笑いが、やがて石畳を大勢で踏みしめるリズムに飲み込まれていった。
 ドン、ドン、ドン、ドン――。
 延々続くかと思える一定間隔の地響き。悪くない空気だ。ギャラリーが味方についている。大男が忌々しそうに唾を吐いた。


「ずいぶん人気者じゃねーかよ」

「これでなかなか、私もナイスボディだからな」


 軽口を叩きながら、さりげなく杖を目の前にかざし――、


「おおっと、そりゃーだめだ!」


 ……かざして、魔法を使おうとしたのだが、許してはくれない。石床を蹴った大男が、弾けるように伸び迫る。日に焼けた筋肉の生み出す圧力が凄い、まるで壁が押し潰しにきたようだ。
 ただ動きはエリンより確実に遅い。
 大男の動きは、酔ってる割に悪くないものだが、エリンの動きを見慣れている私にとっては物足りなく、直線的で驚きに欠けた。つまり予測が立つ。


「こ、この野郎、逃げんな!」

「しょげるな。単純さは時に美徳足りうる、この場の悪徳だからと言って捨てたもんじゃない」


 大男の悔しそうな顔が、心地よい。
 身の軽さには多少なり自信があるのだ、酔っ払いにどうこうされるようなヘマはしない。


「――防御魔法!」


 隙をみて、杖を一振り。
 その先端から、表面張力の限界を超えた水のように、文字の形をした光が無数に零れ出た。光で出来たルーン文字が私の周囲を漂い始める。
 身を守る、魔法の障壁だ。そのまま続けて軽い攻撃魔法で牽制をする。

「発火! 発火!」「あちっ、あちっ!」
 発火は攻撃に使う魔法の中でも最下級の初期呪文。発火が起こす魔法の火は、大男の肉体に大したダメージを与えることは出来まい。
 しかし踏み出した足もとに火をつけ、次の瞬間に顔めがけて発火を放てば――。
 再び突進を仕掛けてきた大男の上半身が火を嫌い、ややバランスを欠いた。


「……あ」


 と、右腕を大振りした大男がこちらを見る。
 私は口の端に浮かびそうになる笑みを抑えながら、杖の先端を大男の腹にそっと添えた。


「爆発!」

「おわあああっ!」


 大男が、その腹の付近に巻き起こった爆発で弾け跳んだ。火爆の上級魔法、爆発に、防御魔法の魔法障壁を干渉させて爆発に指向性を与えた特別性の弾幕だ。
 死なぬように手加減はしたが、ひとたまりもあるまい。なにせ魔法障壁で転化しきれぬ分のチカラで、私自身も弾き跳ばされてしまうほどの大技なのだ。つまり。

 衝撃を受けた私も、ゴロゴロと転がっている真っ最中である。テーブルに肩をぶつけ、石床で肘をすりむきながらも、最終的に私は幸運なことに大男の子分たちの肉体をクッションにすることが出来た。


「いてて。……幸運というかまあ、ここまで計算して撃ったわけだがね」


 芝居ッ気たっぷりの科白は勝利宣言がわりだ。
 ずり落ちたツバ広のトンガリ帽子が私の視界を奪っている。
 腰をさすりながら周囲を確認。狭まった視界の端に、遠くに転がった魔法の杖を見つけることができた。
 衝撃で手から離してしまったのだ。
 それらを取りに歩くのが億劫なほど、こちらもダメージを受けてしまっている。そういう技なのだが、あー、やりすぎた。
 ぐったりと、大男の子分たちに背中を預け倒れたまま、大きく息を吐く。
 とはいえ、なかなかに会心の一撃、身体から力が抜けてゆく感じが心地好かった。さて美味しく酒が飲めそうだ。

 ――と苦笑して、帽子を被りなおしたそのとき。
 急に内から違和感が沸き起こった。
 この感じはなんだろうかと考える、答えはすぐに出た。簡単だ、勝利者を称える歓声が上がっていないのだ。酒場が、静かにどよめいている。潮鳴りを遠くで聞くような、ゴウゴウとした低音のうねりが酒場を満たしていた。
 そして空気に融けているのは、轟く雷鳴を今かと待ち望むに似た、期待の微粒子。

 脳裏に危険を告げる信号が明滅した。近くで誰かが、むっくり起き上がる気配があった。――いかん、私も早く立ち上がらなくては!


「……ううーん、殴られても俺ら親分についてゆきますよ、むにゃむにゃ」

「――なっ!」


 倒れている子分の一人が、気絶したままに私の足を掴んでいた。


「は、放せ、馬鹿っ!」

「おせえっつーの!」


 しまったと思った時には、大男の言う通り遅すぎた。体当たりの衝撃で頭を揺さぶられると同時に、背後から羽交い絞めにされる。


「ぐあっ……!」

「はっはっはぁー! ようやく捕らえたぜ。いまこそ俺の時代!」


 舐めていた、まさかここまで頑丈な肉体をしているなんて。素早さでも力強さでもなく、尋常でない耐久力こそがこの男最大の武器だったのだ。
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