人形学級

杏樹まじゅ

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【昼休み】

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「今日はこれから小平のおじいちゃん家行くよ」

 十一月のある日曜日。
 豊島区の小学校に通う五年生の紫園太陽は、朝起こされるなり母さんにそう告げられた。
 よっしゃあ!
 太陽は心の中でガッツポーズを決めた。
 おばあちゃんもおじいちゃんも、一人っ子で初孫の太陽にベタ惚れだ。
 太陽も、それを知ってる。
 だから、行く度にいい子にして、待ち構えるおじいちゃんに抱きつく。
 おお、おお、よく来たな。
 その言葉の後には必ず、お小遣いをくれるのだ。
 太陽には企みがあった。
 ちょっとづつ貯めたお小遣いも、もうすぐ三千円。
 おじいちゃんがあと二千円でもくれれば、新宿の紀伊國屋書店で見つけた、宇宙の大辞典が買える。
 総ページ数五百ページ以上。
 全ページフルカラー。
 四千六百円の小さな宇宙だ。
 僕の使命は、大学教授になって、宇宙の神秘を解き明かすこと。
 その為に必要な、最強の魔術書だ。
 そして今日、おじいちゃんは三千円もくれた。
 もう、いますぐ買いに行くしかない。
 国分寺の駅ビル、セレオの八階にも紀伊國屋書店はある。
 同じ書店だ、国分寺にもあるかもしれない。
 それに太陽は、おじいちゃんと国分寺に出かけるのが大好きなのだ。
「ねえ、おじいちゃん! 行きたいところがあるんだけど」

 小平駅まで歩いて、踏切を渡って、西友前にあるバス停に並んだ。
 わくわくする。
 おじいちゃんと国分寺に行く時は、いつもここのバス停からだ。
 あの、水色とクリーム色のバス。
 地味だと初めは思ったけど、今では太陽の幸せな色だ。
 バスが来る。
 おじいちゃんはシルバーパスで乗る。
 太陽はこども用スイカで乗る。
 バスが発車する。
 ──あの、ずっしりとした本。
 ハードカバーに描かれる、満点の星と星座の絵。
 ページをめくる度、最新の惑星や星の成り立ちが、信じられないくらいの色彩で目に飛び込んでくる。
 その興奮が、今日この手に入るのだと思うと、もうそれだけで天にも昇るような気持ちだった。

 あるバス停に着いた時。
 同い年くらいの女の子が乗ってきた。
 ふわふわのショートヘアで、背が高い。
 太陽も高い方だったけど、その太陽より高い。
 大きなメガネが印象的だった。

 ……可愛いじゃん。

 その子は太陽とおじいちゃんの前の席に座った。
 宝物がもうすぐ手に入るのに、太陽はその子に釘付けになった。
 バスは程なくしてまた止まった。
 小平でいちばん大きな団地の前だ。
「月子ちゃん!」
 また、女の子が乗ってきた。
 緩やかなウェーブのかかった長い髪。
 目はリスみたいだった。
 さっきの子の隣に座った。
「ひすい」
「えへへ、今日、楽しみにしてたんだよー」
「……あたしも」

 バスはそこそこ混んでいた。
 だから同い年の太陽が後ろにいても、女の子たちは気にも留めなかった。
 それにしても、妙にベタベタとくっついている。
 女の子って、あんなんだっけ。
 などと考えていると、ひそひそと話し始めた。

 キチジョージって、どこにあるの?
 中央線でちょっと行ったとこ!
 あたし、切符買ったことない。
 大丈夫、ひすい、慣れてるよ!
 人形の材料、見つかるといいね。
 うん、月子ちゃん今日はありがとう、大好き。

 そして、ひそひそ話が途絶えたかと思ったその時。

 キスをした。
 口と口で。
 何度も、何度も。

 太陽は、口をぱくぱくさせた。

 ──え?
 女の子同士で?
 え……?
 ちゅうしてるの?
 するの?
 女の子同士って、ふつうさあ……

 宇宙の大辞典の事など、吹っ飛んでしまった。
 そして、信じられないほど心臓がどきどきしている。

 ──今、僕は何を見たんだろう。

「いかんなあ」

 その時、おじいちゃんが唸った。
「え? 何が?」
 太陽は何をおじいちゃんが「いかん」と思っているのか、全く分からなかった。

 終点、国分寺駅の多摩湖線ホーム下のバス停に着くと、女の子達は軽やかな足取りで降りていった。
 これから中央線で吉祥寺まで行くんだろう。
 おじいちゃんと紀伊國屋書店に着いた。
 あった。
 大人向け学問書のコーナーにあった。
 手に取る。
 ……こんなに軽かったっけ。
 表紙を見る。
 なんだかチャチに見えた。

 帰りも、西武バス。
 手には、宝物のはずの本。
 おじいちゃんは、孫が自分のお小遣いで欲しい本を買えて、満足だ。
 でも、太陽はあの二人の、秘密の口付けの光景が、目に焼き付いて離れなかった。

「なにが、いけなかったの?」
 夕ご飯は、おじいちゃんが宅配寿司を頼んでくれた。
 大好きなサーモンを口に咥えながら、聞いてみた。
「なにがだい?」
「ほら、行きのバスの中で、不機嫌そうにしてたから」
「ああ……」
 おじいちゃんの優しい表情が曇る。
「どうしたんです?」
 おばあちゃんが興味を持った。
「いいや、なんでも──」
「ちゅうしてた! 女の子同士が!」
 興奮気味に、太陽が言った。
 はあ。
 おじいちゃんがため息を吐いた。
 まあ。
 おばあちゃんが驚いた。
「ああいうのは、良くない。女の子同士だからって、じゃれてふざけて。大方映画か漫画の読みすぎだろう。……太陽は、ああいうことはしちゃだめだからな」
「なんでダメなの?」
 太陽は、素直に自分の気持ちを口にした。
「当たり前だろう、恋というのは男と女がするものだ。それを女同士で」
 と、母さんが遮る。
「でも、父さん。今は多様性の波が来てるんだよ。そういう子がいてもわたしはいいと……」
「いかん! いいか、そもそも子供の前でそんな話をするもんじゃない。……いいか、太陽も、もう忘れなさい。ああいう子はロクな大人にならないんだからな」
 それっきり、おじいちゃんは黙ってしまった。
 大好きなサーモンのお寿司は、なんだかひんやりと感じた。

 家に帰る最中の西武新宿線で。
 太陽は椅子に座ると図鑑を開いた。
 パラパラとめくる。
 どれも本当なら太陽の心を掴んで離さない内容なのだが、今日あった色々のせいで、頭に入ってこない。
 と、あるページが目に留まる。
「地球外の生命の有無」
 難しい漢字ばかりだけど、なんとか頑張って目で追った。
 その中の「生命・進化の多様性」という言葉に、強く惹かれた。

 ──でも、父さん。今は多様性の波が来てるんだよ。

 多様性って、なんだろう。
 母さんに聞いてみた。
「色んなことが、『あっていい』ってことだよ」
「あっていい……いてもいいってこと?」
「うん。そうとも言う」

 そっか。
 いてもいいんだ。
 僕みたいに、こだわり始めると調べずには居られない人も。
 ──女の子同士で、ちゅうしちゃう子が、居ても。

 視線を母さんから、大辞典に移す。
 あの時のずっしりとした重み。
 あの時の鮮やかな表紙。
 宝物の本は、あの時の輝きを取り戻していた。

 太陽がその本から学んだ『輝き』が、数年後、あの女の子と自分を繋ぐ不思議な関係の礎となることを、この時はまだ知らない。
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