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第三部 世界のすべて
詫び状 近藤睦美
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詫び状 近藤睦美
近藤グループの名誉会長、近藤睦美と申します。女性のような名前ですが男です。列記とした日本男児――九州男児。齢は八十を超えている老人です。尾崎諒馬さんの「思案せり我が暗号」の選評で宮部さんが「人物像があまりにも古い」とありましたが、実際、私は古い――古臭い人間です。いや、いい意味でですが――。少なくとも私が仕事をしていた昭和の時代では古臭い真面目な人間でなければ、創業した企業を成功させることはできなかった。そう、私が創業した企業は成功して、巨大な企業グループ「近藤グループ」となっています。
いや、実際の名称は「近藤グループ」ではないですが、先に「これはフィクション」そう申しましたので――。ですから、私の苗字も近藤ではないです。まあ、それは置いておきましょう。
このWeb小説「殺人事件ライラック~」において、私に「近藤」というフィクション上の苗字を与えたのは作者の尾崎諒馬=鹿野信吾=佐藤稔ではありません。彼は「針金の蝶々」という習作をデビュー前に途中まで書いていて、それが「近藤製薬の会長近藤克夫所有の別荘にて惨劇が起こる」そういう設定だったわけです。それを知った私が、その別荘を実際に建設したと……。それによって私が自分で「近藤」というフィクション上の苗字を引き受けた――と。
わかりにくいですね。説明の角度を少し変えましょう。
私はデビュー当時から「尾崎諒馬」の熱烈なファンになり、陰ながら支援しようとしていました。私は彼の「思案せり我が暗号」と「死者の微笑」を高く評価しています。「ブラインド・フォールド」は左程ではないですが、先の二作は本当に高く評価していました。世間の評価はあまりよくないように思えますが、個性的な彼の作風は読者を選ぶ、そう思いますし、私はその「選ばれた読者」そう自負していました。太宰治が「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」とヴェルレエヌとやらの詩を引用しておりますが、まさにそれの読者版、一般には「暗号は凄いが他がチープで稚拙」と酷評されている「思案せり我が暗号」の本当の良さがわかる選ばれた読者としての「恍惚と不安」が私には確かにあったのです。
さて、私が「近藤」という苗字を押し頂くとすれば、私は「近藤睦美」となります。
コンドーム、罪
わかりますでしょうか? 生殖――子供を作る――子孫を残すこと――それを拒否して快楽だけをむさぼる、男女の睦事、まぐあい、つまりはそういうセックスは罪、私は心からそう思っている男です。古い考えでしょう、今の令和の時代にはそぐわない、性の多様性が叫ばれる今の時代にはそぐわない――それは重々承知しています。しかし、私は齢八十超えの老人です。いにしえの真面目な人間――ですからそれはご理解いただきたい。
そうした偏愛するミステリー作家「尾崎諒馬」が、デビューから三作発表後沈黙してしまった。残念ですが、四作目は出なかったのです。
ただ「針金の蝶々」なる習作はあり、それを完成させて発表する、その道があったはずですが、彼は悩んでいた。それは、それが殺人事件であったため――、そう聞いています。
「思案せり我が暗号」の中で名探偵尾崎凌駕が本格ミステリーを成立させる「ある意味陳腐な」要素として「殺人」を上げています。しかし、「思案せり我が暗号」を筆頭に彼の三つの本格ミステリーには殺人事件がおきません。長編であるのにです。本格ミステリーの長編にほぼ絶対必要だと思われる殺人事件を自ら陳腐と呼ぶ。そう、本格ミステリー作家であるはずの「尾崎諒馬」は戒律として「殺人事件を描くことを封印」してしまっていたのです。
あまりにも残酷な、しかし、それは彼が自ら望んで自分に課した戒律でした。
いや、本音は違うのかもしれません。彼は私にこう本音を明かしてくれたことがあります。
執筆を続けていくと、自分は現実と非現実の境がわからなくなる。自分がフィクションとして書いている執筆内容と自分を取り巻く現実が混沌と一つになって、殺人事件が恐ろしくて書けない。
当初はその戒律こそを心の支えにしていた彼ですが、自作の評判は――私のような理解者、支援者は皆無ではなかったのですが――芳しくなく、寧ろ「単なる臆病者、ミステリー作家失格では?」と、自信を失ってしまった。
それで、私は一肌脱ごうとあの別荘を建設したのです。元々、「近藤メディボーグ」の保養施設として別荘を建設する計画はありました。私は当時、「近藤メディボーグ」の社長でしたのでトップ権限で、その別荘を「針金の蝶々」に登場する別荘に近いものになるように設計させたのです。そして、次の代に世代交代する――専務を社長に昇格させた後に、あのパーティに「尾崎諒馬=鹿野信吾」を招待する。そして――
それが私が彼のミステリー執筆を応援するプレゼント、サプライズだったわけです。
しかし悲劇が……
それでこの詫び状を書いている……
話を戻しましょう。私が彼の「思案せり我が暗号」を高く評価している点を二つ上げます。勿論、暗号が凄い、また他の高評価――縮めて言えば、内田康夫と北村薫の選評の内容はそのまま私の評価ですが、それにプラスして二つほど……
一つは作中で「尾崎凌駕」がcatでプログラムを書くところ――
あれは名探偵「尾崎凌駕」が天才であることを表現しているのです。ネット上で気づいている人はいますが、実際に相当コンピューターに詳しくないと、わかるはずはないのです。
私にはわかります。Emacsはおろか、Viも使えない環境でedコマンドで苦労してプログラミングした経験を持つ私にはcatでプログラミングできるということが、どれほどの天才であるか……
例えるなら、映画アマデウスで見た――天才作曲家モーツァルトの楽譜――清書ではない、オリジナルのただ一つだけの楽譜に直しが一か所もない――そういう天才。
それと――
この重さなんです。
「世界の【悪意】のすべてを一身に引き受けたような、そんな探偵小説を書くんだ」
彼が聞いたという天の声……
この重い言葉……
この一文が私の頭から離れなくなってしまった……
しかし、これは彼から聞いたのですが、これは彼のオリジナルの文章ではなく、ある著名な作家の言葉ということらしいのです。その作家は――
中井英夫
虚無への供物を書いた……
すべての推理小説をこれで終わらせるつもりで書いたアンチ・ミステリー――
虚無への供物
それを書いたのが中井英夫
ああ、それとこれも書いておきます。
虚無への供物の巻末にある中井英夫の年表に、一九六七年、コンピューターの問題に没頭していた、とあるのです。そして、その年、埴谷雄高の朝日新聞紙上の一文から「虚無…」再評価の動き、ともあります。
話が逸れてしまったかもしれません。なかなか詫び状の本文に近づかない。
いや、やはりこれも書かねば……
「思案せり我が暗号」の中で、尾崎凌駕が、とある暗号の例を挙げている。原文を「こんにちは」として「コン、二、チ、ハ」と分解して――
それに人の苗字を当てる場面があります。こんな風に――
コン 近藤
二 西
チ 千葉
ハ 原
続けると――
近藤にしちばはら
近藤に死、血バッ、腹
この暗号――いや暗合に気付いたのはつい最近です。
つまり、私に切腹しろと……
この世界の悪意のすべてを一身に引き受けろ、と……
この詫び状が届いているということは、私は既に切腹しています。そういうことです。
私があの別荘を実際に建て、フィクション内で近藤姓を名乗ることを望んだ時点でこうなることは決まっていたのです。
いや、その前から――ずっと前から決まっていたのです。息子を作ってしまった時から――
愚息、私のバカ息子はサイコパスでした。まさか、本当にあんなことになるとは……
先に、――子供を作ることを拒否して快楽だけをむさぼるセックスは罪――そう書きました。しかし、本当は逆でした。あの時、発情して快楽を求めた私は避妊すべきでした。すべては逆だ。避妊しなかった方が罪なんでしょう。
避妊さえしていれば、息子は生まれなかった。子供は先に生まれていた娘だけで満足していればよかったのです。息子勝男を産んだあと、妻は体調を崩して帰らぬ人となった。すべては私がいけなかった……
その息子が婚約者――いや入籍は済んでいたので配偶者です――良美さんを殺してその首を撥ねてしまった。
その責任は私が取らなければいけないのです。
そう、私が部下に命じて、息子の首を撥ねさせたのです。サイコパスは法律では裁けない。私が自ら裁いたのです。
しかし――それはやはり犯罪……
私も裁かれるべき……
なので、カゲバラを切り、部下に介錯させる。
それは見ていただけると思います。
それを以て、すべてのお詫びとさせてください。
あの別荘は私が建てた。あの別荘さえ建てなければあんな惨劇は起こらなかった。あの別荘の存在こそが世界のすべて――
この世界の悪意のすべては私が自らの死を以て引き受けます。
私の殺人の動機は「太陽が眩しかったから」
息子を始末しなければ、お天道様に顔向けできない、そう思ったからです。
私は狂ってはいません。
近藤睦美
近藤名誉会長の死亡記事について
二回目の〇〇〇お茶会で近藤名誉会長が割腹自殺した数日後、各メディアにその死亡記事が出た。
病院にて病気のために永眠いたしました。とのことで、通夜および葬儀は近親者を中心に執り行われたとのことだった。
病名は公表されなかった。
近藤グループの名誉会長、近藤睦美と申します。女性のような名前ですが男です。列記とした日本男児――九州男児。齢は八十を超えている老人です。尾崎諒馬さんの「思案せり我が暗号」の選評で宮部さんが「人物像があまりにも古い」とありましたが、実際、私は古い――古臭い人間です。いや、いい意味でですが――。少なくとも私が仕事をしていた昭和の時代では古臭い真面目な人間でなければ、創業した企業を成功させることはできなかった。そう、私が創業した企業は成功して、巨大な企業グループ「近藤グループ」となっています。
いや、実際の名称は「近藤グループ」ではないですが、先に「これはフィクション」そう申しましたので――。ですから、私の苗字も近藤ではないです。まあ、それは置いておきましょう。
このWeb小説「殺人事件ライラック~」において、私に「近藤」というフィクション上の苗字を与えたのは作者の尾崎諒馬=鹿野信吾=佐藤稔ではありません。彼は「針金の蝶々」という習作をデビュー前に途中まで書いていて、それが「近藤製薬の会長近藤克夫所有の別荘にて惨劇が起こる」そういう設定だったわけです。それを知った私が、その別荘を実際に建設したと……。それによって私が自分で「近藤」というフィクション上の苗字を引き受けた――と。
わかりにくいですね。説明の角度を少し変えましょう。
私はデビュー当時から「尾崎諒馬」の熱烈なファンになり、陰ながら支援しようとしていました。私は彼の「思案せり我が暗号」と「死者の微笑」を高く評価しています。「ブラインド・フォールド」は左程ではないですが、先の二作は本当に高く評価していました。世間の評価はあまりよくないように思えますが、個性的な彼の作風は読者を選ぶ、そう思いますし、私はその「選ばれた読者」そう自負していました。太宰治が「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」とヴェルレエヌとやらの詩を引用しておりますが、まさにそれの読者版、一般には「暗号は凄いが他がチープで稚拙」と酷評されている「思案せり我が暗号」の本当の良さがわかる選ばれた読者としての「恍惚と不安」が私には確かにあったのです。
さて、私が「近藤」という苗字を押し頂くとすれば、私は「近藤睦美」となります。
コンドーム、罪
わかりますでしょうか? 生殖――子供を作る――子孫を残すこと――それを拒否して快楽だけをむさぼる、男女の睦事、まぐあい、つまりはそういうセックスは罪、私は心からそう思っている男です。古い考えでしょう、今の令和の時代にはそぐわない、性の多様性が叫ばれる今の時代にはそぐわない――それは重々承知しています。しかし、私は齢八十超えの老人です。いにしえの真面目な人間――ですからそれはご理解いただきたい。
そうした偏愛するミステリー作家「尾崎諒馬」が、デビューから三作発表後沈黙してしまった。残念ですが、四作目は出なかったのです。
ただ「針金の蝶々」なる習作はあり、それを完成させて発表する、その道があったはずですが、彼は悩んでいた。それは、それが殺人事件であったため――、そう聞いています。
「思案せり我が暗号」の中で名探偵尾崎凌駕が本格ミステリーを成立させる「ある意味陳腐な」要素として「殺人」を上げています。しかし、「思案せり我が暗号」を筆頭に彼の三つの本格ミステリーには殺人事件がおきません。長編であるのにです。本格ミステリーの長編にほぼ絶対必要だと思われる殺人事件を自ら陳腐と呼ぶ。そう、本格ミステリー作家であるはずの「尾崎諒馬」は戒律として「殺人事件を描くことを封印」してしまっていたのです。
あまりにも残酷な、しかし、それは彼が自ら望んで自分に課した戒律でした。
いや、本音は違うのかもしれません。彼は私にこう本音を明かしてくれたことがあります。
執筆を続けていくと、自分は現実と非現実の境がわからなくなる。自分がフィクションとして書いている執筆内容と自分を取り巻く現実が混沌と一つになって、殺人事件が恐ろしくて書けない。
当初はその戒律こそを心の支えにしていた彼ですが、自作の評判は――私のような理解者、支援者は皆無ではなかったのですが――芳しくなく、寧ろ「単なる臆病者、ミステリー作家失格では?」と、自信を失ってしまった。
それで、私は一肌脱ごうとあの別荘を建設したのです。元々、「近藤メディボーグ」の保養施設として別荘を建設する計画はありました。私は当時、「近藤メディボーグ」の社長でしたのでトップ権限で、その別荘を「針金の蝶々」に登場する別荘に近いものになるように設計させたのです。そして、次の代に世代交代する――専務を社長に昇格させた後に、あのパーティに「尾崎諒馬=鹿野信吾」を招待する。そして――
それが私が彼のミステリー執筆を応援するプレゼント、サプライズだったわけです。
しかし悲劇が……
それでこの詫び状を書いている……
話を戻しましょう。私が彼の「思案せり我が暗号」を高く評価している点を二つ上げます。勿論、暗号が凄い、また他の高評価――縮めて言えば、内田康夫と北村薫の選評の内容はそのまま私の評価ですが、それにプラスして二つほど……
一つは作中で「尾崎凌駕」がcatでプログラムを書くところ――
あれは名探偵「尾崎凌駕」が天才であることを表現しているのです。ネット上で気づいている人はいますが、実際に相当コンピューターに詳しくないと、わかるはずはないのです。
私にはわかります。Emacsはおろか、Viも使えない環境でedコマンドで苦労してプログラミングした経験を持つ私にはcatでプログラミングできるということが、どれほどの天才であるか……
例えるなら、映画アマデウスで見た――天才作曲家モーツァルトの楽譜――清書ではない、オリジナルのただ一つだけの楽譜に直しが一か所もない――そういう天才。
それと――
この重さなんです。
「世界の【悪意】のすべてを一身に引き受けたような、そんな探偵小説を書くんだ」
彼が聞いたという天の声……
この重い言葉……
この一文が私の頭から離れなくなってしまった……
しかし、これは彼から聞いたのですが、これは彼のオリジナルの文章ではなく、ある著名な作家の言葉ということらしいのです。その作家は――
中井英夫
虚無への供物を書いた……
すべての推理小説をこれで終わらせるつもりで書いたアンチ・ミステリー――
虚無への供物
それを書いたのが中井英夫
ああ、それとこれも書いておきます。
虚無への供物の巻末にある中井英夫の年表に、一九六七年、コンピューターの問題に没頭していた、とあるのです。そして、その年、埴谷雄高の朝日新聞紙上の一文から「虚無…」再評価の動き、ともあります。
話が逸れてしまったかもしれません。なかなか詫び状の本文に近づかない。
いや、やはりこれも書かねば……
「思案せり我が暗号」の中で、尾崎凌駕が、とある暗号の例を挙げている。原文を「こんにちは」として「コン、二、チ、ハ」と分解して――
それに人の苗字を当てる場面があります。こんな風に――
コン 近藤
二 西
チ 千葉
ハ 原
続けると――
近藤にしちばはら
近藤に死、血バッ、腹
この暗号――いや暗合に気付いたのはつい最近です。
つまり、私に切腹しろと……
この世界の悪意のすべてを一身に引き受けろ、と……
この詫び状が届いているということは、私は既に切腹しています。そういうことです。
私があの別荘を実際に建て、フィクション内で近藤姓を名乗ることを望んだ時点でこうなることは決まっていたのです。
いや、その前から――ずっと前から決まっていたのです。息子を作ってしまった時から――
愚息、私のバカ息子はサイコパスでした。まさか、本当にあんなことになるとは……
先に、――子供を作ることを拒否して快楽だけをむさぼるセックスは罪――そう書きました。しかし、本当は逆でした。あの時、発情して快楽を求めた私は避妊すべきでした。すべては逆だ。避妊しなかった方が罪なんでしょう。
避妊さえしていれば、息子は生まれなかった。子供は先に生まれていた娘だけで満足していればよかったのです。息子勝男を産んだあと、妻は体調を崩して帰らぬ人となった。すべては私がいけなかった……
その息子が婚約者――いや入籍は済んでいたので配偶者です――良美さんを殺してその首を撥ねてしまった。
その責任は私が取らなければいけないのです。
そう、私が部下に命じて、息子の首を撥ねさせたのです。サイコパスは法律では裁けない。私が自ら裁いたのです。
しかし――それはやはり犯罪……
私も裁かれるべき……
なので、カゲバラを切り、部下に介錯させる。
それは見ていただけると思います。
それを以て、すべてのお詫びとさせてください。
あの別荘は私が建てた。あの別荘さえ建てなければあんな惨劇は起こらなかった。あの別荘の存在こそが世界のすべて――
この世界の悪意のすべては私が自らの死を以て引き受けます。
私の殺人の動機は「太陽が眩しかったから」
息子を始末しなければ、お天道様に顔向けできない、そう思ったからです。
私は狂ってはいません。
近藤睦美
近藤名誉会長の死亡記事について
二回目の〇〇〇お茶会で近藤名誉会長が割腹自殺した数日後、各メディアにその死亡記事が出た。
病院にて病気のために永眠いたしました。とのことで、通夜および葬儀は近親者を中心に執り行われたとのことだった。
病名は公表されなかった。
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