殺人事件ライラック (ブリキの花嫁と針金の蝶々)

尾崎諒馬

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第五部 アンチ・ミステリーに読者への挑戦状は付くか否か?

事実を語る尾崎凌駕

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   事実を語る尾崎凌駕

 さて、ここからは尾崎凌駕が書いている。小説家ではないので多少の不安はあるが、まあ、事実を淡々と書いていくだけだ。
 医療機関の「上」に闇があるかどうか? 恐らく読者は信じないだろう。信じないだろうから真実を語れるということもある。不合理ゆえに我信ず、埴谷雄高にそんな名言があったような……
 実際に私の母校の高校の理科室に昔からあった人体模型の頭骨が模型ではなく、本物の頭蓋骨だったと発覚する事件が何年か前にあった。
 あれこそ、医療機関の闇ではないのか? 頭蓋骨があるということは、誰かが死んだわけで、それが正規に火葬されず、頭蓋骨の標本になっている、というのはやはり医療機関の闇が関与している、と考える方が正しそうだ。
 まあ、それは置いておこう……
 
 あの夜、というか朝……
 私は医療センターの当直で徹夜していた。そこに立て続けに救急車が二台。火事で焼け出されたという、全身大やけどの男が二人別々に運ばれてきたのだ。
 一人は顔もぐちゃぐちゃで意識もなく、身元はわからなかった。
 一人は顔はぐちゃぐちゃだったが意識はあり――
「名前は?」の問いに
「さとうみのる」微かな声で、しかしハッキリそう答えた。
 彼は目は見えていた。彼と目が合った時、私は、それが旧友の尾崎諒馬ではないか? そう思った。私を見るその目が私を知っている、そんな風に訴えていたし、尾崎諒馬の本名が佐藤稔だと私は当然知っていた。
 しかし――
 応急処置から、緊急の手術で、ドタバタしている医療チームだったが、どやどやと警察が入り込んできた。何でも佐藤稔は自宅で焼け出されたが、殺人及び放火の疑いが持たれていたのだ。
 二人の男がいて、片方が意識があり「佐藤稔」と本名を名乗ったことで、そっちが殺人放火犯にされてしまったのだ。二台の救急車はそれぞれ別方向から医療センターに来たはずなのだが、受け入れの際に「どっちがどっちだか?」わからなくなってしまったのだ。
 それだけ医療現場はバタバタだった。
 数日後、事件のことをニュースで知り、私の知っている佐藤稔=尾崎諒馬は尾崎メディボーグ、いや、小説内の固有名詞で言えば近藤メディボーグの主任研究員じゃないんじゃないか? そうも思ったが、どうすることもできず、ただ、医師として懸命に二人の治療に当たっていた。
 すると――
「上」から指示が来た。
 例のあれをやってくれ、と……
 例のあれ――身元不明の重篤患者、死んでも引き取り手のない患者を脳死の一歩手前で地下に送る――
 地下で行われる人体実験……
 いや、最先端の治療ともいえるのだが、最先端すぎてとても認可の降りない治療なので人体実験でいい……
 つまり、脳死の一歩手前で死亡診断書を書き、法律的には死んだことにする。その死亡診断書を私が書いたのだ。
 その生ける遺体は書類上、手続き上は身元不明の遺体として火葬したことにする。死亡診断書と、『上』と繋がっている火葬場さえあれば、行政には適当な書類を示すことができ、何のお咎めもない。まるで北の某国のようだが、人が一人そう処理されるわけだ。そうして地下に一体自由にできる生ける遺体が得られてしまう。
 倫理的には大罪だが、実際、放置していたら確実に死ぬし、人体実験とはいえ、その生ける遺体はありとあらゆる医学的スキルを投入して生かされるわけで、あながち……
 いや、この辺でやめておこう……
 そうして最初に地下送りになったのが、多分坂東善=水沼=佐藤稔だと思う。医療センターとしても治療費を回収できそうもない患者は――
 いや、これもやめておくか……
 とにかく皮肉なもので、殺人及び放火の罪で逮捕された佐藤稔の医療費は税金から出るのだ。数回の手術など医療チームが懸命に治療に当たれたのは、その医療費のおかげでもある。これは読者も京都のあの事件でよくわかるだろう。
 捜査当局が供述を取るため、そうして司法に渡すため、税金から医療費が捻出され、医療センターも懸命に治療に当たる。
 それは実際ありがたかった、とも言える。
 放火及び殺人の疑いで逮捕されたのが尾崎諒馬=鹿野信吾=佐藤稔で、それは病院で取り違えた結果――つまり尾崎諒馬はその取り違えで逮捕され裁判で死刑を求刑された、いわば「濡れ衣」「誤認逮捕」だと思うのだが、そうだった故に潤沢な医療リソースが彼に注がれ一命を取り留めたというわけだ。
 彼には取調べと精神鑑定のために視線で操作できるパソコンが与えられたが、どういうわけか? 警察の取調べにも精神科の精神鑑定にも応じず、ひたすら手記を書くという……
 視線で操作できるとは言え、焼け爛れた顔では視線を動かすのも大変で、必死に文字を打つ姿を私は見ている。必死にパソコンで手記を書く尾崎諒馬を私は見ている。
 いや、それは手記ではなく、既にミステリー小説の冒頭だったのかもしれない。
 それが唯一の慰めだったかもしれない。彼は真の小説家だった……。最後、人生のすべてを執筆に当てた……
 最初に二人を取り違えたこと、それは取り返しのつかない間違いだったが、その結果、彼はすぐに死なずにすんだとも言えるのだから……
 ああ、それは言い訳だな……
 どうすればよかったのかはわからぬが、彼の親友とは言えない。彼が許してくれるのかどうか……
 
 とにかく……
 彼は被告人として死刑を求刑された。それはやはり冤罪では……
 いや、司法の記録上、裁判にかけられたのは尾崎メディボーグ、いや、近藤メディボーグの従業員佐藤稔で作家尾崎諒馬ではないわけで……
 その意味で作家尾崎諒馬の名誉は守られている。冤罪ではない……
 いや、この辺りは私もよくはわからない。
 とにかく、最初の手記――未決の死刑囚の手記は作家尾崎諒馬が書いている。
 しかし、彼にも限界が来た。手記を完成させる前に……
 ああ、そして彼にも地下送りの指示が……
 その死亡診断書を書いたのは私だ。そして地下送りにした。
 しかし、仮に「上」の指示に背いたところで彼はそのまま亡くなってしまうのはわかり切っていた。人体実験とも呼べるその最新医療でなければ彼を生かすことはできなかったのだから……
 それに彼の遺体は引き取り手がなかった。近藤メディボーグの従業員佐藤稔も、死刑を求刑されたことで遺族が引き取りを拒否したと聞いている。すべてはこうするしかない、と納得して私は「上」の指示に従ったのだ。
 
 地下送りになった生ける遺体はBMIの被験者となる。
 生命維持の機械に繋がれた上で、頭骨には大きな孔が開けられ、電極が差し込まれる。小説で言えば水沼と思われる最初に「死んだ」方が一万本、尾崎諒馬の方が四万本。
 そして脳のあらゆる活動を示すデータをその電極からコンピューターに取り込むわけだ。逆に電極からも刺激の電気パルスが送り込まれ、その刺激で脳死が防がれる効果もあった。
 そうして、二人とも事件後二十年以上生きてきた。医療センターの地下という暗闇の中で……
 得られた脳データの解析は難しかったが、近年のAIの発達により、徹底した機械学習をさせることで、AIを通じて二人と意思の疎通を図れるようになってきたのだ。
 それが冒頭の「とある入院患者の手記」にある覚醒なのだ。二十年も眠っていた生ける遺体とAIを介して会話が成立したのだ。
 見も耳も……五感すべてを失ってもAIに補助してもらえれば、脳に突き刺したプローブだけで双方向のコミュニケーションが可能に……
 これは地下での話……つまり、まだ一般には脳に一万本を超える電極を打ち込むことなど倫理的に出来はしないので、あくまで「生ける遺体」に対しての話だが、実際にBMI技術はそこまで来ているのだ。
 ただ……
 いや、まだこれはやめておこう……

 ここまでの説明で十分だろう。
 二人の佐藤稔は生ける遺体となって二十年以上生きてきたが、先日、ついに亡くなった。
 それだけ書いて筆を置く。次は藤沢さん、あなたが書く番です。
 
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