異能力と妖と短編集

彩茸

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診断メーカー短編

『神の従者』

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【書き出し:戦の終わった戦場で、雪華はまとわりつくような雨に打たれていた。
 小さく唇を噛み締める。「どうしてあの人なんだ。」力無く吐き出された言葉が、
 虚空に溶けて消えた。雨は止まない。強張った唇が、泣き出しそうに歪んだ。】



―――戦の終わった戦場で、雪華せつかはまとわりつくような雨に打たれていた。小さく
唇を噛み締める。

「どうしてあの人なのですか」

 力無く吐き出された言葉が、虚空に溶けて消えた。雨は止まない。強張った唇が、
 泣き出しそうに歪んだ。
 目の前で、赤く染まった刀を集める自分のあるじ。その姿を、雪華は見つめていた。

「お待たせ、帰ろうか」

 刀を抱えた主が、そう言って近付いてくる。
 雪華は知っていた。彼が持っている刀は、彼が求められてものだと。
 主を連れ、妖術でいつもの工房に戻る。すぐさま作業場に向かう彼の背中を、
 雪華はただ見つめていた。
 ・・・彼に仕えると決めた日、望むものを聞かれた。
 主に幸せになってほしいと、望んだ。
 だが、今の姿はどうか。戦が始まり、刀作りの神である主は暗い目をするように
 なった。刀を求める信者の感情は、黒く、醜く歪んでいた。
 戦乱の世。信者の不安が積もる日々。彼はの所為で段々と歪んでいった。
 何故、貴方が苦しまなければいけないのか。昔の純粋だった貴方は、何処へ行って
 しまったのか。雪華の感情は日々大きくなっていく。



―――戦乱の世は続く。主は、感情を捨て始めていた。

「雪華?」

 笑わなくなった主が、首を傾げる。光を映さない深淵のような黒い目が、雪華の
 新雪のような白い目を覗き込む。
 頭の中を覗かれる。自分の気持ちが主を困らせてしまう。そう思い、反射的に目を
 逸らした。
 主の目が見開かれる。ちらりと主を見ると、彼は酷く悲しそうな顔をしていた。

「あ・・・も、申し訳ありません!」

 慌ててそう言った雪華に、主はごめんねと言ってヘラヘラと笑う。
 雪華は知っていた。主がこのような笑い方をするときは、必ず自分の気持ちを
 隠そうとしているのだと。
 背を向け去っていく主に、雪華は声を掛けようとする。しかし、掛ける言葉が
 見つからない。
 廊下の角を曲がり、主の姿が見えなくなった後。小さく唇を噛み締め、ぽつりと
 言葉を零した。

「何故、なのですか・・・」



―――終わった。戦乱の世が、終わった。主が完全に壊れてしまう前に、終わって
くれた。
雪華はいつものように朝食を作り、いつものように主の元へ運ぶ。

雨谷うこく様、おはようございます」

 返事のない扉に向かって、声を掛ける。扉をそっと開け、中に入る。
 起きているのか寝ているのかも分からない蹲ったままの主の隣に、朝食を置く。

「・・・おはよ」

 小さく、主の声が聞こえる。おはようございますと、雪華は再び言う。
 信者の目を、感情を見過ぎて顔を見ることにすら恐怖を抱いていた主に、そっと
 寄り添う。
 その時、ふと主が顔を上げた。主は黒い目を更に黒く淀ませて、雪華を遠慮がちに
 見る。
 久々に顔を見た。そんなことを雪華が考えていると、主は呟くように言った。

「お願いが、あるんだ」

「何でしょうか?」

 雪華は首を傾げる。主は感情の分かりにくくなったその顔で、躊躇いがちに口を
 開いた。

「・・・目を、、良い・・・かな」

 主として命じれば、すぐにでも見ることができただろうに。何故わざわざ聞くの
 だろう。
 雪華は不思議に思いつつ、頷く。主は雪華の頬にそっと手を当て、目をじっと
 見る。
 、久々の感覚。そういえば主が目を見ようとしたのは、拒絶して
 しまって以来初めてかもしれない。
 ・・・暫く雪華の目を見つめていた主は、小さく息を吐いた。

「もうよろしいのですか?」

 そっと離れた主に雪華は聞く。

「うん、ありがと」

 主は小さく頷くと、朝食に手を伸ばす。そのまま朝食を静かに食べ始めた主に、
 雪華は言った。

「・・・命じてくだされば、すぐにでも見せましたのに」

 主は箸を動かす手を止め、俯く。

「・・・・・・君に、嫌な思いはさせたくないから」

 震える声で、ぽつりと主は呟く。泣きそうなその声に、雪華は気付いた。
 ああ、自分の所為だ。主を困らせまいと咄嗟に取った行動が、逆に主を苦しめて
 いた。
 まだ自分が幼かった頃、同じく幼かった主に言われた言葉を思い出した。

 『雪華の目を見るとね、凄く安心するんだ!』

 無邪気な笑顔で、主は言った。どうして忘れていたのだろう。
 すうっと、息を吸い込む。
 主は不安だったのだ。ずっと、ずっと。一人で、抱え込んでいたのだ。
 ・・・ならば、従者の私が出来ることはただ一つ。

「雨谷様」

 いつもより大きな声で、主の名前を呼ぶ。淀んでしまった目が、こちらを向く。
 目が合い、怯えたように目を逸らした主の頬を両手で挟む。
 無理矢理目を合わせ、じっと見る。今ばかりは、貴方の癖を利用させてもらおう。
 言葉にするよりも、貴方に本心をもらった方が伝わるだろう。

「せ、つか・・・」

 先程よりも強い感覚の後、主の目から涙が零れる。
 貴方には幸せになってほしい、私はずっと貴方の傍に居る。だからどうか、笑って
 ください。
 ・・・この想いは、伝わっただろうか。
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