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7.人魚姫(side ロイ)
初めて光に会ったのは、小学六年生の初夏の事。
母に無理矢理連れて来られたフリースクールで、自分より少し後になってやって来た光を見た時、車椅子からだらりと伸ばされたその長い足を見て、まるで人魚の尻尾の様だと思った。
どこかに外国の血でも混ざっているのだろう。
色素の薄い光の髪は、窓から降り注ぐ陽ざしを浴びて、茶色というより金色に透けていて。
まるで昔読んだ人魚姫の美しい挿絵のようだと思った。
だから、
「キミが願った通りになったりして」
光から突然そう話しかけられた時には、その言葉の意味を理解するよりも、物語の人魚姫とは違って、この人は声を出せるのかと、そんな当たり前のことに酷く驚いたものだった。
少しでも光の傍に長く居たくて。
両親から光の家に行く許可を得る為、小学校卒業と共に不登校も卒業した。
そうして両親が望んだとおり、中高では気の合う友人にも、信頼できる先生にも恵まれたが、それでも……。
光以上に、この目を、そしてこの心を奪って離さない存在に出会うことはなかった。
『ずっとずっと、誰より大切に思っている人がいるんだ。だから、これ以上ロイとは一緒に居られない』
酷く苦しそうな顔をして、そう言った癖に。
宿なしの自分を拒み切れずに渋々入れてくれた光の部屋には、彼の恋人のものと思しき痕跡はどこにも見られなかった。
それに心底ホッとして。
ロスト扱いで一日遅れで届いた荷物を空港で受け取った後、寝袋を買って光の部屋に戻る。
これで今日から床で寝ると言えば、観念した様子の光はベッドをもう一台買いに行こうと言ってくれたけれど。
自分が帰った後、誰かがそれを使って光の部屋で長い時を過ごす事になる事を思えば、そんなものを彼の部屋に置いて欲しいとは思えなかった。
「帰れよ! 僕が会いたくて会いたくて仕方がないのは***なのに。何でここに居るのはお前で、***じゃないんだよ?! 興味ないお前の顔なんてもう見たくもない! だから帰れよ!! 早く! 帰れ!!!」
光にそう言われた時、拒絶された事よりも、光の辛そうな顔を見ているしか出来ない事の方が、ずっとずっと悲しかった。
光がずっと恋しがって止まない彼の思い人は、きっとどこか遠い国の出の人なのだろう。
その音の並びには全く馴染みが無くて。
光の悲しみに寄り添う事も出来ない僕には、その名を上手く聞き取る事すら叶わない。
ポツリ、ポツリと振り出した雨がやがて小川となって線路の傍を流れる川に降り注いでいく様を、空港に向かう電車の窓から見るとはなしに眺めていた時だった。
光と初めて会ったあの日、数十年に一度という大嵐に見舞われた事を思い出した。
その、今にも泡になって消えてしまいそうな儚げな外見とは対照的に、ガサツ、もとい大雑把な光が作ったヒトデをツリーのトップに飾って。
『明日世界が滅びますように』
そう書き吊るした短冊に向かい二度柏手を打った時だ。
突然空が曇り、まだ昼間だと言うのに部屋の中が新月の夜のごとく暗くなった。
そしてその次の瞬間、目を開けていられないほどに眩しい光が部屋を包む。
激しい雷鳴が鼓膜をつんざくと同時に、落雷の衝撃に共振した部屋の窓枠がバリバリと音を立てて揺れた。
すぐ側に居る筈の光の姿さえ見えなくて。
電気をつけようと壁伝いに歩き、手探りで照明のスイッチを押すが、周囲一帯が停電でもしているのか、それに明かりが灯る事は無い。
少しして。
窓や壁に吹き付ける雨音が弱まると、それに呼応するかのように次第に空を厚く覆っていた雲も晴れていき。
やがて部屋の中には、また春の温かな日差しが戻った。
それにホッとして、光が居た方を見やれば。
そこにはベッドに伏したまま目を閉じる光の姿があった。
「……光?」
名前を呼ぶが、光はピクリとも動かない。
「光?! 光!!!!」
自分の心臓がバクバクと嫌な音を立てる中、光のその広い肩を精一杯揺する。
するとクワーっとネコみたいな大あくびを一つして、光が酷く煩わし気にその目を薄く開いて見せた。
おそらく、暗くなったベッドの上で明るくなるのを待つうち、条件反射的に眠ってしまったのだろう。
この実に繊細そうな外見に反し、光が実に図太い神経の、もとい実におおらかな性格の持ち主である事を失念していた。
酷い脱力感に襲われ、ベッドの上にあったツリーの鉢にもたれかかるような体制で床にベタっと座り込んだその時だ。
『***に未来を返せますように』
名前と思しき部分に知らない文字が書かれていた光の短冊が、てっぺんに飾られていたヒトデと共になくなっている事に気が付いた。
きっと停電のどさくさに紛れ、どこかこの世界に対して諦念の強い光が、自ら破り捨ててしまったのだろう。
そんな光が酷く哀しく思われて。
知らない文字は書けなかったから
『光と、光の大切な人が幸せになれますように』
と書いた短冊を、今度は光に捨てられぬ様、光からは見えない位置の枝にコッソリ吊るした。
……そのせいだろうか。
その晩、酷く奇妙な夢を見た。
冷たい海の中、青白い鎖に縛られていた青年の体があっという間に溶解し、僅かに残ったその指の骨が、海底に落ちていた小さく白い石の上にそっと重なるように落ちていく。
そんな夢。
言葉にすると酷くグロテスクな様にしか聞こえないが、夢見ている感はそれは寧ろ美しい光景に思われて。
夢の終わりに何故か、光にこのことを伝えないとと、確かに思ったのだけれど……。
目が覚めると同時に自分が何の夢を見ていたのかさえ、まるで何千年前の記憶かのようにすっかり忘れてしまった。
母に無理矢理連れて来られたフリースクールで、自分より少し後になってやって来た光を見た時、車椅子からだらりと伸ばされたその長い足を見て、まるで人魚の尻尾の様だと思った。
どこかに外国の血でも混ざっているのだろう。
色素の薄い光の髪は、窓から降り注ぐ陽ざしを浴びて、茶色というより金色に透けていて。
まるで昔読んだ人魚姫の美しい挿絵のようだと思った。
だから、
「キミが願った通りになったりして」
光から突然そう話しかけられた時には、その言葉の意味を理解するよりも、物語の人魚姫とは違って、この人は声を出せるのかと、そんな当たり前のことに酷く驚いたものだった。
少しでも光の傍に長く居たくて。
両親から光の家に行く許可を得る為、小学校卒業と共に不登校も卒業した。
そうして両親が望んだとおり、中高では気の合う友人にも、信頼できる先生にも恵まれたが、それでも……。
光以上に、この目を、そしてこの心を奪って離さない存在に出会うことはなかった。
『ずっとずっと、誰より大切に思っている人がいるんだ。だから、これ以上ロイとは一緒に居られない』
酷く苦しそうな顔をして、そう言った癖に。
宿なしの自分を拒み切れずに渋々入れてくれた光の部屋には、彼の恋人のものと思しき痕跡はどこにも見られなかった。
それに心底ホッとして。
ロスト扱いで一日遅れで届いた荷物を空港で受け取った後、寝袋を買って光の部屋に戻る。
これで今日から床で寝ると言えば、観念した様子の光はベッドをもう一台買いに行こうと言ってくれたけれど。
自分が帰った後、誰かがそれを使って光の部屋で長い時を過ごす事になる事を思えば、そんなものを彼の部屋に置いて欲しいとは思えなかった。
「帰れよ! 僕が会いたくて会いたくて仕方がないのは***なのに。何でここに居るのはお前で、***じゃないんだよ?! 興味ないお前の顔なんてもう見たくもない! だから帰れよ!! 早く! 帰れ!!!」
光にそう言われた時、拒絶された事よりも、光の辛そうな顔を見ているしか出来ない事の方が、ずっとずっと悲しかった。
光がずっと恋しがって止まない彼の思い人は、きっとどこか遠い国の出の人なのだろう。
その音の並びには全く馴染みが無くて。
光の悲しみに寄り添う事も出来ない僕には、その名を上手く聞き取る事すら叶わない。
ポツリ、ポツリと振り出した雨がやがて小川となって線路の傍を流れる川に降り注いでいく様を、空港に向かう電車の窓から見るとはなしに眺めていた時だった。
光と初めて会ったあの日、数十年に一度という大嵐に見舞われた事を思い出した。
その、今にも泡になって消えてしまいそうな儚げな外見とは対照的に、ガサツ、もとい大雑把な光が作ったヒトデをツリーのトップに飾って。
『明日世界が滅びますように』
そう書き吊るした短冊に向かい二度柏手を打った時だ。
突然空が曇り、まだ昼間だと言うのに部屋の中が新月の夜のごとく暗くなった。
そしてその次の瞬間、目を開けていられないほどに眩しい光が部屋を包む。
激しい雷鳴が鼓膜をつんざくと同時に、落雷の衝撃に共振した部屋の窓枠がバリバリと音を立てて揺れた。
すぐ側に居る筈の光の姿さえ見えなくて。
電気をつけようと壁伝いに歩き、手探りで照明のスイッチを押すが、周囲一帯が停電でもしているのか、それに明かりが灯る事は無い。
少しして。
窓や壁に吹き付ける雨音が弱まると、それに呼応するかのように次第に空を厚く覆っていた雲も晴れていき。
やがて部屋の中には、また春の温かな日差しが戻った。
それにホッとして、光が居た方を見やれば。
そこにはベッドに伏したまま目を閉じる光の姿があった。
「……光?」
名前を呼ぶが、光はピクリとも動かない。
「光?! 光!!!!」
自分の心臓がバクバクと嫌な音を立てる中、光のその広い肩を精一杯揺する。
するとクワーっとネコみたいな大あくびを一つして、光が酷く煩わし気にその目を薄く開いて見せた。
おそらく、暗くなったベッドの上で明るくなるのを待つうち、条件反射的に眠ってしまったのだろう。
この実に繊細そうな外見に反し、光が実に図太い神経の、もとい実におおらかな性格の持ち主である事を失念していた。
酷い脱力感に襲われ、ベッドの上にあったツリーの鉢にもたれかかるような体制で床にベタっと座り込んだその時だ。
『***に未来を返せますように』
名前と思しき部分に知らない文字が書かれていた光の短冊が、てっぺんに飾られていたヒトデと共になくなっている事に気が付いた。
きっと停電のどさくさに紛れ、どこかこの世界に対して諦念の強い光が、自ら破り捨ててしまったのだろう。
そんな光が酷く哀しく思われて。
知らない文字は書けなかったから
『光と、光の大切な人が幸せになれますように』
と書いた短冊を、今度は光に捨てられぬ様、光からは見えない位置の枝にコッソリ吊るした。
……そのせいだろうか。
その晩、酷く奇妙な夢を見た。
冷たい海の中、青白い鎖に縛られていた青年の体があっという間に溶解し、僅かに残ったその指の骨が、海底に落ちていた小さく白い石の上にそっと重なるように落ちていく。
そんな夢。
言葉にすると酷くグロテスクな様にしか聞こえないが、夢見ている感はそれは寧ろ美しい光景に思われて。
夢の終わりに何故か、光にこのことを伝えないとと、確かに思ったのだけれど……。
目が覚めると同時に自分が何の夢を見ていたのかさえ、まるで何千年前の記憶かのようにすっかり忘れてしまった。
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高城 慶 タカシロ ケイ 高3
表紙イラストは、生成AIによる自作です。
エールをありがとうございます!(ω〃)