明日二人で埋めに行こう

大松ヨヨギ

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終幕

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 普段なら起きられないだろう午前四時、今日の透は自然と目が覚めた。守屋も既に起きていて身支度を完了させている。

「おはよう。」と相変わらず涼しい顔をして彼はベッドのシーツを綺麗に整えていた。

「どう?気が変わった?」
「いえ。不思議ですけど…全く」

 穏やかな波のように、今の透は安らかだ。意味の無いことだが筋肉を引き伸ばし、心地良さに溺れる。

「そっか。…まだ日の出まで一時間くらいあるから少しお話しようね」

 守屋がバルコニーの扉を開けると、冷たい空気が部屋に循環する。彼は部屋から二つ椅子をバルコニーに持っていった。手すりを超えるにはそれが必要だからだ。透は引き寄せられるようにフラフラと彼の元へと歩いていく。

 まだ暗い空は、ごちゃごちゃとした建物たちの存在を薄くする。手すりの下はまだ覗かない事にした。ここは十二階だから、木にでも引っかからない限り助かることは無さそうだ。

「僕、君が一緒に死にたいって言ってくれて本当に嬉しかった」

 その綺麗な横顔は恐怖など微塵も感じていない。それに透は安心した。彼が怖がっていたなら死ぬその時まで罪悪感を持たなければならない。

「あんたって本当に変わってるよ。まあそれに俺は何度も救われたんだけど…。思えばあんたと出会ってまだほんの少ししか経ってないのに、随分長く感じる」

 出会いはそれこそ最悪だった。二人の共通点も『人を殺した事がある』というイカれたもので、健全とは言い難い付き合いだったと思う。ただでさえぐちゃぐちゃだった透の私生活は守屋が介入する事により良い意味でも悪い意味でも一変した。

「…まあ、楽しい人生だった」と言えるくらいには充実していたのだろう。

「そっか。僕も楽しかった。また水族館に行きたいな」
「…もう行けないですよ」
「ははは、そうだね。あの世に水族館あるかな?」
「どうだろう、…あったとしても俺たちは地獄行きだろうな」

 不思議と心が軽くて、残っているのは懐かしい思い出だ。透は守屋の肩を抱き寄せ、その命を感じる。

「地獄でもいいじゃないですか。一緒にいられるなら」

 地平線の先、少しづつ顔を見せ始めた太陽がビルの隙間からこちらに光を届けた。
 二人の男はそれに目を細めて、お互い顔を見合わせる。朝日がやっとその姿を鮮明に浮かび上がらせたのだ。

「あ、大切な事を聞き忘れてました」

 透はようやく一番知りたかった事を彼に尋ねることが出来る。ここで聞きそびれたなら一生知らないままで終わる事になる所だった。

「今更だけど…あんたの名前、教えてください」

「守屋…守屋いのちだよ。」
「命さん、か。」

 守屋は「僕に一番相応しくない名前だと思わない?」と小さく笑った。ふわふわと風に踊るその髪を優しく撫でて、透は確かに愛を実感する。

太陽が強さを増した。そろそろ頃合だろう。何を言わずとも二人は椅子を隣同士並べた。ゆっくりとその上に立って、その身で風を、光を感じる。慎重に細い手すりの上に足を置いて、一歩踏み出せば終わるのだ。

「うわあ、高いですね。足が竦むかも…」

 気を抜けばそのままつるりと足を滑らせてしまいそうだ。

「透くん…手を繋いでもいいですか?」
 
 守屋の可愛い申し出に透は右手をゆっくり隣に差し出した。彼と手を繋ぐと心強いのだ。震えていた足が落ち着いて、隣にいる彼に視線を向けられるようになる。

「絶対離さないでくださいね。」
「あんたこそ」

 守屋は昇る朝日を眺めて、
「…透くん僕を愛してくれてありがとう。」
と言葉を送る。

 その率直な言葉に透は目頭が熱くなった。ズビズビと情けなく鼻を啜って、「俺の方こそ、愛想つかさないでくれてありがとうございます」と伝えると、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 透は深く呼吸をする。少し緊張している透に彼は「大丈夫だよ、きっとうまくいくから」と安心を与えた。今なら飛べる、透は彼にアイコンタクトを取るとゆっくり頷いた。

「…行きましょう」
「うん。」

 呼吸を合わせて、二人は前のめりに地獄へ落ちていく。キラキラと輝く地獄へ。



 
 全てがスローモーションだ。内臓が浮いて、体を切るように冷たい風に晒されながら、何がなんでも透はその手を離さない。チラチラとガラスに反射した光が涙でぼやけても、透は消えかかる意識の中で彼の幸せそうな笑顔を見た。それは今までの暗く辛かった人生の最期に彩りを与えたのだ。

(…あんたに会えて本当に良かった)

 天国でも地獄でもどこだっていい、透は守屋と一緒ならば。






ふっと途切れた意識の後、真っ暗な闇の中でバツンと衝撃が走る。彼らの中から液体が広がり出る感覚と耳にこびり付く甲高いノイズ、それら全ては数秒のうちに無くなった事だろう。

あまりの衝撃音に、そこに宿泊していた人間は不運にも醜い死体を目の当たりにした。

 手を繋いだまま叩きつけられた二つの肉体は、お互いを見つめ合いながら息絶えている。お世辞にも綺麗とは言えないそれは、血塗れだが幸せそうだった。

少なくとも濁っていく瞳は互いの究極の愛を見送ったと言える。













 
 濱村裕二は、その玄関の前で何度も何度も迷った。グルグルと歩き回ってはインターホンを鳴らす素振りだけ見せて、だが押す勇気が出ずに狼狽える。
 


 大量殺人鬼の守屋命もりやいのちは、共犯者である坂森透さかもりとおると逃亡の末ホテルのバルコニーから身を投げた。そのホテルは、堂上が滞在していたホテルからさほど離れていない場所にあった。手がかりも確かに掴んで、あとは周辺を探すだけであったのに、つくづく運がない。

(あと少しだったのに…)

 連日彼らの起こした事件は報道される。焦点は『犯人の生い立ち』や『警察の初動』、『何故公開捜査しなかったのか』など様々だ。よく分からないコメンテーター達が批判する中、ぐうの音も出ない。

 濱村はその悔しさを堪えて、ようやくインターホンを鳴らす。今日は堂上幸之助を見舞いに来たのだ。食べるかどうかは分からないが、近所の弁当屋さんで拵えたお土産を片手に。

「…はい、」と扉を開けた先には偉くやさぐれた男がいる。酒の匂いに噎せかえりそうになるが、濱村はグッと我慢した。

「お見舞いきました!あと話をしに」
「………。どうぞ」

 案外あっさり受け入れられて、濱村は部屋に入る。広いワンルームにはそこら中に転がった酒の空き缶が転がっていた。締め切ったカーテン、換気していないのだろう、部屋はやはり酒の匂いで充満している。壁には沢山の事件の記事の切り抜き、棚には犯罪心理学などの本が並べられ、正しく刑事の部屋だ。彼はテーブルを片付けてぎっと椅子を引いて濱村に座るよう促した。

「…悪いけど酒以外今出せるものがなくて」
「いえ!お構いなく!」

 堂上はゆっくり向かい側に腰かけると、「弁当ありがとうございます」と礼を述べた。その笑顔はあまりに痛々しく見ていられないものがある。

「それで、話って?…」
「実は、今日うちの署の方に不審な荷物が届いたんです」
「…荷物?ペラペラ喋って大丈夫なんですか?また減給されますよ」

 堂上の言葉に濱村は苦虫を噛み潰したように顔を引き攣らせる。だが直ぐに更迭では無いのだからまだマシだと思うようにした。

「…差出人は『守屋命』から、ですか?」
「ええ。…中身は古いノートとタッパーに詰め込まれたゴキブリ…。やはりあいつは異常者ですよ」
「ノートには何が?」
「…思い出すだけで胸糞悪い、今まで殺害してきたガイシャの価値を記録したものでした。」

 最新のページを濱村は見たが、口が裂けても『間宮穂乃美』の事が記されていたことは言えない。『憎い』とだけ走り書きされた彼女のページには他ではない強い怒りと憎しみが見て取れた。わざわざそれを被害者家族である堂上に今伝えるべきでは無い事くらい口が軽い濱村でも分かる。

「ノートには合計三十五人分の記録がされていました。その中で『裏山で埋めている途中で見つかった』という記述があるので、あの裏山七人死体遺棄は守屋の犯行でしょう」
「そのタッパーのゴキブリは?」
「ただの嫌がらせかと思いましたけどゴキブリは全部で三十四匹詰められていたそうです。恐らく殺害した人数分詰めたんだと…」
「…なるほどね。…俺は誰も救えず刑事だと名乗ってたわけか…」

 堂上の窪んだ瞼を見た時、濱村は本来なんのためにここへ来たのか思い出す。そもそもメインは事件の話ではなく、大切な家族を失って身も心も疲弊した彼を助けたいと思って尋ねてきたのだ。

「…そんな!警部補は出来ることはしていたと思いますよ、…自分は…すみません、余計なことを」

なんのフォローにもなっていない言葉しか吐けぬ自分の口を濱村はぎっと噛んだ。

「いいんです。十年前から…とっくに自分の無力さを自覚してましたから。」

痩せこけた男はゆっくり立ち上がり、締め切った窓へ歩みを進めていく。そしてカーテンを全開にして、窓を開け放つとそこからは暖かな光と優しい風が部屋を包み込んだ。

「そしてこれからも…俺は自分の無力さを呪いながら生きていくんです」

 窓の外に何を見ているのか、堂上は自嘲するようにただそう呟いた。その後味の悪さに、濱村も窓の向こうに視線を向けて自分の無力さを知る。

 
男達の歪んだ価値観を叶えるために奪われた命に、ただ祈りを捧げて。

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