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身内が仏様の前で結婚しまして
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――6月。
ジューンブライドだかいうヨーロッパから持ち込まれた風習により、日本全国で結婚式が増える季節。
日本中にある教会や神社で、式を挙げる新郎新婦たちが『ジューンブライドよ~! 幸せになる私たちを見て見て~♪』と得意げに浮かれつつ祝福の雨を一身に浴び、式に参加する出席者たちは『こんな梅雨の季節に式挙げるとかバカなの!? 死ぬの!? 雨でドレスとかどろっどろになるんですけどっ!!』と若干(?)の不満を抱えつつも主役二人に祝福の雨を浴びせたりするわけですよ。
そして、数年前。私の親戚もまた、6月に挙式を上げたのです。ジューンブライドって由来だの本来の意味合いだのはとうに忘れ去られたイベントに乗っかって(日本ではよくあることですよね?)、結婚したのですよ。
――――お寺で。
って、いやいや寺で式って言ったらお葬式でしょ!? 挙げれるの!? 挙げていいの!!? と思われた方々、あなた方は私と一緒です。私もそう思ってました。って言うか、そもそもお寺で結婚式なんて思いつくことも想像することすらも出来なかったのですが、でも、出来るんですよ。ってか、してたし、ウチの従弟。出席したし、その結婚式に。
と言うわけで、せっかくした異じょ――じゃなかった、おかし――でもなくて! そ、そう! レア! あのレアな体験、是非とも活かさなければ! と思い、こうして筆をとってみたのです。
さて、そもそもどうしてウチの従弟は、教会、神社などの日本的メジャーどころではなく、お寺で結婚などと言う発想に至ったのか。なのですが、
まあ、これはいたって単純と言うか、さもありなんと言うか、彼が熱心なお寺の信者さんだったから、なわけです。
より正確に言うと、彼が~ではなく、彼の家族みんなであり、さらに正確を期するならば、ウチの家族を除いた親族皆、熱心な檀家さんだから、なのです。
その宗教のハマりっぷりは、正直私的にはドン引きするレベルでして。
カンペとか無しでさらっと読経出来るのは当たり前。(私が唱えられるのは、ナウマクサンマンダバサラタンカンとかオンマユキラテイソワカとか臨兵闘者皆陣列在前とか、漫画――てか、孔雀王で覚えたのくらい)
自分たちが生活が成り立たなくなるぎりぎりのレベルまでお寺にお布施をしたり、彼女の家とは宗派が違うから。と、一度は結婚を断念したりするレベルなのです。
そう、この従弟、相手の家が自分とこと違う宗派の檀家さんだからって高校時代から付き合ってきた彼女に結婚できないとか言い放っちまいやがったのですよ。挙句、それが理由で一度は別れたりもしたらしく。
初めてその話を聞いた私は「はぁあっ!? 別れる理由がそれぇ!!?」と驚き半分、「ああ、でもあそこの家ならあり得るか」と納得半分な感じでした。
――で、よりを戻した理由も、彼女が宗旨替えしたから。と言うので、さらに納得。と同時に、信じる神様は同じなのに、宗派が違うだけで結婚できる出来ないとか、シューキョ―って怖いわ~。とも思ったのです。もう、信仰の自由とかどこいったの? って感じで。
だから、そんな彼から「お寺で結婚式を挙げる」と聞かされた時は、「出来るんだ!?」と言う驚きを覚えたと同時に「あ、やっぱり」と納得もしたものでした。
……まあ、納得はしたわけですが、その後で、自分の中である疑問がわいたわけです。
お寺の結婚式って、どんなのよ?
と言う疑問が。
自分、正直結婚式の出席経験とか同年代の人たちから見れば人並み以下だったりするのですが、そんな自分でも教会で結婚する~とか、神社で結婚~とか言われれば、パッと脳裏に絵が浮かんだりするのですよ。でも、これがお寺で結婚します! だと、ひとっかけらも絵が浮かんでこない。
経験などないから自分の中にそれに該当するシーンがないのは勿論として、脳内でイメージを創造することすらできない。
なので、この時点ではまだ、この先に待っている未知なる体験にちょっと楽しみですらあったのです。
うわ、なんか面白そう!
とまで思っていたのです。思っていたのですが……
…………うん、まあ、なんていうか……すごかったよ、ほんとに。すごかったというか、異様と言うか。
もう、式場にたどり着いた時点で、異様なのでした。
まず招待状に従いたどり着いた式場、そこはまあ、やはりと言うか当たり前と言うかお寺でした。
お寺についた時は「あ、ほんとにお寺の中でやるんだ」と思ったり。
ホテルなどで行う教会式とか神前式とかみたいに、どこか別の場所で仏前式って言うスタイルで式を挙げるのかな? と思ってたりもしてたのですが、さすが我が従弟殿。そんな半端なマネはしなかったぜ!
受付にてご祝儀を渡し、名簿に名前を記入。これは、よその結婚式と同じ。違うと言えば、受付がそのお寺の檀家さんだったところくらい?
係りの方(この人も檀家さん)に案内され、親族の控室に。
その控室は、普段はお葬式などで使われる部屋なわけで、ちょっとお線香の香りとかしてたりするわけで、もう一つ言えば、ここを訪れた人たちの多くが死者と向き合ってきたんだよな……と、ちょっぴり不吉っぽいものを感じたりしつつ、控室で大人しくしていたのです。
親族が集まり終え、時間もいい時間と言うことで、新郎側、新婦側それぞれの親族を紹介しあう親族紹介の時間に。
これはまあ、普通でした。変わっているものなどなく、しいて変と言うならば、親族紹介を行う新郎新婦二人の父親が異常にテンパっていたくらい。
うん、親戚の名前とかど忘れしてたからね。頭から甥っ子の名前とか抜け落ちてたみたいだからね。よっぽど、だったんだろうね、二人とも。
親族紹介を終え、式場の準備もできたということで、いざ結婚式場へ! と向かった先は――
お寺の本堂でした。
いや、わかっていたこととはいえ、やっぱり式場奥に鎮座する仏像を見たときは「おおう」と軽くひいたね。
日本人ですので、仏像自体は見慣れているけれど、結婚式の場に仏像が居合わせるというのは、やっぱり結構な違和感で。でもそれ以上に違和感を覚えたのは、席に並びでした。
教会でも神社でも、式の参列者と言うのは、中央から新婦側親族、新郎側親族と横並びに座るものなのだけど、本堂に用意された席は、なぜか縦並び。
その並びを見た瞬間、
「え? これ、どう座るの?」
と、ちょっと困惑しましたですよ。
そして、その困惑にさらに拍車をかけてくれたのが、用意された席の数。明らかに親族よりも多い。ってか、三倍くらい多い。
なんで? なんなん、これ!?
と、式が始まる前から軽く混乱させられました。
係りの方(やっぱり檀家の人たち)の指示に従い、席に着くことに。
三列縦方向に用意された長机とイスのセットの中央の列に案内され、前半分を新郎側の親族が、後ろ半分を新婦側親族が座るという形に。
では、空いた両側の列はどなたが座るのかと言えば、式の手伝いに集まってくれた檀家の皆さまでした。
ってか、列席者よりも檀家さんたちの方が多いんだけどっ!?
式が始まる前からすでに、未知への期待感と予想できない困惑が拮抗。
そしてその拮抗は、式が始まると同時にあっさりと崩れ去ってしまったのです。
進行役が「導師入場」を告げる。――と同時、
いきなり始まった読経!!
左右に座る檀家さん方が一斉に声をそろえて念仏を唱え、それを平然と受け入れる――どころか、一緒になって念仏を唱えている親戚たち! しかも、いつの間にか数珠装備してるし!? なんで!? なんで数珠持ってんの!? 結婚式だよ、今日やるの! お葬式じゃないよ!?
なにこれなにこれなにこれこわあっ!!?
結婚式と言う儀式にそぐわないにもほどがある異様な光景。思わずぞわ~っと、身裡に恐怖が走りましたよ。
流れについていけず、戸惑う私たち家族。
……まさか?
と思い、恐る恐る後ろに目を向けてみれば――――同じように戸惑う新婦側ご親族の皆さま。
あ、よかった。この人たちこっち側の人間だ。とホッと安堵する私。
あちらの親族の方も同じことを思われたのか、目が合った瞬間、連帯感と言うか、通じ合うものがありました。まだ知り合ってから一時間と経ってないのに。
左右から押し寄せてくる念仏の大音声。その平坦な音の圧力と言うか、いっそ暴力的なそれは、私にとってはただただ苦痛で。
いや、頼むから早いとこ終わって……。と、ひたすら耐え続けていると――
念仏にでも酔ってしまったのか、だんだんと頭がぼーっとしてきて
気づいたら、指がリズムをとってた。
……ああ、そういえば、新興宗教の勧誘手段の一つに、半ば強引に読経に付き合わせるってのがあったな。
延々と続く読経の音圧から逃れようとして抵抗するのをやめ、「これは苦痛ではなくて、快楽を与えてくれるものなんだ」と読経を受け入れさせ、そのまま宗教に洗脳するって手法で、つまり何が言いたいかと言うと…………
俺、おもっくそ洗脳されかかってるやんかぁ!!!!
あの時の私の状態は、親戚の結婚式に出席してたはずが、いつの間にか寺に洗脳されかけてた。――って言うとんでもない状態でした。
宗教怖い。マヂ宗教怖いよ、ほんと。
それから、導師が見えられ、新郎新婦が入場し、同氏の導きのもと式がつつがなく(?)進行していきました。念仏唱え続けたまま。
ぶっちゃけ、何を言ってるのか全然わからないし、何をしているのかもわからない。
永遠の愛とか誓わされているのかもわからない。
僕らは本当に結婚式に参加しているのだろうか? これ、結婚式とかウソなんじゃねぇの? これ実は手の込んだ勧誘なんじゃねぇの? とかなり失礼な疑いを駆けだした頃、やっとこちらにとってなじみのある儀式が始まりそうになりました。
檀家のお子さんが何やら箱を持ってきて、結婚する二人の間に置いたのです。
教会式なら神父さんが事前に用意しておき、神前式なら巫女さんが持ってくるだろうアレです。
式を進行している導師がおもむろに箱を開け、中から取り出したのは私たちが想像してた通りの
…………数珠?
え? ええ? ええええ? 数珠? 数珠なの!? 指輪じゃないの!? なんで!? なんでさ!!? そんなとこまで仏教色出さんでもええやん!!
仏教的に、指輪に対して何かあるのか、何故か新郎新婦が指輪ならぬ数珠を交換し合う不思議な光景がそこにはありました。
……こ、これが仏前式、か!
未知なる体験におののく私。
そして、そんな私をほっぽったままどんどん進んでいく結婚式(当たり前です)。
指輪――じゃなくて、数珠の交換を終え、最後に両家親族のきずなを固めるために杯を交わし合い、それにて式は終了しました。
……あ、誓いのくちづけはしないんだ。
式が終わった後、最初に抱いた感想がそれでした。ってか、そんなことくらいしか思い浮かばないくらい、圧倒されていたというか。
式が終わった後、本堂に金屏風が用意され、新郎新婦とその両親が写真に納まるのを眺めながら、私はこう思ったのです。
一回で十分だわ、これ。
仏前式。あまりにも濃厚すぎて、仏教慣れしてない一見さんには割としんどい式でした。
あ、ちなみに、その後に別会場で行った披露宴は普通なのでした。
――以上。
身内が仏様の前で結婚しまして。おわり。
ジューンブライドだかいうヨーロッパから持ち込まれた風習により、日本全国で結婚式が増える季節。
日本中にある教会や神社で、式を挙げる新郎新婦たちが『ジューンブライドよ~! 幸せになる私たちを見て見て~♪』と得意げに浮かれつつ祝福の雨を一身に浴び、式に参加する出席者たちは『こんな梅雨の季節に式挙げるとかバカなの!? 死ぬの!? 雨でドレスとかどろっどろになるんですけどっ!!』と若干(?)の不満を抱えつつも主役二人に祝福の雨を浴びせたりするわけですよ。
そして、数年前。私の親戚もまた、6月に挙式を上げたのです。ジューンブライドって由来だの本来の意味合いだのはとうに忘れ去られたイベントに乗っかって(日本ではよくあることですよね?)、結婚したのですよ。
――――お寺で。
って、いやいや寺で式って言ったらお葬式でしょ!? 挙げれるの!? 挙げていいの!!? と思われた方々、あなた方は私と一緒です。私もそう思ってました。って言うか、そもそもお寺で結婚式なんて思いつくことも想像することすらも出来なかったのですが、でも、出来るんですよ。ってか、してたし、ウチの従弟。出席したし、その結婚式に。
と言うわけで、せっかくした異じょ――じゃなかった、おかし――でもなくて! そ、そう! レア! あのレアな体験、是非とも活かさなければ! と思い、こうして筆をとってみたのです。
さて、そもそもどうしてウチの従弟は、教会、神社などの日本的メジャーどころではなく、お寺で結婚などと言う発想に至ったのか。なのですが、
まあ、これはいたって単純と言うか、さもありなんと言うか、彼が熱心なお寺の信者さんだったから、なわけです。
より正確に言うと、彼が~ではなく、彼の家族みんなであり、さらに正確を期するならば、ウチの家族を除いた親族皆、熱心な檀家さんだから、なのです。
その宗教のハマりっぷりは、正直私的にはドン引きするレベルでして。
カンペとか無しでさらっと読経出来るのは当たり前。(私が唱えられるのは、ナウマクサンマンダバサラタンカンとかオンマユキラテイソワカとか臨兵闘者皆陣列在前とか、漫画――てか、孔雀王で覚えたのくらい)
自分たちが生活が成り立たなくなるぎりぎりのレベルまでお寺にお布施をしたり、彼女の家とは宗派が違うから。と、一度は結婚を断念したりするレベルなのです。
そう、この従弟、相手の家が自分とこと違う宗派の檀家さんだからって高校時代から付き合ってきた彼女に結婚できないとか言い放っちまいやがったのですよ。挙句、それが理由で一度は別れたりもしたらしく。
初めてその話を聞いた私は「はぁあっ!? 別れる理由がそれぇ!!?」と驚き半分、「ああ、でもあそこの家ならあり得るか」と納得半分な感じでした。
――で、よりを戻した理由も、彼女が宗旨替えしたから。と言うので、さらに納得。と同時に、信じる神様は同じなのに、宗派が違うだけで結婚できる出来ないとか、シューキョ―って怖いわ~。とも思ったのです。もう、信仰の自由とかどこいったの? って感じで。
だから、そんな彼から「お寺で結婚式を挙げる」と聞かされた時は、「出来るんだ!?」と言う驚きを覚えたと同時に「あ、やっぱり」と納得もしたものでした。
……まあ、納得はしたわけですが、その後で、自分の中である疑問がわいたわけです。
お寺の結婚式って、どんなのよ?
と言う疑問が。
自分、正直結婚式の出席経験とか同年代の人たちから見れば人並み以下だったりするのですが、そんな自分でも教会で結婚する~とか、神社で結婚~とか言われれば、パッと脳裏に絵が浮かんだりするのですよ。でも、これがお寺で結婚します! だと、ひとっかけらも絵が浮かんでこない。
経験などないから自分の中にそれに該当するシーンがないのは勿論として、脳内でイメージを創造することすらできない。
なので、この時点ではまだ、この先に待っている未知なる体験にちょっと楽しみですらあったのです。
うわ、なんか面白そう!
とまで思っていたのです。思っていたのですが……
…………うん、まあ、なんていうか……すごかったよ、ほんとに。すごかったというか、異様と言うか。
もう、式場にたどり着いた時点で、異様なのでした。
まず招待状に従いたどり着いた式場、そこはまあ、やはりと言うか当たり前と言うかお寺でした。
お寺についた時は「あ、ほんとにお寺の中でやるんだ」と思ったり。
ホテルなどで行う教会式とか神前式とかみたいに、どこか別の場所で仏前式って言うスタイルで式を挙げるのかな? と思ってたりもしてたのですが、さすが我が従弟殿。そんな半端なマネはしなかったぜ!
受付にてご祝儀を渡し、名簿に名前を記入。これは、よその結婚式と同じ。違うと言えば、受付がそのお寺の檀家さんだったところくらい?
係りの方(この人も檀家さん)に案内され、親族の控室に。
その控室は、普段はお葬式などで使われる部屋なわけで、ちょっとお線香の香りとかしてたりするわけで、もう一つ言えば、ここを訪れた人たちの多くが死者と向き合ってきたんだよな……と、ちょっぴり不吉っぽいものを感じたりしつつ、控室で大人しくしていたのです。
親族が集まり終え、時間もいい時間と言うことで、新郎側、新婦側それぞれの親族を紹介しあう親族紹介の時間に。
これはまあ、普通でした。変わっているものなどなく、しいて変と言うならば、親族紹介を行う新郎新婦二人の父親が異常にテンパっていたくらい。
うん、親戚の名前とかど忘れしてたからね。頭から甥っ子の名前とか抜け落ちてたみたいだからね。よっぽど、だったんだろうね、二人とも。
親族紹介を終え、式場の準備もできたということで、いざ結婚式場へ! と向かった先は――
お寺の本堂でした。
いや、わかっていたこととはいえ、やっぱり式場奥に鎮座する仏像を見たときは「おおう」と軽くひいたね。
日本人ですので、仏像自体は見慣れているけれど、結婚式の場に仏像が居合わせるというのは、やっぱり結構な違和感で。でもそれ以上に違和感を覚えたのは、席に並びでした。
教会でも神社でも、式の参列者と言うのは、中央から新婦側親族、新郎側親族と横並びに座るものなのだけど、本堂に用意された席は、なぜか縦並び。
その並びを見た瞬間、
「え? これ、どう座るの?」
と、ちょっと困惑しましたですよ。
そして、その困惑にさらに拍車をかけてくれたのが、用意された席の数。明らかに親族よりも多い。ってか、三倍くらい多い。
なんで? なんなん、これ!?
と、式が始まる前から軽く混乱させられました。
係りの方(やっぱり檀家の人たち)の指示に従い、席に着くことに。
三列縦方向に用意された長机とイスのセットの中央の列に案内され、前半分を新郎側の親族が、後ろ半分を新婦側親族が座るという形に。
では、空いた両側の列はどなたが座るのかと言えば、式の手伝いに集まってくれた檀家の皆さまでした。
ってか、列席者よりも檀家さんたちの方が多いんだけどっ!?
式が始まる前からすでに、未知への期待感と予想できない困惑が拮抗。
そしてその拮抗は、式が始まると同時にあっさりと崩れ去ってしまったのです。
進行役が「導師入場」を告げる。――と同時、
いきなり始まった読経!!
左右に座る檀家さん方が一斉に声をそろえて念仏を唱え、それを平然と受け入れる――どころか、一緒になって念仏を唱えている親戚たち! しかも、いつの間にか数珠装備してるし!? なんで!? なんで数珠持ってんの!? 結婚式だよ、今日やるの! お葬式じゃないよ!?
なにこれなにこれなにこれこわあっ!!?
結婚式と言う儀式にそぐわないにもほどがある異様な光景。思わずぞわ~っと、身裡に恐怖が走りましたよ。
流れについていけず、戸惑う私たち家族。
……まさか?
と思い、恐る恐る後ろに目を向けてみれば――――同じように戸惑う新婦側ご親族の皆さま。
あ、よかった。この人たちこっち側の人間だ。とホッと安堵する私。
あちらの親族の方も同じことを思われたのか、目が合った瞬間、連帯感と言うか、通じ合うものがありました。まだ知り合ってから一時間と経ってないのに。
左右から押し寄せてくる念仏の大音声。その平坦な音の圧力と言うか、いっそ暴力的なそれは、私にとってはただただ苦痛で。
いや、頼むから早いとこ終わって……。と、ひたすら耐え続けていると――
念仏にでも酔ってしまったのか、だんだんと頭がぼーっとしてきて
気づいたら、指がリズムをとってた。
……ああ、そういえば、新興宗教の勧誘手段の一つに、半ば強引に読経に付き合わせるってのがあったな。
延々と続く読経の音圧から逃れようとして抵抗するのをやめ、「これは苦痛ではなくて、快楽を与えてくれるものなんだ」と読経を受け入れさせ、そのまま宗教に洗脳するって手法で、つまり何が言いたいかと言うと…………
俺、おもっくそ洗脳されかかってるやんかぁ!!!!
あの時の私の状態は、親戚の結婚式に出席してたはずが、いつの間にか寺に洗脳されかけてた。――って言うとんでもない状態でした。
宗教怖い。マヂ宗教怖いよ、ほんと。
それから、導師が見えられ、新郎新婦が入場し、同氏の導きのもと式がつつがなく(?)進行していきました。念仏唱え続けたまま。
ぶっちゃけ、何を言ってるのか全然わからないし、何をしているのかもわからない。
永遠の愛とか誓わされているのかもわからない。
僕らは本当に結婚式に参加しているのだろうか? これ、結婚式とかウソなんじゃねぇの? これ実は手の込んだ勧誘なんじゃねぇの? とかなり失礼な疑いを駆けだした頃、やっとこちらにとってなじみのある儀式が始まりそうになりました。
檀家のお子さんが何やら箱を持ってきて、結婚する二人の間に置いたのです。
教会式なら神父さんが事前に用意しておき、神前式なら巫女さんが持ってくるだろうアレです。
式を進行している導師がおもむろに箱を開け、中から取り出したのは私たちが想像してた通りの
…………数珠?
え? ええ? ええええ? 数珠? 数珠なの!? 指輪じゃないの!? なんで!? なんでさ!!? そんなとこまで仏教色出さんでもええやん!!
仏教的に、指輪に対して何かあるのか、何故か新郎新婦が指輪ならぬ数珠を交換し合う不思議な光景がそこにはありました。
……こ、これが仏前式、か!
未知なる体験におののく私。
そして、そんな私をほっぽったままどんどん進んでいく結婚式(当たり前です)。
指輪――じゃなくて、数珠の交換を終え、最後に両家親族のきずなを固めるために杯を交わし合い、それにて式は終了しました。
……あ、誓いのくちづけはしないんだ。
式が終わった後、最初に抱いた感想がそれでした。ってか、そんなことくらいしか思い浮かばないくらい、圧倒されていたというか。
式が終わった後、本堂に金屏風が用意され、新郎新婦とその両親が写真に納まるのを眺めながら、私はこう思ったのです。
一回で十分だわ、これ。
仏前式。あまりにも濃厚すぎて、仏教慣れしてない一見さんには割としんどい式でした。
あ、ちなみに、その後に別会場で行った披露宴は普通なのでした。
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