突然、母が死にました。

山王 由二

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一日目

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 それは、金曜日もそろそろ終わろうかという頃だった。
 いつもの日課――いくつかのプラウザゲームでログボ拾いしたりイベントに挑んだりギルドイベをこなしていたところ、不意に、スマホのベルが鳴った。
 着信を見れば、『母』の文字。
 まぁた、仕事でトラブったんかい……。と嘆息吐きつつ『応答』を押すと――


 「おかん、死んだかもしれない!」


 焦った兄の声が、私の耳朶を襲った。
 「身体が冷たくなってる! 息してないみたい!」
 取り乱し気味の兄の声に、私も怒鳴るように訊ねた。
 「心臓は!? 救急車呼んだ!?」
 「もう呼んでる!」
 「すぐ行くから!」
 胸を突き破るかのように暴れる心臓に精神ココロを振り回されつつも、マンションを飛び出し、実家へと走り出した。 
 一人暮らしの私のマンションから、母と兄が暮らす実家まで徒歩でも五分かかるかどうか。しかし、走る私にはそれが何キロも先かのように感じられ、実際、家まであと少しという頃には息はすっかり上がり、軽くめまいまでしていた。(ちなみに、通ったり通わなかったりだが、ジムで身体を鍛えているため、同年代の平均以上には体力がある…………はず)
 家の玄関前にたどり着いた頃、救急車もすぐそこの通りにやってきているのが見えた。
 玄関から出てきた兄に身振りで残るように示し、私は息も整わぬ内にもう一度、走り出し救急車の元へ。
 担架と救命装置の準備をしている救急隊をつれて、三度走り出した。
 先に救急隊を家に通すと、救助活動の邪魔をしないよう私はしばし、外で待つことを選んだ。
 そうして、家の前にある電柱にすがるように――教父のせいか足から力が抜けて満足に立っていられなかったのだ――身体を預け、待つことしばし。
 長かったのか短かったのか、時間感覚など失せた状態だったのでわからないけれど、玄関に姿を見せた兄が私を呼ぶ声に応じ、私も実家に入り、
 

 ――――あ、ダメだ。


 母の姿を目にした瞬間、頭の片隅にいるリアリストな私がそう、言葉を漏らした。
 階段下で倒れていた母を救命措置のために救急隊員が運んだのだろう、居間で仰向けに寝かせられ、救急隊員の懸命な心臓マッサージを受けていた母は、顔の上半分が青紫に変色し、はいていたジーンズの股間周りが濡れていて……
 何より、救急隊員の空気が、それを物語っていた。
 別に、彼らが半ばあきらめの境地で救急活動を行っていたわけではない。
 むしろ、必死に、一縷の望みを、可能性をつなぎ止めようと懸命に救助活動を行ってくれていた。今更ながらだが、あの方々には感謝している。「ありがとうございます」と言う気持ちしか持っていない。
 でも、それでも、幾度となく、それを経験してきた彼らだからこそ感じ取った空気が、私にも、おそらく兄にも、伝わった。
 唐突だけど、これを読まれているあなたは、おぼれて心肺停止していた人間が水を吐いて息を取り戻すシーンを、マンガやアニメで一度は目にしたことがあると思う。
 この時も、心臓マッサージを受けている最中、母が吐いた。口から固形物を吐き出したのだ。
 それを見た瞬間、私の脳裏にもその手のシーンがフラッシュバックのようにぱっと浮かび、期待を、希望を抱きながら、救急隊員に尋ねた。
 「吐いたのなら、助かりますよね?」
 すがるような眼差しで訊ねる無知な私に、しかし救急隊員は応えることも目を合わせることもしなかった。
 それこそが、答えだった。
 救急車に乗せられていく母。
 私か兄、どちらかが救急車に乗るよう促され、兄を残して私が救急車に乗り込んだ。二人で乗らなかったのは、この後すぐ、警察が事情聴取にやってくるからで(こういった家での事故などでも警察がやってきていろいろ調べていくらしい。今回のことで初めて知ったけど。知りたくなかったけど、こんな形で)、倒れていた様子を知らない私が残るよりも、と判断したためだ。
 救急車の中で、母の名前や生年月日などのパーソナルデータを記入することがあったのだけど、私はそれを書くのにひどく時間がかかり、手間取ったことを覚えている。別に母の誕生日を覚えていないわけではなく(ちなみに父のは覚えていない。アレが今年で何歳になるかなんて、てんで興味ないので)、字を書こうにも手が震えて上手く書けないのだ。
 と、まあ、こう表現すると、コントみたいにわざとらしいくらいにガタガタとふるえてたり、力加減が出来ずに紙を破ったりするシーンを思い浮かべる人もいるかもしれないが、実態はちと違う。
 むしろ紙を破けるほどの力など入らない。力が抜けるのを何とかこらえながら書くため、ことさらゆっくりと、一文字ずつ記入しなければならないため、時間と手間がかかったのだ。
 苦労しつつも用紙の項目欄を埋めた私には、後は母が助かることを祈ることしかできなかった。スマホを握りしめ、ただ神様に、あるいは『何か』にすがり、蘇生処置を受け続ける母を見つめ続け、
 気づけば、車は救急病院に到着していた。
 後ろのドアが開くなり私は飛び降りるように外に出て、すぐに距離を取った。少しでも早く、母が病院には入れるようにと。その時は、それしか考えていなかった。今考えると、下手したら待機していた看護師さんの邪魔をして却って時間を取らせることになっていたかもしれない。幸い、そのようなことはなかった(…………はず。たぶん)けれど。
 救急治療室に運び込まれていく母の後を、促されるままについて行く私。促され、わけもわからずついて行ってしまった私は、本来は入らないエリアまで入ってしまったりもした。
 まるで小さな子供のように救急治療室から連れ出された私は、看護師さんに指示されるまま受付へと向かい、そこで母の名前と住所、生年月日を書くことを求められた。そして、またもや手間取った。
 手が震えて――と言うか、力が入らなくて――書くのに難儀した。わけではない。
 母の生年月日が出てこなかったのだ。正確には昭和何年か、が。
 西暦は出てくるのだ。西暦はすぐに思い出せるのに、昭和に換算できない。こんなもの、西暦の下二桁から25引けばすぐに出てくるものなのに、それが出てこない。その時は頭が静かに混乱していて――と言うか、まっ白になっていて、小学生でも簡単にできるような算数が出来なくなっていたのだ。
 手間取りつつ記入を終えた私に、受付の事務員さんは母の診察券を私に持たせると、家族の待合室まで案内してくれた。
 待合室に通された私は怯えるように部屋の隅のイスに座り込み、時折耐えきれなくなって身体を投げ出したりしながら、ただ、ただ、こう呟きを繰り返していた。
 
 
 「帰ってきて。まだ早いよ! 帰ってきて!」
 

 どれくらい待たされたのだろうか、いてもたってもいられない、落ち着かず、胸が締め付けられ、満足に息すら出来ずにいた私は、ふと、扉の向こうに人の気配を感じた。聞こえてくる話し声にそちらに目を向けると、待合室の扉が開き、救急治療室内で見かけた医師の姿がそこにあった。
 医師に案内されるまま、母の元へ。
 救急治療室に横たわる母を、医師と、看護師と、そして、物々しい、それこそテレビでしかお目にかからないような医療機器が囲んでいて……。
 母の心臓の動きを示す心電図の画面に、ただ一本の線が延々と延びていて。
 「これを見てもらうとわかると思いますが、こちらに来てからも、一度も心臓が動いていません」
 努めてなのか、平坦な口調で、医師は今の母の状況を私に伝えてくれた。
 医師がどのような表現を用いて説明してくれたのかは、正直、今の私は覚えていないけれど、ただ、一言で言い表すならば、母は救急隊が駆けつける前から、すでに亡くなっていたと言うことだった。
 物言わぬ、ただ眠っているだけのようにしか見えない母。でも、もう二度と目覚めることとのない、母親の姿。
 「準備がありますから」
 と、看護師に言われ、私は茫然としたまま看護師に連れられて、病院の地下へと連れられていった。
 これから、母が運ばれていく霊安室傍の控え室へ。
 霊安室の傍に用意された控え室は横長で、簡単な流し台とテーブルが二脚、それから長いすといくつかの一人がけのイスが用意されていて、私はそのイスに力なく、腰を落とした。
 半分、現実から逃げかけている私に、看護師はこれからの予定を説明してくれた。
 これから母の身が清められ、霊安室に運ばれてくると言うこと。
 それから、警察がきて幾つか質問されるらしいと言うこと。
 それまではここにいなくてはいけないと言うことと、母はこの後、警察署に運ばれると言うことだった。
 最後に、看護師は残りのご家族にお知らせ下さい。と告げて、控え室を出て行った。
 私は兄に電話をかけ、今どこにいるかを訊ねた。
 「今、そっちに向かってる」
 そう返してくる兄に、私は、
 「ダメだった。今、霊安室にいる。母ちゃん、死んじゃった」
 と、告げた。
 兄は一言、わかった。と返して電話を切った。
 それからの時間は、ひどく、ひどく、耐え難いほどに長く、苦しかった。
 胸が締め付けられ、息苦しく、じっとしていられないけど、でも、そこから動くこともためらわれて……。
 そうして、どのくらい耐えていたのか、自分をここまで連れてきてくれた看護師が再び姿を見せ、
 「準備が整いました」
 私は看護師について、霊安室へと向かった。
 控え室を出て、右を行くと奥まった場所にそれはあって。
 母の治療をしてくれた医師がいて、
 それからスーツ姿の見慣れぬ男性がいて、
 彼の横の小さなテーブルに、十数本の、白い花が置かれていた。
 「こちらを、お母様に手向けて下さい」
 そう言って差し出された白い花を、私は礼を言って受け取り、霊安室の中へ。
 ドラマで見るように、母は白いシーツを身体にかけられ、横たわっていた。上半分が青紫に変色していた母の顔は、一部に青あざのように残っている以外ほとんど元に戻っていて、その代わり、ややむくんでいた。
 母の前に置かれたテーブルの上には四角いお盆が置かれていて、すでに何本か、同じ白い花が置かれていた。
 私もそれに合わせて、花を置き、手を合わせ……そして、泣いた。
 母が倒れてから、その時が初めてだった。
 その時初めて、現実から目を背けようとする私の心深くに、『母が死んだ』という事実が、突き刺さったのだった。
 それから、医師も、看護師も、母に花を手向けてくれた。
 私は彼らに感謝し、頭を下げた。機械的に。心は『母の死』という現実に串刺しにされて動けず、でも、人として、息子として、この表現は適切ではないけれど、半ば義務的に、彼らに頭を下げていた。ありがごうございます。と、感謝の言葉を口にしていた。
 花を手向け終わった医師と看護師は一礼してその場を去り、霊安室の前には私と、スーツの男性(病院と契約している葬儀社の人だった)だけが残された。
 男に連れられ、また控え室に戻った私は、男の口から看護師に受けた説明をもう一度聞かされ、それから、彼の会社が母を警察署まで運ぶと言うことを知らされた。
 「霊安室にいても構いませんから」
 そう言って、男は控え室を出て行き、再び、私は部屋で独りになった。
 「…………」
 とても落ち着かなった。
 スマホを何度となく確認したり、母のいる霊安室に行っては、ただ、何をするでもなく、じっと、眠る母の顔を見つめていたり、そして、眠る母から逃げるかのように再び控え室に戻っては、イスに沈み込んで、スマホを確認したりを繰り返していた。兄が、警察と共に病院に来るまで、ずっと。
 あの時の私がした唯一の意味ある行動と言えば、従兄弟に葬儀会社についての相談をしたくらいだろう。(私の従兄弟は以前、葬儀会社に勤めていたことがあったのだ)
 親が死んですぐ!? と思われる方もいるだろうが、ここで葬儀会社の手配をーー少なくとも葬儀会社の選定、手配の準備だけでもしておかないと、まずいことになるのだ。
 何故なら、

 “葬儀会社でなくては、ご遺体を運ぶことが出来ない”

 からだ。
 今のままでは、翌日、母を警察から家に連れ帰ることが出来ない。
 故、早急に葬儀会社と契約を結ばなければいけなかったのである。
 従兄弟に連絡して、彼の前の上司がいると言う会社を紹介してもらい、また、落ち着きなく兄を待ち続ける。
 そうして、深夜1時を回った頃、兄が警察と共に病院へとやってきたのだった。
 兄と父、それから警察官(刑事?)2名が母に献花をし、それからまた控え室へと戻ってくると、警察官の一人が私たちを気遣いながら、私に質問してきた。最後に会った母の様子を。
 私と母は、正社員数名、パート十数名という中小企業の共同経営者で、普段から同じ事務所内で一緒に仕事していることが多く、おそらく生前の母と最後に会話を交わした人物が、私だったのだ。
 午後4時ごろ、家へと帰る母の様子は、いつもと変わりなかった。体調をおかしくしている様子もなく、何か気がかりがあった様子も見受けられず、いつものように「明日は気功があるから自転車で帰るわ」と告げて、家へと帰って行ったのだ。
 いつもと変わらぬ別れをし、当然のようにまた、明日も会えるはずだったのに……。
 こちらの心を気遣う警察官に礼を述べ、明日のことについていくつか話し合ったのち、私と兄、それから父の三人で母のいない家へと戻った。この時、時刻はすでに3時を回っていた。だが、眠気など一切感じなかった。あったのは、『母の死げんじつ』を理解できないぽっかりと空いた心だけだった。


 
 
 
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